散文

ぜんぜん

私たち日本人にとって「全然」は心の支えだ。なぜなら、この言葉ひとつで、自分の自尊心を高めることができるからだ。

というのも、日本人の頭の中では「全然」はいつも「ない」と結びつくものと決まっていて、「全然ある」など間違った日本語を使う人間を、気持〜ちよく批判させてくれるからだ。なので、日本人はいつも「全然」の使い方に注意を怠らない。

しかし、「ない」でない「全然」はかなり昔から用例があると言われている。なので、間違いとは言い切れない。しかも「全然ある」という言い方にも、ちゃんと否定の論理が働いている。つまり「全然ある」などの表現は、たいてい「(あなたの思っていることは)全然(あり得ない、むしろ)ある」という文脈で用いられる。「全然」は相手の頭の中の想定について「ない」と言っているのだ。だから「全然ある」とか「全然食べるよ」とかは全然間違いではない。

ところで、私は一昨年、タイからビルマに入国して、カレン人の紛争地域を旅した。同行してくれたのは在日カレン人だった。その彼と今日、会ってご飯を食べた。彼は一昨年訪問した場所について日本語でこういった。

「あそこはあの時は行けたけど、今はもう戦争で、全然あぶないよ」

私たちの否定じゃない「全然」が外国人の日本語でも活躍してた。全然いい。

苦い文学

裏切りのサイン

「野球選手やサッカー選手はどうしてあんなに不倫ばかりするのか、くだらない連中だ!」

そうお思いのあなた、それは勘違いというものですよ。彼らはなにもしたくて不倫をしているのではないのです。止むに止まれぬ事情からやっているに過ぎないのです。

どんな事情かと申しますと、みなさまお気づきでしょうか。スポーツ選手が不倫発覚報道で必ずこう言っていることを。

「家族を裏切ってすまなく思っている……」「支えてくれた妻を裏切ってしまった……」

なぜ野球選手やサッカー選手は一様に「裏切り」という言葉ばかり口にするのでしょうか。みんなそろってバカなのでしょうか。それともこの言葉に特別な意味があるのでしょうか?

そう、もうピーンときましたね。そうなんです。選手たちはわざとこの言葉を使って、メディアに報道させているのです。そうやって、あるメッセージを誰かに送っているのです。

どんなメッセージかと言いますと「裏切る用意はできている」ということです。

それだけではわからない? では「私はチームを」ときたらどうでしょうか。そうなのです、これは「自分はチームを裏切って移籍を考えている」という他のチームに向けたメッセージだったのです。

こんなこと大っぴらに言えませんよね。だから、スポーツ選手たちは、イヤイヤ女性をキャンプ地に誘って、祈るような思いでホテルの部屋を予約して、必死になってなんとか不倫を成立させて、その上で、マスコミを利用して、自分の移籍の意思をこっそりと伝達していたのです。まさに「裏切りのサイン」というべきでしょう。

「そんなのデタラメだ!」 そう反論される向きは、どうぞご自分でお調べください。不倫をした選手たちはことごとく、ほどなくして別のチームに移籍しているはずですから。

苦い文学

輝く城の男

イルミネーションが一面に広がり、私たちはその美しさに幻惑された。

「神聖な空間にいる感じだ」と彼は言った。「これらの光のひとつひとつが世界そのもので、それぞれ少しだけ違ってるんだ……」

「パラレルワールドだね」と私。「そういえば、最近、パラレルワールドを扱った小説が出たそうだね」

「ああ、『輝く城の男』ね。読んだよ。第二次世界大戦で日本とドイツが負けたという設定のね……」

私たちは光が敷き詰められた丘を登った。丘の上には、発光ダイオードで飾られた巨大なハーケンクロイツが建てられていた。彼は笑いながら言った

「その小説の世界では、これらのシンボルは禁止されているんだ」

「なぜ?」

「このシンボルのせいで多くの人々が殺されたから、だそうだ」

「なるほど。では、その小説は、そういうことはもう起こらない世界のことを書いているのだね。だが、それは結局、現在の私たちの世界と同じじゃないか」

「いや、その小説では、にもかかわらず戦争ばかり起きているのだ」

私は返事をせず、光の世界に意識を集中した。多くの人々の犠牲の上にようやく達成できた平和を蔑ろにして、戦争に異常な関心を寄せる人がいるなど、とうてい理解しがたかった。

イルミネーションはどこまでもどこまでも続いていた。まるで遠い世界に来たような気がして、自分が帝都ナチス村にいることなどすっかり忘れてしまった。

苦い文学

ドント・シュート・ミー、ベイビー

アメリカ、ミシシッピ州ヨクナパトーファ郡で、昨日、四歳の男の子が四人の市民を射殺するという事件が発生した。

現地の報道によれば、一人で銃を持って家を出たこの男の子は、まず肉屋に行き、従業員がソーセージを出そうとしたところを撃ったのち、逃走。次に、スーパーマーケットに姿を現し、パンと牛乳を要求しながら、店員を射殺した。さらに、祖母の勤めるファースト・フード店に押し入り、話しかけた客と祖母をそれぞれ一発で仕留めた。その後、男の子は何事もなかったような顔で帰宅したところを保護されたという。

銃を携帯した幼児が市民を連続射殺するというこの痛ましい事件に、アメリカ社会は衝撃を受けている。大統領は「いまこそ、悲劇に終止符を打つべきだ」とさらなる銃規制を進める決意を表明した。そのいっぽう、全米ライフル協会は「この事件を利用すべきではない」と銃規制派の動きに釘を刺した。

なお、事件の日、銃撃現場では「アメリカ版はじめてのおつかい:撃たないでよBaby(春の大冒険スペシャル)」の撮影が行われていたという。

苦い文学

悩める日々

私はいい年して、白髪もなく、薄毛でもない。これが苦しいのだ。

人間は年をとるにつれその年齢に応じた姿形になっていく。私がずっとこのままだったら、つまり、80歳、90歳になってもクログロにしてフサフサだったら……、そう思うと、もういてもたってもいられなくなってくる。

まったく、とんだ化け物にちがいない。顔はしわくちゃなのに、頭はクロフサなのだから。悪意のある人々なら、私のことを若作り爺と揶揄し、とんだ好色漢だと決めつけることだろう。そして、幼い子どもたちは、貸本漫画から飛び出てきたような怪奇紳士に泣きだすにちがいない。なんという未来だ!

将来が不安で、夜はまったく寝つくことができなくなった。ああ、いく夜、眠れぬ夜を過ごしたことか! だが、この激しいストレスにもかかわらず、いっこうに白髪は増えないのだ。

煩悶のあまり、私は思わず頭をかきむしる。この髪め、この髪め! だが、いっこうに毛は抜けようとしないのだ。

だから、この場を借りて白髪とハゲの皆さんにぜひお聞きしたいのだ、私が皆さんのようになるにはいったいどうしたらよいのか、と。