夫婦別姓について議論が繰り返されている。
最近でも、夫婦別姓が憲法に違反するかどうかの裁判が東京と広島で行われたが、結局これは違憲ではないという判決となった。
また、選択的夫婦別姓についてもしばしば取り上げられる。
これは、夫婦が同じ名字でも、結婚前の別々の名字でも、どちらでも自由に選べる、というものだ。しかし、これもまた法改正には至っていない。
こうした反対が根強いのは、夫婦別姓が日本の「家」の崩壊につながる、という危機感を持つ人が多いためのようだ。もっとも、家を崩壊させるのは、統一教会など名字以外にもたくさんあるから、この説はあまり信用ならない。
いっぽう、夫婦同姓制度に反対する人は、これが女性差別を制度化したものだと考える。もちろん、結婚する時に男性が姓を変える場合もあるが、実際には女性が変えるのが当たり前だというのが通念だ。これが、女性にある種の服従を強いることとなっている、というのである。
女性平等の社会、とはいうが、実情はまだまだというわけだ。
私自身の意見としては、夫婦別姓には反対だ。というか、私はむしろ名字などいらないのではないかと考えている。無姓に賛成なのだ。
ビルマではすべてではないものの多くの民族が名字を用いない。アイスランドも名字がないという。名字がなくて国が滅びたという話は聞かないから、名字など必要ないのだ。また、名字の数が限られている韓国だって、日本の名字の数から見ればないのも同然だが、特に問題はないようだ。
これに対して、名字は文化だ、という人もいるかもしれない。だが、名字が文化であることと、これを公的に登録することとは別物だ。また、名字を禁止するというわけでもないから、好きなように使えばいいだけの話なのだ。
おそらく無姓主義は、賛同者も少ないだろうし、実現の可能性もほぼないが、もしかしたら名字がなければ、社会にいろいろよい変化があるのでは、と思えるのだ。