風刺・戯文

テンプレ化

YouTube 初期に活躍したネット思想家、アンドリュー・モールディング(1969-2016)は、2012 年 12 月に投稿した動画「The Templation of the Net Age」で、私たちの世界がテンプレ化しつつあることを初めて指摘した。

モールディングは、世界中で語られる言葉が、ネット世界の言語空間に吸収され、いずれテンプレ化していくだろうと予測し、この現象を Templation(template と temptation の合成語)と名付けたのであった。このテンプレ化について彼が動画で取り上げた以下の例は特に有名なものだ。今ではネット・リテラシーの教科書の定番ともなっている(もともとは英語だが、日本語版から引用)。

現在の私たちは亡き人に対する追悼として「心から冥福をお祈りいたします」などと語るのが普通である。だが、ネットが人間を支配し、テンプレ化が進んだ世界ではこの言葉は次のような形で流通するようになるだろう。

「心から冥福をお祈りいたします」

そして世界はモールディングが予言したようになった。今年 2026 年は、この不世出のネット思想家が世を去って 10 年という節目の年だ。テンプレ化について語った記念碑的動画は、色褪せるどころか、今なお視聴者を惹きつけているようだ。最新のコメントには、

「2026 anyone?」

とあった。

苦い文学

生物多様性ってホントに大事?

近ごろ、意識高い系の人々が声高に唱えるのが、生物多様性。ナンでも地球上には 3000 万種もの生物がいるとのことで、この多様な生物を大切にしようって主張してるんだとか。

ですが、ちょっと考えると、生物多様性というのはとてもオカシナ考えです。

例えば、ひとつしかチャンネルの映らないテレビがあったとしたらどうでしょうか。テレビチャンネルというのは普通、いくつもあるのですから、私たちはチャンネルごとにテレビを買わなければなりません。生物多様性主義者に言わせれば、これがテレビの多様性だとのことです。

ほんとにバカバカしいですね。ひとつのテレビで全部のチャンネルを見られるようにすればいいじゃないですか。そうです。ひとつのテレビで十分なのです。テレビの多様性なんて、喜ぶのはテレビのメーカーだけでしょう(生物多様性にしても、サテサテ、いったい誰が得するのかな?)。

生物についても同じです。3000 万種なんていらないのです。この世にはカワイイ動物はたくさんいますが、「カワイイ」というイデエはひとつなのですから、結局、究極にカワイイ生物が 1 種あれば十分なのです。

食用生物だって同じです。豚、牛、魚、鳥、いろいろな生物がいますが、要するに食べてオイシければいいのです。ツマリ、食用動物だって 1 種類でいいのです。イヤ、動物それぞれに固有のおいしさがある、だなんて反論する人もいるヤモしれませんが、それは部位や調理の仕方でドウにでもなります。

乗り物になる生物や役に立つ生物にしても同じです。1 種類いれば十分です。イヤ、愛玩生物、食用生物、有用生物、毛皮用生物、実験用生物……そんなふうに増やしていったらキリがありませんよね。イッソのこと、すべての機能を兼ね備えた生物ならば、これ、 1 種類だけでよくありませんか。カワイくて、オイシくて、皮も使えて、乗り物にもなって……ネ。タッタ 1 種で済むところを、3000 万種だなんてイキっていた生物多様性主義の諸君、どうですか? もうグウの音も出ないって?

ええ、ですから、私はこの地球には生物は人間だけでコト足りると思ってるンです。捨てるとこなんてないですからね、ホント。

苦い文学

パワーストーン(1)

夜通し酒を飲み、友人たちと初詣に出かけたら、屋台がいろいろ並んでいた。「お、こりゃなんだ」と酔っ払った友人がそのうちのひとつに目をつけた。それは小さな机だけの店で、「開運! パワーストーン」と書かれた紙が貼ってあった。

覗いてみると、キラキラした石でできた小物が並んでいる。友人は水晶とローズクォーツのブレスレットを指差し、説明書きを読んだ。

「金運・財運のブレスレットか。そしてこっちは」とネックレスを指した。「厄除け・健康・開運をもたらすラピスラズリとタイガーアイの希少品、だとさ」

こうつぶやきながら友人は、この小店の主人をじろじろ見た。くすんだ防寒着に、穴の開いた手袋、毛玉だらけのニット帽のくたびれきった老人で、しきりと鼻を啜り、顔色も悪かった。友人は頭を振りながら主人に尋ねた。

「金運だ開運だなんだいうが、おじいさん、嘘じゃないの? ほんとだったら、こんなところで石売ってるわけなんかないよね」

私はひどく困惑した。友人は酔うといつもこうなのだ。すると店の人はこういった。

「ええ、その通りですね。どうして私が元旦からこんな寒いところでこんな商売をしているかというと」と、彼は裾を捲り、痩せた手首を見せた。そこにはパワーストーン・ブレスレットがいくつも巻きついていた。

「これらが私にもたらしてくれるどんな金運も追っつかないほど浪費してしまうからです。それで、しかたなく、こんなことをしているのです」

「じゃあ、その無駄遣いをやめりゃいいんじゃない」と友人はさらに絡んだ。

「ああ、いまさらそれは無理です。なにしろもう気の遠くなるような長い年月、続けてきたのですから。それに、じっさい、あと少しで完成しそうなのです」

「なにがさ」

「賢者の石です」

友人は一瞬かたまった。

苦い文学

非対面世界(2)

あるとき、彼はひとりの学生をオンライン講義中に当てた。なかなかカメラをつけてくれなかったが、強く言うとやがて眼鏡をかけた女子学生の顔が現れた。教科書の一節を読ませると、かなりしっかりした発音で朗読した。

彼女が「検討を行った」を「けんとうをおこなった」とちゃんと読んだのにも、感心した。この学校の留学生たちときたら、彼が何度口をすっぱくして言っても「けんとうをいった」以外の読み方をせず、むしろこちらの方が正しいような気がしだしていたのだった。また「働く」を「うごく」とも言わなかったし、「強いの傾向」のように勝手に「の」を入れもしなかった。

彼は手元にある名簿を見て、この学生の名前のところに「女、日本語よくできる」とメモした。性別を記したのは、中国の慣習に疎い彼は、名前だけでは男女がわからないことがあるからで、学生を当てるたびに記録していたのだった。

次の講義で、再び学生を当てる必要が生じた。そのとき彼はとても疲れていて、ただでさえ聞き取りにくいのに、オンラインのためさらに聞き取りにくくなっている留学生の発音につきあう気にはなれなかった。そこで名簿を見て、「女、日本語よくできる」と記したあの彼女をもう一度当てることにした。

彼がその名を呼びかけると、返事が聞こえた。カメラをオンにするように求めると、すぐに顔が映し出された。そして、その顔を見て彼は目を疑った。

男子学生だった。

彼は名簿に目を戻し、「彼女」の名前を確認すると、もう一回、呼んでみた。すると、小さい画面の中の男子学生が「はい」と口を動かした。彼が朗読箇所を指定すると、若者はスラスラと、あの女子学生よりも上手に読んでみせた。

読み終わると男子学生はカメラを消し、元の黒い画面に戻った。彼はまるで狐につままれたような気分で、その日の講義を終えた。

苦い文学

合コンと王様ゲーム

私は合コンに参加したい。そして、王様ゲームをしたいのだ。

合コンなるものが世に行われるというのを聞いたのはいつのことだろうか。私が大学生だったころはそんな名前など聞いたこともなかったから、まだ発明されていなかったのだろう。誰もが口にするようになったのは、私が社会人となってからだ。そしてそのときには、生活に追われて合コンに参加する時間もなかった。

しかし、子どもも独立し、生活も落ち着いた今、私はあらためて合コンに参加したいと思うようになった。そこで、学生時代からの男友達数名を集めて合コンを開催することにした。

合コンといっても実際はいつもの飲み会と変わらないものだと知った。だが、そうした気づきも大事ではなかろうか。それに、重要なのは王様ゲームだ。

宴もたけなわになった頃、私は立ち上がり、合コンに集った男どもに王様ゲームの開始を高らかに宣言した。

私は総督の前に立たされた。総督が私に「お前が王なのか」と尋問した。私は「それは、あなたが言っていることです」と答えた。

それから総督は人々にこう言った。「この男と盗賊のうち、どちらを釈放してほしいのか」 すると人々は「盗賊を」と叫び、私を十字架につけろと要求した。

そして、総督の兵士たちは、私の着物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「王様、万歳」と言って、侮辱した。また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。このように私を侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。

彼らは私を十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、そこに座って見張りをしていた。そして、私の頭の上に「これは王である」と書いた罪状書きを掲げた。

……この王様ゲームはなかなか面白かった。合コンと王様ゲームは十分に楽しんだから、次回は同じメンツで集まって女子会を開催するつもりだ。