苦い文学

不壊なるもの

仕事を首になり、行き詰まった私は、なけなしの金を払って、あるセミナーに参加することにした。心の糧となるようなメッセージが聞けるというのだ。私は、もしかしたら立ち直るきっかけを掴めるかもと、期待を抱いて会場に赴いた。

講師を務めるのは、50代の落ち着いた男性で、どことなく超然とした雰囲気を漂わせていた。彼のスピリチュアルな講話が、今、世間で感動の渦を引き起こしているのだった。

そして実際その通りだった。彼の話は世俗的でありながら、宗教的であり、あけっぴろげでありながら、秘義的だった。彼の引き起こす笑いは涙であり、その悲しみは、朗らかに輝いていた。私は感動に震えた。

彼のメッセージの核心は、魂は不壊なるものだということであった。

「我々の魂は、聖なるものだ。傷つけられることもなければ、損なわれることもない。だから、どんな試練に遭おうとも、恐れてはいけない。いかなるものもあなたの魂に触れることすらできない。どのような苦難の中でも、あなたは決して失われないだろう。なぜなら、あなたの魂は不壊なるものだからだ」

この確信に満ちた言葉に人々はあられもなく泣き、そして、私もあふれ出る涙をどうすることもできなかった。人々は、彼の話を聞く前には気づきもしなかった事柄に出会えたことを心から喜んでいた。

ひとりの男が感極まって立ち上がった。彼はある企業を経営していると語り、今日の集会に参加したことで、その経営の苦しみや悩みがすっかり消え去ったと断言した。晴れ晴れしい表情だった。

「私の会社は、今、深刻な経営危機にあります。立ち直るためには、たくさんの従業員を解雇しなくてはならないのです。それが、私の苦しみでした。ですが、今日、先生のお話を聞いて、決心できました。リストラを敢行します! なぜなら、どんな試練も従業員たちの魂を傷つけることができないからです。ああ! 安心して解雇できます! どんなに路頭に迷おうとも、彼らの不壊なる魂は決して迷うことなどないのです!」

彼はその場で分厚い財布を開き、札束を取りだすと、「これはほんの、お気持ちまで」と講師に渡した。そして、講師はやさしく笑ってそれを受け取った。

苦い文学

ハミガキ

以前、チュニジア人の友人が言っていたのだが、日本のハミガキはとても甘いのだそうだ。あまりにも甘いので、なにか体に良くないものが入っていそうだ、とも言っていた。

その人ひとりだけの意見ならばいいのだが、もうひとり別の人も同じことを言っていた。

チュニジアに滞在している間、ちょうどハミガキが切れた。ではチュニジアのハミガキは甘くないのだろうかと思って、薬局に行って買った。

チュニジアのハミガキといっても、店に置いてあったのはどれもヨーロッパの製品のようだった。チュニジアのものもあったのかもしれなかったが、「日本のは甘い」と言っていた人は、フランスで暮らしている人だ。だから、ヨーロッパ製でも構わないだろうと思って、店頭に並んでいるもので一番上に掲げられているものを買った。けっこう高かった。

それでさっそく磨いてみたが、甘くないと言われればそんな感じだ。しかし、高級なヨーロッパ製だ。店主おすすめの逸品だ。私はありがたく磨き、ありがたい気持ちのまま日本に持ち帰り、ありがたい気持ちを抱きつつ最後までしっかり使った。

その製品の名前は「Sensodyne」。日本ではシュミテクトの名で売られている。

苦い文学

ま黒コスモス

自然は命、命は自然。私たちの命は、自然の中に生まれ、自然の中で育まれるのであります。

その自然とは私たちの地球。ならば太陽系もまた自然、それどころか銀河、さらにはこの宇宙全体もまた自然でございます。

つまりは、この宇宙そのものが私たちの命を取りまく環境であります。占星術師をのぞいては、私たちはこのことをほとんど意識してまいりませんでした。ですが、広大ではるかに強力なこの宇宙が私たちの命に影響を及ぼさないとしたら、奇妙なことでございましょう。

そして、長年の宇宙研究の結果、私は宇宙の膨張が生命に与える影響を明らかにいたしました。

宇宙の膨張とは、かのアインシュタイン博士がかの相対性理論で明らかにした真理でございます。ア博士によれば、私たちの宇宙はものすごい勢いで膨張しているというのです。この全宇宙的な膨張現象が私たちの健康に密接なかかわりがあるのです。

宇宙の膨張に心身ともに同調させることがまさしく健康の基本と申せましょう。そして、心身の不調とは、宇宙との膨張とのズレによって生じます。具体的には次のような症状となってあらわれます。

膨張の遅れ(宇宙の膨張に心身が追いつかなくなっている時)の症状:
    痩せぎみ、低血圧、めまい、動悸、腰痛、下痢、男性機能の減退など


過剰な膨張(宇宙の膨張より先に心身が膨張している時)の症状:
    太り過ぎ、むくみ、息切れ、高血圧、肩凝り、便秘、男性機能の減退など

もしかしたら、これらは深刻な症状ではないとお思いになるかもしれません。ですが、死とは宇宙の膨張についていけなくなったとき起こるのです。このズレがいかに深刻な問題かおわかりになるかと思います。

さらに、宇宙の膨張は常に一定の規模で生じているわけではございません。ある時は遅く、ある時は早く、またある時は西宇宙のほうがより膨張し、またある時は北宇宙のほうでやや膨張の遅れが見られるといった按配でございます。私は研究と研鑽の結果、こうした宇宙の膨張をじかに感じ取れるようになり、かなりの予測が可能となりました。

心身の不調にお悩みの方、それはもしかしたら、宇宙の膨張との同調に問題があるからかもしれません。ご心配ならば、当方までご連絡くだされば、いかようにもご相談に乗ります。

なお、ご来訪いただいた方には、特別に冊子『宇宙の膨張理論から見た株価の銘柄判断』を無料にて贈呈いたします。

苦い文学

悔悟の時間

年老い、もはや死を待つばかりとなった私は、自分に残された時間の僅かであることを悟り、最近、時間について研究をしている。

時間とは何だろうか。

古来多くの哲人を悩ませてきたこの問題について私は一つの答えを見出した。

時間とは後悔である。あるいはこう言い換えてもいいかもしれない。時間の経過とは後悔の量である、と。

この結論の証明には難解な数式を持ち出さねばならない。だが、それではみなさんにはわからないだろうから、割愛させていただく。

しかし、この発見によって今まで不可解とされていた多くの事柄が説明可能となったことは述べるに値する。

例えば「後悔先に立たず」という現象である。

時間の経過が後悔の量そのものであることを考えれば、これは至極当然のことだ。

また、「憎まれっ子世にはばかる」とか「善人は短命」といった現象も同様に説明される。

人に憎まれるような人とはどんな人であろうか。そう、後悔などしないふてぶてしい人に決まっている。では、善人とは? もちろんおのれの行いについて反省し、よく後悔をする人である。

そして、後悔が時間であるならば、後悔すればするほど、時間が進むのであり、その分、寿命が尽きるのが早くなる。いっぽう、後悔をしない人は、あたかもその人においては時間が停まっているかのようなのであり、ひょっとしたら永遠に生きかねないのだ(なので長生きしたい人は後悔などしないがいいだろう)。

「なるほど、時間が後悔であることは分かった」 みなさんはこう言い、それからこんな問いを投げかけることだろう。「だが、あなたの言う後悔とはなんなのか」

これほど簡単なことはない。この理論(「後悔性理論」とでも呼ぼうか)についてはじめて明らかにした本論文は、さして長くはないものだが、それでも、読むのにいくばくかの時を要する。そして、みなさんは、今、人生の貴重な時間を使ってこの論文をここまで読んだところだ。

今、みなさんの心の中に何があるだろうか。

そう、それが後悔だ。

苦い文学

人生はやりなおせる

年老い、もはや死を待つばかりとなった私は、最近、自分の人生について振り返ることが多くなった。

ああ、なんと多くの過ちに満ちていることであろうか。目を覆わんばかりの惨状だ。激しい悔悟に襲われた私は、思わずこう願ったのだ。

「もし人生をやりなおすことができたなら!」と。

だが、さらに自分の人生について検討を加えると、これらのおびただしい過ちのうちには、その原因を私に帰せるものもあれば、そうでないものもあるのに気がついた。

そして、そうでないもののうちにも、はっきりと他人の過ちによるものと、その他人の過ちとすら言えず、もはや運命としか呼びえないものもあることも、明瞭になってきた。

私の心に次第に疑念が形成されてきた。もしも、人生をやりなおすことができても、これらのもろもろの「因縁」を排除することなくしては、もとの木阿弥ではないか、と。

しかも、私はいかに過ちをあまた犯したとはいえ、そのうちには人倫にもとる大罪はひとつとしてないのである。なのに、なぜ私だけが、もう一度やりなおさねばならないのだろうか。

いや、やりなおすべきは私ではない、世界のほうではないか。この世界こそ、もう一度再創造されるべきなのだ……。

私はその旨メールにしたため、再創造の提案について「ご検討のほどよろしくお願い申し上げます」と世界に送信した。

かくして、世界は再創造され、今この瞬間に立ち戻った。だが、いっこうに、やりなおしたい気持ちが消えないのだ……。

苦い文学

アクロス・ザ・ユニバーシズ(ハードSF小説)

我が国の自殺死亡率が上昇しているそうだ。これは自殺に成功した人の数にもとづくものだから、失敗した人は含まれない。

そして、成功者よりも失敗者のほうが多いのが世の常であるから、成否を問わず実際に自殺を企てた自殺関係者はかなりの数にのぼることになろう。

つまり自殺は決して特別な出来事ではないのだ。なので、ここで私が先日、自殺しようとしている人を見かけ、その命を救ったと言っても、信じてもらえるかと思う。

その人は、橋の欄干に立ち今にも飛び込もうとしていたのだった。私は持ち前のジャンプ力で、彼に飛びつき、こちら側、つまり生者の側に引き戻した。ひとしきりもがき、暴れた後、彼は子どものように地べたに座り、涙ながらに言うのだった。

「お願いです……死なせてください……私にはもうこの世では必要とされない人間なのです……」

私はこれを聞くや、彼の頬を平手打ちした。

「莫迦いうな!」

彼は青ざめた顔で私を見つめた。私は怒りに震えながら怒鳴りつけた。

「この世で不要なものがあの世で必要とされるわけがないっ! 言っとくが、あの世はごみ捨て場じゃないんだ。もっとあの世を大切にしろ! この世で役に立たないやつは、そう、あの世でも、どの世でも、どの世界でも、どの次元でも、役に立たないのだ!」

「てことは、どのユニバースでもってことですか」と震える声で彼。

「そうだ、多元宇宙全部! お前の不要さはもはや時空を超えた!」

「亜空間すら……?!」 彼の頬に血の気が差し、表情が輝きだした。「ひょっとして、ハイパースペースも……?」

話のスケールのでかさに、なんだか元気づいたようなのであった。(ハードSF小説完)

苦い文学

たった一度の人生

年老い、もはや死を待つばかりとなった私は、最近、死後の世界について研究をしている。

ついこの間も、書店で『魂の行方と転生の秘訣』という本を見つけた。目が飛び出るほどの値段の本であったが、思い切って買った。

その中に大いなる感銘を私に与えた個所がある。覚えとしてここに引用しておきたい。

(以下引用)人間の魂は、いくども生まれ変わりを繰り返す。そして、いくども異なった人生を送る。そのようにして、魂は人生という場で修練を積み、苦難を経験し、より優れた魂となっていくのである。

……だが、魂の世界には根本的な問題がある。考えてみたまえ、もし、すべての魂が、数知れぬ転生を経た結果、完全に優れた魂となってしまったら、もはや修練の場としての人生そのものは不要となってしまうのではないだろうか。それゆえ、この世界の維持には、いまだ修練を積んでいない新たな魂が絶えず必要とされるのである。

……その結果、やがて魂の世界では、魂の過剰という問題が発生した。この問題の解決策として導入された新システムが、魂の消滅である。そのプロセスはきわめて簡単である。魂自身に、その人生の舞台において、これ以上の転生を望むかどうかを決めさせるのである。

……ゆえに、転生を望む魂は「たった一度の人生だからすきなことをしよう」とか「たった一度の人生だ、思い切って買っちゃえ」などと、人生において口にしていけない。その言葉が口から発せられたと同時に、それはまるでパスワードのようひとつのシステムを発動させるのである。その言葉を口にした魂は、輪廻のプロセスから排除され、死と同時に消滅することが、不可逆的に定められる……(引用ここまで)

ああ、魂に関するこの高価な本を買うか買うまいか大いに迷った私は、「たった一度の人生だから」と独り言を言いながら購入を決意したのであった。

苦い文学

骨のある話

以前、私の友人のビルマ人が亡くなり、葬式も都内で無事済ませたのだが、遺骨をどうするかについてはそうとう困った。

私の印象では、仏教徒のビルマ人は日本人のようには遺骨を尊重しないようだ。

だが、かといって遺骨を問題にしないというのではない。むしろ非常に恐れているのだ。

なので、どのビルマ人も処理したがらず、結局、私が預かることになった。それからが非常に問題で、私はずいぶん悩んだものだった。

その時の話だ。

あるビルマ人の難民認定申請者が入管に収容された。彼はいくどか不認定になっていた。もしかしたら、彼は諦めて帰国するかも、という人もいた。

彼の知り合いで日本語の上手なビルマ人がおり、面会に行った。そして、私に連絡してきてこう言った。

「彼は難民申請を続けるつもりなので、どうか身元保証人になってください。彼はビルマにもう家族もいないので、日本に骨をうずめる気なのです……」

骨の話はもうやめて! 保証人はやるから……

苦い文学

不合格

「合格」は「合格する」と動詞になる。「不合格」は「不合格だ」なのでナ形容詞だ。つまり、合格するときは動詞だが、不合格だとナ形容詞になる。

このように「する」がつくと動詞として使える名詞でも、「不」とか「無」とか「未」がつくと動詞にはならない。例えば「案内する」と「不案内だ」、「漂白する」と「無漂白だ」、「処理する」と「未処理だ」などいろいろある。

しかし、日本語の学習者にはこの違いがわからない人もいて、「不合格だ」を「不合格する」とよく言っている。これは、「不合格」を「合格」と同じように「〜する」と動詞で使えると推測したためだ。

留学のたくさんいる学校で、日々、進路指導している職員がいた。コロナ以前のことで、留学生の進路の問題はとてもシビアだった。

それでその人は、あまりにもたくさんの「不合格しました」に接したため、ついに彼自身も「不合格しましたね」とか言うようになってしまった。

現代日本語に生じた変化といえよう。

苦い文学

過剰すぎる訂正

私には何人かの韓国の友人がいて、せっかくなので韓国語を勉強してみようと思い立った。

そこで、まず、韓国語・朝鮮語を表記するハングルを学ぶ。この文字をおぼえること自体はたいして難しくない。ただ、ハングルには、漢字やカタカナに似た文字も多く、うっかりすると、漢字やカタカナのように書いてしまう。

例えば、ハングルの「ㄹ」は r に当たる子音を表わすが、雑に書くと「己」のようになる。

「チウッ」と呼ばれる子音字「ㅊ」も、厄介だ。私はいつもうっかりカタカナの「ネ」と書いてしまう。なので、この縦棒の「一本足」を書かないように注意している。

私は今年、ハングル能力検定の5級を受けた。この検定で一番低い級だ。はじめの30分は聞き取りのテスト、それから60分の筆記だ。

聞き取りの試験では聞き取れた内容をメモして、それで解答した。木の枝に乗る猫の絵についての問題があった。4つの選択肢が読み上げられ、どれが正しいか当てよ、というものだ。

最初の二つの選択肢では「犬」という単語が聞き取れたので「イヌ」とメモした。残りの二つの選択肢では「猫」という単語が聞き取れた。

試験が終わって、問題用紙を見返した私は驚いた。猫の絵の問題の箇所で「ㅊコ」とメモしてあったのだ。

8割以上が合格するこの5級で不合格となった私であるが、合格するまでは、愛猫家がなんといおうと、ネコは足を切った「ㅊコ」でいくつもりだ。ㅊコ。