小説

孤独なダンサーたち(1)

言葉が人間の認識に強い影響を与えることがある。「心が潤う」「乾いた心」「あふれる愛」「元気が湧く」「ひからびた感情」などはただの言語表現に過ぎないが、私たちはこれらの表現を使ううちに、心には水分がなくてはならないような気がしてくる。それだけならまだいいが、喉が渇いたりして、水気が足りないと思うと、心まで荒んできて、思わぬ暴言を吐いてしまったりする。私たちはいくぶんかは言葉に支配されているのだ。

都内に住むある男性の話だ。彼は、あらゆることがうまくいかず、追い詰められていた。仕事ではいくつかの失敗によって非常に苦しくつらい立場に置かれていた。もし死を選ばないとしたら、解雇されるにせよ、自分から逃げ出すにせよ、失業するのは確実、そういう状況だった。

家庭もうまくいっていなかった。彼にとって帰宅するということは、深い沈黙か、果てることのない妻との口論かのどちらかを、選ぶことだった。しかし、だからと言って、家を飛び出しても向かうあてなどなかった。転がり込むべき友人は、すでに彼を見限って離れるか、この世を見限って離れるか、そのどちらかのせいで、見当たらなかった。

どこを向いても、どこにも道がないように思えた。それどころか、あらゆる方向から責め立てられているように感じた。職場も家庭も友人たちも、彼を憎み、罵り、あらゆる希望と夢を奪い取るのだった。

苦い文学

主語の実験

日本語に主語があるのか、はたしてないのか……これまでこの問題について数々の議論がなされ、論文が発表されてきました。

主語があるという主語賛成派はこう言います。「どんな行為にもそれをなす人がいるのだから、主語がないなんてありえない」

いっぽう、主語がないと言ってはばからない主語反対派はこう反論します。「日本語には英語のような主語はないし、主語のない文だってある。日本語には主語など必要ない」

この論争に終止符を打つべく、いま大規模な試みが行われようとしています。実験を主催する大富豪、後澤呆作代表は語ります。

「これは壮大な社会実験です」

実験の主役となるのは吉田二郎さん(66)です。地下に建設された空間で、これから1年間のあいだ外部との接触を断ち、たったひとりで過ごす予定です。

「食事も排泄もすべてエコシステムの中で完結しています。退屈じゃないかって? 運動設備も娯楽もなんでも揃っていますから、退屈する暇なんてないでしょうね」

こう笑う吉田さんがこの地下施設でチャレンジするのは、主語なしの生活です。

吉田さんの地下施設での様子は、逐一地上でモニタリングされ、主語のチェックが行われることになっています。

「主語が検出されてもされなくても、この実験によって主語論争に決着をつけることができるはずです」と後澤代表は期待に胸を膨らませています。

苦い文学

遠くで戦ってる

教室に行ったら、2人の学生が真剣な顔つきで話し込んでいた。授業の準備をしながら、私は聞くともなしに聞いていた。

「まったく、遠くから見ているせいか歯痒くなってくるよね。どうしてこんな簡単なことができないのって。お互いを認め合って、譲り合うだけで、すべて解決するのに。殺し合う必要なんかないよ」

「そうそう、つまらないことで意地張っているように見える。武器を捨てることが、そんなに難しいのかな。もっと互いを尊重すべきじゃない? ただただ命が奪われていくのは悲しすぎる」

ひとりが嘆息した。「こんなこと言っちゃいけないのかもしれないけど、愚かすぎだよ。命を守るために全力を尽くすべきだと思う」

「ああ、それは同感。責任ある人がちゃんとしたらいいのに」

私は国際政治が専門ということもあり、現在の国際情勢について真剣に議論する学生たちを好ましく思った。そこで、つい余計な口を挟んでしまった。

「あのさ、難しい問題だけど、まずはイスラエルとパレスチナの歴史を読んでみると、また違った見方もできると思うよ」

すると2人は当惑しながら、こう言った。

「えっ、クマの話をしていたんですが……」

苦い文学

あなたの夢はかなう

自分の夢を実現したい、素晴らしい人生に変えたい、成功したい、幸福になりたい……だれしもそんなことを考える。

そして、そうした人のために、さまざまな成功アドバイスを記した本が出版されている。

いわゆる自己啓発書だ。

そうした本を読むのもいいことかもしれない。

もちろん、私も大いに読みたい。そして、成功、いやそこまででなくても、人並みの生活が送れるようになりたい。

だが、私には疑問がある。

なぜしばしば「続編」があるのだ。

まるで、1冊目だけでは「夢を叶えたり、幸運を引き寄せる」のに不十分みたいではないか。ひどいのになると、シリーズ化されている……第5弾、第6弾と!

こうなるともう、むしろ最初の一冊は、夢など実現しないほうに全振りしているのではないかと疑りたくなる。

以前、「すべてを手に入れる」ことができるという本が出た。この本を読んですべてを手に入れた読者がいたかは知らない。

だが、かりにいたとしても、まるでその読者を嘲笑うかのように、数ヶ月後に続編が刊行されたのであった。

苦い文学

宇宙的恐怖

夜、無数の星々が輝く空を見上げて、畏怖の念にとらわれぬ人間がいるだろうか。

この畏怖を突き詰めると、やがて我々は底知れぬ恐怖に直面する。この宇宙の途方もない大きさと冷たさのなかでは、我々人類がどんなに助けを叫ぼうと、ただ虚空に飲み込まれていくだけなのだ。

これがアメリカの怪奇・幻想小説家ハワード・フィリップス・ラヴクラフトのいう「宇宙的恐怖(Cosmic Horror)」だ。

私の友人の文学者は、ラヴクラフトのこの「宇宙的恐怖」に触発されて、新たな文学的概念を提唱するに至った。

「宇宙的恐怖」があるならば、その対極である「宇宙的滑稽(Cosmic Funny)」もあるはずではないか、というのだ。

彼はさっそくこの概念を実作で示すべく創作に没頭した。その内容について知りたがった私に、彼は「地球は宇宙的滑稽にさらされている」という書き出しの一文を教えてくれたのみだった。

そして、ついに今日、その作品が私のもとに送られてきた。

漁村に住む人は魚に顔が似てくる、という話だった。