小説

聖地巡礼

私たちの夢は聖地巡礼だ。鋭い山頂に乗っかる聖域、海の光が眩い白い塔、風の吹く墓地。いつか、いつか巡り歩きたいと思いながら、つらい人生を生きている。

私たちには養うべき家族がおり、支払うべき負債があり、苦しむべき労働がある。夜は亡霊のようだ。

私たちには知恵も生気もなく、ただ奪い取られるばかり。報酬はといえば、恥辱と侮蔑だけだ。孤独が孤独でもこれほど孤独ではないだろう。

いつか金を手に入れたら、いつか自由を手に入れたら、いつか頭を上げることができたら、いつか、いつか、いつか……いつか私たちは聖地巡礼の旅に出発するだろう。

だが、私たちは決して聖地に着くことはないだろう。私たちが聖地に行くよりも先に、病と老いと死が私たちのもとにやってくるから。奪われ続けた私たちは、苦しみと悲しみにまみれた生を最後に奪われるのだ。

そして、そのとき、私たちは、自分たちが知らずして聖地を巡礼していたことを知るだろう。

苦い文学

強い心

【「日本を再び偉大にする党」の総裁、河豚やすし氏の演説記録より】
みなさん! 今年のノーベル平和賞は、日本原水爆被害者団体協議会に授与されました。核兵器廃絶のためにたゆみない努力を続けたことが、授賞の理由だということです。なんと素晴らしいことではありませんか!

原爆は広島と長崎に壊滅的な影響をもたらし、悲惨な地獄としました。その経験が、二度と核爆弾を使わせてはならない、という決意を生み出したのです。

ですが、それだけが核の脅威を根絶する方法ではありません。ロシアとイスラエル、イランという核保有国が戦争状態にある今、核兵器の廃絶は現実的には不可能です。ならば、私たちが核に負けない強い心を持つことで、核を無効化することもできるのではないでしょうか。

例えば、現在の日本が直面する重大な危険は、北朝鮮の核ミサイルです。ですが、私たちはいったいなぜこれを恐れているのでしょうか。もちろん、それが、我が国土に悲惨な影響を与えうるからです。ですが、ちょっと考えてみてください。たった一発で、日本が全滅するわけなどないではありませんか。

いや、北朝鮮には三十発の核兵器があるぞ、という人がいるかもしれません。では、そのすべてが日本に打ち込まれたとしたらどうでしょうか。それで日本は全滅するでしょうか。おそらく数百万人程度が死ぬだけではないでしょうか。人口のほんの一部なのです。

そうなのです。恐ろしい核兵器といえども、日本を滅ぼすことなどできないのです。なにを恐れることがありましょうか! 何百万人死のうと、恐れず、動揺しない心、そうした強い心があれば、核兵器などまったく無意味なのです。

ああ、それにしても、もし、日本人が原爆で怖気づかなければ、今ごろ、世界は違っていたかもしれません。北朝鮮も中国も、日本の強い心とリーダーシップのもと、おとなしく平和を享受していたに違いありません。戦時中の日本人が怯懦だったばかりに、現在の日本の私たちがイヤな思いをしているのです!

だから、もし私たちが弱く臆病な心のままだったら、同じように私たちも将来の世代によって非難されるのではないでしょうか? そんなのは御免です。核兵器に負けない強い心を持つことだけが、未来の日本を、いやアジアを救い、それによって現在の私たちを救うのです。

日本人よ、強い心を持とうではありませんか。日本中に核爆弾が降りそそいでも恐れない強い心を持ちましょう!

そして、もし核兵器がみなさんの頭の上に核爆弾が降ってきたとしても、心配しないでください! まるで虫ケラが蹴散らされるのと同じだ、そんなふうに、必ずや私たち「日本を再び偉大にする党」が強い心でしかと受けとめることをお約束いたします!

苦い文学

J アラートの改良

博士が「このままの J アラートではダメです」と言って、岸田内閣に大胆な提案を行ったとき、誰一人反対するものはいなかった。それほど北朝鮮の脅威が差し迫っていたのだ。

博士は語った。

「J アラートとは、ご存知の通り、弾道ミサイルの落下などの緊急情報を、携帯電話などを通じて瞬時に伝達するシステムです。だが、現在の危機的状況にあっては、ミサイル感知の精度を高め、よりすばやく J アラートが鳴るようにしなくてはなりません」

博士は自信たっぷりに告げた。「私は日本のミサイルから守るべく研究を行い、ついに J アラートのミサイル感知システムの精度・感度をこれまでの 10 倍以上に引き上げることに成功しました! この新システムが実施されれば、J アラートはどんなささいな落下も見逃さず、ただちに警報を発するでしょう! 日本国民の生活を守るためには、ぜひ必要です!」

この提案に感激した岸田内閣は、ただちに実行を命じた。ついに完璧な防衛体制が敷かれたのだ。

そして、そのとき以来、私たちの苦しみがはじまった。全国いたるところで J アラートが一日じゅう鳴り響くようになったのだ。実際、我が国は落下ばかりだった! 出生率の低下! 政治家のモラルの落下! 円安! 株価の下落! そして経済大国からの転落! 博士のシステムはありとあらゆる落下に反応し、わたしたちから安眠と安らぎを奪ったのだった。

今朝など、朝っぱらからけたたましく J アラートが鳴り続けるので、「すわ今度はどんな落下が?」と私たちは騒然となった。

ただ岸田首相のメガネがずり落ちただけだった。

苦い文学

ルーの秘儀

汝、カレーおよびシチューの調理をなすものよ、ルーの投入はもっとも神聖な瞬間だと知れ。

煮え立った鍋にルーを決して入れてはならぬ。なんとなれば、ルーの怒りを招くがゆえに。

まず、火を止めねばならぬ。すると、騒がしくもグツグツせる鍋は、たちまち和らぎ、静かにならん。

こはルーを入れるのにもっともよき兆候なり。されど、もしグツグツ止まざれば、ただちに調理を中止し、その日は断食すべし。

鍋が静かになりしのちは、祈祷を捧げよ。ルーの力を鍋に召喚せんがためなり。

その祈りでは、まず野菜および肉など具材の来歴を語れ。ついで煮込みの頼もしき味方である火と水の精霊に感謝を述べよ。そして、最後にすべてをひとつにしたもうルーの偉大なる力を褒め称えよ。

祈りとともに、ルーを讃える舞踊をなすべきなり。ただし、空腹のはなはだしき場合はその限りにあらず。

さて、これらの聖なる儀式ののち、はじめてルーを鍋にたてまつること許さるるものと知れ。この秘儀なくして、ルーの加護を溶け残りなく受けることなし。

ルーを収む紙箱には、ただ「いったん火を止めてからルーを入れてください」と記されるのみ。

なんぴとも知らざりしその理由について、今、我、ここに明らかにせり。