苦い文学

即身仏

昔はデパートといえば、単に物を売る場所ではなく、文化の中心だった。都会の新しいファッションがならび、普段では食べられないものが販売され、高尚な芸術が発信された。人々はデパートから豊かな文化的生活というものを学んだのだ。

1974年の後半、某都市のデパートで、いくつかの文化的な催しが開催された。海外の新進画家の絵画展もあったし、日本の仏教芸術の展覧会もあった。

後者の展覧会は、我が国の仏教芸術を幅広く紹介しようと企図されたものであった。密教の曼荼羅図、高僧の真筆、絢爛たる袈裟とともに、即身仏の展示も予定されていた。

即身仏とは、地中で修業しながらなくなった僧のミイラだ。こんなものを展示するなどというのは、現代ならば物議を醸しそうだが、当時ではさして問題にはならなかったようだ。

しかし、即身仏への敬意と保護の関係上、展示は一日だけ、オープニング初日の午後に限定された。即身仏は丁重に包まれ、木箱に入れられて、朝早く搬入されることになった。

「11月14日、東北の古刹より即身仏来訪!」との宣伝が行われ、近隣諸地域の人々の間では期待が高まっていった。デパート側も、あらゆるフロアで特別セールを企画してオープニングを盛り上げることにした。上階にある飲食店フロアには、天ぷら、寿司、洋食、イタリアンなどの料理を提供する複数の店舗があったが、いずれも、来場者を特別な食材でもてなそうと張り切った。

11月14日の朝、デパートの搬入口は、大いにごった返していた。というのも、その日は即身仏だけでなく、レストラン用のさまざまな食材が大量に運び込まれたからであった。そして、その大混雑の中、即身仏と、イタリアン・レストラン用の生ハムが入れ替わってしまったのだった。

それはただの生ハムではなかった。スペインから直送されてきた香り高い生ハム原木であり、当時は東京でなければ目にすることができないものであった。

仏教芸術展の担当者は、会場に運ばれた箱を開けて、生ハムを発見して驚愕した。彼は即身仏の行方を探して走り回ったが、結局、きらびやかな袈裟を生ハム原木にかぶせることでうまくごまかす策に落ち着いた。

かくして仏教芸術展は開かれ、即身仏見たさの人々で満杯になった。人々は即身仏が安置された巨大なガラスケースに我先に向い取り囲んだ。そして、感動とともに生ハムに手を合わせた。法悦のあまり涙ぐむ者も見られた。この有り難き機会に居合わせたある保守系評論家は、ガラス越しにですら高僧の「馥郁たる香気」が感じられたと断言した。

いっぽう、イタリアン・レストランの厨房では、即身仏が、他の生ハム・サラミとともにきれいにスライスされ、皿に盛られていた。その夜のディナーでは、独特のカビ臭さがあるそのサラミに誰もが満足したという。

苦い文学

エスエムエル

スターバックスの飲み物のサイズは、小さい順に Short、Tall、Grande、Venti となり、それぞれがはっきり区別されていて、注文しやすい。

一般的には Small、Medium、Large の頭文字をとって S、M、L とするが、「エス」はともかく「エム」と「エル」は、時として聞き取りにくい。はっきり聞き取ってもらうには「エム」の「ム」と「エル」の「ル」の母音をはっきり発音する必要があるのに、関東ではこの語末や文末の「ウ」の音ははっきり発音しないのだ。

そんなわけで、こんなことがよく生じる。

私 「アイスコーヒーのエルで」
店員「エムでございますね」
わたし「いえエルで……」

そこで、こうしたやり取りが煩わしいので、私はこう注文することにする。

私「えー、アイスコーヒーのラージで」
店員「は、エルでございますね」
私「はい、エルです」

お店の人は確認しただけなのだが、私は自分が間違えたのを訂正されたような気がして、悲しくなる。

しかし、あるとき、今までとは異なる対応をしてくれるお店の人に出会った。

私「アイスコーヒーのエルで」
店員「(ハキハキと)はい、ラージでございますね」

私はうれしくなったが、この気の利く店員さんが私にサッと出してくれたのは、アイスコーヒーのエスであった。

苦い文学

魔法使いの弟子たち

遠い未来、死にかけた地球で、魔法使いが暮らしていた。赤、青、黄の三人の弟子がおり、魔法使いのもとで学ぶこと久しかった。そのため、少年の頃に魔法使いのもとにやってきた弟子たちは、今やいずれも妻子を持つ身となっていた。どの弟子も、まじめに修行に打ち込んでいたが、魔法使いの見るところ、モノになりそうなのは赤い弟子だけだった。

赤い弟子は、頭脳明晰なだけでなく、ハンサムだったので、近くの村の娘と良い仲になった。ある日、彼は妻に「薬草を採りに長い旅に出る」と告げ、さらに青と黄の弟子に口裏を合わせるように頼むと、村娘と二人で熱海の温泉に行ってしまった。

魔法使いが、この不倫旅行について知らされたのは、赤い弟子が帰ってきたあとだった。魔法使いは三人の弟子を集めた。その顔には静かな怒りが浮かんでいた。彼はまず青い弟子に尋ねた。

「青い弟子よ、お前は赤い弟子が熱海に行っている間、何をしていたのだ」

「師よ、私は、不倫旅行に行けない悔しさをバネに、魔法の研究に打ち込み、ついに失われた秘法をつきとめました。これにより魔法科学は大いに発展することでしょう」

魔法使いは片方の眉を上げ、今度は黄色い弟子に尋ねた。

「黄色い弟子よ、お前は赤い弟子が熱海に行っている間、何をしていたのだ」

「師よ、私は、不倫旅行に行けない切なさをバネに、伝説の魔術師リアルトの伝記を完成させました。これで魔法史が大きく書き替えられることでしょう」

魔法使いはもう片方の眉を上げ、最後に赤い弟子に命じた。

「赤い弟子よ、お前が熱海で村の娘としたことをつぶさに報告するのだ」

赤い弟子が語り終えたとき、魔法使いは、青い弟子と黄色い弟子の瞳に、新たな研究意欲がメラメラと燃え盛っているのを見いだした。

魔法使いは弟子たちを去らせると、書斎に座り、太古から伝わる格言を思わずつぶやいた。

「げにげに不倫は文化かな」

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偏見

以前、難民関係の集いに参加したときの話だ。その集会に、1人の友人が私が転送した案内を見て来てくれた。難民について彼はあまりよく知らないようだったが、集会後に話すと、とても勉強になったと言ってくれた。

集会が終わると、有志で食事に行くことになった。私は、友人と参加することにした。6人ほどで飲み食いしていたのだが、その中に、自分はいろいろな難民に会ったことがあるという男がいた。そして、彼は私が難民関係の活動をしていることを知ると、妙に絡んできた。

「ひょっとしたら偏見かもしれないんですが、難民はずるいですよ」

「と、そうおっしゃるわけは」

「だって、勝手によその国にやってきて物を貰おうというんですから」

私は、そうとも限らず、多くの難民は自立しようと苦労していることや、そもそも好きこのんで国を離れたわけでないことを説明した。

だが、彼は納得しないようだった。

「ひょっとしたら偏見かもしれないんですが、偽装難民なんて連中もいるそうじゃないですか」

私は「偽装難民」というのはメディアが使用しているレッテルに過ぎず、必ずしも現状を適切に言いあらわしているとは言えない、と話し、「そういう言葉を使うことそのものが、偏見にもとづくものだと思いますよ」と言った。

すると彼は、嘲るような調子でこんなことを言い出すのだった。

「いえ、私は偏見などもってませんよ。本当に偏見をもっている人が、『ひょっとしたら偏見かもしれない』などという前置きをつけるわけがないじゃないですか。だから、私の言ったことは偏見でも何でもなく客観的事実なんです」

私が答えに窮していると、それまで黙っていた友人が「ひょっとしたら暴力かもしれないんですが」といって、そいつをぶちのめした。

苦い文学

丸い輪の世界

「丸い輪の世界」というのは、水木しげるの短編で、ウェルズの「The Door in the Wall」がその着想のもとだったとよく言われる。

物語は、少年が不思議な「丸い輪」を通じて、亡くなった妹の暮らす世界を訪問するというものだ。この「丸い輪」はいつ出現するかは分からず、ついに「丸い輪」に入る機会を逸した少年は、妹と会うことができなくなるのだ。

2015年11月、ビルマでアウンサンスーチー率いる国民民主連盟が勝利し、「民主化」がはじまったが、私のカレン人の友人はこう言っていたものだった。

「今のうちにビルマに行っておいたほうがいいよ、これから、いつまた閉じてしまうか分からないから」

私はこの言葉を聞くと、いつも「丸い輪の世界」を思い出した。ちょうど日本とビルマの間に「丸い輪」があって、それがいつかはなくなってしまうかのようだった。

私はちょっと笑い話のように考えていたのだが、今年の2月、その「丸い輪」が消えうせたのは周知の通りだ。

苦い文学

竹の家

タイ・ビルマ国境の難民キャンプや貧しい農村の家は竹でできている。枠組みも竹なら、床も壁も竹だ。これは柔らかい細い竹を割って、編んだり紐で繋いだりして1枚の板のようなものを作るのである。屋根は、何かの葉っぱで葺いてある。

これらの家は、高床式で、地面より1メートルかそれ以上の高さに床があるのが普通だ。縁の下には家畜がいることもある。

2011年5月、タイ国境でカレン人の政治的な集会が開催され、私も参加した。東日本大震災から3か月にならない頃だ。余震もしばらく続いたことから、日本を離れるのに不安もあったが、タイ・ビルマ国境の揺れない大地に安心感も抱いた。

集会はビルマ側のジャングルの中で行われた。集会は4日間で、集会場は木と竹で作られたホール、宿泊先は例の竹の家だ。

これまで私はこの高床式の竹の家に何度も泊まったことがあったので慣れていたが、今回は違った。竹の家は揺れるのだ。その揺れを私の体は余震と勘違いしていつまでたっても落ち着かなかった。

集会の後は、近くの村で一泊した。そこではカレン人・カチン人・アラカン人の若い男女が、軍事教練を受けていた。私が泊まった竹の家もやはり揺れたが、疲れと慣れで気にせず寝てしまった。

朝起きると、枕元に大きなネズミの糞が落ちていた。

苦い文学

国境の酒

日本政府から退去強制令が出されたのに、さまざまな理由から故国に帰ることを拒否する人々は、基本的には入管の収容所に収容される。

そこで、日本での滞在を認められれば、出ることができるが、たいていの場合は、強制送還されるか、仮放免許可を得て一時的に制限付きの滞在を許されることとなる。この仮放免許可は、決まりはないが、最低でも1年は収容されている人に出ることが多い。それが出なくて、2年、3年と収容が長期にわたる人もいる。

収容所内は、タバコは吸えるが、お酒は飲めない。したがって、アルコール依存症の人にとってはよい断酒の機会になるが、そうした人々は仮放免された後も再び飲みはじめる。その結果、亡くなった人も私は少なくとも3人は知っている。

入管での生活は、単調で、ストレスの多いものだ。収容されている人の中には、酒を醸そうと試みる人もいる。私が聞いたのは、食事で出るバナナの皮の内側の筋を、発酵させるための食パンと一緒にペットボトルに入れて作るというものだ。実際に作った人によれば、まずくて飲めたものではないということだが、その酒でささやかな宴会が開かれていたのを目撃したという人もいる。

美味しいわけはあるまい。だが、少なくともささやかな自由の味はすることだろう。

私は思うのだが、もういっそのこと、この入管の酒を「くにざかい」とでも名づけ、1年もの、2年もの、3年ものと等級をつけて売り出したらいいのではないだろうか。

もっとも、この酒が地酒なのか洋酒なのか輸入酒なのか、そのあたりは私にもよくわからない。

苦い文学

我が国のリンボ

年老い、もはや死を待つばかりになった私は、最近、死後の世界について研究している。

三途の川、臨死体験、光り輝く世界などさまざまなことを言う人がいるが、私の研究によれば、人間が死後どうなるかは以下の通りだ。

死ぬと魂は肉体を離れ、海辺に立つ巨大な建物に連れて行かれる。そこで、審査の後、あの世(天国か地獄のどちらか)に飛び立つ。

問題は、死後の魂のうちに一定数、旅立ちたくないという者がいることだ。この世に未練があるのだ。そうした場合は、海辺に立つ巨大な建物の7階より上にある収容施設に留め置かれる。

そこで、被収容魂は、生者の世界に帰れるとのかすかな希望を胸に収容生活を送る。

海辺に立つ巨大な建物には、これらの魂をあの世に送るための専門の天使がいて、あの手この手で絶望させ、苦しませ、悩ませ、この世への執着を断ち切ろうとする。その手法はあまりにも残酷で、容赦ない。それは、人間の尊厳をはぎ取ることが、あの世への旅立ちに不可欠だからだ。

ときおり、天使は残虐な行為に夢中になって、故意にか誤ってか、被収容魂を殺してしまうことがあるという。

苦い文学

ありがとうと伝えたくて

駅前にパチンコ屋があって、開店前、朝早くから行列ができる。いつの頃からか、ひとりの男が、列に並ぶ人一人一人に丁寧にお辞儀をしている姿が見かけられるようになった。彼は「ありがとうございます」と感謝の念を告げているのだった。

身なりからは店員のようにも見えず、かといって経営者らしくもなかった。どうしてそんなことをしているのかは分からなかったが、彼を見ていると法華経に出てくる常不軽菩薩が思い出された。

あるとき中央公園に散歩に行ったら、ベンチにその彼が一人座っていた。好奇心を抑えられなくなった私は、彼に話しかけた。そして、いくつか当たり障りのない話題を経てから、彼の件の行動の理由を尋ねた。

「ああ、見てらっしゃったんですね」と彼は静かに答えた。「開店前に並ぶ方々一人一人に私がどうして感謝を伝えているかというと、ああいう方々を見ていると、ただ金を浪費するために朝早くから並ぶほど自分は愚かではない、ということが分かって安心するからです。まったく、ありがとうと言わずにはいられませんよ」

私はこれを聞くと「ありがとうございます」と深々と頭を下げ、散歩に戻った。

苦い文学

決裂の危機

イケメンは私にとって長い間、不倶戴天の敵であった。なぜなら、私は、人格的な高潔さや、見た目の美しさや、肉体の健やかさとは無縁の人間であり、なおかつそうした存在であることを峻拒してきたからである。

しかし、年をとったせいか、それとも、娘を得たせいか、最近、イケメンにそれほど激しい憎悪を感じなくなった。

それどころか、韓国のドラマに出てくる多種多様なイケメンを見るのにいささかの躊躇も感じないのだ。いや、進んで観るのだ。いや、むしろ、観るのを楽しみにしているのだ。

私は2015年、ミャンマーで行われた全国的停戦協定の調印式に、チン民族の代表団の一人として参加したことがある。この協定は、残念ながらとっくの昔に反故にされてしまったが、私はこのときの経験を生かして、イケメンとの停戦協定を全国に先駆けて行おうと思っている。

はたして停戦は実現するだろうか。それは、イケメンたちが、私の提示するたったひとつの条件を呑むかどうかにかかっている。

それは、私をイケメンの仲間に入れることだ。