風刺・戯文

秋は馬車馬に乗って

この秋、「ノー・キングス(嘘つきにして独裁者であるトランプのような王様はいらない)」を掲げる大規模な抗議デモが全米各地で行われています。これまでに 600 万人が参加し、「民主主義と自由が脅かされている」と感じている市民の力が結集した結果だ、と主催者は語ります。

日本でもこの抗議運動に呼応する動きが始まっています。今日、東京の高田馬場に市民が集まり、日本の右傾化と外国人排斥に反対するデモ行進が行われました。

参加者のひとりは「このままでは戦前の軍国主義が復活してしまう、そんな危機感に突き動かされて、馬喰町から駆けつけました」と語ります。

アメリカの「ノー・キングス」に倣って、今回のデモでは、参加者たちはみな「ノー馬車」というスローガンを掲げて行進しました。馬込に本部を置く主催団体は「馬車がなくなれば、馬車馬も必要なくなり、結果、馬車馬首相も不要になります」と説明します。

「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」を地でいくこの運動、はたして馬と出るか鹿と出るか、今後が注目されます。

苦い文学

入ってもいいですかの撃退(前編)

とある学校で日本語を教えている平助は最近ある問題に悩んでいた。

彼が担当していたのは朝の日本語初級クラスで、学生は日本に来たばかりのネパール人だ。

平助が早めに教室に入って、教卓で授業の準備をしていると、ネパール人の学生がやってくる。

「おはようございます、先生」

「おはようございます」

これはまったく問題ない。だが、何人かのネパール人男子学生は教室の入り口に立ち決まってこう言うのだ。

「教室に入っていいですか、先生」

「どうぞ、入っていいですよ」と応じながらも、平助は釈然としない気持ちになる。そもそも教室とは学生の場所ではないか。教員室ならばいざ知らず、そこに入るのに教員の許可など必要あろうか。

しかし、ネパールの学生が悪いとはいえない。ネパールではそうした習慣があるのかもしれず、学生たちはただそれにしたがっているにすぎないのだ。

むしろ責任があるのは教員のほうだ。考えてみれば、ネパールと日本の習慣の違い、つまり日本では教室に入るのに教員の許しをえなくてもよい、ということを、きちんと説明したことなどなかったのだから。

事前に教えずして、できないと怒るのは、愚かな教師のすることだ。

そんなわけで平助は、あるとき授業中に「教室に入るときには、なにも言わず入っていいですよ」とていねいに説明したのだった。

そして、翌朝、いつものように平助が教室にいると、学生が姿を現して告げた。

「入っていいですか、先生」

苦い文学

国家の根幹

私たちはとても嬉しい。これほど嬉しいことは近頃なかった。思わずみんなで、祝杯をあげてしまいました。

といいますのも、昨日、滋賀県首長会議に出席した東近江市長が、不登校対策について、こんなことをおっしゃってくれたからです。

「文部科学省がフリースクールを認めてしまったことに愕然としている。フリースクールは国家の根幹を崩してしまうことになりかねない」

この発言を聞いた私たち、フリースクールの敵にして学校の守護者である教育委員会は欣喜雀躍しました。手を打って喜び、踊り出しました。

私たちの日頃の努力、献身、研鑽、苦労がついに認められたのですから。私たちの仕事が「国家の根幹」に関わる重大事であることを、ここまではっきりと言ってくださった政治家はいるでしょうか。

私たちの教育活動のすべては「国家の根幹」のためなのです。もし子どもたちが、学校に行けない子、体罰で死ぬ子、いじめられっ子、体育で倒れてしまう子ばかりだったら、いったい国家の根幹はそそり立っていられるものでしょうか。国家の根幹はもやしではないのです。それを体罰だ、虐待だ、隠蔽だなんだと言い立てる外野に私たちはうんざりです。

しかも、連中はまたぞろ新しい言いがかりをつけてきました。教育は人と人とのぶつかり合いです。ときどき手が滑って教師が子どもたちの NG な部分をジャニって(*)しまっても、大目に見るべきではないでしょうか。

私たちは、国家の根幹に人間の根幹がふさわしくない場合は、どうすべきか知っています。ふさわしくない根幹は、子どものうちからこうすべきです! 叩き壊し、崩し、潰し、粉砕し、焼き尽くし、溺れさせ……

(*)「ジャニる」とは「スマイルアップる」こと。

苦い文学

長い話

ノーベル平和賞の授賞式がノルウェーの首都オスロで行われ、受賞した日本の長田一郎さんが、記念のメダルと賞状を受け取りました。

今回の受賞は、国際的な平和発明家として知られる長田さんが 2021 年に発明した「長い話専用のカッター」によるものです。

「長い話は平和にとって脅威でした。なぜなら、長い話は、人々を抑圧し、洗脳し、戦争に動員するのにうってつけの手段だからです」と、ノーベル賞委員会のテッド・フィリバスター氏は選考理由を語ります。「ミスター・オサダのカッターはこの状況を大きく変えたのです。このカッターにより、人々は偉い人の長い話を簡単に断ち切れるようになりました」

受賞後のスピーチで長田さんは、平和の基礎は、多様な人々の言論の自由を保障することであり、権力者の長い話という監獄から人々が解放されることがなによりも重要だと訴えました。

なお、長田さんのスピーチは今も続いています。