散文

あぶない辞書

昔は単語ひとつ調べるのにも、分厚い辞書を取り出して、パラパラとページを繰って探し出さねばならなかった。また、学校に行くときは、辞書を何冊もリュックに入れて持ち歩かねばならなかった。しかし、今は腰にやさしい時代になった。スマートフォンひとつあれば十分で、アプリを開いて、単語を入力するだけで意味が出てくる。

とはいえ、紙の辞書と完全に「おさらば」というわけにはいかない。電子化されていない辞書も数知れない。また、何ページにもわたる項目を概観したり、あちこちのページにある複数の項目を同時に検討するときには紙のほうが便利だ。もっとも、こうした問題はいずれ技術的に解決されるのかもしれない(し、もうされているのかもしれない)。

この調子だと、おそらく何年後かには、紙の辞書を所持しているだけで不思議に思われる時代になっているだろう。それどころか、警察に捕まる可能性だってある。マリファナを巻くのにうってつけだからだ。

そんな危険な代物だが、私はいまだに紙の辞書を使うことも多い。そして、いつも思い出すことがある。

日本言語学会の会長を務めたこともある言語学者がいた。昔の人なので私は直接会ったことはないが、その当時を知る人がこんな話をしてくれた。

「その先生は、眼球が動かなくなっていたんだ……あるとき、そのことを先生に尋ねたら、メガネの奥から目をギロリとさせて『辞書の見過ぎだよ』って言ってたね」