一週間前、私は『宇野浩二全集』について「苦の世界」というタイトルで書いた。タイトルにはあまり意味はなく、宇野浩二の代表作を持ってきたにすぎない。内容はというと、古書サイトで目をつけていたのがAIに買われてしまったので、AIの魔の手から日本の文化を守るために、別の『宇野浩二全集』を探し出して買う、というものだ。
これはあくまでもフィクションで、もっともらしい理由にかこつけて物欲を満たそうとする、そういう人間について書いたのだった。だから、実際にはなにも買いはしなかった。
しかし、書き終わってから、私はなんとなく落ち着かなくなった。フィクションとはいえ、買ったと書いたことに引っかかりを感じていた。私は古書サイトを調べてみた。だが、気に入るようないい状態のものはなかった。しかし、たとえあったとしても買うつもりはなかった。ただ、あれば、「お気に入り」に登録しておこうかと思っていただけだった。
ふとオークション・サイトのことを思い出して、『宇野浩二全集』を探してみた。
するとあった。
しかも、非常に安く、そのわりに状態もよいのだった。私は最低価格で入札した。オークションで買い物をするのははじめてだった。他に入札者が現れないまま数日後、オークションは終了し、私は落札した。そして、今、『宇野浩二全集』は私の書架に並んでいる。
私ははじめ、もっともらしい理由をつけて欲しいものを買う人間について書いたのだった。それを書くこと自体がまた、私にとって、もっともらしい買う理由となったとは、いったい誰に想像できただろうか。