苦い文学

still ill

ついに私たちは新型コロナウイルスを克服した。

ワクチンの開発と接種、社会的距離の遵守、マスクの着用、医療機関への協力、防疫体制への献身、そして反ワクチン派への懸命の説得が功を奏し、私たちは新型コロナウイルスを、ありふれた旧型の陳腐でチャチなウイルスへと転落させたのだ。

これを人類の文明の勝利といわずなんといおう。

世界中がこの勝利を祝っている。人々は、まるで卒業式の学生帽みたいに、青空に向かってマスクを一斉に放り投げた。

そして、人々は今、街に繰り出して互いに抱きしめ合い、喜びを噛みしめている。壮麗な花火が打ち上げられ、人々は祝杯をあげている。勝利の美酒の注がれたグラス、しかも回し飲みだ!

世界でももっとも厳しいコロナ対策を実施していた国のひとつである我が国でも、制限が日に日に緩和されていった。そして、今日、政府ははっきり宣言したのだ。

「コロナは終わった。どこであろうとマスク着用の必要はない!」と。

私の住む街でも祝祭が始まったようだ。私は家を飛び出した。マスクがないとなんと清々しいのだろう! 心浮き立ち、足取りも軽く、私は喜びの輪の中に入っていく。人々の顔がこんなにも美しく見えたことがあろうか。賑やかな音楽、笑い声、囃し立てる声。誰も彼も大声で自分たちの経験を語り続ける。そりゃそうだ! みんな苦労したのだから。にこやかに口角をあげ、泡とつばきを飛ばしながら……

町じゅう屋台が立ち並び、人々は食べ歩きの真っ最中だ。綿菓子、焼きそば、串焼き、煮込み、ビールにチョコバナナ。まるでコロナの間じゅう断食してたみたいに食べてる。そして笑ったりおどけたりするものだから、口からカスやら青のりやら七味やらが……

見れば大道芸人たちがあちこちで人垣を作っている。奇術に手品、ジャグリング、軽技、おどけた仕草に人々はもう夢中で、歓声、笑い声、その度に口と鼻孔から飛沫が……シャワーのように……

そして、祭りはついに最高潮。行き交う人々は酔いしれて、互いに手を握り合い、欧米風にハグし合ってる。私もたちまち取り囲まれた! 手荒いご挨拶だ。手を握り合うとニチャニチャして、抱きつく人々は皆ゲップをして……

私はマスクをつけ、家に引き返した。

苦い文学

名誉ある地位

日本国憲法の前文にある「名誉ある地位」ってなんなんだろう。

こんなふうに言ってる。

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」

「と思ふ」と言ってるからには、我が国はまだ「名誉ある地位」には達していないということだ。

もし達していたら、「名誉ある地位をすでに占めている」とか、「名誉ある地位を築いた」とか、「名誉ある地位まで一気に駆け上った」とか、予備校みたいに「なんで私が名誉ある地位に?」とかに改憲しているはずだ。だが、改憲論議で、そんなことが話題に上ったこともない。

70年以上経つのに、まだ「と思ふ」なのだ。「名誉ある地位をそろそろ占めだしている」でも「名誉ある地位の背中が見えてきた」でもない。それどころか「名誉がなくもない地位には手が届いた」という進捗報告もない。

要するに「名誉ある地位を占める」にはほど遠い状態なのだ。

70年もの間、「片付けをしようと思ふ」と言ってる人に、片付けを期待する人がいるだろうか? それと同じ状況だ。

もう、いっそのこと「名誉ある地位」を諦めたらどうだろうか。

改憲して「名誉ある地位を占めたいと思つたこともあつたつけ。」と回想風にすべきではないか。

苦い文学

ひとり歩き

政治家の言葉って、まるで歩き出したばかりの幼児みたいだ。

目を離すと、すぐひとり歩きしてどっかに行ってしまう。

そのたびに秘書たちは大騒ぎだ。あっちに行った。いやこっちだ。永田町じゅう探し回ってる。

ぼやぼやしていると、マスコミが捕まえてしまう。そうなったら、もう目も当てられない。下手すると政治家の進退にも発展しかねない。もちろん秘書たちは全員クビだ。だから必死になって探すのだ。

政治家の言葉がひとり歩きする事態があんまり続くので、ついに政府も対策に乗り出した。

今では、政治家の言葉がひとりでどっかに行っちゃっても、秘書は探しになんか行かない。ただ内閣情報調査室に電話するだけだ。

すると、日本じゅうの空にこんな町内放送がスピーカーから流される。

「ピンポンパンポーン……こちらは、内閣総理大臣です。本日、午前10時30分頃の厚生労働大臣の会見のあとから、言葉の行方がわかりません。年齢は3歳、髪は男の子らしく短め、統一感ある服装で、Tシャツには『産む機械』とロゴが入っています。発見されたかたや、お心当たりのあるかたは、内閣情報調査室にまでご連絡ください。ピンポンパンポーン……」

苦い文学

サンタクロースと少年

その少年はじつに心のひん曲がった子で、いつもずるいことばかり考えていた。

どれくらいねじくれていたかというと、サンタクロースの絵を見てこんな悪だくみをするほどだった。

サンタが持ってるあの袋、あやしいぞ。配るプレゼントはそもそもトナカイが引くソリに積んであるじゃないか。しかも、子どもに渡すプレゼントだって、ひとつかふたつ持っていけばいいだけなのだから、あんな大きな袋を抱えて行く必要はない。手で抱えていけば済む話だ。

なのに、あの髭じじいときたら、後生大事に袋を抱えてやがる(あいつめ、まるで車上荒らしを恐れているみたいに、ソリに袋を放置しないのだ!)。あの中にはプレゼントなんか入ってやしない。金目のものが入っているのだ。きっとかなりの額の。

「プレゼントなんかに騙されないぞ」と少年は言った。「俺が欲しいのは、あの袋の中の大金だ」

クリスマス・イブの夜。少年は寝ないでサンタクロースをこっそり待ち続けた。手には鋭く研いだナイフがあった。サンタが来たらそれを突きつけて、あの袋を強奪してやろうという計画だった。

そして、ついにサンタクロースがやってきた。お馴染みの赤い服を着た白髪の老人は、肩に担った袋を片手で掴み、もう片方の手にはプレゼントの箱を抱えていた。彼はよろよろとツリーに近づくと、プレゼントを置こうとかがんだ。

突然明かりがついた。「それまでだ!」 少年の声が響いた。

サンタクロースはゆっくりと振り返り、刃物を握った少年を見つめた。

「その袋を置け!」 少年は言った。「そして、出ていけ! さもないと、お前のその服が血で赤く染まることになるぞ!」

サンタクロースは袋を置くと、そそくさともと来たところから出ていった。しばらくすると、ソリの動く音が聞こえ、鈴の音が空のどこかへと遠ざかっていった。

少年はナイフをしまうと、袋に駆け寄り、その中を見た。

中には、紙切れがたくさん入っていた。どの紙切れにも、乱雑な文字で何か書きつけられている。少年は読んでみた。わがままで生意気な子どもたちへの罵りの言葉や、過剰な配送ノルマへの恨みつらみばかりだった。

苦い文学

それな講座

アナウンサーA「これからは関東甲信越のみなさんにお伝えします」

(老人たちが教室で学んでいる映像が流れる)

アナウンサーB「これ、いったい何の様子だと思いますか?」

アナウンサーA「なんでしょう、何か発声練習をしているようですね……」

アナウンサーB「じつは、『それな』を使いこなすための講座なんです!」

アナウンサーA「『それな』というと、あの若者言葉の?」

アナウンサーB「そうなんです。お年寄りたちが若者の会話に加わって楽しく過ごせるようにと、黒骨市が市民団体と協力して始めた取り組みです」

アナウンサーA「へー、素敵ですねえ、私も学んでみたいです!」

(講師が映し出されて、インタビューに答える)

「講座では、現実に近い場面で練習をするので、自信を持って『それな』を使っていただけると思います」

(老人たちが「それなら、それなら」と繰り返している様子が映し出される)

講師「まずは発音に慣れてもらいます。いきなりは難しいですからね」

(受講生の一人、吉田さんがインタビューに答える)

吉田さん「孫娘におじいちゃん古臭いだなんて言われちゃいましてね。ええ、何とか苦労して身につけましたよ。ハハハ、なんだか若返った気分です」

講師「では、その成果を全国に見ていただきましょうか」

(講師は教科書を取り上げ、吉田さんに対して、会話文を読み上げる)

講師「(女子高生の口調で)今日の2限のテスト、めっちゃダルいんだけど」

吉田さん「其れな!」

アナウンサーA「以上、関東甲信越のニュースでした」

苦い文学

天つ罪・国つ罪

延喜式巻第八所載の祝詞「六月晦大祓(ミナヅキツゴモリノオホハラヒ)」では、我が国のもろもろの「天つ罪・国つ罪」がどのように消滅するかが語られている。

まず、瀬織津比咩(セオリツヒメ)という神がこれらの罪を大海原に運びだす。すると海にいる速開都比咩(ハヤアキツヒメ)という神がこれらの罪を飲み込む。この飲み込まれた罪を、気吹戸主(イブキドヌシ)という神が、地底に向って息を吹いて追いやる。地の底には速佐須良比咩(ハヤサスラヒメ)という神がいて、これらの罪を持って、あてもなく歩き回っているうちに失ってしまう。

この四柱の神の連係プレーのうち、最後のハヤサスラヒメの箇所が、古来より問題とされてきた。「これらの罪を持って、あてもなく歩き回っているうちに失ってしまう(モチサスラヒウシナヒテム)」とあるが、なくなった後に、これらの罪はどうなったのだろうか。

私はこの問題に取り組むことを決意し、数々の文献を読みあさった。その結果、ハヤサスラヒメがさすらっているうちに失った「天つ罪・国つ罪」は、善意の日本人に拾われて、日本国内の交番に届けられていることを発見した。

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イヌテリジェント・デザイン

夕方涼しくなったので公園でぼうっとしていたら、散歩に連れられてきたイヌたちの会話が聞こえてきた(最近こういうことがよく起こるのだ)。

毛並みのいいの「おい、今日、とんでもない話を聞いたんだ。俺たちの祖先がなんとオオカミなんだってよ」

背の低い茶色の「誰がそんなことを言ってるんだ。あんな野蛮な生物から我々が生まれたなど」

白くてフサフサしたの「まったくだ」

モジャモジャの「いや、それは科学的には証明されていることだ。我々はみなオオカミから生まれたのだ」

イヌたち「(一斉にうなり吠える)」

毛並みのいいの「そんなことあるわけない。我々を作ったのは神だ」

白くてフサフサしたの「まったくだ」

モジャモジャの「いや、でも、我々とオオカミは共通点がいくつもある……」

イヌたち「(一斉にうなり吠える)」

背の低い茶色の「いいか、たとえ、我々がオオカミから生まれたとしても、我々をオオカミとは異なる優れた生き物にしたのは神なのだ」

白くてフサフサしたの「まったくだ」

モジャモジャの「では、その神というのはなんなのだ。我々をこのように作りあげた神とは?」

毛並みのいいの「神は神だ。イヌがイヌ、オオカミがオオカミであるのと同じだ」

モジャモジャの「科学者たちはこうも言っている。我々をデザインしたのは、人間だと」

毛並みのいいの「人間だと! 2本足でしか歩けず、自分の尻の舐めかたも知らないあのケダモノが?」

イヌたちは一斉に大笑いを始め、それは、飼い主たちがリードを引っ張って、犬の集会を解散させるまで続いたのであった。

苦い文学

銅像の時代

いわゆる東大生とは違うのだが、私はかつて本郷の東京大学で学んだことがある。

本郷キャンパスは、日本で最も古い大学施設の一つで、古びて味わいのある校舎が並んでいる。これらは歴史的な価値のあるものだから、壊して建て直すというわけにはいかない。外見はそのままに、内部を改修改築して使っているのである。

そんなわけで、建物によってはまるで迷路のようになってしまったものもある。うっかりすると出口がわからなくなってしまう。私もいくど迷ったかしれない。

あるとき、地下にある購買部に行こうと階段を降りると、見覚えのない回廊に出た。薄暗いその回廊を歩いていくと、白い円柱に挟まれたカウンターがあり、一人の老いた男が座っているのに気がついた。

私が道を尋ねようと声をかけると、老人は顔に歓喜を浮かべて叫んだ。

「お待ちしておりました! ご用命くださればただちに取り掛かります」

だが、私が事情を話すと、老人はかわいそうなぐらい悄気てしまった。私は気の毒になった。円柱には古びた木の板が取り付けられていて、そこには「銅像部」と書かれていた。私を客かなにかだと勘違いしたのだ。

「すいません。購買部に用があるのです」

「購買部ならこの廊下の先を曲がったところだよ」

「銅像部というのは何なのですか」

「銅像部では、功績ある学者先生の銅像の注文を受けつけるのだ」と老人は重々しく告げた。

私は大学構内にある数々の銅像を思い浮かべた。「ああ、たくさんありますね」

老人は自慢げに胸を張った。「そうだ、濱尾新先生、三好晋六郎先生、山川健次郎先生……、すべてこの銅像部の製作によるのだ」

「ずいぶん昔の先生方ですね」

「そうなのだ」と今度は肩を落とした。「昔は東大といえば銅像だった。だが最近ではもう……」と老人はぶつぶつと昔語りを始めた。銅像華やかなりしころの先先代の逸話、早稲田の連中に銅像づくりの技を盗まれた顛末、戦時中の供出で失われた傑作の数々、先代から始まる凋落と、今にまで続く忘却の時代……。

「何十年もここで銅像の注文をお待ちになっているのですね」

老人は私の質問には答えず、唸るようにつぶやいていた。「もう、銅像は時代遅れになってしまったのだろうか? それとも、銅像に値するような立派な先生が払底してしまったということなのだろうか……」

私はただ曖昧な笑みを浮かべ、一礼すると歩み出した。背後の老人の悲しげな呻き声がどこまでも私を追いかけてくるように思えた。

私が東大にいた時期はほんの短いもので、再びこの「銅像部」を訪れる機会はなかった。だが、先日、数十年ぶりに、本郷キャンパスに行く機会があり、ふとあの「銅像部」と老人のことが思い出された。

私はあの地下の階段を降り、再び薄暗い回廊に出た。そして、その回廊の先の、白い円柱に挟まれたあの場所に立った。カウンターも、老人も、「銅像部」の看板も何もなく、ただ立派な3Dプリンタが置かれているだけだった。

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現代の大岡さばき

被告:鰻文男(うなぎ・ふみお、53、住所不定無職)

事件の概要:2022年3月、マスクなしで飲食店に入り、マスク着用を求めた従業員らに対し激高し、「俺はコロナだ」などと大声で騒ぐ。通報を受け、駆けつけた警官たちにより、威力業務妨害の現行犯で逮捕。

裁判での弁護側の主張:被告は長い間、不遇で孤立した状況にあった。「俺はコロナだ」というのは、「自分はまるでコロナのように嫌われている」という被告の心情を表したものである。「自分がコロナウイルスに感染している」ということを言ったものではなく、それゆえ危害を加える意図もなかった、として無罪を主張。

判決:裁判官は、こうした事件では異例の主文後回しを告げ、判決理由を述べた。そののち、「被告は死刑だ」と宣告。

予想外の極刑に被告が激しく動揺すると、裁判官は「被告はまるで死刑のように難儀な男ということだ」と述べ、罰金刑を言い渡した。

苦い文学

科研費獲得必勝法

科研費とは、日本学術振興会が交付する研究費助成金だ。これは競争的資金で、申請書に研究計画や必要な予算を書いて応募しなくてはならない。応募種目にもよるが、3割弱の採択率だ。

科研費を獲得するためには、よい申請書を書くのが鍵だと言われている。どんなによい研究でも、審査する人に伝わらなければ採択される可能性は低いからだ。

私自身は科研費申請書の書き方について何か知っているわけではないが、聞いた話によれば、小学生にもわかるようにわかりやすく書くことが大事なのだという。

審査する側は、応募された研究課題の専門家ではないことも多いので、小学生にもわかるぐらいに、という気持ちで丁寧に書かねばならない、ということであろう。

また、高度な事柄を小学生にわかるくらいに書く、というのは実際には大変なことだ。それができるということは、その研究を遂行するだけの経験と能力があることの証ともなろう。

あるとき三人の優秀な研究者が、だれの科研費申請書がもっとも優れているかで口論になった。

一人の研究者が言った。

「よい申請書とは小学生にもわかるくらいわかりやすく書かれている、というではないか。ひとつ小学生に読ませて判定してもらうとしよう」

他の二人もこれに同意して、さっそく公園に行って、いかにも利発そうな顔つきの小学生を連れてきた。

一人目の研究者が自分の科研費申請書を小学生に差し出した。

「読んでごらん」

小学生は初めから最後まで読むとこう言った。

「とても興味深い研究ですね。頑張ってください!」

最初の研究者はこれを聞くと満足げに仲間を見た。次に二人目の研究者が自分の申請書を小学生に渡した。

小学生は最後まで目を通すと、目を輝かせて言った。

「読んでとてもワクワクしました! 将来は研究者になって、こんな研究をしたいです!」

二番目の研究者は得意げに仲間を見た。そして三番目の研究者の申請書が小学生に渡された。

小学生はその申請書を読み出したが、途中まで読むと、放り投げ、走り去ってしまった。

二人の研究者は顔を見合わせたが、三番目の研究者は黙っていた。結局、二番目の研究者が勝ちということになった。三人が帰ろうと立ち上がったとき、小学生が大慌てで駆け戻ってきた。

そして三番目の研究者の前に立つと「ぜひこれで研究を進めてください!」と言って、虎の子のお年玉を差し出した。

願わくば、私たちの科研費申請書もかくあらんことを。