Sさんが借りた車でホテルの前までやってきて、私たちは南部への旅に出発した。
以前、南部に行ったときは列車だったので、あまり風景には注意を払わなかった。しかし、高速道路で南に向かうと少しずつ風景が変わってくるのに気がついた。
チュニスを出たばかりのときは、私は周りを走るいろいろな車を見るのが楽しかった。チュニジアではフランス車、イタリア車、ドイツ車が主流だ。それに韓国車、日本車が混じる。インドやルーマニアの車もある。日本車は少数派だが、トラックではいすゞが存在感を見せている。
高速道路の料金所では通過する車が並んでいた。それらのあいだを売り子たちがティッシュやアーモンドの袋を持って歩き回っていた。暑いのに大変な仕事だ。みな若い人々だ。私は気の毒になった。
しかし、料金所に近づくと、係員のボックスの前の日陰の部分に、お茶とアーモンドとスナックを乗せた台の前に人が座っているのが見えた。あれらの若い人々は仕事のない悲しい人々ではなく、わりとちゃんとしたビジネスを担っているようなのだ。私はやや明るい気持ちになった。
さらに南に進むと、また料金所があった。そこにも同じような売り子たちがいたが、今度はお茶だけでなく、つばの広い帽子と車の日除けも売っていた。ニーズに合わせて商品も変えているのだ。
私たちはスファックス周辺に入った。見渡すかぎりのオリーブの果樹園が広がっている。オリーブオイルの名産地だ。私たちがオリーブオイルのビジネスについて話していると、オリーブの木はまばらになり、やがて消えていった。薄い茶色の地面にポツポツと緑が生えているだけだ。ゴツゴツとした岩山も目立つようになってきた。Sさんが言った。
「ここからサハラが始まっていくのだ」
いきなり砂漠が現れるわけでなく、その手前に乾燥地帯が広がっているのだ。見回せば、車もだいぶ少なくなっていた。料金所も通ったが、売り子もいなくなっていた。最後の料金所にいたっては無人で荒れ果てていた。
「どこで料金を払えばいいのか」とSさんも呆れ顔だった。
なくなっていくものばかりだが、そのかわりに増えてきたものもあった。リビアナンバーの車とリビア行きのトラックだ。チュニジアのナンバープレートは黒だが、リビアは白だ。車はグレーか白が多い。どんな人が乗っているのかはわからない。ずっと南にリビアとの国境があり、そこに向かっているのだ。トラックは、内戦の最中のリビアで売れるものを運んでいく。乗用車でチュニスまで医療を受けにやってくる人も多い。
私はビルマのことを思い出した。内戦の続くビルマでも、少しお金のある人はバンコクやシンガポールの病院に行く。だからたぶん、リビアからチュニスに来る人もお金持ちだろう。
私はいつかリビアに行きたいと考えてきた。それでSさんにリビアに行ったことがあるか聞くと、内戦の前に行ったことはあるが、今はとてもじゃないけど無理だとの答えだった。
「あそこの人たちはみんないい人だったよ」とSさん。
チュニジアの昔話にもたまにリビアが出てくる。たいていは、地の果てというイメージだ。例えば、冒険の旅に出た主人公はチュニスを出て南に進み、ついにリビアの国境を越える。さらに先に行くと魑魅魍魎の暮らす砂漠が広がっている。リビアは異界の手前にある土地だ。
リビアの車は私たちを猛スピードで追い抜いていく。どの車も不思議なほど急いでいる。
それにしても、と、遠ざかっていくリビアの車の背中を見ながら私は考えた。国境を越えられないリビアの人々は今、どんな暮らしをしているのだろうか。