苦い文学

タバコのパッケージ

外国に行くと、タバコのパッケージが恐ろしい。癌に犯された肺の生々しい写真が警告に使われているのだ。だがそれでも吸ってしまう。

日本でもこのグロテスクなパッケージが導入された。いやだいやだと思いつつも、吸ってしまう。

最近では、パッケージに細工がほどこされるようになった。立体的になったのだ。タバコの箱を手に取ると、目の前に汚らしい臓器の3D映像が飛び出してくる。だが、吸わずにはいられない。

というのも肺がんになったのは別の人で、私はたぶん肺がんにならないだろうから。そう思ってタバコを吸い続けていたら、あるとき胸が苦しくなってきた。

なんでもない、と言い聞かせていたが、次第につらくなってくる。医者に行き、あちこちで検査した結果、肺がんだと告げられた。しかも、もう手の施しようがない。もって1ヶ月だ。

タバコなんて吸っていられる状況ではない。恐ろしい苦痛、死の恐怖。あのときタバコをやめていたら、と涙ながらに後悔するが手遅れだ。

やがて私は寝たきりになり、話すことも食べることもできなくなった。激しい苦痛から逃れるために私は眠り、暗い眠りから覚めるたびに、死が近づいているのを知る。そして、ある夜、ついに……

……ついに、タバコのパッケージは喫煙者にこんな幻を見せて警告するまでになった。だがそれでも吸ってしまう。

苦い文学

救命胴衣の説明

どんなに声を出し、身振り手振りを交えて、懇切丁寧に説明したとしても、誰ひとり聞いてくれないとしたら、それはつらく悲しいことではないだろうか。

私は、飛び立つ前の機内で、救命胴衣の説明をしてくれる CA たちの健気な姿を見るたびに、そう思っていた。

実際、いま旅立とうとしている乗客や、ようやく帰途につこうとしている乗客たちにとって、救命胴衣の話ほど興味のわかないものはないのだ。

日頃からそんな想いをもっていた私は、先日、飛行機に乗ったさい、CA の救命胴衣の説明をちゃんと聞いてあげようと心に決めていた。乗客の安全を第一に考えてくれる CA たちを応援しないで、いつ応援するというのだ。

やがて乗客が揃い、CA たちは通路の真ん中に立った。そして、黄色い救命胴衣を手に説明をはじめた。これがどこにあって、どんなふうに着用し、どうやって膨らませるか……。

CA たちに目を向ける乗客はひとりもいなかった。機内での暇つぶしや仕事の準備をしたり、ガイドブックを広げたり、それぞれのことに夢中だ。

だが、この私だけは、CA に真剣な眼差しを向けていた。ふんふんとうなづいたり、メモを取ったりした。「ここに聞いている人がいるよ、あなたのしていることは無駄ではないよ」 そんなメッセージを伝えたかった。

私の気持ちが通じたのか、CA の説明もいつもより熱が入っているような気がした。救命胴衣の説明は CA と乗客の最初の共同作業なのだ……そんな想いにふととらわれた。

説明が終わると CA たちは慌ただしく離陸の準備に移った。私がその光景を満足げに眺めていると、すでにゆっくりと動き始めていた飛行機が急停止した。

なにごとかと思っていると CA たちが早足で私のところにやってくる。「お礼でも言いにきたのかも」と思って、にこやかに笑いかけた私を、CA たちは席から立たせ、飛行機から降ろしたのだった。

テロリストだと疑われたのだ。

「救命胴衣の説明をこんなに熱心に聞く人などいるはずがない。絶対に怪しい」というのがその理由だ。

苦い文学

ハエの王

その小便器は、最先端の技術と周到な心理操作術の結晶であるばかりでなく、この世でもっとも恐ろしい産業製品と言われている。

はじめは、小便器の底に置かれた目皿の少し上あたりに1匹のハエが描かれているだけに見える。だが、私たちが、それに向かって排尿を始めるやいなや、そのハエは翅を振るわせ、便器の表面を動き回るのだ。

私たちがなおも追求をやめないと、そのハエは増殖する。2匹、6匹、15匹、もう数え切れないくらいだ。それらは便器の中をブンブンと飛び回り、私たちはもう排尿で狙い撃ちするのに夢中になる。

尿による攻撃がやまぬと見るや、ハエたちは私たちの唯一無二の「武器」に襲いかかろうとする。ここで怯んではいけない。尿を便器の外にまき散らしてはいけない。その瞬間、私たちはたったひとつの大事な武器を永久に失うことになる。ただ撃ち続けるのだ。

すると、おお、恐ろしいことに、ハエたちは便器の中央に集い、おぞましい顔に転ずるではないか。目はランランと燃え、口からは鋭い牙が突き出ている。

ハエの王、大悪魔ベルゼブブの登場だ。

ベルゼブブは、「ブブブブ」とけたたましいハエの唸り音を立てながら、その真っ赤な口を開け、炎の舌を突き出す。私たちの武器に食らいつこうとするのだ!

だが、恐れるな! 自分の排尿器官を信じるのだ! 私たちが、ひたすら尿を撃ち込めば、この大悪魔は崩壊をはじめ、最後はバラバラになってしまう! 

ついにベルゼブブを倒したのだ。かくして私たちの排尿は終わる。

この小便器が世界でもっとも恐ろしい製品だといわれるのももっともなことだ。この戦いに挑めるのは、人並み優れた勇気と、人並み大きな膀胱をもった者だけだといわれている。

苦い文学

共有アカウントの怪(3)

誰が、どうやって? もちろん、誰かが不正アクセスしているのだ。このとき彼女が真っ先に考えたのは、夫のアカウントを削除することだった。

だが、彼女はためらった。これは夫が残した痕跡のひとつではないか。いつか削除する日がくるとしても、いまそれは彼女にはできなかった。そして、その夫のアカウントを荒らしている「誰か」に怒りを覚えた。なんとしても不正アクセスをやめさせなければならない。

私が彼女から連絡を受けたのは、この時点であった。私が Web 関連の仕事をしているのを思い出しのだ。

私はさっそく調査にとりかかったが、結論からいうと、なにかしらの不正な侵入が行われている形跡はいっさい見当たらなかった。私はため息をついた。

「不思議だ。この異常な挙動はまったく説明つかない。アプリケーションやネット接続の異常だともいえないし、妙だよ」 

彼女は無言で画面を見つめていた。そこでは次々と新しいタイトルが「現在視聴中の動画」に加わっていた。彼女はつぶやくように言った。

「どれもこれも、あの人が好きそうな動画ばかり……」

そう言う彼女の口がわなわなと震えているのに、私は気がついた。「A のやつ、どこかで見ているんじゃないかな」

「そう、きっと楽しんでるんだね。どこかで……」 ここで彼女の言葉は、激しい嗚咽に掻き消された。

……私の物語はもう終わりだが、皆さんがこれを聞いてどう思ったかはわからない。わたしたちの推論が正しいのかもどうかもわからない。なので、なにか結論めいたことは言えないが、もし正しかったとしたら、少なくとも、その「どこか」はとほうもなく暇で、せわしないところなのは確かだろう。

最後につけ加えれば、B は、夫の名残りであるそのアカウントを残しておくことにした。だが、配信サービス事業者が、アカウントの共有は同じ世帯に住んでいる者どうしにかぎるという方針を厳格に適用したせいか、いつのまにか A のアカウントは消滅していた。

苦い文学

共有アカウントの怪(2)

彼女ははじめはなにが起きているのかわからなかった。亡き夫のアカウントで「現在視聴中の動画」に更新がある。これはなにを意味するのか……。

そのとき再び画面が変化した。新たな視聴中のタイトル(リチャード・ボロック主演の映画『悪魔の細胞たち』)が加わったのだ。

もしかしたらなにかのエラーかもしれない、彼女はそう考え、視聴中のタイトルのひとつ(チャン・ボンギル主演のドラマ『犯罪体質』)を開いてみた。

全 16 話のうち、第 8 話まで視聴済みとなっていた。だが、このとき、韓国ドラマのファンでもある彼女は恐ろしい事実に気がついた。『犯罪体質』は新作、つまり、夫の死後に配信されたのだ。だから、絶対に見ているはずはない

そして、彼女に取り憑いた恐れを増幅するかのように、画面が変化した。第 9 話も視聴済みとなったのだ。

彼女は恐ろしくなって再びホーム画面に戻ったが、さらなる恐怖に直面することとなった。視聴中のタイトルが 3 つも加わっていたのだった! そして、『悪魔の細胞たち』も『犯罪体質』もすでに視聴中のリストから消えていた。

ドラマ『さかしらなるゾンビ生活』(独占配信)
映画『悪の不整脈』
リミテッド・シリーズ『デスマッチ 血! 血! 血!』

しかも、彼女はこの時はじめて気がついたのだが『ゾンビ生活』と『デスマッチ』には「いいね」が押してあった。

お気に入りなのだ!

誰かが見ているとしか考えられない。しかも、ものすごい速さで、なおかつ「いいね」もつけながら……。

苦い文学

共有アカウントの怪(1)

死んだのちに、人間はどうなるのだろうか。どこか別の場所に行くのだろうか。それとも、なにもかも消えてしまうのだろうか。

この疑問に関して、古来、人間はさまざまな見解を述べてきた。私がこれからお話しする短い物語も、この古くからの問いにささやかな答えを与えてくれるかもしれない。

先日、私の友人の A が、妻と 2 人の幼い子どもを残して亡くなった。私たちは長いつきあいで、家族同士で交際していた。葬儀もすべて済み、3ヶ月ほど経ったのち、A の妻(B としよう)から相談があると連絡が来た。

どうしても家に来てほしいというので都内某所にある A 宅を訪問すると、B が不安そうな顔で、次のような話をした。

A の家は、動画配信のサブスクに加入しているのだが、奇妙なことが起きているというのだ。動画配信サービスには、複数のアカウントを持つことができる家族向けのプランがある。家族のひとりひとりがそれぞれのアカウントを持ち、自分の好きな作品を見ることができるというものだ。A の家も、このプランに加入し、A、B、子どもたちの 3 つのアカウントを利用していた。

A の死後も、アカウントはそのままだったのだが、B はふとなんの気なく夫のアカウントに入ってみることにした。最初の画面が映し出され、「現在視聴中の動画」のセクションにいくつかのタイトルが並んだ。アクション映画、犯罪ドキュメンタリー、ロボット・アニメ……そこには紛れもなくありし日の夫がいた。

「だけど、どれもこれも、最後まで見ることができなかったんだ」 そう思うと、彼女は切なくなった。

だが、この時、奇妙なことが起きた。彼女の目の前で「現在視聴中の動画」に新たなタイトルが加わったのだった。

苦い文学

現代の魔法使い

魔法などというとファンタジーの世界のものかと思うかもしれないが、現代の日本にも魔法は存在するし、魔法使いやその弟子もたくさんいる。

魔法使いになるためには、魔力を持たなくてはならない。この魔力は、現代魔法学では自己肯定感と呼ばれている。自己肯定感があれば魔法を使える。

魔法にはさまざまなものがあるが、現在おもに用いられているのは「引き寄せの法則」だ。この魔法を使えば、なんでも思うままに実現できる。

また、自在に富を生み出す錬金術も、魔法使いの多用する魔法のひとつだ。

ファンタジーでは魔法使いになるためには、弟子として修行を積んで、ランクを上げていかなくてはならないが、現代でも同じだ。セミナーや講習会、セッションやオンライン・ミーティングにせっせと参加して、師の魔法使いの教えを受け、「資格」や「免許」を取ることが求められる。かなりの出費を覚悟しなくてはならない。

また、書物も重要だ。ファンタジーの世界では、魔法使いになるためには、重厚な魔術の書を読みこなす必要がある。これらの書物は伝説の偉大な魔術師が書き残したのだ。

現代の魔法使いの弟子たちも書物から学ばねばならない。これらの書物は、ファンタジーの世界に比べると、薄くて、字も大きくて、安っぽい。たいていは、書店の「自己啓発書」のコーナーに並んでいる。たいして内容もないので何冊読んでも疲れない。

現代の魔法使いがこれらの本の中で、繰り返し語るのは、自己肯定感も引き寄せの法則も錬金術も実在するということだ。

私は長年の調査の結果、自己肯定感も引き寄せの法則も嘘だと結論づけた。だが、セミナーなどの参加費から判断するかぎり、錬金術だけは本物だと認めざるをえなかった。

苦い文学

恋人のモラハラに困っています

先生、モラハラ癖のある恋人について相談です。

とにかくソトヅラがいいんです。人前にいるときは、やさしくて、落ち着いてて、ニコニコしてて。いつも一緒だね、だなんて感じを出して、まるで最良のパートナーみたいなふりをしてます。

だけど、二人きりになったとたん、豹変するんです。柔和で優しかったのが、鬼みたいになってしまって……そして、パワハラです。しつこいくらいにパワハラを繰り返すんです。あまりの苦しさに、もう身悶えするばかりです。

とくにひどいのが、エレベーターの中。もう家に着くぞって時に、決まって不機嫌・意地悪・残忍になるんです。度を超えてます。今こうやって思い出すだけで、脂汗をかきながら身を捩ってしまいます。

こっちからやり返すなんて無理です。そんなことをしたらもっと手ひどく反撃されるだけです。二度と世間に顔向けできないような辱めを受け、私は立ち直ることなどできないでしょう。

先生、恋人からのモラハラ被害に本当に困っています。どうか、アドバイス、よろしくお願いします。

【先生からのアドバイス】
私は泌尿器科の医師ですので、アドバイスをすることはできませんが、お話を聞くかぎり、あなたの恋人とは、膀胱ではないでしょうか。いっこくも早く病院で治療を受けることをお勧めします。

苦い文学

メガネVSコンタクト

アナウンサー「では、次のニュースです」

(ニュース映像が始まる)

「メガネって危険だと思う」「メガネはマイナスイメージ」「メガネをかけるのが怖い」 

最近、ネットではこんな不安を語る意見が目立つようになりました。その原因は……

(岸田首相の映像)

なんと岸田首相でした。「増税メガネ」というあだ名が広まったことで、メガネを着用している人たちが、自分もあだ名をつけられるのではと、不安が広がっています。

(ネットの声)「道を歩いていたら『歩行メガネ』呼ばわりされた」「野糞をしただけで『野糞メガネ』とあだ名をつけられて orz」

こうした風潮のなか、活気づいているのがコンタクト業界です。

(関係者)「安心安全なコンタクトを知っていただく良い機会だと思っています」

先日も、コンタクト事業者を代表する団体が岸田首相に面会し、コンタクトをアピール。

(関係者)「首相には『ドーリーなうるうる瞳』のカラコンを提案しました」

これに対してメガネ業界は……

メガネ関係者「いや怒ってます。岸田首相におかしなあだ名をつけたのもコンタクト業界の陰謀ですよ」と憤懣やる方ないようす。

もう黙っていられないと、今後の増税に合わせて、「減税メガネ・キャンペーン」を打ち出して攻勢をかける予定です。

アナウンサー「メガネ業界とコンタクト業界の攻防、メガネだけに目が離せませんね……」

苦い文学

YO LA TENGO

今年の初め、家族に病気の者があって、つきそいで何度も病院に行った。大きな病院で、たくさんの患者がいる。

老人ばかりだ。これらの老人を見ているうちに、私はあることに気がついた。みんな痩せているのだ。

そこで私はこう考えた。「太った老人がいないということは何を意味するか。つまり、太った人は老人になる前に死んでしまうのだ」

決して痩せているほうではない私にとっては大問題だ。

これが偽であることを示すには、ひとり太った老人がいればいい。だが、私にはまったく思い浮かばなかった。いろいろ考えているうちに、アメリカのバンド、NRBQ のギタリストだった Al Anderson のことを思い出した。通称 Big Al Anderson と言われるくらい大柄な人だ。年齢を調べてみると、70 代後半だ。これで一安心だ。が、念のため、YouTube で検索してみて、愕然とした。

もはや big とは言えない健康的な体型だったのだ!

ここで捜査はふりだしに戻った。だが、このことを友人に話したら「太った老人は病院になど来ないのでは」との指摘をいただいた。その可能性もあろう。

ところで、私が NRBQ を知ったのは、Yo La Tengo のカバーした Magnet を聞いたのがきっかけだ。その Yo La Tengo が 11 月 6 日、恵比寿に来るというので、見に行ってきた。

音源を聴いていてはわからなかったが、ライブではとても激しく、それでいて丁寧で誠実さのある演奏だった。

おもにベースを担当している James Mcnew もけっこう大柄で、「これは!」と思ったが、実際は私と歳は変わらないのであった。