苦い文学

兄貴寿司

先日、出先で昼を迎えることになった。家で食べるほうが安心だったが、しかたなく大手チェーンの回転寿司に入った。

入ると、ガイド役の機械が待ちかまえていた。指示されるままにその画面をタッチすると、カウンター席の番号が書かれた紙が出てきた。

そこで食べろというのだ。カウンター席はひとりひとり仕切られている。私たちは食べるときはひとりでなくてはならない。寿司のレーンは上下2本あり、下のレーンを絶えず寿司が流れていく。どの寿司も大きな透明な殻に入れられている。

レーンの上にモニターがあり、そこから注文することができる。マグロを注文し、しばらく待つと「注文した商品が到着します」と音声が流れた。皿が上のレーンを流れてくる。私は緊張しながら速やかに皿を取った。わずかな遅滞が命取りになるかもしれないからだ。

醤油差しは仕切りの下の台に置かれている。醤油皿はない。私は慎重にこれを取り上げた。そして、余計な誤解を招かないよう自分の顔から十分離して寿司の上に持っていき、数滴だけふりかけた(かけすぎるのも危険だ)。そして、寿司を素早く口に放り込んだ。

空いた皿を醤油皿として使っていいものか迷ったが、確信が持てず結局やめた。醤油差しの置かれている台にガリの入った容器も置かれていたが、難易度が高そうなのでこれも諦めた。

私は結局、4皿ほど食べて終わりにした。もう限界だった。何もかもがトラップのように感じられた。

会計をセルフレジでしていると、人間の店員が私に声をかけてきた。食べ終わった皿をテーブルの片隅にある回収口に入れていなかったというのだ。

「しまった、ついに引っかかった」と私はとりみだしたが、店の人が代わりにやっておいてくれたというので安心した。さもなければ、別室に連行されていたかもしれない。

私は命拾いしたことにつくづく感謝しながら、「Big Brother is watching you」と記されたレシートをポケットに押し込みながら店を出た。

苦い文学

告発

私は怒っている。今日、電車の中で二人の乗客から酷い扱いを受けたのだ。尊厳を傷つけられた私は、正義が直ちに行われるよう求めて、ここに告発を行う。不正に泣く者たちに慰めが与えられるように!

今日、私は混んでいる電車の中で、座席に座っていたのだった。私の目の前には、二人の乗客が立っていた。二人はたまたま隣り合わせたに過ぎない他人同士だったが、たったひとつだけ共通点があった。

二人とも私の席を狙っていたのだった。こころみに私が少し腰を浮かせると、二人はびくりと反応した。私が席を開けると思ったのだ。

そして、この反応が、自分の隣に実はライバルがいるということを気がつかせたようだった。私は二人の間に緊張が高まるのを見て大いに喜んだ。

《やれ! もっといがみあえ! 私のこの高価な席を奪うため、もっと醜い争いを繰り広げるのだ!》

私は二人の前で膝頭を右に向けた。すると、左側の客が前のめりになった。つまり、こう考えたのだ。右側に向かって私が立ち上がり、ドアに向かって歩くと、右側のライバルを押しのけることになる、と……これは左側の客が席を奪うチャンスでなくてなんであろう。

しかし、私は立ち上がらない。それどころか、膝頭を今度は左に向ける! すると、右側の乗客がチャンスとばかりに前のめりになる。

右、左、右、左……私は巧みに膝の向きを変え、二人の乗客の欲望を刺激し、互いへの敵意を掻き立てた。

《まだだ、まだまだだ、譲らんぞ!》

電車が駅に着いた。私が降りる駅はその次。私は自分が降りるときのことを想像した。二人が直面している、このおあずけ状態は、私の下車によって、たちまち醜い奪い合いへと転ずるだろう。そう考えるだけでもう心が高鳴った。

だが、そのときだ、意外なことが起きた。私の前の二人の乗客は、この駅で降りてしまったのだ。

《さては!》 私は心の中で叫んだ。《あいつらはぐるだったのだ!》

座りたげなそぶりを見せて、私をまんまと騙したのだ。いまごろホームのどこかで私のことを嘲笑しているかと思うと、いよいよ腹が立ってきた。

人間の心を弄ぶとはなんと酷い連中ではないか。こういう堕落した人間は断固として鉄道から追放すべきではないか。

苦い文学

私が駅になったら

私はおしゃべりだとよく言われる。たしかに、人といるときは絶えず話しているようだ。

なるほど私のまわりの人はしばしば不愉快そうな顔つきでいる。睨みつけたり、舌打ちしたり、これみよがしに席を立って離れた場所に移ったり。

「つまらない話ばかりしやがって!」と見知らぬ人に怒られたのもこのせいかと思う。喫茶店で、隣の客にコーヒーをぶっかけられたのもそうだ。「お前のくだらないおしゃべりを聞くために、コーヒー代を払っているわけじゃない!」とその人は怒鳴ったのだ。

私はもちろんおしゃべりをやめるつもりなどない。これが普通なのだから。それに、周りからケチをつけられてイラついているので、もっともっとおしゃべりになってやろうとすら考えている。

いっそのこと私は駅になりたい。

朝から晩まで、言わずもがなのことを延々と喋り続けてやるのだ。そして、一瞬、黙ったかと思うと、得意げに英語とか中国語とか韓国語とかでべらべらやりだす。多言語にも対応しているってわけ。もちろん、自分の代わりに機械にたっぷりアナウンスさせたり、一緒になって2重3重のポリフォニーでおしゃべりに楽しく花を咲かせたり。かと思うと、急におかしなメロディを奏ではじめたりして……。

私が駅になったら、人々は私につらく当たったことに後悔するだろう。そして、両の耳を全摘するか、あるいは、高性能のノイズキャンセル機能つきの高価なイヤホンを買うか、どちらかの選択を迫られるだろう。

苦い文学

国家の根幹

私たちはとても嬉しい。これほど嬉しいことは近頃なかった。思わずみんなで、祝杯をあげてしまいました。

といいますのも、昨日、滋賀県首長会議に出席した東近江市長が、不登校対策について、こんなことをおっしゃってくれたからです。

「文部科学省がフリースクールを認めてしまったことに愕然としている。フリースクールは国家の根幹を崩してしまうことになりかねない」

この発言を聞いた私たち、フリースクールの敵にして学校の守護者である教育委員会は欣喜雀躍しました。手を打って喜び、踊り出しました。

私たちの日頃の努力、献身、研鑽、苦労がついに認められたのですから。私たちの仕事が「国家の根幹」に関わる重大事であることを、ここまではっきりと言ってくださった政治家はいるでしょうか。

私たちの教育活動のすべては「国家の根幹」のためなのです。もし子どもたちが、学校に行けない子、体罰で死ぬ子、いじめられっ子、体育で倒れてしまう子ばかりだったら、いったい国家の根幹はそそり立っていられるものでしょうか。国家の根幹はもやしではないのです。それを体罰だ、虐待だ、隠蔽だなんだと言い立てる外野に私たちはうんざりです。

しかも、連中はまたぞろ新しい言いがかりをつけてきました。教育は人と人とのぶつかり合いです。ときどき手が滑って教師が子どもたちの NG な部分をジャニって(*)しまっても、大目に見るべきではないでしょうか。

私たちは、国家の根幹に人間の根幹がふさわしくない場合は、どうすべきか知っています。ふさわしくない根幹は、子どものうちからこうすべきです! 叩き壊し、崩し、潰し、粉砕し、焼き尽くし、溺れさせ……

(*)「ジャニる」とは「スマイルアップる」こと。

苦い文学

老害国家

さきほど、新たに結成された愛国保守政党が記者会見を行った。党首は、党の二つの根本理念について、以下のように堂々と説明した。

「私たちの党の大きな目的のひとつは、政治から老害を退場させることです。どうです、現在日本で行われている政治ときたら。歳をとっただけの老害政治家が自分の既得権益を守るだけではないですか!」

(大きな拍手)

「これでは我が国は老害国家です! 老害たちには即刻ご退場願いましょう」

(さらに大きな拍手)

「私たちはそのかわり、政治に若い力を結集し、なにものにも束縛されぬ、決断力ある、スピード感あふれる政治を行います!」

(割れんばかりの拍手)

「もうひとつの我が党の目的は、日本の国柄を守る、これです」

(大きな拍手)

「日本は世界でもっとも歴史ある国です。そのもっとも古い国のやり方を尊ぶのが、我が国の政治でなくてなんでしょうか!」

(さらに大きな拍手)

「LGBT法? 移民の受け入れ? そうした新しい未熟な政策が、我が国の国柄にふさわしいとはとうてい思えません! 歴史の風雪に耐えた伝統こそが尊いんです。それをとことん守るのが政治の務めです!」

(割れんばかりの拍手)

(フロアからすっとんきょうな声)「えっ、日本は歳をとっただけの老害国家だから退場しろだって?」

苦い文学

選ばれ〜る

私は今、求職中だ。

実際のところ、履歴書をゆうに 100 通以上は送ったが、梨の礫だ。どうにかして、書類審査を通過して、面接にまでこぎつけたい。そのためには、選ばれる履歴書を書かなくてはならない。

だが、選ばれる履歴書とはなんだろうか。私はあらゆる履歴書の文例を参考にし、どこに出しても恥ずかしくない履歴書を完成させた。だが、この、よもや落とされまいというものが落とされるのだ。

もしかしたら何かが足りないのではないか……審査側が選ぼうという気になるような要素が。

今日、そんなことを考えながら、散歩に出た。そして、喉が渇いたので自販機でお茶を買ったとき、気がついた。

そういえば私の履歴書には「〜」がない、と。

どういうことかというと、お茶を買おうと自販機に向き合ったとき、私はそこに「つめた〜い」「あたたか〜い」と書かれているのを目にしたのだ。

私たちが自販機の前に立ち、この「つめた〜い」「あたたか〜い」を見るとき、飲み物を買おうと選ぶ気満々だ。つまり「〜」と「選びたい気持ち」の連合が私たちの心理において生じているのだ。この経験が繰り返されると、この連合はますます強化されていく。

その結果、どうなるかというと、私たちは「〜」を見ただけでもう選びたくなってしまう。「〜」が刺激となって「選びたい気持ち」を喚起しているのだ。

ならば、履歴書の文言のあちこちに「〜」をさりげなく紛れ込ませれば、この「〜」がトリガーとなって、審査側の「選びたい気持ち」を呼び起こすこと疑いなしではないか。これぞまさに「選ばれる履歴書」いや「選ばれ〜る履歴書」だ。

私は急いで帰宅すると夜を徹して履歴書の修正を行い、先ほど完成したばかりだ。

近いうちにみなさんに、明る〜いお知らせをお伝〜えした〜い。

苦い文学

病なき世界

それほど遠くはない将来、私たちの社会から病気というものが一掃されるだろう。

風邪も、腰痛も、水虫もなくなる。もちろん、我々がこれらの病に罹患しないというわけではない。私たちの体内に組み込まれた人工的なメカニズムが、私たちが気がつく前にそれらの病を抑え込んでしまうのだ。

風邪もないのでその世界では咳は存在しない。鼻炎もないから、鼻をすすると「なんの音だ」と周りに人がわらわら集まってくる。そんな音を聞いたことがないのだ。

もしかりに誰かが痰を吐いたとしよう。世紀のニュースだ。まるで日本オオカミが見つかったみたいな騒ぎだ。痰を見ようと日本中から人がやってくる。列を作って並んでる。それだけじゃない、痰を吐いた人のほうも、あっちこっちのイベントで痰を吐いてくれと声がかかる。もうひっぱりだこだ。

「ぜひ明日、フードコートで、痰のほうを、ひとつぜひ……お願いできませんかね」

「いえ、申し訳ありませんが、明日は皇室の晩餐会で、痰吐きを披露する予定でして……」

苦い文学

万引き

お店に入って商品を選び、小脇に挟んで別の商品を探すが、気に入ったものがないので、そのままお店を出てしまうことがある。

このとき、小脇に挟んだ商品のことはすっかり忘れているのだ。店から一歩二歩踏みだしたとたんに、あっと気がついて慌てて戻ることとなる。

下手をすれば万引きになるところだが、興味深いのは、店の人も、そして、おそらくは店内のどこかで目を光らせているに違いない万引きGメンも、これに気がつかないことだ。

おそらく万引きをした人はその態度に不審な点がどこかしら現れるもので、それは経験を積んだ店員や警備員にはかなりはっきり見えるのだろう。だが、私のように自分が万引きしつつあることに気がついていない場合は、そうした手がかりがないため、たとえ未精算の商品が脇に挟まれていたとしても、うっかり見過ごされてしまうということになる。

となると、自分の意識をコントロールして、自分が万引きをしているということに気がつかない状態に持っていくことができれば、どんな万引きも可能になるのではないだろうか。

私がメディテーションの修行に打ち込むようになったのもこうした理由からだ。いずれ、万引き自由自在の術を身につけ、カーディーラーから新車をごっそり万引きしてみたいと思っている。

苦い文学

試練

人生の試練は何のために与えられるのでしょうか。

それは、私たちがその試練によって成長するためです。

苦しい病にかかった人は、治った時には病人の気持ちがわかる人間に成長していることでしょう。

仕事がない、お金がない、そんな逆境にある人は、ふとかけられた優しい言葉から人の温もりを知ることでしょう。その人はいつか逆境を抜け出た時、かつての自分と同じような状況にある人々に手を差し伸べるはずです。

悲しみ、孤独はどうでしょうか。その苦しみを深く経験した人は、必ずや、悲しみに沈む人、孤独に悩む人のそばに寄り添い、その肩にそっと手を置くことでしょう。

この世界に起きるすべてのことに意味があります。試練は本当は試練ではない。それはチャンスです。私たちの経験を深める機会、それを活かす道を悟らせてくれる機会なのです。

こう言いますと、生まれてこのかた、次から次へと試練の連続で、それを活かす機会がいっこうにやってこないという人もいるではないか、と主張する方もあるかもしれません。いわば、若い時から買い集めた苦労の使い道がいつまでたっても見つからぬというわけです。

そうした人にとっては、残念ながら、試練とは骨折り損のくたびれ儲けにほかならないのですが、もちろん、例外として無視してかまいません。

苦い文学

脇が甘い

喫茶店で友人と話していて、最近のニュースの話題になった。

大学駅伝の監督が陸上部の学生と不倫していたというのだ。友人はさも呆れたというふうに言った。

「いや、駅伝の選考会を控えて、こんなことをしでかすとは脇が甘いの一言に尽きるよ」

「脇が甘い?」 私は思わず言い返した。「うーん、最近よくそう言う人がいるけど、ちょっと使い方おかしくない?」

「いや、油断してたってこと」

「たとえば勝負事していてうっかり相手にしてやられたり、大事な書類を人目につくところにおいといて紛失したりするのを、『脇が甘い』ってのならわかるけど、これは違うでしょ。不倫して学生に手を出してる。脇が甘いのどうのという問題じゃない。倫理の問題だ」

「しかし、監督という立場にしてはたるんでるんじゃない」

「それはそうだけど、つまり」と私は携帯の辞書を引いた。「脇が甘い、というのは『用心が足らないために,つけこまれやすい』とある。立場を利用して学生をいいようにするのがつけ込まれやすい? これじゃまるで学生がつけ込んだみたいじゃないか。そもそも、用心が足らない、というのは、バレなければいいってことかな。脇が甘い不倫をしてたから記者につけ込まれた? そうじゃないと思う。脇が甘かろうがなんだろうが、指導者が学生と付き合うのはルール違反だ」

私がこういうと、友人は怒り出した。「わかった、こい! その屁理屈が正しいかどうか、確認しようじゃないか」

彼は私は引っ立てると外に出てズンズン歩いていった。

「どこ行くんだよ!」

そしてしばらくのち……

私たちは件の不倫監督の家にいた。私たちが報道関係者でない真面目な学究だと知ると、監督はドアから顔を出した。「これこれこういうことで、私たちの間に論争が勃発し、ガザ地区並みに手に負えない状況となっているのです」と友人は説明した。

「そこで、つきましては、監督の脇を舐めさせていただけないでしょうか……甘いか、しょっぱいか……すっぱいか……」