旅・観察

理由

水の問題はターウジュート村だけではない。周辺の村でも同じだそうだ。

日本でもどこでもそうだが、結婚式は大きなイベントだ。チュニジアの昔話の結びには、幸せに結ばれた王子とお姫様の結婚式は七日間続き、さらに七日間続きました、といった定型句がよく出てくる。これに続いて、そのあいだ町の人々は料理をしませんでした、という文句も出てくることがある。つまり、結婚式の間は、町中の人々に食事がふるまわれるのでその必要がないということだ。

二週間というのはおとぎ話の誇張だが、今でも七日間おこなう地方もあるそうだ。ターウジュート村周辺にもその伝統は続いているとのことだが、ある村で最近あった結婚式は三日間だけだったという。なぜなら、食事をふるまうためには水が必要だから。

またあるベルベル語の村では、毎年一週間の祭りが開催される。その期間、村はチュニスやフランスから里帰りする家族や、一緒にやってきた友人たち、その他観光客でにぎわう。

村にとっては年に一度の書き入れ時だ。レストランでは、伝統的な料理が提供される。カフェはほとんど二十四時間営業だ。このときだけ使われる特別な宿泊施設もあって、そこらのホテルより高い。

だが、水がなくなった。水も出なければ、シャワーも浴びられない、そんなところに遊びに来る観光客はいない。村は貴重な収入源を失い、住民たちの暮らしはますます厳しくなる。村を離れる人も出てくる。

ターウジュート村を後にしたSさんと私は、山地にある村をいくつか通り過ぎたが、崩れかけた空き家をよく目にした。ターウジュートにあるSさんの家も同じだ。

水がなくなると、人がいなくなる。この村の言語が消えつつある理由のひとつに、私はようやく気がついた。

苦い文学

Semitic Dialectology Conference

ベルリン自由大学のセム語研究所(Insititute of Semitic Studies)が開催した学会(Semitic Dialectology Conference Cutting-Edge Research in Semitic Dialectology: Bridging Theory and Practice)に参加した。

これはセム語(アラビア語、ヘブライ語、現代南アラビア語、現代アラム語、エチオピア諸語など)の研究者が集まる集いで、6 月 11 日から 13 日までの 3 日間にわたり、全部で 29 の口頭発表が行われた。

研究発表というと、私には難しくてよくわからないことも多いが、「最先端の研究(Cutting-Edge Research)」というだけあって、具体的なデータにもとづく話ばかりで、どれも興味深く聞けた。

発表では、アラビア語諸方言、現代アラム語(新約聖書の時代のアラム語が現代まで残ったもの)、現代南アラビア語(アラビア半島のオマーンやイエメンで話される言語)などが取り上げられた。

このうち、現代アラム語諸方言と現代南アラビア語諸語は、話者が少なく、そのいくつかは消滅の危機にある危機言語だ。今、記録を残しておかないと、10 年後にはなくなっているかもしれない。

アラビア語方言やエチオピア諸語も、話者数が多いからといって安心はできない。実際にはさまざまな方言に分かれるし、それらの方言も変化する。また、時代の波や政情不安、そして戦争により大きな影響を受け、消え去りつつあるものもある。

こういう危機言語の問題はどの言語にもあるが、セム諸語においても、「方言」の危機があり、さらなる調査が必要な言語がたくさんある。このような認識が、今回の集会のメッセージのひとつであったと思う。

そのせいで、私もすっかり熱に当てられてしまい、用もないのにオマーンやシリア、エチオピアに行きたくなってしまった。

苦い文学

コロンブス

最近のニュースといえば、日本の人気バンドが、ミュージックビデオでコロンブスを取り上げて、大炎上したことだろう。

良識ある人々はみんな批判したし、良識のない人々も真似する良識はもっていたのでやっぱり批判した。そんなわけでミュージックビデオも削除されたし、タイアップもなくなり、音楽番組の出演も無くなった。

私はこの問題に詳しくないが、やはり批判されて当然だと思う。今の時代は、どんな酷いことでも平気で許された無神経な時代とは違う。さまざまな人の立場や気持ちを尊重しなくてはならない。

だから、コロンブスを持ち出すときも、バンドもミュージックビデオの製作者も、このビデオを見るさまざまな人々に想いを馳せ、想像力を働かせるべきだったのだ。

いったい、いきなり面と向かってブスと言われたら、どう思うだろうか? この言葉はルッキズムを助長するのではないだろうか? ブスなどという言葉の代わりに「個性豊かな」を用いるべきでは?

当時はコロンブスだったかもしれないが、現在の目から見れば、むしろコロン美人であるという可能性はないか? それにあの「ドブスを守る会」が抗議文を送ってきたらどう対応する?……などなど配慮すべき点はもう数えきれない。

「こんな難しいことできるか」とか「息苦しい時代になった」とか、そんなふうに投げ出すのはたやすい。だがむしろ、難しいからこそ、新たな表現のチャレンジへと立ち向かうのだ。これからのクリエイターに必要なのはそんな覚悟ではないだろうか。

苦い文学

山手線を応援します

山手線と京浜東北線は田端から品川まで並走している。

この2つの路線のうち私はだんぜん山手線を応援している。山手線は真面目だし、乗っている人も上品だ。いっぽう、京浜東北線はそうではない。乗っている人はみな刺青をしている。

そして、いつだってのろい。たとえば京浜東北線が上野駅を先に出て、山手線がその後に出たとしても、東京駅では勝負はついている。山手線が決まって勝つのだ。たぶん、運転手の練習量が段違いなのだろう。

山手線が京浜東北線を追い越すときが、この世で一番楽しいときだ。どんどん追い抜かれていく京浜東北線を見ながら、私たち乗客は両手を振り上げ、歓声を上げる。あかんべえをしている人もいれば、祝杯をあげている人もいる。いっぽう、京浜東北線の乗客はみなうなだれて悔し涙を流している。

京浜東北線の乗客たちはよっぽど悔しいのか、ズルまではじめた。昼間、乗客が少ない時間を狙ってこっそり駅を飛ばしだしたのだ。そんなことまでして勝ちたいのかと私たちはおかしいやら呆れるやらだ。

京浜東北線の乗客には申し訳ないが、私たち山手線の乗客はもうあなたたちには興味がない。私たちは別のステージにいるのだ。なにしろ今の目標は、東京・品川間を新幹線より早く走ることなのだから。

苦い文学

難民ビザの効力

難民は自分達がどうして迫害され、その結果、国を逃げ出すこととなったか、十分に理解していると、人は思うかもしれない。

しかし、実際はそうでないこともある。ひとつには民族的・宗教的迫害というものが、個人に対して加えられるものではなく、集団に対して加えられるものだからだ。だから、難民の中には子どももいて、その場合、自分の境遇を説明できないこともある。

だが、もう大人と言っていいほどの若者も、自分がどうして難民なのか、わかっていない人もいる。本当に難民に値する事情があってもだ。

どうしてかというと、難民を生み出すような国では、まともな教育が行われていないことが多いからだ。ましてや、迫害されている民族の歴史など教わる機会など、ほとんどない(日本の学校で在日朝鮮人の歴史を教えないのと同じだ)。

そういうわけで、難民と呼ばれる人の中には、自分がどうして難民になったのか、はっきりと説明できない人もいるし、そもそも難民とは何かも理解していない人もいる。

最近の話だが、ビルマの少数民族の若い学生が、難民申請をし、それでビザをもらった。そして、ビザが降りた日、その学生は入管の職員にうれしそうにこう言ったそうだ。

「これで私はビルマに帰って結婚式を挙げて、日本に帰ってきます」

入管の職員は「帰国したら、取り消しになるよ」と返したとのこと。