小説

禁酒の霊

今日で酒をやめて 7 年になる。酒は強いほうだったから、平気でずいぶん飲んだ。だが、酔いから立ち直るのに困難を感じる年齢になった。それでやめた。

酒をやめると、いいことが起きる、と人はいう。睡眠の質が向上する、肌がキレイになる、健康になる……私にかぎっていえば、いいことは特になかった。ただ、酔うことがなくなったので、夜の時間が有効に使えるようになった。初めは映画を見たり、本を読んだりしていた。だが、毎晩、何かしら書くことを課すようになってからは、ゆとりはなくなり、ここでも禁酒の効果はなくなった。

禁酒の恩恵を受けることの少ない私であるが、だからといって飲もうという気にはならない。酔うこと自体が不快であるし、そもそも、飲む習慣をなくしてしまった。

ときおり、あのまま飲み続けていたらどうなっているだろうかと考える。何も起きなかったかもしれないが、とっくに死んでいたかもしれない。自分が既にこの世からないかと思うと、不思議な気がする。

夜中、書き物をしていると、ふと誰かの気配に周りを見回すことがある。私には霊感はないが、そんな感覚でしか捉えられない存在に見られている気がする。

心当たりがあるとしたら、酒に飲まれて死んだ私のほかにない。

この霊をやり過ごすにはどうしたらいいだろうか。たぶん酒を飲めば消えるだろう。

苦い文学

マンの言葉

【コラム】
「おんなこども」という言葉に如実に現れていますが、私たち男は「社会の主役として女性や子どもを率いねばならない」という考えを、意識的に、あるいは無意識のうちに刷り込まれてきました。

そうした考えはかつての同質的な社会では通用していたかもしれませんが、多様な人々がそれぞれの幸福を追求する現代社会ではかえって批判の対象となっています。

たとえば、マンスプレイニングという言葉があります。「男(man)」と「説明する(explain)」をくっつけたものですが、これは、男性が得てしてしがちな、女性に対して得意げに説明したがる行為を表すものだそうです。

また、マンスプレッディングという言葉もあります。「男(man)」と「広げる(spread)」を合わせたこの言葉が批判しているのは、男性が電車の中で足を開いて座る行為だとのことです。

「わかった、もう女になんか説明してやらん」「なんだデカくて悪いのか」とそうお怒りになる方もいるかもしれません。ですが、この二つの言葉が指摘しているのは、私たち男がしばしば相手の気持ちを考えずに物事をしがちだという傾向です。そして、いわゆる「男性中心社会」の中で、そうした傾向の恩恵を許されてきた私たちが批判されているのです。

私たちは態度を変えるべきときに来ているようです。相手、とくに女性に配慮し、互いの関係が対等になるように調整し、協力関係を打ち立てるように努めることが、今後ますます大切になってくると思います。そして、そのような協力的な男性となってはじめて私たちは、マンスプレイニングやマンスプレッディングではなく、マンコーポレイティング、マンコーディネーティングと声を大にして言えるのではないでしょうか。

苦い文学

高学歴プア

私は名の知られた大学を卒業し、大学院に進み博士号まで取ったが、年収が100万円にもいかない。いわゆる高学歴プアだ。

そんな悲惨な状況を見かねて、友人が「いい仕事がある」と声をかけてくれた。

「有名大学の大学院出身で低収入の男性」をとある富豪が探しているというのだ。しかも、週に1回、富豪の手伝いをするだけでいい。修士なら月に10万、博士なら15万だ。

興奮する私をみて友人は言った。「だけど、本当はその人の手伝いが仕事じゃないんだ」

「なにかヤバいことでも?」

「いや」と友人は笑った。「そうじゃなくて、本当の仕事の内容はプライドを捨てることだ」

「というと?」

「その富豪はね、経済的な事情から大学に行けなかったのだが、努力して巨万の財を築いたのだ。それで彼はこんな確信を抱くようになった。大学教育は無意味で、学問とはバカがやることだと。この反知性主義的確信を補強すべく、この度、彼は高学歴プアを募集することにしたのだ」

「あ、というと、あの一流コメディアンがアテンド芸人を通じて『女弁護士』や図書館の『女司書』を急募しているのと同じような……」

「そのとおり。彼は高学歴連中を服従させるのをなによりもの楽しみとしているのだ。だから、つらい思いをすることも覚悟しなくてはいけないよ。それでもいい?」

「もちろん! それで食いつなげるなら、どんな屈辱だって!」

そして、私は友人を通じてその富豪に履歴書を送ってもらったのだった。

数日して友人から電話がかかってきた。「ごめん。ダメだった」

「えっ、そんな!」

「だって、ハーバードで Ph.D. を取って、年収30万の人が応募してきたんだぞ……富豪はもう大喜びだ」

私はこれを聞くと切なくなって電話を切った。そして、数ヶ月後、私はその友人と会う機会があったので、例の富豪のバイトについて尋ねてみた。

「ああ、あのハーバードね」と友人は言った。「実は高卒だってことがバレてさ」

「じゃあ、クビか」

「いや、富豪はますます大喜びだよ。高学歴どもにこんなことはできやしないだろうってね」

風刺・戯文

マスクの卒業式

卒業式では「マスクを外すことを基本」とする通知を文部科学省が出したこの春、全国各地の学校で卒業式が行われ、晴れやかな顔の卒業生たちが集いました。

3年間の新型コロナウイルス禍を乗り越えた卒業生たちは、式典で名前を一人ずつ呼ばれると、誇らしげに立ち上がり、高らかに返事をします。

校長先生が式辞で「みなさんがこの3年間の間に経験したことを糧にして、次の一歩を踏み出してほしい」と語りかけると、みな、大きくうなずきました。

卒業生を代表し、不織布マスクさんが「大変な時期でしたが、人々の笑顔を間近に見て過ごすことのできたこの3年間は何物にも代えがたい宝物です」と答辞を述べました。

卒業生の一人、ウレタンマスクさんは「奪い合われたり、心ない言葉をかけられたこともあったけど、最後にみんながひとつになれた」と喜びを語ります。

来賓として登壇したアベノマスク議員は「倉庫で長いこと眠っていたので事情が飲み込めないが、とにかくがんばれ」と応援のメッセージを送りました。

苦い文学

永遠の時刻表の輝き

JR念浜線の傘上駅と青骨駅の間で、電車が停車した。線路内に人が立ち入ったのだという。「安全の確認がとれるまでしばらくお待ちください」とのアナウンスがあった。

木曜日の午後で、暖かい日差しが車窓から差し込んでいた。私の車両には数人の乗客がいたが、アナウンスを聞くと「またか」という顔つきをし、うつむいた。やがて、誰もがまどろみはじめたようだった。

ただ私をのぞいては。

というのも、かねてから感じていた便意が強まりつつあったから。しかも、この電車にはトイレがないのだった。悲惨な事態への予感の中でうたた寝できるほど、私は勇敢ではなかった。

私は線路への侵入者を憎み、空想の銃で何度も狙い撃ちした。しかし、便意がそのような放埒な空想をも許さぬほど差し迫ってくると、私は身もだえしながら、ひたすらに堪えた。やがて、苦しみは最高潮に達し、私は朦朧としだした。

そして、そのおぼろげな意識の中で私は見たのだった。線路の上をゆっくりと移動する異様な存在を。

それは人間の形をしていた。だが、人間なのはそれだけだった。それはただただ光り輝いていた。太陽がその表面で千々に乱れていた。まるでダイヤモンドでできた人間のようだった。

そのとき、車掌や運転手、駅員からなる一群の人々が現れた。彼らはそのダイヤモンド人に飛びかかった。だが、そいつは、閃光を放ちながらすり抜け、彼らの手の届かないところに逃げ去った。人々は騒ぎ立てながらなんどもそいつに掴みかかるのだが、そのたびにするりと逃げられるのだった。

と、不意に私を猛烈な便意が襲い、最後の瞬間へと駆り立てた。崖から落ちまいと思わずうつむいた私の視界の端で、光が激しくほとばしった。

私の記憶はそこから途絶える。青骨駅のトイレで水洗レバーをひねる時までまったく覚えていないのだ。

私は思うのだ。もしかしたら、あのダイヤモンド人は便意が見せた幻だったのかもしれない、と。

しかし、別の解釈もありうる。車掌と運転手たちはあのダイヤモンド人を本当に捕まえようとしていたのだ。おそらくそれは途方もない富をもたらすに違いない。「線路に人が立ち入った」というのは、ダイヤモンド人の出現を意味する暗号であり、電車を停止させ、「狩り」を始める合図となっているのだろう。

しかし、車掌も、運転手も、駅員も、なんと呆れた連中だろうか。乗客のことなどそっちのけで、考えることといえば「ダイヤ」のことばかりなのだから。