風刺・戯文

失礼のアソビ

ネットなどでだれそれに失礼といって怒っている人がいる。たとえば有名人に記者が厳しい質問をしたとき、それはその有名人にとって失礼だというのだ。

だが、ある言動が失礼かどうかは当事者が決めるものだ。それを関係のない外野が勝手に推しはかって決めつけるのは、そっちのほうがそれこそ失礼ではないだろうか。

もっとも、失礼と言いたがる人にもそれなりの理由があることも認めてあげなくてはならない。労せずして自分を正しい側に置きたいとか、日本の身分制が揺らぐのがいやだとか、とにかくなにか口を挟んで賢いところを見せつけたいとか……。

しかし、この世には失礼を承知で言ったりしたりしなくてはならないこともある。

憎まれても、石を投げられても、首を刎ねられても、やらなくてはならないこともある。

失礼にもアソビがなくてはならない。アソビのない失礼がこのまままかり通ることになったら、私たちはいずれ、反戦活動家に対して、戦争をしている人に失礼ではないかと怒ることになるだろう。

それどころか、軽々しく戦争に反対するのは、戦火に巻き込まれて悲惨な思いをしている民間人に対して失礼だとも言いかねない。