私はまったく死は怖くない。いつでもその覚悟ができている。だが、ひとつだけ問題がある。走馬灯を見たくないのだ。
私の人生は苦しみと悲しみ、侮辱と蔑みに満ちたものだった。そんな人生を再体験するなどごめんだ。
死ぬ直前に脳が破壊されるように何かの装置を頭に埋め込んだら、走馬灯を見ずに済むのでは、と考えたこともある。だが、走馬灯は、脳の破壊のその刹那にも忍び込んでくるだろうことに気がついた。
走馬灯を委託できないかとも考えた。死ぬ瞬間に私の走馬灯を他人の頭の中に配信し、私の代わりにその人に見てもらう、そのスキに私はとっとと死んでしまうという作戦だ。私は脳の研究をしている大学や研究所をリストアップし、片っ端から電話をかけた。まともに取り合ってくれる人などいないなか、ひとりだけが私の話を聞いてくれた。それどころか、目下その研究に打ち込んでいるといううれしい返答。だが、続く言葉は私を失望させただけだった。
「脳を繋げば、死の瞬間のあなたの走馬灯を相手に見せることは可能です。ですが、接続には危険がともなうので、あなたより先に委託先の相手が死んでしまうことすらあります。すると、あなたが逆に赤の他人の走馬灯を見る羽目になるのです。その直後に、死にかけのあなたは自分の走馬灯を見ることになる、つまり、走馬灯が二本連続上映されるおそれがあるのです。しかも、入れ替え制ではないのですよ」
となると、私は死なないでいる以外にない。だが、死は必ずやってくる。私は死は全然怖くない。怖い走馬灯が怖い。