苦い文学

誰の意見を聞くべきか

2015年、アウンサンスーチーの国民民主連盟の政権が生まれ、何を言っても書いても自由な世の中になった。そして、ヤンゴンのあちこちで土地が値上がりし、どんどん新しい金持ちが生まれていた時、多くの人はビルマはもう変わった、民主化されたと思っていた。

だが、一部のビルマ人政治活動家や、ほとんどのビルマ少数民族(カチン人やカレン人など)は、ビルマは変わっていない、と訴え続けていた。

その根拠はいくつかあった。一つは、「2008年憲法」の存在だ。この憲法はいつでも軍が国権を奪うことができるとした剣呑なもので、この憲法がある限り、民主化などありえない、というのである。

もう一つは、ビルマ国内で相変わらず戦争が続いていたことだ。2015年には、ビルマ政府は一部の反政府勢力と停戦協定を結んだが、その後も北部では絶えず戦闘が続いていた。

他にもいくつか根拠はあった。それは、たとえば、経済的格差の大きさ、社会の不公正さ、法の支配の欠如、治安の悪さなどである。こうした特徴がある限り、ビルマが変わったなどととうてい言えなかったのだ。

しかし、日本政府はそうは思わなかった。「ミャンマーは民主化されたでしょ、帰りなさい」という言葉で、ほとんどすべての難民申請者を拒絶していた。

また、在日ビルマの人の中にも、新しいビルマでビジネスを始める人もいた。ビジネスの話が飛び交い、チャンスがあちこちに転がっているように思えた。

だが、2021年2月の軍のクーデターで、民主化もビジネスも自由も何もかも幻であることが明らかになった。

そして、我々はその時、本当は誰の意見を聞くべきだったのか、知ったのである。

苦い文学

純粋思念

「たとえば、何か用事があって出かけようとしていてさ」と私は友人に語った。

「持ち物を鞄に入れる。財布、メモ帳、ペン、イヤホン……。そこで気がつく。あれ、携帯はどこだっけって。机の上を見ると携帯が置いてある……それで、外に出るんだ。目的地に着く。で、カバンを開く。携帯電話がないんだよ」

友人は黙ってうなずいた。

「机の上にあるのを見ただけで、入れてなかったんだ。毎日だよ、こういうことが。まるで、ある物体を見ただけで、もうそれがカバンの中に入っている気になってしまうみたいだ。老化だね」

私は笑った。友人がもし私より年下だったり、年上だったりしたら、こんな話はしなかったろう。同い年の友人なら共感してくれると思っていたのだ。だが、彼の返答はまったく予想と裏切るものだった。

「いや、そんなんじゃない。俺はむしろ人間として進歩してる、と思ってる。思念がより純粋に、より強力になっているんだ。きっと近いうちに、物体を見るだけで、その物体をカバンの中に移動させることができるようになる。その予兆が今起きてるんだ。だから、違う、絶対にそんなんじゃない……」

自分の老化を認めたくないあまり、ファンタジーに逃げ込む。これもまた老化の一種であろう。

苦い文学

黒船の眠り(歴史文学)

携帯電話というものが生み出され、人々の間に普及してから、教師と学生の争いがはじまった。

そして、かくいう私もこの戦争に巻き込まれた教員の一人であった。

私の素晴らしい日本語教育は、携帯を片手にした留学生たちによって絶えず脅かされた。

私に与えられた武器はといえば注意のみ。だが、多勢に無勢、注意などなんの効き目もなかった。留学生一人を注意して携帯を見るのをやめさせても、別の留学生を注意している間に、その学生が再び携帯を見出す始末なのだ。

そこで、私は思い切った戦術に打って出た。携帯を見ている留学生を急襲し、携帯を取り上げ、容赦なくゴミ箱に捨てていったのだ。「いじるなら捨ててしまえスマートフォン」作戦だ。

だが、私はやがて本能寺の変が心配になった。そこで作戦変更だ。「いじるなら取り上げましょうスマートフォン」、つまり、秀吉よろしく携帯狩りを始めたというわけだ。

私は、授業の開始と同時に、学生全員の携帯を集めて、授業の終わるまで袋に厳封したのだった。しかし、裕福な留学生たちが、2個目3個目の携帯を隠し持っていることには思いも及ばなかった……。

かくなる上はと、私は最後の作戦にかけた。その名も「いじるなら止むまで待とうスマートフォン」作戦。

私は携帯に夢中になっている留学生たちの前で待ち続けた。注意もせずに、じっと辛抱強く待ち続けた。すると、神君家康のご威光のありがたさよ、さしも手ごわき学生たちも次々と携帯を見るのをやめていったのだ。私は、最後の一人が携帯をカバンにしまったのを見届けると、天下統一を宣言した。

だが、しばらく授業を続けているうちに私は気がついた。なんと留学生たち全員、泰平の眠りをむさぼっているではないか。

留学生といえば、日本を目覚めさせるために来航してきた黒船にほかならない。なのに、その黒船自身が先に寝てしまったとしたら、いったい誰にこの黒船を起こせようか?

苦い文学

かじりたい人びと

「僕は不思議に思っていたのです」と青年は語った。

「昨年から今年にかけて2回オリンピックが開催されましたが、大会の前にアスリートたちが意気込みを語る場面がありますよね。もちろん、誰もがメダル、とくに金メダルを目指して競技に挑むのですが、少なからぬアスリートが金メダルのことを『一番いい色のメダル』と婉曲的に語るのです。どうしてはっきり言わないのだろう、って。不思議に思いませんか?」

「謙遜で言ってるのかもしれませんね」と私。

「ええ、僕もはじめはそう思いました。でも、『一番いい色のメダル』とは、もう金メダル以外ないのですから、謙遜とはいえないでしょう。むしろ、そんなふうに言い換えること自体、いやらしいように思えたのです」

「そうでしょうか」

「そこに、名古屋市長のあの『金メダルかじり』事件です。あれですべてがはっきりしました」

「といいますと」

「ちょうど性器を『アソコ』とか、性行為を『エッチ』とかいうのと同じなのです。つまり、ある種の人びとにとっては『金メダル』とは実に卑猥な言葉であり、だからこそ『一番いい色のメダル』などと言い換えざるをえないのです」

「なるほど、とすると、河村先生がセクハラだと批判されたのも……」

「まさにそうです、彼は若い女性の大切な『アレ』をパクリと口に含んだのですから。しかも公衆の面前で!」

「ははあ、面白い解釈ですね……。で、今日はどう言ったご用件で私のところに?」

「実は、マーケティングの結果、メダルをかじりたがっている人が意外に多いとわかりまして、いろいろな著名アスリートのメダルをかじれるバーを名古屋市内に開店しようかと考えています。それで、ぜひ投資していただければと……いえ、風俗店ではないのでして……」

苦い文学

食品偽装

中国産などの輸入アサリを熊本県産と偽った産地偽装のニュースは記憶に新しいが、先日、新たな食品偽装問題が発覚した。

県警の発表によれば、県内に流通している「いかのおすし」の8割が偽装された偽物の「いかのおすし」だという。

偽物の「いかのおすし」は外見だけでは本物と見分けがつかないため、取り違えが発生しやすく、これがまん延につながっているというのが、県警の見方だ。

偽物はこどもにとって重大な危険をもたらしうるため、こどもの安全を守る観点からも、悪質な偽物「いかのおすし」には十分に注意してほしい、と県警は呼びかけている。

《本物の「いかのおすし」と偽物の「いかのおすし」の比較》
本物の「いかのおすし」
 しらないひとには、ついて「いか」ない
 こえをかけられても、くるまには「の」らない
 しらないひとにつれていかれそうになったら「お」おごえをだす
 こえをかけられたりおいかけられたりしたら「す」ぐにげる
 こわいことにあったりみたりしたら、すぐおとなに「し」らせる

偽物の「いかのおすし」
 しらないひとには、ついて「いか」ないてはない
 こえをかけられても、くるまには「の」ったほうがいいぞ
 しらないひとにつれていかれそうになったら「お」おごえをだすな
 こえをかけられたりおいかけられたりしたら「す」ぐとまれ
 こわいことにあったりみたりしたら、すぐおとなに「し」らせるなぶつぞ

苦い文学

あなたに訴状を届けたくて

企業などに訴状を届けるのは「特別送達」と呼ばれるが、これを担当する郵便配達員はつねに危険と隣りあわせだ。

訴えられた企業は、あの手この手を使って、郵便配達員を妨害するからだ。

なんとしても訴状を受け取りたくないのだ。永遠にあの言葉を繰り返していたいのだ。

「訴状が届いていないのでコメントできない」と。

企業側の妨害はさまざまだ。ならず者を配達員にけしかけることもある。郵便局に工作員を送り込んで騒動を起こすこともある。ニセ配達員でかく乱させて訴状を奪おうとしたり、色仕掛けで骨抜きにすることなど日常茶飯事だ。刺客を放つことだってある。

もちろん、日本郵便だって負けてはいない。訴状を届ける特別送達配達員は精鋭ぞろいだ。全員、イーサン・ハントみたいなのだ。

ときには、訴状の奪い合いが日本を飛びだすこともある。アマゾンの密林での暗闘、シベリアの氷上での激戦、宇宙ステーションでの決闘などだ。

宇宙ステーションでは配達員はあやうく訴状ごと宇宙の藻くずとなるところだった。だが、なんとか敵を打ち破ると、危ういところでポッドで脱出したのだ(その直後に宇宙ステーションは爆発だ)。

大気圏を通過したポッドが千葉沖に無事着水すると、待ちかまえていたヘリに乗り込む。そして、都内でバイクに飛び乗ると、宛先の企業に訴状を届けたのだ(その企業は訴状を受け取った瞬間、建物ごと崩壊した)。

なお、訴状の配達員はどんなときでも必ず相手に届けることになっている。なので「ご不在連絡票」は決して持たないそうだ。

苦い文学

ロシア語上級の時間

ロシア語初級では、覚えるべき単語はたったひとつ、Да(ダー)「はい」であることを皆さんにお教えした。

それだけではない。実はこの単語を覚えるだけでもう中級をすっ飛ばして上級に達してしまうのだ。ロシア語の勉強時間が数億時間省ける。

これで皆さんは、どんな長大なロシア文学も難なく読みこなせる。

ぜひ以下の読解にチャレンジしてほしい。驚くほどすらすらと読めるはずだ(なお、不要だとは思うが、念のため邦訳をつけてある)。

「Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да Да」

邦訳
「偶像がその統治者としての高い場所にデンと坐って、額にけわしいしわを刻み、情容赦もなく、独善的に私たちの人生を滅茶滅茶にしているあいだは、できるだけ重い石を私に授けて下さい! さあ、十人がかりで丸太ん棒を担いで、その偶像を倒そうではないか!」

出典:ソルジェニーツイン『収容所群島』(木村浩訳)第6巻、p.226、「第六部 流刑 第六章 流刑囚のささやかな幸福」

苦い文学

ロシア語初級の時間

世界で一番難しい言語はなんだろうか。

ある人は日本語という。ある人はアラビア語だと。また別の人は別の言語を挙げることだろう。

こんなふうに意見が分かれるのは、言語の難しさというものが相対的なものだからだ。

英語話者にとっては確かに日本語は難しいのかもしれないが、逆に日本語に似た言語、例えば韓国語の話者にとっては、日本語はもっとも学びやすい言語のひとつなのである。

だが、逆は必ずしも真ならず。

世界でもっとも易しい言語を決めるのは非常に容易だ。

それは現在のところ、ロシア語だ。

この言語には難しい発音も、動詞の活用も、名詞の格活用もまったくない。なんという楽しさ。

しかも、初級のあなたにとって覚えるべき単語はたったひとつ。

Да(ダー)「はい」

これのみ。これを覚えるだけで、ロシア語の勉強時間が数百時間省ける。

「ドンバスの人民共和国の独立を承認せよ!」
「Да!」

「ウクライナの極右勢力とネオナチグループを撃退せよ!」
「Да!」

「これは戦争ではない。特別な軍事作戦だ!」
「Да!」

「撃て!」
「Да! Да! Да!」

次はロシア語上級の時間にお会いしよう(まだ命があれば)。

苦い文学

キャッシュレス

次のニュースです。

キャッシュレス化が進む中、今日から一部の銀行で硬貨の両替有料化が始まりました。

(都内の銀行の様子)
両替に来た利用客
「小銭をお札にするのに手数料がかかるの? えーっ、困ります」

硬貨によっては両替の手数料のほうが高くなるとあって、利用客は混乱気味です。

いっぽう、有料化の影響は思わぬところに――――

(神社の様子)
賽銭箱を前にした神主
「これまでのようにお賽銭を簡単に(両替を)できないのは……」

両替の手数料は、神社の修繕費用などの減収に繋がるとあって、関係者は困惑を隠しきれません。

銀行のこうした取り組みについて、経済アナリストの円谷嘉平さんは――――

「利便性の点から考えると、硬貨が経済成長の足かせとなっている側面は否定できません。キャッシュレス化の進展とともに、硬貨はますます不要になるのものと考えられます」

円谷さんは「将来的には、小銭を所持していると罰金刑を科されることも」と注意を呼びかけています。

苦い文学

『朕だけの日本語』

日本にはさまざまな目的で学ぶ留学生がいるが、なかには「日本で帝王になりたい!」という夢を抱いて来日する若者もいる。

『朕だけの日本語』は、そんな留学生に特化した教科書だ。

日本語教科書の『みんなの日本語』が『みん日』と略されるのにならって、『朕日(ちんにち)』との愛称で親しまれている。

この『朕日』では、帝王が使うにふさわしい日本語を学ぶことができる。具体的には以下のような表現である。

「この世に朕より優れた者がいようか……」
「勝者が常に正しい!」
「権力のみに人間はひれ伏すのだっ」
「フハハハハ! 弱い者に生きる価値などない」
「学者のいうことなどバカげた理想論に過ぎぬ」
「すべてリベラルどもの陰謀だ!」

この教科書にはまた、2つの特色がある。ひとつは会話がまったく取り上げられていないことだ。そもそも帝王と会話することなどできるものだろうか? 「はい」だけがあればいいのである。

また、同様の理由から文法解説も存在しない。帝王が文法上の誤りを犯すことなど考えられるだろうか? 帝王が文法なのである。

なお、日本語教師への注意点を述べれば、この『朕日』を使用するさいには、細心の注意を払って教案を作り、授業運営を行う必要がある。というのも、命がいくつあっても足りないからである。もっとも、これは帝王の短気さを考えると相当に難しいことだ。

統計によれば、ひとりの帝王がこの教科書を終えるまでに、平均して36人の日本語教師の命が犠牲になっている(縛り首が6人、斬首が8人、八つ裂きが5人、毒殺が10人、行方不明4名、獄死、恩赦としての自決、不審な事故死が各1名)。

帝王には有益だが、庶民には剣呑なこの『朕日』であるが、「ジャパン維新パブリッシング」という大阪の出版社が刊行している。広報によれば、ロシア語版も準備中だとのことだ。