旅・観察

断水

私たちが訪れたとき、ターウジュート村は断水中だった。村では水道が止まることはよくあることのようだった。山地にあるので、低地の観光地で水をたくさん使うと上がってこなくなる。そういう話なのだが、今はオフシーズンだ。結局のところ、村人たちにも原因はわからないらしい。

水の問題を解決してもらおうと、行政にも働きかけたが、うまくいかなかった。ある村人が専門家を連れてきて、水脈を見つけて井戸を掘ってもらった。「国が何もしてくれないから、結局自分たちで解決したよ」とSさん。

そもそも南部は雨もほとんど降らず、水の乏しい地域だ。昔から雨水を貯水して使う生活を送ってきた。貯水槽はどの家にもある。詳しいことはわからないが、地下の空間に水が溜まるようになっているようだ。井戸と貯水槽があるから、断水でもやっていける。

Sさんのおじの家にいるあいだ、私はトイレを使わせてもらった。「水が流れないときは、バケツの水を使ってください」 そういわれたので私は、用を済ますと、バケツに浮かぶカップで水をすくって便器に注いだ。四杯ほどでやめた。何事も完璧を目指すとよくない。

トイレを出ると洗面台がある。昼食の後、そこで私は「兄」と一緒に手を洗った。洗面台の上にたらいが置かれ、水が入れてあった。「兄」は液体の石鹸を手にちょっと垂らして、たらいの水で手をゆすいだ。「弟」も同じようにした。

ソファのある部屋で歓談していると、村の子どもがペットボトルの水を運んできて、グラスと一緒にテーブルの上に置いた。1.5 リットルのペットボトルは冷蔵庫から出てきたばかりで、水滴が表面に浮かんでいた。家の主人が蓋を開け、グラスに水を注ぎ、私の前に置いた。

私は感謝し、水を飲んだ。そのときSさんが私に言った。

「飲んで大丈夫かい? それは貯水槽の水だよ」

私はペットボトルの水を見た。外の光が透けて見えた。私はもう一口飲んだ。

苦い文学

J-HOPE の励まし

K-POP の世界では、たくさんの若い日本人も活躍している。異国の地でたったひとり、韓国語を学び、厳しいトレーニングを積み、表舞台に立つチャンスを掴む。これは、大変なことだと思う。もちろん、思ったようにいかない人もいるかもしれないが、それでも私はこれらの人々に励まされずにはいられない。

私ももう少し若かったら、同じように韓国で夢を追いかけていたかもしれない。そんな思いに駆り立てられて、私も異国で挑戦してみることにした。ベルリンの学会で発表をすることにしたのだ。

そして、ベルリンに向かった私は、発表当日の朝、会場となる大学に到着した。大学には公園のような広い敷地があって、そこを横切れば会場に入れる。だが、心細さと緊張のため、私はぐずぐずと歩き回っていた。なにしろ、誰も知らない中、ひとりぼっちで発表するのだ……。

大学の敷地のあちこちには、骨組みで支えられたビニールのシートが立てられていた。私はそのひとつひとつを見て回った。大学のイベントの告知などがドイツ語で書かれている。だが、その中に一般のイベントの広告もあるのに気がついた。それは夏の音楽フェスの広告で、出演するミュージシャンの名前が書かれていた。

その中で、いちばん大きく、そしていちばん上段に記されていたのは、ジャスティン・ティンバーレイク と J-HOPE だった。そうなのだ。J-HOPE も異国でたったひとりで発表しようとしているのだ…… BTS の他のメンバーもなしに。同じ発表仲間として、私は彼に励まされたような気がした。

そして、とにかくそういうことにして、私は会場に入った。

苦い文学

ガムのマラソン

私たちの街で今年はじめてエコ・マラソンが開催されることになった。エコな地球を応援する趣旨ではじまったイベントだ。

サステナブルな上に珍しい試みとあって、日本中からエントリーがあり、何万人ものランナーがこの日、私たちの街に集った。

出発地点である大通りに集まったランナーたちは、ガムを1枚渡されると、ヨーイドンのかけ声とともに、口に放り入れた。

走りながら噛んでいると味がなくなってくる。ランナーたちは口からガムを出し、包み紙に包む。このガムのゴミを手に持ちながら走るのが、このエコ・マラソンのルールだ。捨てたりしたら失格なのだ。

しばらく行くと、給水所がある。ランナーたちは水を受け取り、渇きを癒す。給水所にはゴミ箱があり、うっかりガムを捨ててしまうものがいる。これでもう失格だ。こんなふうにコースのあちこちにトラップが仕掛けられている。このマラソンでは、走る速さや持久力ではなく、長時間ゴミを持ち続ける忍耐力と勇気が試されるのだ。

エコ・マラソンのコースは複雑だ。道路では、側溝の蓋がちょうどいい具合に開いていて、かっこうのポイ捨てポイントに見える。また、駅の構内もコースになっていて、その中を走っていると「駅には絶対にゴミ箱なんかないのだから、もうその辺りに捨ててやれ」という気分にさせられる。

また、コースはドブの匂い立ち込める貧民街や、蠅のうるさいゴミ屋敷を通り、ランナーを「ここならいいか」という気にさせずにはおれない。そして、高い壁に囲まれたヤクザの組長の家の前では、「ゴミ野郎め」とガムを放り投げるランナーが続出した。

コースは、山道や森の中や渓流沿いにも設定されていた。もうゴミ捨てにうってつけで、そこで失格となるランナーの多さときたら、SDGsの採択も無駄だと思わせるほどだった。

しかし、エコ・マラソンの最大の難所といえば、太陽の照りつける最後の坂道だ。「ただでさえ登りと暑さできついのに、ゴミなど持っていられない」とランナーはどんどん脱落し、そこで太陽が引き起こした恐ろしい事態に巻き込まれていった。

捨てられたガムが太陽熱でとろけ、恐るべき粘着力でもってランナーたちを捉えはじめたのだ。ガムに足を取られたが最後、もう一歩も進めない。そして、もがけばもがくほど大量のガムに絡め取られていき、ついには身動きが取れなくなった。

この難所を抜けてゴールのあるスタジアムにまでやってこれたのは2人のランナーだけだった。私たちは、目の前で繰り広げられるデッドヒートに大いに熱狂し、声をからすほどに叫んだ。そして、この熱狂は、追う立場にあった2番手がゴール直前で相手を追い抜き、そのまま逃げ切ったときに最高潮に達した。

「最後の最後で逆転した!」「彼が優勝だ!」「ヒーローだ!」

大会委員長が表彰式で、この優勝者の首にメダルをかけようとしたとき、私たち全員は、表彰台に立っているのが、人の形をしたガムの塊であることに気がついた。

苦い文学

孤独な人々の最後

孤独が犯罪の社会では、思想も厳しく管理されている。

小学校で教わるのは「絆」とか「架け橋」とか「協力」とか「仲良く」そんなことばかりだ。孤独の芽を摘むのに躍起になっている。いつも合唱、団体競技。独唱や個人競技は禁止だ。独創性などもってのほかだ。

いじめはいじめられているほうが悪い。多勢に無勢では、いつだって多勢のほうが正しい。

孤独を奨励するような意見を表明するともうそれだけで危ない。ひとりでのんびりしたい、などもう危険思想だ。「ほっといてくれ」と言っただけで捕まった人が何人もいる。ひとりで食事するのは間違いなくテロリストだ。個室に入ったとたん特殊警察が踏み込んでくる。このあいだだって、数十年前にソロキャンプを勧めた罪で何十人も有罪となった。

もうみんな「わたし」とか「おれ」とか「あたし」とか言わない。いつだって「わたしたち」だ。

仏教も、キリスト教も、イスラムも禁教の憂き目だ。ひとりで修行するのが犯罪的だというのだ。想像をたくましくしてワイセツだという人すらいる。中国や北朝鮮の文物も輸入禁止だ。一党独裁が孤独を助長するからだ。

そのかわり、民主主義は徹底している。ただし、一票を投ずることだけは禁止されている。

もっとも、こんな生活をしているのは一般人だけだ。

権力者や富裕層は、会員制の高級なホテルやレストラン・バー、山奥の豪華なロッジで、ひそかに孤独を楽しんでいる。

苦い文学

腹の底から笑う会(退会編)

やがて会長は話し出した。

「このままでは自分がダメになる、と私は考えて、発想を変えることにしたのです。子どもが悲惨なニュースに会うたびに笑おうと! 何があろうととことん笑おうと! その日から私の笑う日々が始まりました。赤ん坊が熱湯風呂に放り込まれると私は笑いました。小学生の列に暴走車が突っ込むやいなや大笑いです! 無理心中を図った親が我が子だけ殺して自分が生き残った日には腹を抱えて笑いました! それでついに」

私たちは今や公園にいた。幼児たちが大声を上げながら駆け回って、ぶつかったり、跳ね回ったりしていた。会長はこれらの幼児たちを見るや、さもうれしそうに言った。

「これらの子どもたちを見るだけで、もう笑いが込み上げてくるようになったのです! 殺された子どもたちの顔が重なって見えて!」

会長は腹の底から笑い出した。それは、あの素晴らしい心揺さぶる笑いだった。

すると、急に私も笑いが込み上げてきた。これが、笑わずにいられようか。私は身をよじり、のけぞり、笑い転げた。

私たちは腹の底から大いに笑った。あまりにも凄まじい笑い声だったので、きっと地獄の閻魔大王の耳にも聞こえたことだろう。