苦い文学

妖怪傘なし

夏の日の夕方、太陽の翳りとともに湧き出してきた湿った空気が、不気味に街を覆うかもしれない。そんな不穏なときには、決して外に出ないほうがいい。妖怪たちが狙っているからだ。

夕暮れどき、高層マンションの一室から外出しようとして、こんな経験はないだろうか。部屋にいながら、なんとなく外が雨っぽいなと感じたものの、はっきりとはわからないので、窓から外を見下ろすのだ。

くすんだ街路は人気がない。そこに、ひとりの男が現れ、歩き去っていく。傘は差してはいない。そこで、傘を持たずに下に降りることになる。

すると、あろうことか、大雨が降っているのだ。路面じゅうで雨が跳ね返り、激しい音を立てている。見れば誰もが傘をさして行き来している。

では、あの窓から見た男はいったい……? これぞ「妖怪傘なし」の仕業。この妖怪は、マンション上層階の住人に傘を持たずに外出させて、びしょ濡れにするのが面白くてたまらない。この妖怪に出会ってしまったら、おとなしく部屋に引き返すのが身のためだ。

「濡れてもいい。このまま行こう」などと、外に駆け出してはいけない。

そのようなことをした者はたちまち「妖怪傘なし」と転じて、どこかの高層階の一室から外を見下ろしているだれかを惑わせることだろう。

苦い文学

夏の虫取りおじさん

夏休みに入った子どもが虫取りをしたいというので、朝早く近くの林に行った。カブトムシやクワガタがいないかと、木の幹を見て回るが、正直いって私は虫のことなどなにもわからない。このまま収穫なしで帰るほかあるまいと思っていたら、子どもが叫んだ。

「あ! クワガタ!」 子どもが虫取り網を振り上げる。そのとき、別の網が木の幹を叩いた。驚いたクワガタはどこかに逃げてしまった。

私はその網の持ち主をにらんだ。それは垢まみれの服を着た男で、私たちのことなど目に入らないふうで「あー、逃げられた。ちくしょー」などとぶつぶつ言って、頭を振っている。

私が抗議すると、「おお、すまん、すまん。てっきりゲンザイかと思って、こりゃ悪かった。で、どこだどこだ、ゲンザイのやつ」と男は見まわした。

私は子どもに言った。「さあ、別の場所に行こう」 だが、子どもはこの挙動不審な男に魅入られたように動かない。子どもが男を呼んだ。「ねえ!」 男はといえば、虫取り網を抱え、小刻みに体を揺すりながら、緊張した顔で木々を探っていた。

子どもは尋ねた。「ゲンザイってなんの虫?」

男は一瞬とまり、口をしばらくモゴモゴさせる。「それは虫じゃないよ。すばしっこくて絶対に捕まらない。ヒラヒラってすぐ逃げてしまう。捕まえなきゃ、いや、捕まえるんだ」

「どうしてそんなに捕まえたいの?」と子ども。

「だって、おじさんには、ひどい過去とひどい未来しかないんだ! だから現在を捕まえるしかないっ!」

「……あ、たしかあっちにカブトムシの大群がいたな……」と私は子どもをひっぱって立ち去った。

苦い文学

姉妹都市戦争

黒鍬市とジェファーソン市が姉妹都市になったのは、5年前のことだ。それ以来、2つの市は、文化や経済の交流を行ってきた。

黒鍬市の小学校では、ジェファーソン市のことを学び、市の式典にはジェファーソン産の乳製品が展示・販売されたりした。また、ジェファーソン市でも、黒鍬のいちょうが植えられ、特産のさくらんぼの加工品が市民の食卓に上ったりした。

そして、3ヶ月前、ジェファーソン市を訪れた黒鍬市の後藤市長一行が、バーデン市長に出迎えられ、両市の交流の発展について意見交換が行われた。その後に催された歓迎会で、両市長の取っ組み合いのケンカが始まった。

このときから、黒鍬市とジェファーソン市は断絶関係となった。激しい非難の応酬が繰り返され、やがて黒鍬市はさくらんぼの禁輸という経済制裁に乗り出した。これに対しジェファーソン市議会も黒鍬市へのチーズの提供禁止を全会一致で決定した。

ジェファーソン市は「黒鍬市在住のジェファーソン市民が迫害されている」と国連に訴え、黒鍬市民は「事実無根」と激怒した。両市の緊張はますます高まった。

そして、ついに犠牲者が出た。黒鍬市の繁華街で爆弾テロが決行されたのだ。黒鍬市民はジェファーソン市の犯行だと騒ぎ出し、同市出身の一家全員を捕まえ、辱め、なぶり殺した。

ジェファーソン市はただちに黒鍬市に宣戦布告し、両市は交戦状態に入った。

さて、困ったのは両国政府だ。地方自治体の紛争により、たがいの友好関係が損なわれることがあってはならない。それぞれの政府が、調停のために介入をはかった。

どちらも「身内の問題に口を出すな」と拒絶するばかりだ。

苦い文学

レビュー

その人はとんでもない辺境の地に住んでいるのだ。だけど、Amazon は使える。それで、本を頼む。すぐに準備が整い、関東の Amazon の物流センターから発送される。

本が収められた箱はトラックに乗せられ、海辺にたどりつき、船に積まれる。その海はいつだって大しけで、ビルくらいある大波が船を襲い、なんでも水浸しにしてしまうのだ。

なんとか海を渡るとその先には灼熱の砂漠が広がっている。Amazon の箱はラクダに積まれて運ばれていく。そこでは、すさまじい太陽の熱のせいで、なんでも発火寸前に熱くなり、激しい砂嵐のせいで、すべて砂まみれになってしまうのだ。

この死の砂漠を抜けると、広大な密林が行手を阻む。ほとんど裸で暮らす原住民がここからの配達を担うのだ。原住民は文明化されていないので、積荷の価値などわからず、扱いもすごく雑だ。しかもジャングルのすごい湿度でなんでもたちまちカビだらけになる。また、軍隊アリたちが群れで襲ってきて、なんでも噛み破って粉々にしてしまうのだ。

このような困難な配達経路を通って、ようやく Amazon の箱はその人のもとに届く。その人は箱を開き、商品を見る。なんと素晴らしい状態で届いたことだろうか。

感激のあまり、その人は Amazon のサイトを開き、レビューを書き込むのだ。

⭐️ ⭐️ ⭐️ ⭐️ ⭐️
「とても綺麗で状態の良い商品で、届いて実物を見た時はとても驚きました。」

私は思うのだが、こうしたレビューが書かれるにはこれくらいの事情がなくてはならぬのだ。でなければ、どうして商品の内容と関係のないことを書けようか?

苦い文学

いのち尊重宣言

私たちの県には誇れるものはなにない、とがっかりしていたときに、そのすばらしい知事が現れたのだった。私たちは、知事が居眠りをする県議たちをとことん糾弾する映像に感激し、この知事こそが我が県の誇りだったのだと、欣喜雀躍したのだった。

やがて知事は、他のどの知事もしたことのない新たな試みを始めた。日本で初めて県として「いのち尊重宣言」を行ったのだ。

きっかけは我が県で行われた自殺についての調査であった。調査によれば、なんと自殺したいと強く思ったことのある人が30%にも上ったのである。これを読んだ知事は、県として命を守る行動を起こそう、とみずからプロジェクトチームを立ち上げたのだった。

「命の尊重のためには、希死念慮のある人々の数の減少がなによりも重要です」と知事は私たち県民に語りかけた。「みなさん! 県をあげて命を大切にしようじゃありませんか!」

そして、数年後、私たちがこの宣言すら忘れかけていたころ、知事はいきなり自殺に関する調査を公表した。前回とまったく同じ県民を対象に希死念慮の有無を尋ねたのである。

すると、驚くべき結果が明らかになった。希死念慮のある人が、ゼロになっていたのだった! 命の尊重が実現したのだ!

私たちは大いに感激し「なんという偉人だろう!」と知事に喝采を送った。

そして、私たちの盛大な拍手のせいで「そりゃ減るさ」といった声はすっかりかき消されてしまった。

苦い文学

ハラスメント研修

私たちの大学に総長が返ってきた。学内でありとあらゆるハラスメントを繰り返し、とうとう性的暴行で捕まった総長が、罪を償って復帰したのだ。

さんざん苦しめられてきた私たちは恐れおののいた。全員がPTSDだったのだ。そして、総長はある木曜日の昼下がり、私たち全教職員を集めて、こう告げたのだった。

「私はとんでもない過ちを犯した。いくら償っても過去は変えることはできないが、未来を変えるべく行動を起こすことは許されている。私ができることは、もう二度と過ちを繰り返さないように私自身を、そしてこの学校を生まれ変わらせることだ」

総長の力強いこの言葉の後、側近が現れ、ハラスメント撲滅のために全校を挙げて取り組むことが宣言された。

この日以来、私たち全教職員は、毎日、ハラスメントをなくすための研修を受けている。ビデオを見たり、ウェビナーに参加したり、対面の講演会に出席したり、ハラスメント撲滅委員と面談したり、感想文を書いたり、反省のときを持ったり……。

1日の大半が研修に費やされるようになり、通常の業務はもはや徹夜でもしなければおっつかなくなったとき、私たちは確信した。

こういうハラスメントなのだ、と。

苦い文学

亡霊の出現

その絵はたぶん古い雑誌の1ページだと思われた。もっとも何の雑誌かはわからない。

片面は文字がびっしり印刷されている。内容についてはここで触れるに値するものはない。そうした類の低俗な雑誌だったのだ。

絵があるのはもう片面のほうだ。その絵は物語の挿絵のようだが、肝心の本文はない。

まるで西洋の古城のような壮麗な室内が描かれている。食卓がしつらえられていて、豪華な料理が並んでいる。着座しているのは、この屋敷の主人らしき威厳ある男だ。その顔はまるで冷酷な軍人のようだ。彼は鋭い目つきで、前に座る若者を見つめている。

その若者はといえば、主人の背後にある大きな窓を見つめている。顔が驚愕と恐怖に歪む。窓の外の闇を稲光が切り裂き、そしてその雷光を背景に、奇怪な亡霊が出現し、室内を、いや主人を睨んだ。

亡霊の眼差しは憎悪に満ちている。その戦慄すべき顔は主人にそっくりだ……。

これはいったいどんな怪奇小説の挿絵だろうか? 興味を感じてなおも眺めていると、紙の下部に消えかかった文字があるのに気がついた。

苦労して読み解くと、絵の説明であることが判明した。こう書かれていたのだ。

「絶対にぶれない将軍の館に、将軍のぶれた部分が亡霊として現れた!」

苦い文学

新札旧札

【旧札の替えどきは? 気鋭の経済学者のコラム ‼︎ 】
もうすでに多くの人が論じていますが、新札は大混乱を引き起こす、というのが大方の予想のようです。

なぜなら、この新札はどこででも使えないからです。自動販売機、自動券売機、ATM、レジの自動精算機……私たちの生活は、お金のやり取りはもうほとんど機械がやるようになっているのに、その肝心の機械が新札を受け付けてくれないのだから、あきれます。

かといって、新札に対応する機械の導入コストだってバカになりません。この不景気に、そのような負担ができる中小企業はまずないのではないでしょうか。

そんなわけで、私たちは旧札を使い続けざるをえません。ですが、政府としては新札を使ってほしいのですから、ジャンジャン刷って、旧札を回収します。その結果、使えない新札がますます出回っていくことになるのです。

こうなると、私は新札デフレが始まると見ています。つまり、新札の価値が下落して、旧札と等価でなくなってしまうのです。たとえば、福沢諭吉1万円手に入れるのに、渋沢栄一5万円分必要になるかもしれません。また、このままだと樋口一葉の5千円に津田梅子10枚分(5万円)支払うようになるでしょう。

もちろん政府はこのような交換を禁止するでしょうが、それでも、絶対に旧札は手放さないでください。

そのうち政府が、旧札1枚使用するごとにポイントを付与するキャンペーンを始めるはずなので……。

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サクラ

昔、日本人は死を知らなかった。人は何百年と生き、ゆっくりと年老い、別の世界に消えていくのだった。そんなだから、縄文時代は1万5千年以上も続いたのだ。今のように政府がコロコロ変わったりはしなかった。

さて、ある日のこと、縄文時代の日本人が山を歩いていると見知らぬ原っぱに出た。そこには見たこともない木が生えていて、枝という枝がピンク色の花でいっぱいなのだった。私たちの先祖はその美しさに息を呑み、見事に咲いていることから、その花を「サクラ」と名付けた。

ご先祖様たちは、その「サクラ」の前で何日も過ごした。あまりの美しさに立ち去りがたくなってしまったのだった。しかも、サクラは咲いたかと思うと、潔くパッと散って、花びらを周囲に振りまいた。これにすっかり夢中になった大昔の日本人は、サクラにこうお願いした。

「サクラよ、あなたが潔く散るのを真似して、私たちが潔く散るのをお許しください。そのかわり、私たちは、あなたを褒めたたえるために、あなたが咲くと、その下で酒や食べ物を捧げます」

こんなふうにして私たちはサクラと約束し、潔く死ぬことを覚え、花見の習慣も始まったのだ。

私たち日本人と桜の約束は、どちらかが一方的に勝手に解消することはできない。なので、私たちは桜というものがあるかぎり、潔く死ぬことだろうし、子どもだろうと誰だろうと、他人に潔い死を強制し続けることだろう。

じつのところ、早く温暖化が進んで、日本から桜が消えるように、と私たちは内心思ってる。

苦い文学

石板

『旧約聖書』の「出エジプト記」に描かれるのは、指導者モーセがイスラエルの民を率いて、エジプトを脱出する物語だ。

脱出後、モーセは、イスラエルの民とともにシナイ山の荒れ野に到着した。人々はそこにテントを張って、キャンプをした。モーセは、シナイ山の山頂に登り、神に会った。そして、神はイスラエルの民のために掟を定め、石の板に自らの指でその掟を記し、モーセに与えたのであった。

いっぽう、そのころ、イスラエルの民はモーセが待てど暮らせど山から戻ってこないので、ひどく不安になって騒ぎはじめた。不安をしずめるために人々は、金のアクセサリーを集めて、黄金の子牛の像を作り、これを崇拝することにした。

山から帰ってきたモーセは、イスラエルの民が勝手に神像を作り、ひれ伏したり、踊ったりしているのを見た。彼は、自分の思いの通じない民の姿に激怒し、手にしていた石板を投げつけ、粉々に砕いたのであった。

偉人中の偉人であるモーセにしてこうなのだから、現代の私たちが、ゲームがうまくいかないからといって、カッとなってコントローラーを投げつけたとしても、だれが責められようか。