散文

私の天下三分の計

三田村鳶魚の全集を安く買ったのが 9 年前ぐらいで、江戸文学系の論評などを読んでいたら、静観房好阿の『当世下手談義』の紹介があった。興味を感じたので読んでみたら面白い。これがきっかけで、談義本をいろいろ読みはじめた。その過程で出会ったのが、平賀源内の『根南志具佐』(ねなしぐさ)だ。読みながら私は大笑いした。これを、日本古典文学大系 55 の『風来山人集』(風来山人とは源内のこと)で読んだのだが、戯作ばかりでなく、平賀源内の書いた浄瑠璃もひとつ収められていた。『神霊矢口渡』だ。

私はそれまで歌舞伎の脚本は少しは読んでいたが、浄瑠璃がなんだかも知らなかった。せっかくなので読んでみたら、これも面白い。そこで、日本古典文学大系の『近松浄瑠璃集(上下)』を買って読み、私はすっかり近松門左衛門に夢中になってしまった。それ以来、この 5 年ほどのあいだ、常にではないにせよ、継続的に浄瑠璃や歌舞伎を読み続けている。

コロナのあいだはとくに熱心に浄瑠璃を読んでいた。そのいっぽう、私はチュニジアの民話を調べたりしていたので、それもなにかと読んでいた。そして、これは多くの人も同じだと思うが、家にこもって韓国のドラマばかり見ていた。そんなわけで、コロナ期間中の私の頭の中は、浄瑠璃とチュニジアの民話と韓国ドラマによる天下三分の計が実現していた。

当時、必要があって私はジョイスの『ダブリン市民』中の1篇を読んだのだが、急に家から外に引きずり出されたかのようで、しばらくのあいだ、まったく頭に入ってこなかった。

苦い文学

三枚つづりの紙【盗難の証明(9)】

私たちは再び外に出された。待合所で座って待っていると、いつの間にか支配人と客室係は姿を消していた。待合所もだんだんと人が少なくなり、ついに私とコートを着た女性だけになった。忘れられたのかと不安になり、横の部屋で仕事をしている署長から見える場所にある椅子に移った。

その部屋からは、さっきの怒鳴り声が断続的に聞こえてきた。こうした人の相手もしなくてはならないのだから、署長は忙しいのだ。だから、私は催促せずに黙って座っていた。

しばらくすると署長から声がかかった。私が横の部屋のデスクの前に行くと、彼は文書を見せた。それはホッチキスで閉じられた3枚の紙で、アラビア語が書かれている。

「ここと、ここ」と私に金額を確認するようにいう。3万円と20ドルとちゃんと書いてあった。文書にサインをしろというので、一枚一枚に署名をする。

これをもらっていいのか、と聞くと「違う」と言って、署長は席を立った。

私は署長がいない間、デスクの前の椅子に座って、ラミネートされたピンク色のIDカードが何枚かデスクの上に無造作に置かれているのを見たり、その所有者たちであり、おそらくはそのひとりは怒鳴り声の主でもある3人の男が部屋の奥に座っているのをチラと眺めたり、壁に「禁煙」「携帯使用禁止」と張り紙がされているのを眺めていた。

署長が若い警官を連れて戻ってきた。「彼について行くのだ」と私にいうと、若い警官にあの3枚の紙を渡した。

苦い文学

歴史の終わり

当たり前のことだが、時代を遡れば遡るほど、史料は少なくなる。

そこで、遠い昔を知るために、限られたその史料からその時代を再現することになる。しかし、史料が不十分なので、たいていはわからないことばかりだ。

もっとも、わからないことが多いことは悪いことではない。それは歴史研究の原動力だ。私たちが夢中になるあの「歴史ロマン」も、この「わからないこと」があってこそだ。

昔はカメラもビデオもなかったから、写真や映像といったものはまず史料としては残っていない。しかし、誰もがスマートホンを持っている現代では、それこそ「未来の史料」が無尽蔵に生産されるようになった。

やがて立体的な映像記録も普及するはずだから、そうした記録を活用すれば将来の歴史家は過去の時代をまざまざと体験できるようになるだろう。さらに、ネットを通じてあらゆることがデータ化されるため、未来の歴史家はますます簡単に過去を再現できるようになる。

だが、こうなったとき、いったい未来の誰が、歴史に興味を持つだろうか。すべてが記録されていてわからないことなどなにもないのだから、もはや「歴史ロマン」などないのだ。

それに、そもそも、すべてを完全に記録した史料があったとしても、いったい未来の誰がそれを見ようなどと思うだろうか。

録画してあると、かえって見なくなるのと同じだ。そのうち歴史は終わるだろう。

苦い文学

みぎり

「私たちの工場では、バックアップにもとづく人体の再生を行っています」と工場長は記者を前に語りました。

「バックアップと言いますと?」

「人間の情報を記憶、経験、個性といったものも含めて、データとして記録することです。人間のバックアップですね。このバックアップさえあれば、いつでも再生可能なのです」

「つまり、機種変してもデータは受け継がれるのと同じ、ということでしょうか」

「ええ、まさしくその通りです。ですが、機種変はたいていバージョンアップですが、私たちはバージョンダウンに力を入れています」

「バージョンダウン?」

「バックアップにはつねに古いバックアップがあります。たとえば、20歳の頃のバックアップ、15歳のバックアップ、子どものころのバックアップ、といったように。こうした古いバックアップをもとに、より以前のバージョンを甦らせることもできるのです」

「すごいですね。ですが、なんのためですか?」

「『頼朝公幼少のみぎりのしゃれこうべ』ですよ! これからは世界中の著名人のバックアップをもとに、子ども時代のしゃれこうべの大量生産を目指します。幼少のみぎりのしゃれこうべにご本人の直筆のサインとシリアルナンバーを入れて販売、などということも珍しくなくなるかもしれません」

苦い文学

ハンコなき世界

違うハンコを持ってきたばかりに保証金の受け取りの手続きで追い返された人のことを書いた(「ハンコのある世界」)。私もかつて同じようなことをしでかして無駄足を踏んだことが何度もある。

どうしてこんなことが起きるのか、その事情を記す。

保証金の受け取りに必要な保証金受領証書は、被収容者の仮放免手続きの最後に入管でもらうものだ。そして、保証金の返還手続きはといえば、仮放免された者がビザをもらうか、再び収容されるかしてはじめて行われるものだから、ずいぶん長い間、この証書を保管していなくてはならない。

だから、どのハンコだか忘れてしまったり、ハンコそのものをなくしてしまったりすることもある。また、証書をなくしてしまうことだってある(こうした弊害があるので、入管の方でも証書の裏に印を押させたりしていた)。

さて、この出来事は2020年6月に起きたことであった。その後、2021年の4月、私は今度は保証金を納める手続きのため、ふたたび入管の会計課の受付の前にいた。職員が出てきて、所定の書類に住所と名前を記入する。そして、いつものように私はハンコを取り出した。

「それは、必要ありません」と職員。

たしかに用紙には「印」と記されていない。私は職員の人に尋ねた。

「では、もう必要ないのですね」

「そうです」

「噂には聞いていましたが、こんなことが起きるとは夢にも思っていませんでした……とすると、過去の保証金受領証書であっても、ハンコはいらないのでしょうか」

職員は重々しくうなずいた。

もはや、ハンコに翻弄された日々は終わったのだ。私は入管を出ると、東京湾にハンコを放り投げた。それは陽光を浴びながら煌めき、くるくると回転し、まるで私との別れを惜しむかのようにぴかりと光るや、波間に消えていった。