風刺・戯文

ありがた迷惑

日本ほどよそさまの国に迷惑をかけたことのない国はないし、それなのに一方的に迷惑をかけられている国はない。

アメリカ、ロシア、中国は世界にもっとも迷惑をかけている迷惑枢軸国だ。日本も散々な目に遭っている。

朝鮮半島も迷惑の塊みたいなところだ。北朝鮮のミサイルは言うに及ばず、韓国の少女像も迷惑千万だ。

それにいちいち中国やら韓国やらが靖国神社に口を出してくるのははた迷惑だ。こっちが迷惑をかけたとでもいうのだろうか。

日本に迷惑をかけているのはこれらの迷惑先進国ばかりではない。最近では貧乏な迷惑後進国から移民が日本にやってきて、日本中で迷惑のかけ放題だ。

しかも世界中から観光客という迷惑客が押し寄せてきて、迷惑ツーリズムに精を出している。

しかし、あえて言わせてほしい。もっとも迷惑なのは日本人だ、と。なぜなら日本人の人のよさ、やさしさ、おもてなし精神、迷惑を憎む心が、世界中の迷惑インフルエンサーと迷惑テロ集団たちにつけ込まれているのだから。

私は日本人はもっともっと迷惑にならなければならないと思う。電車の中では外国人に負けないくらい大声で話そう。レジ係に小銭を投げつけよう。ネットの誹謗中傷を日課にしよう。小さな迷惑を大きな迷惑に育てよう。

迷惑の犠牲になるのはもうたくさんだ。世界中で日本人は迷惑行為を行なうべきだ。日本政府も迷惑外交を行うべきだし、もっと迷惑がかけられるような法整備に取り組むべきだ。

もちろん憲法の第九条など明日にも登録抹消だ。我が国の迷惑行為を妨げるあんな条文、よかれと思って付け加えたのだろうが、正直言ってありがた迷惑だ。

旅・観察

サンスーシ宮殿

ドイツ、ポツダムの観光地といえば、サンスーシ宮殿だ。これはフリードリヒ大王が、1747 年に建てた宮殿だ。

広大な庭園に囲まれていて、宮殿から 30 分弱歩くと、サンスーシ新宮殿と呼ばれる別の宮殿に行き着く。今回、学会の会場のあったポツダム大学はこの新宮殿の裏手にあり、私はサンスーシ内の散歩道を歩いて毎日通っていた。

宮殿内を巡るチケットは、近くの売店で買うことができる。宮殿と新宮殿で 22 ユーロだ。チケットを買うとそれぞれの入館時間を指定される。これは混雑を避けるためで、時期によってはネットで予約したほうがいいそうだ。専用のアプリがあり、これをダウンロードすると、英語などで解説を聞きながら回れる。サンスーシ宮殿のほうでは日本語の音声ガイドを貸してくれる。

宮殿の各セクションには係員がいる。私は絨毯の敷かれていないところに立ったり、壁際のテーブルにうっかり手を乗せたりして、2 度ほど注意された。また、ショルダーバッグを後ろに回さずに前にかけるようにとも注意された。混んでいる時期にはスリが現れるもののようだ。

サンスーシ宮殿はこじんまりしていて、生活感が漂っている。ヴォルテール先生ご宿泊と伝えられる客室もあり、部屋を飾る自然をモチーフにした鳥、動物、果物のレリーフは見ものだ。

新宮殿は公務や社交の場のようで、大きくて立派だが、それほど面白くはない。壁の奥まった部分にはコンセントの穴があり、おそらく召使いたちが偉い人の目を盗んで携帯を充電していたにちがいない。

苦い文学

機内安全ビデオ

情報を伝えるということは、ただ単に情報を伝えればよいということではない。なによりもそれは相手に伝わらなくてはならない。そのために伝え方が重要になる。

私がこの伝え方の好例としてあげたいのは、飛行機の離陸前に見せられる「機内安全ビデオ」だ。

昔はこのビデオはただ客室乗務員が立って救命ベストを開いたり、チューブにフーと息を吹き入れるようすを見せるだけのものだった。

もちろんのこと、これでは誰も見はしない。そこで伝えるための工夫が必要となるが、ここで発想の転換がなされることになった。

「機内安全ビデオ」から機内が消えたのだ。「機内安全ビデオ」でもっとも大事なのは安全にかかわる情報であるが、その情報を伝えることができるならば、べつに機内であることも客室乗務員の存在もいらないのだ。要するに伝え方を、飛行機のあれこれから切り離したというわけだ。

その結果、さまざまな個性あふれる「機内安全ビデオ」が生まれることになった。私が見たことがあるのはカタール航空のサッカー場と、ポーランド航空の美術館を舞台にしたものだ。

インターネットで検索すると、さまざまな「面白機内安全ビデオ」が出てくる。その発想の豊かさに感心するが、私は危惧せずにはいられない。

なぜなら人間の面白動画欲はエスカレートしていくからだ。私たちはもっと面白くもっと過激な映像を欲しがるようになる。墜落する飛行機を舞台にしたビデオが登場するのも時間の問題だろう。

苦い文学

「せよ」の魔力

私たちは「しろ」といわれても絶対にしない。なぜならとても失礼だからだ。

だから、「して」とか「してください」とか「しなよ」とか「しろって」とか、他にもたくさんあるが、こういうふうに言われてはじめて、私たちは「しようかナ」とか「するか」という気分になる。

そのいっぽう、奇妙なことに私たちは「せよ」にはまったくそんなことを感じない。

「せよ」も「しろ」も同じ「する」の命令形なのに、「せよ」と言われても、不愉快にはならないし、それどころかただちに「する!」という気になってしまうのだ。

ある調査によれば、小学校男児30人に「勉強しろ」と言ってみたところ、勉強したのは3人だったのに対して、「勉強せよ!」といったら、28人が勉強をはじめたそうだ。

どうやら「せよ」には不思議な力があるようなのだ。この力ゆえに、私たちは次のような文句をよく目にすることとなる。

「この夏、3Dを体験せよ!」
「新しいポケモンをゲットせよ!」
「次なるミッションをクリアーせよ!」

こういう文句を見るたびに私たちは興奮気味に「する!」と立ち上がるのだ。

とはいえ、注意していただきたいこともある。それは「せよ」の魔力は、男の子か、未熟な成人男性にしか効かないということだ。

女性にはまったく効かない。

苦い文学

夢の中のロマンス

私は夢に現れた女性に恋をした。彼女は私を「特別な人」と呼び、まるでひとつの魂のように溶け合った。そして、彼女は言うのだった。

「夢の中ではなく、現実の世界で一緒に暮らしたい」と。

私は歓喜に震えながら、目を覚ました。その夜、眠りについた私は、再び夢に彼女が現れたのを喜んだ。だが、彼女は悲しげな目で私を見つめるのだった。

「現実世界で一緒に暮らしたいけど、いろいろ問題があって……」

「どんな問題?」

「私が夢の世界で持っている巨額の財産を現実世界に移すには、現実世界のお金が必要……けど、それがなくて困ってる」

「現実世界のお金? どうしてこの僕を頼ってくれないの! 一緒に暮らすのだから、僕のお金を使ってよ」

私たちは夢の中で銀行に行き、私の口座から、彼女が必要というだけの額、実際のところ、ほぼ全額を彼女の口座に移した。

「さあ一緒に暮らそう!」 私は歓喜に震えながら目を覚ました。

そして、それ以来、彼女は私の夢から姿を消した。夢を操る詐欺犯たちは、寝ている私の脳波を利用して、まんまと私の口座から全額奪ったのだった。

ああ、夢の中の銀行員が、あの時、詐欺だと気づいていてくれれば、今頃、私の口座も無事だったろうし、銀行員も、夢の警察から感謝状をもらっていただろうに。