ライブ

ぎだゆう座十月公演@お江戸上野広小路亭

この日の演目は『桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)』の「六角堂の段」(浄瑠璃:竹本綾一、三味線:鶴澤弥々、細三味線:鶴澤朔弥)と「帯屋の段」(浄瑠璃:竹本越孝、三味線:鶴澤津賀花)。一七六一年に起きた、三十八歳の男と十四歳の少女の心中事件をもとに作られた作品だ。

これは気持ち悪い。だいたい浄瑠璃作品には子どもの命を利用するものが多く、私はそういう部分はきらいだ。もっとも、『桂川』の場合は、本当は心中事件ではなく、二人とも事件に巻き込まれて殺害されたものだという。よかった。

しかし、事実はどうであれ物語は心中物だ。「帯屋の段」の後半で二人が死を決意するくだりは、やはりすきにはなれない。もっとも、語りと三味線は別物で、その演出には息を呑むような瞬間があった。

私がもっとも気に入ったのは、「帯屋の段」の前半部分だ。意地の悪い女とその息子が出てきて、憎々しげに主人公を苦しめる。公演では浄瑠璃脚本を印刷したものが配布され、言葉がわからないときはそれを適宜確認しながら舞台を見る。通常は印刷物と実際の語りは大きく違うことはないのだが、竹本越孝先生の語りはその印刷物を超えるようなもので、私は紙など見ている場合ではないという気分になった。

「笑壺に入る」とは「笑う」という意味で浄瑠璃などでよく出てくる言葉だが、これが現代の「笑いのツボに入る」「ツボる」とどういう関係なのかわからない。それはともかく「帯屋の段」では悪役の息子がまさしく「ツボる」くだりがあり、語りに引き込まれていた私も思わずツボりかけた。