風刺・戯文

世界観戦争

私たちは世界観が大好きだ。「魔法が現実に存在する世界」「記憶が貸し借りできる世界」「愛が禁止された世界」「同じ一日を何度も繰り返す世界」などなど、面白い世界観がなくてはもう生きていけないほどなのだ。

だけど、どんな世界観でもいいというわけでもない。つまらない世界観だってある。とくに私たちの世界観を邪魔する世界観は最悪だ。たとえば「私たちをきらいな人が幅を利かせている世界」とか、そんな世界観にはついていけない。それで私たちは、自分たちの世界観を守るために、不愉快な世界観の撲滅に立ち上がった。

私たちの世界観が、不快な世界観とがぶつかって、摩擦が生じ、ついに火が着いた。世界観の戦争がはじまったのだ。別の世界観も次々と巻き込まれて、世界世界観戦争の様相を呈しきてきた。世界中で燃え盛る戦火のせいで、もう世界そのものが消滅しそうなほど。だけど、私たちはまったく気にしてない。なぜなら、世界がなくても世界観はなくならない、そんな世界観だから。

タグ:
苦い文学

おいしい中華へ

ビルマのカレン人の友人が、一緒にご飯を食べようと誘ってくれた。高田馬場で待ち合わせだ。電話で話したときは、二つのお店の候補を挙げてくれた。しゃぶしゃぶの「しゃぶ葉」とビルマ料理の店だ。「しゃぶ葉」は、私にしてみれば、せっかく高田馬場まで来たのに……という感じ。しかも、あの配膳ロボットがイヤだな……。だが、ビルマ料理の店はカラオケがあってうるさいので、「しゃぶ葉」に覚悟を決めた。べつに味や肉が問題ではないのだ。ただ、あの配膳ロボットがな……

さて、ビッグボックスの前で会うと、友人が聞いてきた。「何がいいかな。ビルマ料理の店と、しゃぶしゃぶと……中華」

「中華がいいです」 この新たな候補に私は飛びついた。

「じゃあ、そこに行きましょう」と友人はどんどん歩いていく。「去年、行ったけど、おいしかったよ」

私たちはいくつもの中華を通り過ぎた。高田馬場だけあって、いわゆるガチ中華も多い。これらのどの店でもよさそうだが、そのどこも「あのおいしかった店」ではないのだ。その時、私の心に疑問が生じた。

そのおいしい中華とはバーミヤンでは?

いや、バーミヤンでもいいのだ。だが、それなら近所にあるし、しかも配膳ロボットが……

私の心配をよそに、友人はどんどん歩いていき、高田馬場のハズレの暗がりに入っていった。そして、その奥にガチ中華の灯りが輝いていたのだった。

「ここです」

これこれ! 高田馬場ならこういう店!

とテンションが上がるが、そのいっぽうで私は店内に目を光らせる。もしや、配膳ロボットが……いない、いるわけない。

私たちは店に入り、チャーシューや唐揚げや蜂の巣の和物などを注文した。だが、来るもの来るもの、友人は食べながら首を捻っている。「この前はおいしかったのにな……」「肉も固いし……」「遅いし……」

友人「焼きそば、まだですか」

非配膳ロボット「すぐです」

それでも来ない……

ついには私に「ごめんね」と謝る始末。

いえ、私はなんでもおいしくいただきますよ、ただ配膳ロボットさえいなければ……

苦い文学

駅と駅

その駅は時代の狭間に位置している。中央改札口を出て西出口のほうに向かえば動く歩道があり、それに乗っていくと、整然としたペデストリアン・デッキに出る。

そのデッキは、美しい建物群に取り囲まれている。高層オフィス・ビル、ユニクロやスタバの入った賑やかなショッピング施設、便利な公共施設など、人々はデッキを歩いてそのまま入ることができる。まさに令和の最新式の駅だ。

いっぽう、東出口はというと、中央改札口から東に向かうとすぐに大きな階段がある。下りながら、あちこちにかかっている大きな看板が見えるが、ほとんどパチンコ屋か医院だ。階段の下には売店があり、お菓子やお弁当、タバコと酒が売られている。その脇には公衆電話がずらりと並んでいる。昭和の駅だ。

東口には大きなロータリーが広がっていて、その中央にはのびやかな姿の銅像が立っている。そして、こっち側には大きなビルなどなくて、ただごちゃごちゃと商店が立ち並んでいるだけだ。

誰もが平気でタバコを吸っている。喫煙所などない。どこもかしこも吸い殻が落ちていて、注意して歩かないと、痰を踏んでしまう。

あるとき、東口の大階段で事件が起きた。男が、前を歩く女学生のスカートの中を鏡でのぞいていたのだ。気がついた人々がとらえようとすると、男は階段を駆け上って逃げた。

男は中央改札を通り過ぎ、西口から外に出ようとした。だが、結局そこで追いかけてきた人々に捕まってしまった。警官が駆けつけてくる。人々が警官に引き渡すと、男はこう言って抗議した。

「昭和の出来事を令和になっていまさら持ち出そうってのか!」

苦い文学

孤独対策チーム

《政府孤独対策チームからのお知らせ》

社会がどんどん変化し、昔ながらの家族が壊れたため、孤独に暮らす人が増えています。そこに今回のコロナ禍が追い打ちをかけました。いま、孤独は社会問題となっているのです。

科学的な調査によると孤独な人は早く死ぬそうです。また、孤独な人をひとり見かけたら、50人の孤独な人が隠れているといいます。孤独は恐ろしい感染症なのです。

孤独に感染しないためにはどうしたらよいでしょうか。まず、心の窓を開いて換気をしましょう。それから、マスクも大事です。見苦しい顔を隠すことができます。ですが、一番大事なのは、孤独な人と接触しないことです。

もし、孤独な人との濃厚接触が疑われる場合は、ただちに隔離が必要です。精神保健所に申し出てください。数週間は個室で一人で暮らすことになるので、食べ物や水を用意しておいてください。

また、孤独を防ぐためには、ワクチン接種が有効です。このワクチンを定期的に打つことで、体内に免疫が生まれ、あなたが孤独にならないように、話しかけてくれることでしょう。

音楽

ラ抜きの研究

「ら抜き言葉」というのは、可能の「見られる(つまり、見ることができる)」「来られる(つまり、来ることができる)」などを「見れる」「来れる」のように「ら」を抜いて言うことを指す。

これはしばしば「正しくない日本語」とされるが、現在では広く用いられていて、テレビのバラエティ番組などでも「ら抜き」のほうが普通だ(そして、テロップでは「ら」が復元されるのも普通だ)。

私はかねてからこの「ら抜き言葉」に関心があり、調査・研究を重ねてきた。具体的なテーマは「抜かれた「ら」はどこに行ってしまったのか」というものだ。

私は日本のどこかに、抜かれた「ら」たちが集積する場所があるのではないかと考え、羅臼、浦安、島原、伊良部島など「ら」のつく土地を候補地としてくまなく踏査したが、そのような「らの墓場」は見つからなかった。

私の研究は行き詰まったかに見えた。だが、さらなる研究が突破口を開けたのだった。「ら抜き言葉」が生まれたのは100年以上前だというが、これが格段に広まったのはここ数十年のことである。そして、この急な拡大の原因となった出来事が、1978年に起きていたのだ。

サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」の発売である。

すべてのラはこの曲に吸収されていたのだ! 今でも、日本中のカラオケで!

この胸騒ぎのする研究をすぐにでも学会で発表したいほどに、ちょっと待って、まだはやい。いずれお目にかかれてと心なしに思う次第だ。