散文

構造の外(2)

曇り空の下、新宿の高層ビルが立ち並んでいた。私は世界でも有数の都市が一望できる場所にいたのだった。銀色の巨大な建築物が群れ集うその光景を見て、私は冷たい美しさを感じずにはいられなかった。そして、かつてある韓国の知人が、東京の夜の街を歩きながら私にこう言ったことを思い出した。「今、自分が『あの東京』にいると思うと、飛び跳ねたい気分になるんです」 その人はもう東京で何年も働いているのだった。

私は東京にいてもなんにも感じないし、むしろイヤな気分になることが多い。この病院に辿り着くまでに通り抜けねばならなかった人混みは、不快でしかなかった。だからこそ、私は韓国の知人のこの言葉を記憶していたのだが、この違いはなにに起因するのだろうか。それは、韓国の知人が東京を外から眺めていたのに対して、私は東京の内部の存在としてこの都市を捉えていたからにちがいない。そして、おそらく同様にちがいないのは、私がソウルに滞在するときに感じる興奮を、この韓国の友人は共有しないだろうということだ。なぜなら、そのとき、私は外部からソウルというやはり世界有数の都市を眺めているのであり、いっぽう、ソウル人でもある友人は内部の人間としてしかこの都市を見ることができないから。

私がこのブログに書くものは、たいてい人間が冷酷な構造に飲み込まれていくものばかりだ。私にとって世界とは、どんな人間も最後には挽肉にせずにはいられない残酷な機械だ。私がそんなふうに感じるのも、私がこの構造に飲み込まれている人間だからだ。だが、この構造自体はきっと外から見たら、美しいのだろう。

だが、その美しさはどんなものだろうか。挽肉製造機が美しいのだろうか。銀色にピカピカで、粉砕機のモーター音がリズミカルで、いつまでも見ていられるのだろうか。それとも、それとは違った人間的な美しさがあるのだろうか。外からみれば、高額な医療費も少しは減額されているのだろうか。

小説

新しいサービス(1)

今日、私は iPhone の修理のために、Apple Store に行った。スタッフに故障箇所を見せると、3 時間ほどかかるとのことだった。私はそれに同意し、iPhone をスタッフに渡した。

「もし今、電話をしたり、メッセージを送ったりなどあればどうぞ」

「いえ、とくに」

「修理が終わるまでの時間はどうされるご予定ですか?」

私は少し考えた。「外で散歩でもするつもりです」

「iPhone がないあいだ、お困りのことがあれば、Apple Store にどうぞおいでください」

私は Apple Store を出て、大通りを歩き始めた。天気はよく、気持ちよかった。三時間のあいだなにをしようか。映画でも見ようか。近くの映画館とプログラムを調べようとして私は iPhone を探し、すぐに修理に出していることに気がついた。

晴れていたが、ときどき冷たい風が吹いた。寒くなってきたので、私は喫茶店でしばらく時間を潰そうと思い立った。そして、喫茶店の前に立ったとき、私は iPhone がないということを思い出した。最近は財布を持ち歩かず、なんでも iPhone で支払っているのだった。

つまり、喫茶店で休むことも、何かを買うことも、電車移動もなにもできないのだ。これからこの3時間どうやって過ごせばいいのだろうか。あとどれくらい時間があるのだろうか? 今何時なのか? 私は時間を見ようと iPhone を探し、ないのを思い知った。

まるで大海原にたったひとりで漂っている遭難者のような気がしてきた。足の下の深淵に飲み込まれまいと、私は海面で必死にもがいているのだ。

恐怖が私をとらえた。パニックになり、息ができなくなった。私は大慌てで Apple Store に戻った。

苦い文学

弁護士たちの山

この夏、私はソロキャンプにハマり、大金を投じてキャンプ道具一式を揃えると、夏じゅうあちこちの山で孤独と自然、そして肉料理を楽しんだ。

とある山の奥地でキャンプを設営したとき、私は少し斜面を降りたところにある渓流でビールを冷やすことにした。清らかな流れの中にビールを入れ、何の気なしに水の流れを見つめていた私は、小さな黄金色の輝きに目をとめた。屈んで拾い上げる。それは砂つぶぐらいの大きさだったが、紛れもない金だった。

私は夢中になって川の砂を手で掬い、さらに金を探したが、見つからなかった。私はもっと砂金が採れるかもと考え、川上へと歩き始めた。

どれくらい遡ったか、あるところで渓流が急にひらけた。そこでは、人々が篩を手に砂金採りをしてるのだった。奇妙なことに、みな背広姿だったが、私はかまわず川に駆け寄り、砂を掬いはじめた。

すると、ひとりの男が私のそばにやってきて、厳しい口調で言った。「当職に身分証明書をまず見せなさい」

「身分証明書? なんでそんなものを」

「当職に見せないと、犯罪要件を構成するとみなさざるをえないな」

「いったいなんの犯罪に? この川は私有地なのですか?」

「当職が言っているのはそんなことではない。非弁行為は立派な犯罪なのだ」

「非弁? 弁護士がなんの関係があるのです? あなたも弁護士なのですか」

「もちろん当職も弁護士だ」と彼は背広の襟の弁護士バッジを私に見せた。

「ですが、弁護士でなければ、この川に立ち入ってはいけないのですか? そんな決まりがあるのでしょうか」

「無論だ。この川の上流にあるB型肝炎給付金山から流れ出てくる金を採取できるのは弁護士だけなのだ」

私が絶句していると、弁護士はこう告げた。「さあ、重大な罪を犯す前に、ここを立ち去るのだ」

私は諦めた。泣く子と弁護士には勝てない世の中だ。かといって、もと来た道を戻るのもシャクだった。そのとき私は、渓流の脇に細い道があるのに気がついた。私は無言で歩き出し、その道に足を踏み入れようとした。するとさっきの弁護士が大きな声で言った。

「おーい、そっちに行けるのも弁護士だけだぞ! 過払い金山に通じる道だからな! なんてがめついやつだ! 油断もスキもありゃしない!」

すると砂金をとっている弁護士たちがいっせいに笑い出した。誰かが叫んだ。

「当職たちに着手金を払おうってなら話は別だ! そうじゃなきゃ、戻れ! 過払い金みたいにさ!」

私は嘲笑を背に浴びながら川を下り、テントに辿り着くと、荷造りして山を降りた。それ以来、私はキャンプをやめた。

苦い文学

覚醒する飛翔体(2)

「寝ている政治家を起こす」ためだけに政界入りした正義の男バーシー、議場の奥で図々しくも居眠りを続ける三議員を発見するやいなや、猛然と走り寄った。議場机を掴んでガタガタとゆすり、不埒な議員どもを起こしにかかる。

ところが、この三議員、まったく動じず眠り続けるありさま。いよいよバーシー怒り狂い、机を叩き、議員どもの肩を小突き、耳元で怒鳴り、汗まみれになって奮闘するが、まるで効果なしときた。

いや、それどころか、三人の鼾、ますます音量を増し、不思議な三重奏を奏で始めたではないか。

氏名標を枕に寝転んでいる議員の鼾はずっしりとした低音で、それに乗るのが、つっ伏して痙攣している議員の鼻が刻む鋭いビート。そして、仰向けで頭をぐらぐらさせている議員の半開きの口からは、絶妙なカッティングに続き、流れるような妙なるメロディ……さながら超絶技巧のスリーピース・バンドだ。

議員たちはこの異様な光景に呆然として立ち尽くすばかりであったが、急に始まった演奏を聴くや、一人の議員が叫んだ。

「これは……Little Wing ……ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの……!」

その瞬間、ギターのビブラート音とドラミングが鳴り響き、あの有名なギターソロが始まった。

この名演に誘われて議員たちの口からかすかな歌声が漏れる。

「Fly on, Little Wing(飛ぶんだ、小さな翼よ!)」

ああ、だが、この歌声を、バーシーは耳にすることはなかった。彼は鼾の演奏に目を回し、気を失っていたのであった。

いったいこの三議員の正体は? そして、国会に響き渡った Little Wing の理由はいかに? 続く回にて解き明かすを聴きねかし。

苦い文学

骨のある話

以前、私の友人のビルマ人が亡くなり、葬式も都内で無事済ませたのだが、遺骨をどうするかについてはそうとう困った。

私の印象では、仏教徒のビルマ人は日本人のようには遺骨を尊重しないようだ。

だが、かといって遺骨を問題にしないというのではない。むしろ非常に恐れているのだ。

なので、どのビルマ人も処理したがらず、結局、私が預かることになった。それからが非常に問題で、私はずいぶん悩んだものだった。

その時の話だ。

あるビルマ人の難民認定申請者が入管に収容された。彼はいくどか不認定になっていた。もしかしたら、彼は諦めて帰国するかも、という人もいた。

彼の知り合いで日本語の上手なビルマ人がおり、面会に行った。そして、私に連絡してきてこう言った。

「彼は難民申請を続けるつもりなので、どうか身元保証人になってください。彼はビルマにもう家族もいないので、日本に骨をうずめる気なのです……」

骨の話はもうやめて! 保証人はやるから……