苦い文学

ファクトチェック

インターネット空間での誤情報の氾濫、ヘイトスピーチの跋扈、陰謀論の猖獗に対処するため、政府の肝入りで「日本ファクトチェック協会」が設立された。

当初は、日本に流通するあらゆる情報をファクトチェックの対象とすることになっていたが、新聞やテレビからのマスメディアの情報はチェックの対象から除外されることとなった。これらの機関はすでに独自のファクトチェック体制を備えているからだ。

ついで、政治家から横槍が入り、政府と政党も対象から外された。「大陸から8割」みたいなのをもっと言いたかったのだ。

さらに、ネット上の情報もまたファクトチェックから除外されることになった。それだけの人手の確保ができなかったことが大きい。

「日本ファクトチェック協会」はこれ以外にもさまざまな問題に直面した。ファクトチェックそのものが事実に基づくかのファクトチェックが必要だということになり、ファクトチェックが非常に煩雑になったり、協会の Twitter が、誤情報拡散で炎上したり……。

現在では、協会がファクトチェックするのは、夢だけだ。

「はい、こちら日本ファクトチェック協会です」

「ええと、昨晩、永野芽郁ちゃんから告白される夢を見たんですが、本気っぽかったので、もしかして、本当のことかな、と思って」

「ファクトチェックします……誤情報です」

「では、芽郁ちゃんの頭がパカッと開いて、タヌキが挨拶してきたのも誤情報だと?」

「ええ……」

こんなのだったら、夢占いに行ったほうがマシだと誰もが感じている。

苦い文学

ミサイル防衛についての提案

北朝鮮のミサイル発射による威嚇が続いている。我が国の安全を脅かす重大な事態だ。

こうした危機に対して我が国ではかねてから、ミサイル防衛システムの整備を進めてきた。

弾道ミサイル対処能力を持つイージス艦とペトリオット(PAC-3)の配備によって、防衛体制を構築するとともに、自衛隊が、レーダー、人工衛星、航空機、艦艇などあらゆる手段を用いて、常時、我が国周辺を警戒監視しているのだ。

それだけではない。北がミサイルを発射するやいなや、自動警戒管制システムが着弾点を直ちにはじき出し、すぐさま迎撃を行うようになっている。

だが、これで本当に我が国は安全だろうか? 我が国の守りはこれで鉄壁であろうか? 答えは否だ。我が国は今なお北のミサイルの脅威にさらされているのである。

ここで私は、北朝鮮のミサイルによる脅威を限りなくゼロにする、画期的な防衛策を提案したい。

それはナビダイヤルの導入である。

我が国をナビダイヤルで城壁のように包囲するのだ。

いかなるミサイルであろうと、我が国に飛来するやいなや、ただちにナビダイヤルが発動する。

まずは非情な警告から始まる。「ナビダイヤルの通話料金は、発信者様のご負担です」

ついで「サービス向上のため録音させていただきます」という威嚇。これに続くのは、いつ終わるかも知れぬ、恐ろしく長いガイダンスだ。この初期防衛プロセスによってミサイルは大いに推進力を削がれる。

だが、それだけではない。次にミサイルを待ち受けるのは、永遠に続くかのような番号の選択の迷路だ。ミサイルは、さまよい、待たされ、耳障りな音楽を苦々しい顔で聞き、さらにさまよう。そして、ようやく出口に辿り着くのだが、そこで、ああ、あろうことか、こう聞かされるのだ。

「ただいま混み合っておりますので、しばらく経ったのちもう一度おかけください」

ミサイルは絶望とともに、北朝鮮へと弾き返されるのだ。

「ナビダイヤル防衛」、ぜひ前向きに検討していただきたい。

苦い文学

ショック記事

マスコミの世界でなんと呼ばれているのかわからないが、「ショック記事」とでも呼べそうなタイプの記事がある。そのタイトルはいつもこんな感じだ。

「鈴木たかしショック! 主演ドラマ書店が閉店へ」

「鈴木たかし」というのは、私が適当に作った俳優の名前だが、このニュースの内容は、彼がかつて主演したドラマのモデルとなった本屋が閉店するというものだ。

この「ショック記事」では大事なきまりがいくつかある。

まず、ショックを受ける(とされる)人(ショック者)は、それなりの有名人でなくてはならない。

「斉藤ひでおショック! トム・クルーズ来日延期」

いったい知らないおじさんがショックを受けるという情報に何の価値があろうか。

また、ショック者と出来事の間に何らかのつながりがなくてはならない。仮に斉藤ひでおさんが有名人だとしても、最低でもトム・クルーズの熱心なファンでなくては、この記事は意味を持たない。

さらに、ショック者があまりにも事件に深く関与していてもいけない。だから「森元首相ショック! 高橋元理事逮捕!」なんてのもダメだ。

そして、ショック者が不特定多数でもいけない。例えば「国民ショック! 北からまた飛翔体」。

最後に重要なのを挙げるとすれば、ショック者が本当にショックを受けたかどうかについては、取材すらされない、ということだ。つまり、記者が「ショックを受けたにちがいない」と勝手な推測をし、それをタイトルにまでしてしまうのだ(もちろん、まれに本人がショックを受けたのが事実である場合もある)。

そんなわけで、ショック記事というのは、ショック者の性質、出来事の関係などいろいろな要素が絡み合ってできていて、案外難しいのだ。

だが、私は、長年のショック記事の研究の結果、万能のショック者を発見した。

それは尾木直樹氏だ。

「尾木ママショック!」 

さすが著名な教育評論家、どんなニュースにも合うのでぜひ試してほしい。

苦い文学

認知の歪み

ところで「認知の歪み」という言葉をご存知でしょうか。

ひとことで言えば、「認知の歪み」とは、歪んだレンズの眼鏡のようなものです。そのメガネをつけると、なんでも歪んだ醜い姿で見えてしまうのです。

では、認知が歪むとどうなってしまうのでしょうか。

よく知られているのは、日本人なのに、認知の歪みのせいで日本が醜く見えてしまう症状です。この症状が進むと、中朝の肩を持つようになり、売国へと悪化してしまいます。

日本のために頑張っている愛国者や愛国政治家を貶しだすのも症状の一つです。

フェミニズムにかぶれて、日本の伝統である家制度を破壊しようとしたり、自衛隊を違憲にして日本の弱体化を目論むのも、認知の歪みによるものです。

どれも深刻な症状であり、放っておけば我が国に多大な害を及ぼすことは疑いありません。認知の歪みが国を滅ぼすのです。

私がかねてから認知の歪みの矯正と自宅でできるエクササイズの普及に力を注いでいるのは、まさにこうした危機感からなのです。

『骨盤と認知の歪みにサヨナラ! おうちエクササイズ』(著者:花田正諭[日本健全生活会議理事]、あさはか新社)より抜粋

苦い文学

「カルボナーラになります」

「(こちらが)カルボナーラになります」とは、「(この料理が)カルボナーラであるという認識が(当店では)成立しておりますが、いかがでしょうか」と客側に断定を委ねる表現だ、と私は考えている。

こう言われた場合、客は言葉で断定を表す必要はない(その手間を省くためにあえて疑問文にしないのだ)。客側が料理をそのまま受け取れば、この認識は成立したことになる。

だが、認識が成立しない場合だってある。

「カルボナーラになります」
「えっ、これがカルボナーラ? 思ってたのと違う!」

実はこんな時に強みも発揮してくれるのが、この表現だ。

客「えっ、これがカルボナーラ? 思ってたのと違う!」
店「いえ、違うとおっしゃられても、こちらが当店のカルボナーラになります」
客「しかし、こんなに唐辛子が載っているものかね」
店「ですから、これが当店のカルボナーラになりますので」
客「しかも、これなに? この刺身みたいなの」
店「当店自慢のなめろうになります」
客「カルボナーラになめろう!? いやいや、それはありえないです」
店「だから、これが当店のカルボナーラになります、といっておりますが」
客「ですが、普通のカルボナーラじゃないですよね」
店「うふふ、当店のカルボナーラになりますので」
客(しぶしぶ受け取る)「……うまっ」

相手に敬意を払いつつ、クレームにはめっぽう強い。実にたのもしい表現といえよう。

苦い文学

「になります」

飲食店などで「(こちらが)カルボナーラになります」を「バイト敬語」として、日本語の間違いだという人がいる。

「なる」は「変化」を表すから「持ってきたものがカルボナーラに変化した」というのはおかしいと言うのだ。

だが、そうした人でも「ご馳走になりました」と言わないわけではあるまい。その人が「ご馳走」に変化したわけではないにもかかわらずだ。

おそらく「なる」は「変化」というより「成立」と考えたほうがいいかもしれない。「ある人が大人になる」は「ある人が大人に変化した」というよりも「ある人が大人だ」という事態が成立したと、考えるのだ。

「なる」がこのように事態の成立を表すとすれば、さらに「認識の成立」をも表しうる、と考えたらどうだろうか。

その例が「(こちらが)カルボナーラになります」で、ここでは「(この料理が)カルボナーラであるという認識が(当店では)成立しております」と解釈できよう。

これは店側の認識を伝えることで、客の反応を待っている状態だ。すなわち「差し出された料理がカルボナーラであるかどうか決めるのは最終的に客側である」と断定する権利を客に委ねているのだ。

ところで「カルボナーラになります」はダメだ、「カルボナーラでございます」にしなさい、という人がいるが、断定するかしないかでは大きな違いがある。

「こちらがカルボナーラでございます」と言った場合、店側が「カルボナーラだ」ともう断定してしまっているわけで、客はただその断定を受け入れるしかない。その点では、「客に店側の主張の受け入れを強いる」というニュアンスが生じてしまうので、接客の現場ではそれが違和感をもって感じられるのではないだろうか。

もうひとつ大事なのは「(こちらが)カルボナーラになります」は決して「(こちらが)カルボナーラになりました」とはならないことだ。これでは認識がもう成立してしまったこと、つまりやはり断定になってしまうので、結果として店の主張の受け入れを客に強いることになってしまうためだろう。

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正しい日本語

間違っている、とよく言われる言葉づかいのひとつに「〜になります」というものがある。こんなような例だ。

レストランで、カルボナーラを持ってきたお店の人が
「カルボナーラになります」

これを槍玉に上げるのは、「正しい日本語」の使い手を自負している人々だ。たいていこんなことを主張する。


「なる」は「大人になる」とか「元気になる」とかのように変化を表す。だから、できあがったカルボナーラを持ってきて、これがカルボナーラに変化した、というのはおかしい。


それで、本当かどうかわからないが、おかしな難癖をつける人まで出てくる。

「カルボナーラになります」
「じゃあ、カルボナーラに早くなってみろ」

自分では気が利いていると思っているのだ。こういう連中はそもそも、「〜になります」は若い人が使う「バイト敬語」だと決めつけているので、「正しい日本語」の使い手としてはひとこと言う権利があると思っているのだ。

だがかりに、偉い人が「謝礼になります」と現金入りの封筒を渡してきたら、こういう連中ははたして同じような態度を取るものだろうか?

「日本語の正しさ」とやらも、地獄の沙汰と同じく金次第の可能性が高そうだ。

苦い文学

大好評につき

「〜につき」にはいくつかの意味があるが、「〜のため」「〜なので」と理由や原因を表すことがある。

「道路工事中につき迂回されたし」
「清掃中につきお足元にご注意ください」

などと、なんらかの要請をするのに使われる。有名な「その男、凶暴につき」というのも、例えば「警戒されたし」ということだろう。

理由の「〜につき」にはもっと景気のよい用法もある。

「業務拡大につき、スタッフ募集!」
「事業拡大につき、職員急募!」

とかよく求人広告で見かけるのがそれで、また次のようなものもある。

「ご好評につき、完売いたしました!」
「大好評につき期間延長!」

これらは「朗報用法」とでも呼ぶべきだが、今日、駅構内の洋菓子の売店でこんな張り紙を見かけた。

「好評につき全品半額」

「好評なので半額」というのは理屈に合わないように思えるし、もしかしたら、売れ残りの処分では……、という気もしないではないが、理由や実情はともかく、半額ならば買ってみようという人も多そうだ。

それはともかく、私はこの「好評につき全品半額」にひっかりを感じて、ずっと考えていたのだが、結局、ロシアが負けているのにさも勝っているような顔つきで動員しているのを想起させたからであった。

「戦線拡大につき兵士大募集!」というわけだ。ご存知の通り、実情は、どんなブラック企業もホワイトに見えるありさまだ。

この調子で行けば、ロシアは負ける、というのが大方の予想だが、きっとその時にプーチンはこう言い張るに決まっている。

「大好評につきキャンペーン終了!」

(蛇足だが、英語「campaign」の本来の意味は「軍事行動」だ。)

苦い文学

自分軸で生きる

私は心に決めた。自分軸で生きることにした。

もう、他人に振り回される人生はごめんだ。周りの人間の声など聞くものか。これからは、自分自身の考えで生きよう。ぶれない自分になるのだ。

すると、なんだか私は心安らかになり、いつしか眠りに落ちていたのだった……。

……目の前には荒れ果てた大地が広がっていた。あちこちで紅蓮の炎が上がり、耳を覆いたくなるような悲鳴が聞こえた。

見れば、恐ろしげな鬼たちが裸の人間たちを追い立て、手に持った鋭い槍で、突き、殴り、串刺しにしていたのだった。人間たちは全身これ血まみれの姿で、苦悶の叫びを上げながら転げ回っていた。

あまりの光景に肝をつぶした私は、叫んだ。

「どうかお願いです。やめてください。ウクライナのロシア兵より酷いやられようではないですか!」

すると鬼が憎々しげな顔を向け怒鳴った。

「こいつらは、畢竟、自分の作った槍で苦しみおるにすぎない。この鋭い槍でグサグサ、ジョキジョキ、ムチョムチョにしてやるというのが、閻魔大王様の御指図じゃ」

「ジョキジョキのムチョムチョ!? しかし、その槍がいったいなんだと言うのでしょうか?」

「これは、こいつらの自分軸とやらで作った槍じゃ(背中から引っこ抜いたのじゃ!)。現実の複雑さと人間関係の難しさに耐えきれず『ぶれない自分』とやらに逃げ込み、コーチングの戯言に踊らされた人間どもにはこうした末路が待っておるのじゃ」

「しかし、それだけでは、罪とは言えないのではないでしょうか。人間だれしも弱いものであり、時には、逃げ場が必要かと思われます」

すると、別の鬼が苦々しげな顔つきで割って入った。

「愚か者め! 自分の聞きたいことしか聞かぬという、自分軸とやらの行き着くところ、必ず陰謀論じゃ。そして、この世の大罪といわば、この陰謀論に組すること以外にありえんのじゃ!」

いら立った鬼たちが自分軸の槍をぶるんぶるん振り回しはじめた。大慌てで私は逃げだした……

私は目を覚ました。悲鳴に喉は枯れ、汗でびっしょりだった。

ああ、その夜以来、私は軸という軸を忌避するようになった。椎茸の軸にも震え上がるありさまだ。

苦い文学

インディーフォークの陥穽

韓国の音楽はずいぶん前から細々と聴いていたのだが、本格的に聞くようになったのは、去年の3月ぐらいからだ。サブスクを利用するようになったことが大きい。

それから1年半、私はひたすら韓国の音楽を聴いてきた。はじめはいわゆる K-pop ばかりだったが、最近はインディー系のほうが多くなった。

だが、さすがに1年半も続くと、別のものが聴きたくなってきた。明るくて、にぎやかなのが多いので、少し疲れてきたのだ。そんなとき、Apple Music の「インディーフォーク」というプレイリストに出会った。

フォークに、ひねくれ、暗さ、歪みが加わったような曲が多く、私はたちまち虜になった。

プレイリストはほとんどがアメリカのミュージシャンだ。知らない名前ばかりだが、Fleet Foxes や Beirut、Damien Jurado など馴染みの名前もある。

私が特に気に入っているのは、Benjamin Gibbard & Feist の “Train Song” と Alex G の “Miracles” だ。“Train Song” は 2009 年の曲(原曲はもっと古い)、“Miracles” は3週間ほど前に出たばかりだ。

物悲しさと、あやしい暗さがある名曲だ。私はこの2曲ばかりもう何度も繰り返して聴いた。

すると、どうだろう、私はだんだんと孤独な気分になり、世をはかなむようになってしまった。

これはどうにかしなくては、と思っていると、同じ「インディーフォーク」中の1曲が目に止まった。

Wilco の “How To Fight Loneliness” だ。

もしかしたら、ここに「孤独と闘う方法」があるかもしれない、と思って私はさっそく聴いてみた。

“How to fight loneliness, Smile all the time…”
(孤独と闘うには、いつでもスマイルだ……)

さらに気が滅入ってきたので、結局、韓国の音楽に戻ることに決めた。