風刺・戯文

男たちの危険な遊び

この世界には、口に出しては言ってはいけないことがあるの。そう、男たちが言わないで我慢している言葉がある。なぜなら、口にすると世界を取り返しがつかないくらいに変えてしまうから。男たちにはこんなことは言えないわ。男の言葉は本気だからね。だから、言いたくてもただぐっと口を引き絞るばかり。

でも、歴史のある時点で、男たちはこの言葉を世界に向けて射出する方法を見つけたの。それは私たち女の口を使うこと。男たちは自分の代わりに女たちに危険な言葉を言わせる方法を編み出したの。男たちは、女が言うなら大丈夫だって考えたのよ。どうしてかというと、女や子どものいうことなど、誰も本気にしないから。

それに、もし誰かが本気にして怒り出しても、男たちは自分が言ったんじゃないって言い張れるし、その人が女に危害を加えようとしても守ってやればいいって思ってた。そう、絶対に、男は自分は損しないって踏んでたの。

女たちは男に代わって危険なことを言いつづけたわ。絶対に世界を変えない安全で危険な言葉。男たちはその言いたくても言えなかった言葉を聞きに、女の周りに集まった。女が口を動かすたびに、男たちは快感に身震いしたわ。

でも、女の口を使った男たちの危険な遊びは長くは続かなかったの。快楽に溺れた男たちはもっともっとその言葉を聞きたくて、いちばん淫らな口をした女に自分たちの持っているものすべてを与えたの。

そのせいで、女の言葉は本気になった。で、私たち女も、男たちも、今、炎に包まれた世界で生きているってわけ。

苦い文学

排便なき未来

「ヒトの意識は大便によって形成された」との自説を語った博士は、聴衆に向かって、「実は、今、ヒトの意識と大便の関係が危機を迎えているのです」とさらなる驚愕の事実を明かした。

「トイレの自動水洗機能によって、私たちの大便が勝手に流されているということはお話ししました。もしトイレが今後さらに進化するとしたらどうなるでしょうか」 博士が会場を見回すと、誰かが「なくなる!」と叫んだ。

「そうです! 私たちは自分の大便をまったく見ることがなくなるでしょう。私たちが大便を見る前に、トイレが自動で流してしまうのです。しかし、と異論を唱える方もおられることでしょう。私たちには自分の大便を見る権利があるはずだ、と。例えば、健康状態を判断するのに、自分の大便を見るのは大切なことです。

「ですが、もしもトイレがそれほどまでに進化したとするならば、便を医学的に検査する機能もまた便器に備わっていると考えるのが普通ではないでしょうか。そうです、私たちは自分の大便を確認する必要すらなくなるのです。なぜなら、高度に進化したトイレは、医者と区別がつかないからです!

「となると、私たちの生活から大便というものがますます切り離されていくということになります。いずれ、大便というものを見たことがない、という新たな世代も出現するに違いありません。そんなことあるものか、とお思いになる方は、ちょっと考えてみてください。現代の私たちもまた死や血から注意深く切り離されているではありませんか。それと同じことが、大便にも生じるのです。

「さて、高度なトイレにはいったいなにが不可欠でしょうか。そうです、AI です。実はこの AI こそが、私たちと便との固い紐帯を切断する張本人なのです。AI が私たちから大便を奪う、そう言っていいでしょう。

「ヒトの意識は大便と一致する、と私は申し上げました。もしも、近い将来、私たちから、AI に大便が奪われたとしたら、いったいなにが起こるでしょうか。大便を失った私たちの意識はどのように変容するでしょうか。私にはどうも恐ろしい未来が待ち受けているようにしか思えません」

博士がこのように警鐘を鳴らして講演を締めくくったとき、会場には誰ひとり声を出すものはいなかった。便器がかくも恐ろしい企みを抱いているとは、誰も思いもしなかったのだ。だがそのとき、聴衆のひとりが急に手を上げた。博士が指名すると、質問者は立ち上がった。

「AI が私たちから大便を奪うだろうという、先生のお言葉を危機感を持って受け止めたものでございます。この流れ、まさしくトイレだけにこの流れに抗するには、私たち一般市民はどうすべきでしょうか」

博士はただこう答えた。「おまるです。おまるだけです!」

苦い文学

キックバック

日本の憲政史上の最重要シーンをひとつ挙げろといわれれば、2023 年 12 月 11 日正午に挙行されたルーフトップ・パフォーマンスに指を屈する。

自民党の大物政治家たちが、日本の政治の中枢、永田町1丁目1番地にそびえる自民党本部の屋上で、突如として演奏を始めたのだ。

このルーフトップ・パフォーマンスのポリティシャンは次のとおりだ。

松野博一官房長官(リズムギター&ボーカル)
世耕弘成参議院幹事長(ベース&ボーカル)
西村康稔経済産業大臣(リードギター&コーラス)
萩生田光一政務調査会長(ドラム)
高木毅国会対策委員長(キーボード)

これらのポリティシャンが、慎重かつ適切に楽器を鳴らすと、自民党本部周辺の周囲は騒然となり、たちまち人だかりができた。騒音の苦情に警察も続々と駆けつける事態となった。

これだけの騒ぎにあっても、どのポリティシャンも与えられた職責をまっとうしたプレイを聞かせたのはさすがの一言に尽きる。

この歴史的パフォーマンスの曲目を次に記し、短い解説を付す。

「キックバック」(軽快なビートで「キックバック」を求めるノベルティソング)
「キャント・バイ・ミー・票」(お金で票は買えないよ、というメッセージソング)
「パーティー券はそのままに」(収支報告書には記載しないで、という切ない気持ちを歌った曲)
「ノー・リプライ」(答弁を差し控えさせていただきたい気持ちをシャウト)
「ドント・レット・ミー・ダウン」(事情聴取でがっかりさせないで、という胸の内を聞かせる)
「キックバック(リプライズ)」

最後のキックバックでは、パーティー券を屋上からばらまくというサプライズ演出もあり、聴衆を大いに沸かせた。

また、演奏の締めくくりに松野博一官房長官が聴衆たちに向かって語りかけた「派閥を代表し、感謝を申し上げます。有権者の審判をパスできればいいのですが」という一言も忘れがたい。

なお、このルーフトップ・パフォーマンスを最後に、派閥は解散した。

苦い文学

私どもの認識

長らく無職だった私だが、最近、とても良い仕事を見つけた。

どんなのかといえば、人々がいろいろな問題を持ってくるのを解決するのだ。やりがいもあるし、人助けにもなる仕事だ。

難しそうに思えるかもしれないが、実は簡単だ。どんな問題もたいてい一言でカタがつく。

たとえば、「お前ら何にも仕事しないじゃないか」と怒鳴り込んでくるのがいる。

私は堂々とこんなふうに言う。「それは私どもとは認識が違います」

これでもう相手は反論できない。またこんなのもいる。

「お前らの仕事のせいで子どもが死んだ!」

もちろんこれも「それは私どもとは認識が違います」でオーケーだ。

ほんとに簡単だし、会社のために役立っていると言う実感もある。しかも、お金にもなる。この「それは私どもとは認識が違います」を一回言うだけで 500 円もらえるのだ。

とはいえ、注意しなくてはならないこともある。それは絶対に「私ども」でなくてはならない、ということだ。

うっかり「それは私とは認識が違います」となどと口走ってしまったことがあるのだ。その時は大変だったな。連中すぐさま「上司を出せ!」と絡むこと絡むこと。もっともこれも、追い「それは私どもとは認識が違います」でやっつけることができた。あくまでも「私どもの認識」でなくてはならないのだ。

しかし、この認識とはなんだろうか。まるでカチンコチンのレンガみたいなのだ。私がしているのは、この認識を積み上げて、ぐるりと壁で囲んで難攻不落の城塞を作るお仕事。

なんと誇らしい仕事ではないか。

苦い文学

即身仏

昔はデパートといえば、単に物を売る場所ではなく、文化の中心だった。都会の新しいファッションがならび、普段では食べられないものが販売され、高尚な芸術が発信された。人々はデパートから豊かな文化的生活というものを学んだのだ。

1974年の後半、某都市のデパートで、いくつかの文化的な催しが開催された。海外の新進画家の絵画展もあったし、日本の仏教芸術の展覧会もあった。

後者の展覧会は、我が国の仏教芸術を幅広く紹介しようと企図されたものであった。密教の曼荼羅図、高僧の真筆、絢爛たる袈裟とともに、即身仏の展示も予定されていた。

即身仏とは、地中で修業しながらなくなった僧のミイラだ。こんなものを展示するなどというのは、現代ならば物議を醸しそうだが、当時ではさして問題にはならなかったようだ。

しかし、即身仏への敬意と保護の関係上、展示は一日だけ、オープニング初日の午後に限定された。即身仏は丁重に包まれ、木箱に入れられて、朝早く搬入されることになった。

「11月14日、東北の古刹より即身仏来訪!」との宣伝が行われ、近隣諸地域の人々の間では期待が高まっていった。デパート側も、あらゆるフロアで特別セールを企画してオープニングを盛り上げることにした。上階にある飲食店フロアには、天ぷら、寿司、洋食、イタリアンなどの料理を提供する複数の店舗があったが、いずれも、来場者を特別な食材でもてなそうと張り切った。

11月14日の朝、デパートの搬入口は、大いにごった返していた。というのも、その日は即身仏だけでなく、レストラン用のさまざまな食材が大量に運び込まれたからであった。そして、その大混雑の中、即身仏と、イタリアン・レストラン用の生ハムが入れ替わってしまったのだった。

それはただの生ハムではなかった。スペインから直送されてきた香り高い生ハム原木であり、当時は東京でなければ目にすることができないものであった。

仏教芸術展の担当者は、会場に運ばれた箱を開けて、生ハムを発見して驚愕した。彼は即身仏の行方を探して走り回ったが、結局、きらびやかな袈裟を生ハム原木にかぶせることでうまくごまかす策に落ち着いた。

かくして仏教芸術展は開かれ、即身仏見たさの人々で満杯になった。人々は即身仏が安置された巨大なガラスケースに我先に向い取り囲んだ。そして、感動とともに生ハムに手を合わせた。法悦のあまり涙ぐむ者も見られた。この有り難き機会に居合わせたある保守系評論家は、ガラス越しにですら高僧の「馥郁たる香気」が感じられたと断言した。

いっぽう、イタリアン・レストランの厨房では、即身仏が、他の生ハム・サラミとともにきれいにスライスされ、皿に盛られていた。その夜のディナーでは、独特のカビ臭さがあるそのサラミに誰もが満足したという。