ライブ

黙ってお三味を弾いてくれ(1)

浄瑠璃を読むといっても、私は注釈付きで出版されたものしかわからないが、それでも読んでいるうちに、実際の舞台を見てみたく思うようになった。そこで、一度、去年の 1 月大阪まで文楽を見に行った。それはそれで面白かったが、観客席で見るだけでなく、もう少し近寄ってみたくなった。

調べてみると、東京の義太夫協会が「一日体験教室」をやっている。私は申し込み、その顛末についてこのブログでも書いた。だが、それからのことは書いていない。私はその後、去年の 4 月から 7 月にかけて 8 回開かれた「入門コース」に参加した。義太夫節の語り・三味線と座学(音楽、文化など)が学べる講座だ。8 回のうち、三味線の回は 1 回だけだったが、残念なことに、私は用事があって行けなかった。

「入門コース」の次に、9 月から「実践コース」がはじまった。ここで、語りコースと三味線コースの 2 つに分かれる。土曜日の 11 時から語り、12 時 10 分から 1 時間が三味線だ。どちらもやってみたかったが、2 つのコースとなると費用もかかる。もともと語りをやりたくてはじめたのだから、三味線はなくてもよかった。だが、体験教室ではじめて鳴らした三味線の感じがよみがえってきた。すると、私の心の中に暮らす数々のギター・ヒーローが、頼まれもしないのにジャガジャーンとギターをかき鳴らし、自慢のリフを繰り出した。

これはもう三味線もやるしかない、と結局両方申し込んだ。だが、三味線は本当に大変だった。ロックのギター・ヒーローなんてうかつに信じちゃいけない。

苦い文学

革命の記録【盗難の証明(10)】

若い警察官についていくと、彼は署長室の向かいにある小部屋に入った。中のデスクに座り、私が署名した紙を見ながら、パソコンに入力を始めた。

つまり、署長が書き、私が署名した陳述書(のようなもの)をもとに、盗難証明書を作成しているのだ。小部屋の入り口に立っていた私が、入ってもいいかと聞くと、どうぞ、と答えた。

その部屋には、デスクの他に大きなテーブルがあった。テーブルの上にはA4の書類箱が山のように積まれていて、今にも崩れそうだ。書類箱には「2007」と書かれたものがあった。少なくとも、その年以降、この署で扱った書類が保管されている、つまり、2010〜2011年のジャスミン革命の時期のものもある、ということだ。

この警察署のあるハビブ・ブルギバ通りはチュニスの中心だから、私は詳しくはわからないけれど、革命当時は大きなデモが行われていたはずだ。そして、私が目の前にしている書類の山の中には、その時の記録も残されているかもしれない。

そんなことを考えていると興奮してきたが、怪しまれては困るので、私はチラと見るだけにとどめておいた。警察官は入力を終え、プリンターで印刷した。

警察官は私を再び署長のいる部屋に連れて行き、彼の机の上に盗難証明書を置いて立ち去った。署長は女性の相談者の対応にかかりきりで、書類に目もくれない。私は、あと一歩だ、と思いながら、待つ。署長は女性との話が済むと、盗難証明書にスタンプを押し、自署をした。

「アラビア語だから、日本で翻訳してもらうんだな!」

私がその紙を手に書を出たのは、11時半だった。

苦い文学

星を継ぐ者

「違う! 違います!」

地球人たちに厳しい声が飛びます。

「自分の力で声を震わせるんじゃないんです。みんなの声をひとつにしたとき、そこに共鳴が生まれるんです。あの振動が起きるのです! さあもう一度!」

「ワレワレハ宇宙人ダ」

「いいよ! いいよ! その調子!」

指導に夢中になっているのはウルファベンテレロ星人のモフジクーガさん。地球人に「ワレワレハ宇宙人ダ」を教えてもう1万年になります。

「ええ、1万年前のことは絶対に忘れられません」と、モフジクーガさんは楽しげに振り返ります。

「私が地球に初めて降り立ち、『ワレワレハ宇宙人ダ』と言ったときの地球人のあの素晴らしい反応ときたら! これまで60億年のあいだ、全宇宙をハイパードライブで駆け巡り、知性ある生物が暮らす星に降り立っては『ワレワレハ宇宙人ダ』を繰り返してきましたが、最高のリアクションでした」

モフジクーガさんが地球人にこの「ワレワレハ宇宙人ダ」を熱心に指導するのにはワケがありました。

「私たちの種族は滅びつつあります。と言いますか、ここ2億年のあいだ、私ひとりなのです。ですので地球の方々にぜひがとも『ワレワレハ宇宙人ダ』を継承してほしい、そして宇宙の星々を訪問してほしいのです。これが自分に残された最後の仕事だと思っています」

「ワレワレハ宇宙人ダ、ワレワレハ宇宙人ダ、ワレワレハ宇宙人ダ」

今日も太陽系に地球人の声が響き渡ります。

苦い文学

田舎と都会

デパートやファストフードやコンビニは、田舎に暮らす私たちにとっては憧れの的だった。

やがて、私たちの田舎も交通が整備され、都会から新しい風が吹き込んできた。近くに大きなショッピングセンターもでき、その中には夢にまで見たファストフード店が入っていた。

そして、大きな道路沿いにはコンビニが立ち並んだ。私たちの田舎もすこしずつ都会のようになっていったのだ。

「いつかは都会そのものになるだろう」と私たちは予測した。

それから歳月が流れ、私たちは道路沿いのコンビニが次々と閉店していくのに気がついた。コンビニの後は葬儀社や介護施設が入った。そして、ショッピングセンターも売り場を縮小しはじめた。無人のフロアが増えていき、ついに人々はこの場所を見限った。ファストフードもうんと遠くに行かなければ食べられなくなった。

私たちの田舎はもとの田舎に戻った。いや、もっと田舎になった。

都会でもデパートの閉店が相次ぎ、ファストフードもコンビニも次々と姿を消しているという。

「今は都会が田舎になるのがトレンドだ」と、私たちはうれしくなった。

苦い文学

証書をなくしたら

入管に収容されている人の仮放免手続きでは、普通、10万から30万円の保証金を入管に預けることになる。

保証金を払ったのち、入管から渡されるのが保証金受領証書だ。しかし、保証金が返還されるのは、仮放免中の人がビザをもらうか、帰国するかのどちらかの時で、たいてい何年も経ってからだ。そのため、この保証金受領証書をなくしてしまうこともある。

保証金受領証書がないと、保証金が戻ってこない。これは大変だ。

だが、入管はそういう人びとのために紛失届というものも用意してくれている。入管でこの書類を書けば、返還手続きを進められる。

私自身はなくしたことがないが、この保証金受領証書を保管している仮放免中の人がなくしてしまうことがあり、この紛失届の手続きをしたことがある。

その時思ったのは、このやり方だと、簡単に第三者が保証金を受け取ってしまうことができる、ということだ。保証金受領証書をなくしたと嘘をついて、ついでにハンコもなくしましたと言えば、入管はチェックのしようもないのだ。

もしかしたら、そうしたトラブルがあったのかもしれない、あるときから、紛失届だけではダメになった。

保証金受領証書の「盗難または遺失による場合」には、警察署または最寄りの交番へ届け出て、そこで発行される「盗難又は遺失届出証明書」も添えて提出すべしということになったのである。

これは面倒くさいが、我々はお金を取り戻すためならなんでもやるのだ。