風刺・戯文

私の私

あなたの私はあなたですか。それとも私ですか。私の私は私です。なのにどうしてあなたは私なのですか。

あなたの私はあなたで、私の私は私、そうおっしゃるのですか。つまり、私の私が私で、同時にあなたの私があなたの私ということになるのですか。おかしいではないですか。私の私が私なら、あなたの私は私の私ではないですか。

違うとおっしゃるのですか。私の私も、あなたの私も、同じ私だというのですか。ですが、私はあなたではないですし、あなたは私ではないです。なのに同じ私とは変ではありませんか。

みんな、同じ私を使っている、というのですか。私はみんなのもの、誰でも使える。そんなことありますか? 理屈がわかりません、まったくわかりません。

あ、いや、わかりました。私はみんなもの、というのは、私の私は私のもの、あなたの私はあなたのものだけれども、私の私がないときに、あなたの私を私の私として使ってもいいということか。これはいい。私に 1 万円ください。あなたの 1 万円はたぶん私の 1 万円だから。

苦い文学

せんべろ以上

「二百べろですって?」と私は叫んだ。

「ええ、二百べろが可能なのです」

「なんと酒呑みにやさしいではないですか」 私は思わず興奮してしまった。「なにしろ、失業中の身には千円でもつらいですからね……あ、いや、昔はこれでもせんべろで酔っていた身分でした」

「かつてはずいぶん羽振りが良かったのですね」

「お恥ずかしい話で……で、その二百べろはどこにあるのです」

「なに、すぐそこでですよ……」 そういう彼は私を上野駅に連れていった。「なるほど、上野ですか。確かに安く酔える店がありそうです。で、どんな店なんです」

「まあ、お待ちなさい」と彼は駅の売店でガラスカップの酒を2個買った。200 ml 入りで、200 円。その酒をどうするかと思っていたら、私に1個渡すではないか。「ひとつぐいっとやってください」

私は腹を立てた。「なんだ、その手には乗りませんよ。確かに 200 円かもしれませんが、そんなもんじゃべろべろのべの字にもなりませんよ。5本飲んで、ようやく酔いが回るくらいですよ」

すると彼は「まあ、まあ、私の言うとおりになさい」とスタスタ歩いていくではないか。慌ててついていくと、私たちは中央連絡通路に出た。この通路は、上野駅中央改札口と常磐線、山手線・京浜東北線などを繋ぐ通路だ。

「この中央連絡通路は、日本でいちばん天井が低い通路なのです。しかも、天井から突き出た梁の部分を見てください。黄色いクッションが取り付けられているでしょう。あそこがもっとも天井が低いので、頭をぶつける人が続出するため、あんなふうに保護しているのです」

「それが二百べろとなんの関係があるのです?」

「見ててごらんなさい。ほら、あの人」と彼はひとりの千鳥足の男を指差した。「彼は私たちの仲間ですよ!」 

私が見ていると、その男はふらふらとよろけて、黄色いクッションに頭をぶつけた。「あっ」 私が叫ぶと彼はほほ笑んだ。「大丈夫ですよ。あれはわざとぶつけているのです」

「なんでですか?」

「なんでって、酔いのまわりをよくするためですよ!」 こう話している間に先ほどの千鳥足の男はまた別のクッションに頭をぶつけた。ぶつけるたびに足元がいっそうおぼつかなくなるようだった。

「私のみるところ、あの友人は10回ほど頭をぶつけていますね。二百べろ達成ですよ!」

私はもう我慢できなくなった。もらったカップを開けると一気に飲み干し、天井の低い通路に飛び込んだ。さっそく一回頭をぶつける。

彼が叫んだ。「その調子! 今の感じだとまだ九百べろですね! 二百べろにするためにもっとたくさん頭をぶつけるのです!」

私はいくども頭を打ちつけ、次第に酔いがまわりべろべろになっていった。朦朧とした頭の中で、私はこの中央連絡通路にあの千鳥足の男だけでなく、他にもたくさんの酔漢が足をくねらせながら、頭をぶつけているのを見た。ここは酒場だったのだ!

いつのまにか、私の友人も加わっていた。頭を血まみれにした彼は、上機嫌に笑っていた。「これぞ酒呑み天国だ!」 「そうだ!」 私たちは勢いよく互いに頭をぶつけ、そのまま昏倒した。

苦い文学

反排斥運動

みなさん、こんにちは。「あほうの党」党首です。今日はみなさんに私たちの党の信念を知っていただきたく、この場に立ってお話しさせていただいております。

まず、現在、私たちが大いに関心を持っていることから始めさせてください。それは外人排斥運動です。

嘆かわしいことに、現代の日本では外人を嫌い、憎む外人排斥運動が広がっています。私たちはこの状況をおおいにうれいています。

日本は素晴らしい国です。日本人は勤勉で真面目で優しくて思いやりがあって嘘を付かない国民です。その日本で外人が排斥されるなどあってはならないのです。

私たちは日本の伝統を守り、受け継ぎ、後世に伝える尊い責務があります。だからこそ、こんなことが許されてはいけません。日本の恥です!

外人を守り、大切にし、受け入れることが重要です。あほうの党は、外人を排除する風潮には断固として反対します。

さあ、みなさん、これからは外人です! 由緒正しい外人を堂々と使いましょう! 外国人などという言葉を、憲法と一緒に押し付けた外人どもから、日本をとりもどすために……

苦い文学

濁点の復讐

私(熊切)のもとに以下のようなメールが送られてきたので、そのままここにコピーする。


はじめまして

私は名を新垣と申します。突然のメール失礼いたします。

どうして私があなたにメールを差し上げたか、ご不審に思われるかもしれませんが、私の名の読みが「あらかき」であると記せばおおかたご察しいただけるのではないかと思います。

そうです。私はあなた、熊切(くまきり)さんと、同じ悩みを抱えるものでございます。

私たちは、世間の無理解によりなんとつらい思いをしてきたことでしょうか。なぜ、人々は厚かましくも勝手に濁点をつけるのでしょうか!

「あらがきさん、おはようございます」

ああ、爽やかな朝も、この濁点ひとつでもう不愉快なものと変わります。熊切さんも、やはり濁点つきの「くまぎり」という読み方に苦しまれてきたことと思います。

私たちにとって、濁点は悔しい悔しい涙なのです。ですが、もう、こんなことはたくさんです。立ち上がるときが来たのです。

やり返してやろうではありませんか。「佐藤」を「さどう」、「佐々木」を「さざき」、「ふじた」を「ふじだ」と呼んで、その清ました面の高慢な鼻をへし折ってやろうではありませんか。「高橋」だって「たかばし」です。いや「だがばじ」で結構! これまで私たちが苦しんできた分だけ復讐してやるのです。

もう濁点は涙ではありません。今日からは私たちの弾丸となりました。 

さあ、一緒に戦いましょう! 日本中に濁点の雨を降らせて、晴天を濁らせてやりましょう……

苦い文学

オールドデリー

人生について知らなかったころ、そこには謎などないような気がしていたが、人生について知るにつれ、そこには謎しかないような気がしてくる。今からする話も、そのような謎のひとつだ。

昔、私の家の近くに、「デリー」というカレー屋さんがあった。インドの人(かネパールの人)がやっている店だった。もともとはスナックだった店舗に居抜きではいったもののようで、レストランというには狭かった。

しかし、薄暗い店内にはインドの風景写真が飾られており、雰囲気もあったし、なによりもおいしかった。

「デリー」は市役所に近かったため、その職員がよく利用していた。それで、あるとき、市役所にもっと近いところに空き店舗を見つけて移転した。

店は広くなったが、前の店のような雰囲気はなくなっていた。居酒屋の作りで、あまりインドらしくはなかった。私は新規開店してすぐに行ったが、どこか違うように感じた。当てにしていた市役所の職員も来なかったようで、いつの間にか店はなくなっていた。

この「デリー」は移転したとき、名前を改めて「ニューデリー」となった。私が謎に思っているのはこの名前についてである。

「ニューデリー」という店名は、新しい「デリー」を意味しているのだろうか、それとも以前の「デリー」とは関係なく「ニューデリー」というインドの地名にちなんでつけられたのだろうか。

店のなくなった今、もはやこの謎を解く術はない(し、どうでもいい)。