苦い文学

さとうもか & Mom@月見ル君想フ

5月6日、青山の「月見ル君想フ」という変な名前の会場で、さとうもかと Mom のツーマンライブがあった。双方ともギターの弾き語りだ。

はじめに出てきた Mom は若いミュージシャンで、私はさとうもかの「いとこだったら(feat.Mom)」に参加していることぐらいしか知らなかったが、声がとてもよかった。3月に出たばかりのアルバムの曲が中心で、いい曲も多い。

ニコニコして、独特の雰囲気があるので、なんだかもう中学生みたいだと思ったが、MC で「ゴールデン・ウィーク最終日なので髪型を G と W にしてきた」などと言うのでますます似てきた。

もう中は別として、音楽の雰囲気が何かを思い出させるな……とぼんやり思っていたが、最後になって FISHMANS が浮かんだ。もっとも、第一印象なので違うかもしれない。

Mom のギターは、ときに激しくときに繊細なものだった。いっぽう、さとうもかのほうはむしろギターを叩くタイプの弾き方だ。けっこう弾き間違いもしていたが、あまり欠点には感じられない。スタイルをしっかり確立しているので、多少のことでは揺らがないのだろう。

ライブの最後は二人での「いとこだったら(feat.Mom)」で、これもよかった。

苦い文学

クマ・サガル LIVE IN TOKYO (7)

クマ・サガルのライブで、私が恐れていたことのひとつは、群衆事故だ。最前列中央の前には黒い低い壁で囲まれた DJ ブースがあった。壁の前はパーテーション・ベルトが設置されており、その前には人ひとり分の隙間があった。

しかし、ライブがはじまり、観客たちの熱狂が高まると、人々は少しづつブースの壁へと押し出されていった。私が立っていたのはこのブースのない端の部分であったが、私も後ろからの人に押されて、ついにはブースの脇の高台に押し上げられた。

そこから、最前列を振り返って見下ろすと、後ろから押された若者たちが、ブースの壁に手を当ててしのいでいるのが見えた。非常に危ない光景だった。フロアには、人の動きを止める柵など設置されていなかったから、もしどこかでパニックが起きて、後方から観客たちが押し寄せてきたら、壁際の人はもうどこにも逃れることはできず、押しつぶされるほかないのだ。

私の場合は、たとえそうなっても、ステージの方に逃げられる、と考えていた。だが、後ろからどんどん人が前に湧いてくるので、もはやそううまく避難できるかもわからなくなった。

そして、もうひとつ私をおののかせていたのは、おしっこだ。5時前に会場に入場する前にトイレに行くチャンスがあったのだが、私はそうせずに会場に入り、自分の場所を確保した。そして、その瞬間から、5時間にわたる私と尿意との戦いが始まった。

はじめは少し音楽を聞いてから、ゆっくり行こうと、と考えていた。だが、メインフロアが開放され、ステージ前の最前列に立ってしまうと、もうできるだけここで聞いていようという気になった(私のカバンの中にはペットボトルがあった)。そして、会場が満員となり、ライブが始まっても、自分はまだトイレに行くチャンスはあると考えていた。しかし、人々が前へ前へと押し寄せてくるようになったとき、私はもうトイレに行くのは無理だと覚悟した(ペットボトルだ!)。

最悪の場合は漏らすことだが、これだけの騒ぎの中なら、バレないような気もした(もしかしたらペットボトルになら……)。

だが、結局のところ、すべて無事に終わった。群衆事故も起きず、おしっこも漏れず、私と観客たちはクマ・サガルの音楽に満足しながら会場を去ったのであった。

今回の公演を事故なく終わらせることのできた運営の人々、会場の人々、観客たち、そして私の膀胱に感謝をして終わりたい。

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クマ・サガル LIVE IN TOKYO (6)

そして、ついにクマ・サガルとバンドの面々がステージに上がり、ライブが始まった。ここでバンドの編成についてまとめておく。

アコースティック・ギター(クマ・サガル)が中央。その右にフルートのような笛、その隣にもう一本、アコギ。ステージの左側には、エレキのバイオリン(のような弦楽器)とエレキベース。

後列には、中央にシンバルのような楽器。両脇にネパールの伝統楽器のような打楽器を叩くパーカッショニストが2人。総勢8名だった。

その音楽は、すでにリハーサルのところで書いたがフォークなプログレで、メロディも親しみやすい。だが、クマ・サガルたちの音楽についてはもうこれ以上書かない。

なぜならそれどころではなかったからだ。千人を優に超える観客たちの熱狂ぶりがすべてを変えてしまったのだ。絶叫、合唱、騒ぎ声、鋭い口笛、フロアの轟きに圧倒されながら、私はまるでここが新宿ではなく、ネパールの異界に連れ去られたかのような錯覚を何度も味わった。

ここにいるネパール人のほとんどはみな20代だった。もちろんそれより年上もいたが、大多数が若い人々であった。これらの若いネパール人たちは、日本で学んでいる人もいれば、働いている人もいる。異国でそれぞれ苦労しているこれらの人々が、久しぶりに故国のスターを前にして、騒がずにいられようか? ハメを外さずにいられようか?

今の日本のライブでこれ以上盛り上がるものがあるか疑わしかった。私はライブをそれほど経験しているわけではないが、日本のライブだって高齢化していないわけがないのだ。

これらのネパールの若者たちの歌声にかき消されて、クマ・サガルたちの音楽が多少聞き取れなかったとしても、私はまったく気にならなかった。それ込みでライブだ。もはや日本では存在しえないような破壊的な熱狂に立ち会えたことに私は満足を感じた。

とはいえ、これらすべての感嘆すべき経験にもかかわらず私は、ふたつの恐怖におののいていたのだった。

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クマ・サガル LIVE IN TOKYO (5)

午後6時になったとき、ステージにネパール人の男女が上がり、ネパール語で話し始めた。ステージの背後には、大きなスクリーンが設置されていたが、そこに今回の公演のスポンサーが次々と映し出されている。ゴールド・スポンサーのなんとか協会の代表の誰々、シルバー・スポンサーのなんとかレストランのオーナー誰々、といった具合で、面白いのはネパールの日本語学校も協賛に加わっていたことだ。

二人の男女はおそらく今回の公演のスポンサーについてなど話しているのだろう。その後、女性の歌手がステージに上がり、カラオケで2曲歌った。有名な人なのか知らないが、その曲は確かに有名なようで誰もが声を合わせて歌っていた。

そして、再び、ステージは無人となった。振り返ると会場は満員だ。キャパは 1,500 人というが、間違いなくそれくらい入っている。私は最前列にいたからその景観に圧倒された。その観客たちから「クマ・サガル!」コールが湧き上がる。クマ・サガルは会場の後ろのどこかにいて、ステージに上がるには、これらの大観衆をかき分けてやってこなくてはならない。

もしかしたら怖気ついたのではないか? それとも危険すぎてそのうち解散となるのではないか?

それから40分ぐらい待ったろうか、もう午後7時、というときだった。大きな歓声が上がった。いよいよやってきたのだ。観客たちは、クマ・サガルたちが通り抜けるその道筋に沿って携帯を掲げた。撮影しているのか、それともライトで照らそうというのか……いくつもの携帯の画面のそれぞれに小さい世界が映し出され、幻想的な光景が作り上げられた。

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クマ・サガル LIVE IN TOKYO (4)

私は最初のエレベーターの便で、7階の会場に到着した。紙のチケットは持っていなくて不安だったが、オンラインチケット専用のチェックポイントがあって、そこで携帯をかざせば無事に入場することができた。だが、その間に、紙のチケットを持った観客たちはどんどん追い越していった。

会場となる「T2 SHINJUKU」は、これまで私が行ったどのライブ会場とも違っていた。「ナイトクラブ」ということだが、会場の半分強がメインフロアになっていて、奥のほうに低い壁で囲まれた DJ ブースがある。その向こうにステージがあって、バンドがリハをしていた。私たちはといえば、メインフロアの外側に立たされていて、そこから先に入ることはできなかった。メインフロアの広い空間の左右には、コの字型の大きなシートが3つづつ設置されている。これが1万5千円の「VIPシート」だろうか? 数名の人が座っていた。

メインフロアの外側の私たちがいるところに別のブースがあり、そこにはクマ・サガルがいた。マイクを片手に、サウンドチェックをしている。私はその横に立ち、はるか向こうのリハーサルの演奏を聴いていた。ネパールの伝統的な音楽ということだが、聴いていると、フォークのプログレといった感じで、とても良い。

やがて開演時間の5時になった。クマ・サガルがステージに向かい、その中央に立つ。観客たちから歓声が上がる。何も言わずに歌い始める。だが照明も付かずステージは薄暗いままだ。

しかも、ステージから私たちのいる場所まで広大なメインフロアが広がっている。例の「VIP シート」には人もほとんど座っていず、フロア中ががらんとしている。そんな中、演奏が始まったのだ。

私はさすがに呆れた。観客をメインフロアにも入れるべきではないのか? そう思っていると、メインフロアと私たちを隔てていたベルトのバリケードが取り払われた。私たちは演奏中のステージに向けて突進する。私はうまく最前列、DJ ブースの脇に入り込むことができた。

クマ・サガルとバンドは暗いステージで演奏を続けていた。すると、20分ほどで演奏を止めてしまった。撤収を始める。彼らはステージを降り、満員の観客たちの中を押し合いへし合いしながら、奥の方に消えていった。

これで終わりなのだろうか? いや、ようやく気がついたのだが、これもリハーサルだったのだ。開演はチケットに書かれていた5時ではなかった。結局、私たちは6時まで待った。その間に、会場には次から次へと観客が流れ込んできた。

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クマ・サガル LIVE IN TOKYO (3)

ライブの会場は7階にあるから、観客はエレベーターで順次、上がっていくことになる。たくみに列の先頭に滑り込んだ私は、そのエレベーターに乗せられる第一陣としてエレベーターの脇で待機することになった。ネパール人のスタッフと会場のスタッフがしきりにやりとりしていた。

なんとなくネパール人スタッフと会場のスタッフとの間で、事前にうまく意思疎通できていないような印象を受けた。これは言葉の問題もあるかもしれないし、ネパール人のスタッフにボランティアが多いせいかもしれない。

ビルマ関係の音楽ライブに少し関わったことがある経験からいえば、こうしたライブは、日本在住の人々がこのためだけに集まって開催することが多く、ほとんどの人が興行の素人だ。もちろん、会場の設営や、音響・照明などは日本人のプロや、会場の専門家が担うが、それ以外、例えばチケットの販売や、宣伝、アーティストの移動や宿泊、観客の誘導などは、普通の人々がボランティアで行うことが多い。いわゆる「手作り」というわけだが、しばしば運営の面で行き届かないこともある。

そのせいだかどうだかわからないが、開場は4時だというのに、私たちはそのままずいぶん待たされた。

だが、4時半ごろ、動きがあった。エレベーターが開いて、スタッフが乗り込もうとしたのだ。いや、KUMA SAGAR だ。クマ・サガルとバンドメンバーたちがエレベーターに乗ろうとしているのだ。誰もが写真を撮り始めたので、私も携帯をかざした。

私たちはそれからさらに15分近く待たされて、ようやく7階の会場に到達することができた。だが、それはなんという会場であったことであろうか。

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クマ・サガル LIVE IN TOKYO (2)

現在、ネパールの歌手、KUMA SAGAR が、バンド The Khwopa とともに来日中だ。私が行ったのは、5月4日の東京公演で、大阪公演がこれから5月9日に開催される。まだあるようなので、ぜひチケットを買って行ってほしい(ticketkhai.com)。

クマ・サガルとは? という人には、サイトこんなことが書かれているので紹介したい。

A fusion band that blends traditional Nepali music with contemporary elements, preserving the country’s cultural heritage.

要するに、ネパールの伝統音楽をロックやフォークのテイストで演奏するフュージョン・バンドだ。こういうバンドが KUMA SAGAR の曲を演奏するということだ。

さて、私の5月4日のライブのチケットを見ると、午後4時開場、5時開演とある。ライブとしてはやや早い時間だ。会場は新宿駅前のカレイドビル7階の「T2 SHINJUKU」。よく知らないが、「日本国内最大規模ナイトクラブ」という触れ込みだ。

そこで、4時前にこのビルに行くと、狭い歩道にネパール人たちが集まっている。開場を待っているのだ。入り口を首からパスをぶら下げたネパール人スタッフが行ったり来たりしている。私はしばらく歩道の脇で待っていたが、何人かの人が緑色のチケットを手にしているのを見かけて、不安になった。オンラインでチケットを買ったので、紙のチケットはなく、ただ QR コードが送られてきただけだ。

そこで、入り口に行って、「ボランティア」と書かれたパスをぶら下げた人に話しかけて、QR コードを見せた。するとネパール語で答えたのだが、手振りから「上で見せろ」と言っているのがわかった。私はそのまま入り口で待つことにした。

しばらくそのままでいると、黒い T シャツを着た屈強な男たちが入り口にやってきた。背中には白字で「SECURITY」と書かれている。これらはネパール人ではなく、会場側のスタッフだ。

「歩道に並ばせよう」

私はセキュリティが日本語でこう言うのをいち早くキャッチして、他のネパール人たちが動き出す前に、セキュリティが列を作ろうとしている場所の先頭に潜り込んだ。

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クマ・サガル LIVE IN TOKYO (1)

クマ・サガル(KUMA SAGAR)はネパールのミュージシャンだ。私はネパールのことも、その音楽のこともよく知らないが、有名な曲がいくつもあるらしい。その音楽はというと、ネパールの伝統音楽を今風にアレンジしたもののようだ。

そのクマ・サガルがバンドを引き連れて日本に来てライブをするという。福岡、大阪、名古屋、東京と全国を回るらしい。東京は5月4日だ。

これを教えてくれたのはネパールの学生で、学生割引の席と VIP 席があるとのこと。調べてみると、ぴあや e+ では扱っていないようだ。さらに調べてみると、ticketkhai というサイトで買えるとわかった。他にどんなライブを扱っているのか見てみたが、クマ・サガルの東京・大阪公演しかない。もしかしたら、このツアー専用のサイトかもしれない。日本在住のネパール人向けの公演なのだ。ちなみにクマ・サガルに言及した日本語のニュースなどもないようだ。

サイトを見ると、一般が 6000 円、VIP 席が 15,000 円。Early bird ticket(早割チケット)は売り切れとあるが、これが「学生割引」といっていたものだろう。しかし、一般の2倍以上する1万5千円の VIP 席(フリードリンク付き)とはどんな席だろうか。

ネパールの人気ミュージシャンの来日と4大都市ツアー、なのに日本ではネパール人以外ほとんど知られていない。さらに、謎の VIP 席……。興味をそそられた私は行くことにし、チケットをオンラインで購入した(もちろん一般)。

数日後、このチケットサイトを覗いてみると、VIP 席以外はもう売り切れていた。

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餃子のタレ

私たちはそのとき、中華居酒屋で飲んでいたのだった。どうしたわけか政治の話になった。一人がこんなことを言って怒りだした。

「野党というのはいつも反対ばかりだ。反対するなら対案を示せばいいのに」

私はその人のことはよく知らなかったが、この意見を聞いてその人のことが多少わかった。あまり物を考えない人だ。だが、私は黙っていた。すると、私の友人が「なるほど」と応じた。「確かにそうだ」

彼は愚かどころか賢い人だったので、私は彼の言葉に内心驚き、また不愉快に感じた。私としてはこうしたつまらない話に付き合いたくはなかったのだ。友人はテーブルの上の餃子を指して反野党の人に言った。

「ところで、この餃子、メニューには『何もつけないでお召し上がりください』って書いてある」

「それが?」と反野党の人。「俺はね、お酢と醤油とラー油で食べたいんだ」と餃子をひとつ箸でつまむと、小皿に自分で調合したタレをたっぷりつけて食べた。

「野党ってのは、そのタレのようなもんだ」と友人は笑った。「向こうがいらないっていったって、自分好みの味に変えるのは自由だろ」

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ぶつからないおじさんたち

「ぶつかりおじさんという概念が誕生して以来、おじさんたちの外出はますます不穏なものとなった。

そもそも、犬も歩けば棒に当たるの諺の通り、外に出てまったくぶつからないというのはありえない。ことに足腰の衰弱のためフラつきがちで、わずかな凸凹にもつまづきがちなおじさんには至難の業なのだ。だが、不寛容な現代社会は、おじさんが不注意にも他人の肩をかすめた程度でも、「ぶつかりおじさん」のレッテルを貼りつけるのだ。

そこで、おじさんたちが安全に外を歩けるようにするためのいくつかの方法が考案された。

まず、「おじさん歩行中」というステッカーを体中に貼り付け、周囲の注意を促す方法が提案された。だが、これは、おじさんたちの拒絶反応によって迎えられた。「初心者マークじゃあるまいし!」「ヘルプマークなんてみっともない!」 おじさんたちにとって、自分たちが弱者であるという考えは我慢ならなかった。

次に、人の少ないオフピーク通勤の活用が推奨された。だが、おじさんたちはこれもガンとして拒否した。なぜなら自分の人生がすでにオフピークであることを認めるような気がしたからである。

さらに、おじさんがぶつからないようにするためのトレーニングも開発された。柔軟体操を通じて体をほぐし、敏捷性を向上させるためのメニューが開発された。しかし、おじさんたちは「ストレッチなんか女子どものやることだ!」と嘲笑った。自分たちにふさわしいのは、派手でかっこいいものだけだと思い込んでいたのだ。

そこで、もっと運動性の高いトレーニングが開発された。それは押し寄せる障害物を巧みに交わしながら前へと進む訓練法だった。

おじさんたちはすぐさまこの過激な訓練法に夢中になった。おじさんたちはみな「豚だ! 豚!」「少年院の力石徹だぞ!」と興奮したが、若者たちはなんのことかさっぱりわからなかった。