小説

古書と古着(1)

みなさんは、古書マニアというとどんな人を思い浮かべるだろうか。ヨレヨレの服を着た本の虫、そんなイメージではないだろうか。もちろん、これは間違いだ。ただ、そうした人もいないというわけではない。私の友人がまさにそれだった。

彼は、古着屋でも買取を拒むような汚れた服を身にまとい、いつでも本に齧りついているのだった。しかも、本といっても並の本ではない。英独仏の稀覯本だ。彼は、古き時代のヨーロッパ文学の初版本の蒐集家であった。色褪せた皮表紙、金箔が剥げかかっている背文字、くすんだマーブル柄の小口といった書物を抱える彼の姿をよく見かけたものだが、その古書は時代の重みをも加味されたかのように重々しく見えたのだった。

古書街以外に出かけることの滅多にない彼だったが、あるとき、よんどころない用事で、渋谷に出かけた。そして、このにぎやかな街の片隅のショーウィンドーに、彼の目は吸いつけられたのだった。そこには、一冊の古書が置かれていた。彼はガラス越しにじっくり見た。黒い文字のタイトルと著者名を読む。これがここにあるはずがない、思わずそう考えたが、それはまさしくそこにあった。英字新聞の柄のテーブルクロスの上に無造作に載せられていた。モスグリーンの布表紙が、微かに色褪せている。状態は悪いかもしれない。しかし、もし本物なら、あること自体が奇跡だ。それは、彼が長年探し求めていた書物、とある不遇な短編作家の唯一の作品集だった。300 部限定。売れたのは 94 冊(これはとある評伝に書いてある)。そして、その次の作品を出す機会もなく、その作家は歴史のどこかに消えた。

初版本だろうか? こう自問するや彼は笑い出した。初版本に決まっている。それしかないのだから。

いくらだろうか? 彼のような物好き以外には用のない代物だ。だが、高値は覚悟しなくてはなるまい。いくらなら払える? こう自問するや、再び彼は笑い出した。その笑い声はにぎやかな雑踏に紛れて消えた。

いくらなら? もちろん、いくらでもだ!

そして、3つ目の自問。行くか? 

彼はひどく真剣な顔つきになって、ショーウィンドーの脇にある扉をぐいと押し開けた。(つづく)

苦い文学

文字の腐敗

LGBTQ の TQ だと? なんだ、バカバカしい。性自認の多様性など、百害あって一利なしだ。男と女で十分だし、それ以外に何が必要だろうか。さっそく TQ は削除だ。

だが、消すのは TQ だけで果たして十分だろうか? LGB だって危険だぞ! 男も女も平等なのだから、LGB だけ特別扱いするなんて、バッカらしい。こいつらも消そう。

ところで A はどうだろうか? B の隣にあるから、B に感染している可能性が大いにある(恐ろしいことにワクチンなどないのだ!)。邪悪な多様性の芽は早いうちに摘まねばならない! 削除だ。だが、とすると C も危険では? あっ、よくよく考えてみれば D と E と F も、 B と G に挟まれているではないか!

ぐうう! 淫らなやつらめ、この私を騙そうったってそうはいかない。削除だ!

待て、待て、それどころではない。G から Q まで全部怪しいぞ。腐ったみかんが全部をダメにするように、腐った文字もどんどん悪を繁殖させてしまうのだ! ほら、R だって、S だって! その次だって! もう手遅れかもしれない……これは大鉈を振るうしかないぞ!

……そして、大統領は新たな大統領令に署名をした。その大統領令にはただこう書かれているだけだった。

ZZZZZZ ZZZ ZZZZZZZZ ZZZZ ZZZZZZZ ZZZ ZZZ…………

苦い文学

私たち

外国人たちが日本の元号を使いうのをやめろと文句を言っているらしい。いったいなんのつもりなのだろうか。この国のやり方に従えないのなら、どうぞ出て行ってもらおう。

そして女たちが過去のあれこれを蒸し返して私たちを攻撃している。私たちが甘やかしすぎて、増長したのだ。

それに子どもも若い連中もなにをしでかすかわからない。教育もダメだし、管理するやつらもだらしない。損をしてイヤな目にあうのはいつだって私たちだ。

だがもっと剣呑なのは老人たちだ。私たちを轢き殺そうと虎視眈々のおいぼれどもだ。ベッドにでも縛りつけておくほうが、私たちにとってはよっぽど安全だ。

あろうことか、貧乏人どもが人権などと言い出して、私たちを責めたて始めた。人並みに人権が欲しいならば、生活保護などもらうのやめて真面目に働くがいい。これもインチキ活動家と弁護士どもが裏で煽動しているに決まっている。私たちから奪えるだけ奪い取ろうという魂胆だ。

いや、それか野党の連中だ。こいつらは生来の異常者で、私たちの国を滅茶苦茶にして、外国のハゲタカどもに売り払おうとしている。全員逮捕すべきだ。

日本は卑しい犯罪者が多すぎる。こいつらは私たちの金を狙っているのだ。だが金を奪いたいなら私たち以外からにするがよい。

そうだ、私たち以外からだ。

それにしても、私たちであることはなんと誇らしく美しいことだろうか。この美しい私たちを守るために、私たち以外の最後のひとりがいなくなるまで、全力を尽くして私たちは連中を戦わせるつもりだ。

苦い文学

人類の門出

昔の恐竜はたいていゴジラの仲間かなにかのように描かれていたものだったが、今はまるでカラフルな羽毛をまとった鳥だ。古生物学の研究の進展が、古いイメージをどんどん塗り替えているのだ。

そして、昔は恐竜といえば絶滅だったが、これについても異論が出てきた。恐竜は絶滅なんかしていない、鳥として今も生きている、というのだ。

将来は、ネアンデルタール人についても同じことが言われるようになるかもしれない。新しい研究によれば、ネアンデルタール人と人間は交雑し、そのDNAが現代人にまで受け継がれているというのだ。とすれば、完全に絶滅したわけではないのだ。

しかし、それにしても、交雑していたとはどういうことだろうか。人間とネアンデルタール人はいつどこで出会ったのだろうか。夏のビーチだろうか、冬のゲレンデだろうか。

そして、どのように愛を育んでいったのだろうか。ペアの打製石器で愛を誓ったのではないか。

両親はさぞかし反対したことだろう。大昔のことだから「人間と結婚するなんてわしは許さん!」なんてこともたくさんあったはずだのに、二人は愛を貫き通し、ゴールインしたのだ。

「これより新郎新婦のお二人をこの会場にお迎えいたします。お姿見えましたらどうぞ盛大な拍手でお迎え下さい……それでは、新郎新婦、入場です! 今、本日の主役、新郎新婦のお二人が、盛大な拍手に迎えられて入場いたします……お二人の門出を祝し……末永いお幸せ……人類とネアンデルタールの両家のご繁栄を……」

苦い文学

危険地帯

言語学を学んでいる人なら誰でもそうだろうが、時おり、見知らぬ人から相談を受ける。先日もこのようなメールを受け取ったのだ。

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突然のお便り失礼いたします。

この度は私の陥りました苦境から救っていただきたく、メールを差し上げた次第です。

苦境と申しますも、旧来の友人より、茨城旅行に誘われたことが発端でございます。

私は東京で開明的な教育を受けたものにてございまして、地方を差別する気持ちなど毛頭ないのですが、茨城に関してある事実を知って以来、行くべきか行かざるべきか、悩んでいるのです。

誘いを受けた後、茨城とはどんなところか、どんな危険があるのか、寄生虫対策はいかにと、ネットを検索して情報収集に努めました。納豆、あんこう、水戸黄門、ダチョウ……。聞き覚えある言葉にすっかり安堵したのですが、そのとき恐るべき文字が飛び込んできたのでございます。

無アクセント地帯

ああ! アクセントなしで、かの地の人々はどのようにコミュニケーションを取るのでありましょうか。否、それよりも気になるのは、私のようなアクセントがある人間が、かの地に赴いた場合のことです。アクセント欠乏症にかかるおそれ大ではありませんか。

はたしてマラリアに対するキニーネのごとき予防薬はあるのでしょうか。あるいはアクセントの欠乏に備えて、予備のアクセントを携帯したほうがいいのでしょうか。いや、ひょっとしたら、アクセントが高密度で詰まったボンベを背負って常にアクセントを補給したほうがいいのでは?

茨城旅行を前に懊悩呻吟する私にどうか良き助言をください。

〜〜〜〜〜〜

私はすぐに返信して、無アクセントというのは茨城や栃木などの方言に見られるアクセントの特徴のことに過ぎず、何の心配もないので、茨城旅行を楽しんできてほしい、と伝えたのであった。

ただ、私はうっかりしたことに、「無アクセント」は別名「崩壊アクセント」とも呼ばれていると書いてしまった。また彼に余計な心配をさせなければよいのだが……。