苦い文学

令和の山月記

前立腺に異常が見られるというので、大きな病院の泌尿器科に行った。結果としては特に問題がなかったのだが、診察前のアンケートで一日の排尿の回数の項目があり、一日に何回するか考えたこともなかったので、少し多めに書いた。

診察に当たってくれた先生はとても親切な先生だったが、少しせっかちのようだった。彼は診察しながら、私に対してどういう診察をしたかをコンピューターにしっかり記録していくのだが、せっかちのあまり必ず誤入力するのだった。

先生は、私のアンケートを見て、頻尿の症状を読み取った。

「おしっこは一回は我慢してください。そうして膀胱をしつけるのです。これを膀胱訓練といいます。子どもをしつけるようなものです」

魂が肉体の主人であるように、私も膀胱の主人なのであった。

先生は、話し終わるや、さっそくパソコンに入力した。だが、「膀胱訓練を指導」と入力するつもりが、せっかちすぎて早めに変換して「暴虎」となってしまった。

暴虎! 先生はこれまでいくど「膀胱」と入力したかしれないのに間違うとは……

私は夜の山道を歩いていた。

すると、草蔭から一匹の暴虎が躍り出た。虎は、あはや私に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を飜して、元の叢に隱れた。叢の中から人間の聲で「あぶない所だつた」と繰返し呟くのが聞えた。私は咄嗟に思ひあたつて、叫んだ。「其の聲は、我が膀胱ではないか?」

草叢から声が聞こえた。そして、膀胱は虎に成り果てた由縁を長々と語つたのだつた。言終つて、叢の中から、堪へ得ざるが如き悲泣の聲が洩れた。

「泣いてる、膀胱が!」と気づいた私は、慌てて便所を探した。

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地下牢

その昔、都に、山の民が予告なしに攻め入ってきた。この不意打ちに、都を防衛する軍はたちまち敗走した。勢いづいた山の民は城門を破壊し、あちこちに火を放ちながら進軍した。王は将軍たちに反撃を命じたが、死を恐れぬ山の民にたちまちのうちに蹴散らされてしまった。  

山の民が王宮に迫り、吹き鳴らす角笛の音が間近に聞こえたとき、王の心に、夢の中のお告げが蘇った。それは、都が危機に陥ったとき、王宮の地下牢に行くようにというものであった。王は、その地下牢がどこにあるか尋ねようと廷臣たちを呼び集めたが、いつまでたっても誰も来なかった。廷臣たちは我先にと逃げ出していたのである。王自身も諦めて玉座から立ち上がったとき、一人の見知らぬ老人が立っているのに気がついた。

「地下牢に余を連れて行くのだ」

老人は王の言葉を聞くや、玉座の裏に回り込み、持っていた杖で床を三回叩いた。すると、階段が現れた。王がその階段を下っていくと、地下牢があった。王はそこに閉じこめられている人物を見て驚いた。というのも、それはその老人その人だったから。王が牢を開くと、老人はしっかりとした足取りで外に出て、「王よ、私に許しを与えてください」と言った。

王が許しを与えると、老人は王宮のてっぺんに飛び上り、杖を振り上げた。すると、山の民たちはたちまち猿となり、猿の言葉を叫びながら四方に散っていった。

王は、危機が去ると、直ちに二つのことをしたといわれる。ひとつはこの老人に金銀財宝でもって報いたことである。

王がしたもうひとつのこととは、逃げ出した廷臣たちを捕まえて、あの地下牢に全員放り込むことであった。そして、この時以来、都はイキンと呼ばれるようになった。それは「投げ入れる」という意味である。

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ラーティントゥンさん

今日は、ビルマ人のラーティントゥン(Hla Tin Tun)さんの誕生日だ。私より五歳ほど上だから、たぶん五十七歳だ。だが、彼は去年の八月、猛暑のさなか急逝した。

私がラーティントゥンさんと知りあったのは、ビルマ人難民支援関係の活動を通じてだった。私は彼と、およそ八年の間、ビルマ人難民の収容にまつわるさまざまな活動をともに行った。

彼自身、難民であり、入管に収容された経験もあった。自分と同じような状況にある人に対する同情の思いが厚く、多くのビルマ人が彼のことを頼りにしていた。

私もまた、入管の問題や、ビルマ人どうしの問題に困ったとき、彼に助言を求めたものだった。

私は他のビルマ人と意見が合わないこともあったが、そうした場合でも、必ず彼は私の意見にも分があるということを認めてくれた。これはとても心強いことであった。

今、この世界には彼に助けられた人が数多くいる。そして、その一人である私は、そのことを日本語で書いておきたいと思ったのだ。

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赤い老眼

私は老眼がひどいので、眼鏡を2種類使用している。ひとつは外出用の眼鏡で、遠くまで見える。もうひとつは室内用で、パソコンを使ったり、韓国のドラマを見るときに使用する。しかし、この眼鏡では本の文字やスマートフォンは見ることができない。そういうときは裸眼だ。

つまり、遠距離用眼鏡、手元用眼鏡、裸眼という三段階を使い分けていることになる。しばしば混乱して、自分が眼鏡をかけているのかかけていないのかわからなくなるのは不便だ。

だが、目が悪いということも必ずしも悪いことばかりではない。

この間、カレン人の友人と喫茶店で話をした。ビルマでデモ隊に軍用車が突っ込んで何人もの人が殺された事件の話になった。

彼は、その惨劇の写真を、日本で行われるデモで使用するというのだ。彼はスマートフォンをいじりだした。

ビルマの人々との付き合いが長い私は、すぐに予期した。私はテーブルに置いておいた遠距離用の眼鏡に掛け替えた。

「ほら、この写真。かわいそうだね。みんな子どもだよ」

彼は自分のスマートフォンの写真を私の前にさし出した。

「ああ、そうですか」

と画面をのぞき込んだ私であったが、早めの対策のおかげで、何か赤いものだけ以上のものを見ないで済んだのであった。

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亀の描いた絵

亀が考えた計画はこうである。

海辺の村に行く。計画にうってつけな村人を探す。その村人に近づき、簡単に財宝が手に入るうまい話がある、とことば巧みに誘う。計画を話し、成功すれば財宝は山分けであると請け合う。村人としっかり打ち合わせをし、細かな点でも口裏を合わせておく。

それから、主人のもとに戻り、いじめられているところを村人に助けられたという虚偽の報告をする。感心した主人の命により、村に行き、共謀者の村人を背に乗せて主人のもとに戻る(主人より往復の手間賃を貰うこと)。

村人は亀と事前に打ち合わせたとおり、いじめられている亀を助けたことをつぶさに主人に語り、亀の報告を裏付ける。かくて主人は報告を信じ、村人に金銀財宝を与える。亀は財宝とともに村人を甲羅に乗せて村に戻る。途中の海で村人を振り落とし溺死させる。そして財宝を秘密の場所に隠す。

しばらく待ってから、主人のところに戻り、村人を無事送り届けたと報告する(往復の手間賃をきっと貰うこと)。

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相対的治癒

この世では、善も視点を変えれば悪となり、悪もまた、視点を変えれば善と転ずる。何ごとも見方次第、相対的なものなのだ。私はあるできごとを通じてそのことを痛感したのだ……

緊急事態宣言が解かれ、夜の街に賑わいが戻ってきた。

しかし、我慢していた時間が長かったためだろうか、街に繰り出した人々の中には羽目を外して大騒ぎしたり、気が大きくなって理不尽なふるまいをする人も多く見られた。

私もまた友人とともに酒場にやってきたひとりであったが、このあられもないバカ騒ぎには辟易させられた。中でも、ひとりの酔漢は周囲の客という客に絡み、因縁をつけていた。私もこの男には不愉快な思いをさせられた。

男が別の客にちょっかいを出している間、私は店主に言った。

「申し訳ないが、もう我慢できません。勘定をお願いします。まったく、このろくでもないやつのせいでせっかくの飲み会が台無しだ」

「ろくでもないやつとおっしゃいますと?」 そう問い返す店主の様子がさらに癪に障った。

「ああ、ああいうやつが人間を苦しめるのだ。社会の癌だ」

「社会の癌ですと!」 店主の顔が驚きに変わり、足早に私の前から離れると、私が「社会の癌」と断言した例の男を連れてきた。

不思議なことに男の顔からは酔いが失せていた。まじめな人間らしい顔つきで彼は私を見ると、感謝を口にしながら、大粒の涙を流した。

「これはどういうことです」とうろたえる私に、店主はこう語ったのであった。

「彼はかつての従業員であり、悪性の腫瘍に冒されて余命わずかなのです。いかなる治療法も尽き、もはや死を待つばかりとなったところ、ある偉いお医者さまから言われたのが、世で乱暴狼藉を働き、社会の癌と言われるほどになれば、その悪性の腫瘍も良性に転ずること疑いなしということでして……」

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質問のし方

私は犬を飼っていて、毎日のように散歩に出かける。普段は夜だが、最近は冷えてきたので、陽のあるうちに出かける。

散歩するのは市役所の周辺だ。歩道が広くて車もないので安心なのだ。

あるとき、散歩の最中に、私はうっかりリードを放してしまった。慌ててリードを拾おうとすると、犬は私の動きに驚いたか、一目散に逃げ出した。私は追いかけたが、追えば追うほど犬は一心に逃げるのだった。

そのうち、犬はある大きな建物の中に駆け込んでいった。私はぜいぜいいいながら建物の前に着くと、扉が開いている。中に入ると、カウンターがあり、年配の女性が立っている。

「いまここに犬が入ってきたと思うのですが」

「いいえ、そんなことはないです」

「しかし、見たのですが」

「いいえ、いません」

しばらく押し問答をしたが、「いない、ない、なかった」の一点張りなのだった。

私は建物の外に出た。途方に暮れていると、友人が通りがかった。彼は事情を聞くと、私の肘をつかんで中に入っていった。

あいかわらず受付の女性が立っていた。友人はこう尋ねた。

「中に入る許可の必要はありますか?」

「いいえ、ないです」

彼はそれを聞くとずかずかと受付の先に入っていき、しばらくすると犬を抱えて出てきた。

犬を抱きしめながら私が感謝を述べると彼は言った。

「いや、なにほどのことでもないよ。大事なのは、人にものを尋ねるときは、相手に合わせるってことさ。特にここのような『ない、なかった』と言うのが仕事のような場所ではね」

と彼は建物の看板を私に示した。

そこには『教育委員会』と書かれていた。

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苦い文学

今年2月のビルマでのクーデターを受けて、入管の在日ビルマ人への態度が変った。

今年の夏に出た「本国情勢を踏まえた在留ミャンマー人への緊急避難措置」というのがそれで、「緊急避難措置として、在留や就労を認める」というものだ。

この話を聞いたKさんが、私のところに来た。彼は難民申請者で、入管にも三度収容されていたことがある。去年の春に仮放免された人だ。

私は彼の身元保証人をしているのだが、Kさんは自分にもこの「緊急避難措置」が当てはまるのかどうか、入管に聞いてほしいというのだった。

私たちはサイゼリアでお昼を食べていたので、私は店を出て入管に電話した。担当の人に繋がり、私は、自分が身元保証人であることとKさんの名前を告げ、事情を話した。すると担当の人は少し調べた後「順次手続きしているので入管から連絡がくるはず。もし事情があれば、入管に直接来て手続きを行ってほしい」と言った。

私は大急ぎでKさんのもとに戻り、入管の話を伝えた。我々二人に大きな感慨が訪れた。ついにKさんは日本での滞在を認められるのだ。ついに彼は正々堂々と日本で暮らすことができるのだ。おお、収容所よ、さらば!

新しい人生がはじまるのだ。

Kさんは心の重荷を下ろすかのようにため息をついた。その表情には静かな喜びがあった。

すると、私に電話がかかってきた。入管からだ。私は軽やかな足取りで再び店外に出て通話をはじめた。

それは訂正の電話だった。Kさんの場合は、一度、不法滞在になっているので、この「緊急避難措置」の対象外だとのことだった。

私は重い足取りで席に戻り、Kさんに間違いだったと告げた。私はそれ以外になんと言ったらいいか分からなかった。だが、不思議なことにKさんにはがっかりした様子もなかった。そして、意外なことを言った。

最初の電話の時、私がとても楽しそうに店の外から帰ってきたので、それがとてもうれしかった、と。

私は仕事がなく、Kさんはビザがない。我々の人生はとても苦いが、それでもそこに味わうべき何かがあったのだ。

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僕はフィッシュだ

日本語では「木が生えている」「木の机」というように「木」は植物としての「樹木」も、素材としての「木材」もともに表わしうる。

だが、英語の場合はそうではない。「tree」が表わしうるのは「樹木」のみであり、「木材」のためには「wood」や「lumber, timber」という語がある。

これは文化によって世界をどう捉えるかが異なるためであり、どの言語間にも多かれ少なかれこうした差異は存在する。

あるとき私はヨーロッパ方面に飛び立った飛行機の中にいた。それは、日本の航空会社とのコードシェア便であり、機内には多くの日本人がいた。

食事の時間が来た。キャビン・アテンダントがワゴンを押して、「Fish or Chicken」と乗客に聞いている。機内食の魚はたいていパサパサしている(印象がある)ので、私は必ず鶏肉や牛肉を頼む。

そんなわけで、私は「Chicken」を要求した。キャビン・アテンダントはワゴンから「Chicken」を出そうと屈んだ。だが、その時、隣の列で食事をしている人の姿が目に入った。

うなぎ!

私はあわてて「Fish」と叫び、鰻に変えてもらった。あやういところであった。

このときまで、私は「Fish」に鰻が含まれうるなど思いも寄らなかったのだ。なぜなら、鰻は魚料理などではなく、鰻だからだ。いや、鰻ですらない。それはただご馳走なのである。

世界は言語によってその姿を変える。文化によっては鰻は魚料理であってもいい。だがそうした違いは実は、我々が鰻を食べる機会を逃すという危険に直結している。そのことに警鐘を鳴らして、この稿を閉じたい。

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酒癖(After We Ride)

今は酒をやめて2年半以上になるが、飲んでいたときは、私は酔うことは少なかった。

人と飲むときは、私は人々と同じか、それ以上飲んだが、ほとんど酔わなかった。酔うとしても、最後のことでで、みんなと別れた後、一人になったときに、酔いが回ってくるのだった。

酒に強い。私はしばしばそういわれ、自分でもそう思っていた。

だが、酒をやめて、ときたま自分の飲み方について考えるようになると、自分は酒に強いのではないと思うようになった。

世には酒を飲むと陽気に笑いだす人がいる。これを笑い上戸という。しきりに泣く人は泣き上戸だ。怒り上戸とはいわないが、怒りだす人もいる。卑猥になる人、愚痴っぽくなる人、酒癖はさまざまだ。

これと同じように、私は酒を飲むと酔わなくなるタイプだったのではないだろうか。酒癖とは周囲の人によって決まるソーシャルなもののようだが、私の場合は、人がいると酔わない上戸となるのだ。

その証拠に、一人で飲むと私は数杯で酔ってしまう。つまり、本当は酒に弱いのだ。

おそらく酔わない上戸は私だけではあるまい。そういう人はいつか体を壊すので、酒をきっぱりとやめるか、一杯で酔いつぶれるように心がけるかのどちらしかない。