苦い文学

ビザの行方

先日、私はこのブログで「一緒にタイに行きましょう」というタイトルで記事を2回書いたが、公開した翌日、非公開にした。

その内容はといえば、ビルマ(ミャンマー)のカレン人の友人とタイに行くことになり、航空券を買ったのに、肝心の友人のビザがまだない、という話だった。

日本のパスポートなら短期ならビザはいらない。だが、難民である彼はパスポートの代わりとなる「再入国許可書」なので、ビザを取らなければならなかった。

そのためには書類を準備して、タイ側と日本側双方で身元保証人を用意しなくてはならない。日本側は私がなることにした。

準備が終わって彼は、大使館にビザ申請の予約をし、旅程表や航空券のチケットの予約のコピーを提出しに行った。その紙には私の名前も記されていたのだが、大使館の人がいうには旅行の同行者が身元保証人になることはできないという。

それで彼は、新たに身元保証人を探したり、また他の書類も不足していて、大忙しだった。

このブログを公開した翌日、友人から電話がかかってきて、こうしたことを話してくれた。また、彼はこうも教えてくれた。最近なん人も在日ビルマ難民がタイのビザを申請しているが、もらえない人が多いのだという。

これを聞いて、私は思った。タイの大使館には私が同行者であるということは伝わっているから、もしかしたら、ビザ審査の過程で私のことを調べて、例に記事に行き当たるかもしれない、と。そして、友人のビザに不利な材料を見出したとしたらどうだろうか?

そんなことはまず起こりえない。だが、あとでつまらない思いをするのもいやなので、念のため非公開にしたのだった。

そして、今は公開状態に戻している。なぜなら、今日、ビザがおりたとの連絡がきたからだ。

苦い文学

女性の扱い方

(本日、都内某所で、女性の扱い方についての講演が行われたが、以下はその講演記録からの抜粋である……)

……最近おおいに議論されておりますが、性加害を許すべきではないのはもちろんです。そればかりでなく、たとえ加害性が皆無でも、現代では女性の扱い方そのものが非常にセンシティブな問題だと捉えられるようになっています。

女性の扱い方が重要だというのは欧米ではすでに常識です。近年の #Metoo 運動でもはっきりと示されたように、女性に対するミストリートメントは憂慮すべき問題であるというのが、もはやグローバルスタンダードとなっているのです。

この点、日本では残念ながらまだまだ遅れていると言わざるをえません。今後、このグローバルスタンダードがしっかり日本社会に根付くかどうか、これは大きな課題です。こういうとまるで他人事のようですが、実際には、まさしく私たちの女性の扱い方が問われているのです。

女性の扱い方をけっして軽々しく考えてはいけません。慎重に慎重を重ねて臨むべきです。乱暴に扱ったり、ゆすったり、放り投げたりするのは論外です。やさしく、丁重に、心を込めて、置くときはそっと置き、横たえるときは両手でしっかり支える、そうした心配りが炎上を防ぐのです。

非常に難しいタスクですが、オールジャパンで挑めば、きっとやり遂げることができるはずです。

はい? なんでしょうか。どうぞ、ご質問があればおっしゃってください。ええ、女性の意見は、どうなのか、というご質問ですね?

お答えいたしますと、女性の扱いに女性の意見が必要でしょうか。扱うのは私たち男なのですから、むしろ男性の意見が重要では……

苦い文学

輝く城の男

イルミネーションが一面に広がり、私たちはその美しさに幻惑された。

「神聖な空間にいる感じだ」と彼は言った。「これらの光のひとつひとつが世界そのもので、それぞれ少しだけ違ってるんだ……」

「パラレルワールドだね」と私。「そういえば、最近、パラレルワールドを扱った小説が出たそうだね」

「ああ、『輝く城の男』ね。読んだよ。第二次世界大戦で日本とドイツが負けたという設定のね……」

私たちは光が敷き詰められた丘を登った。丘の上には、発光ダイオードで飾られた巨大なハーケンクロイツが建てられていた。彼は笑いながら言った

「その小説の世界では、これらのシンボルは禁止されているんだ」

「なぜ?」

「このシンボルのせいで多くの人々が殺されたから、だそうだ」

「なるほど。では、その小説は、そういうことはもう起こらない世界のことを書いているのだね。だが、それは結局、現在の私たちの世界と同じじゃないか」

「いや、その小説では、にもかかわらず戦争ばかり起きているのだ」

私は返事をせず、光の世界に意識を集中した。多くの人々の犠牲の上にようやく達成できた平和を蔑ろにして、戦争に異常な関心を寄せる人がいるなど、とうてい理解しがたかった。

イルミネーションはどこまでもどこまでも続いていた。まるで遠い世界に来たような気がして、自分が帝都ナチス村にいることなどすっかり忘れてしまった。

苦い文学

私の記憶術

傘をなくさないためのいちばんよい方法は、傘を捨てようとすることだ。私はある日、傘を不法投棄しようと思って外出したが、結局どこにも捨てることができずに、家に持ち帰ってしまった。ふだんならば、百パーセント傘を忘れるような状況でも、捨ててやろうという意識がその邪魔をしたのだった(このことについては、このブログのどこかで書いた)。

私は最近、この心理を記憶術にも応用している。つまり、ものごとを忘れないためのいちばんよい方法は、なんとかして忘れようとすることなのだ。

私はもともと記憶力がよくなくて、なんでも忘れてしまう。書いても忘れる、聞いても忘れる、口に出しても忘れる……なにをやっても記憶に定着しないのだ。

そこで、私は傘のエピソードを思い出した。覚えようとするからよくないのだ。忘れようとすればいいのだ。そうすれば、かえって記憶されるのではないだろうか。

もう絶対に覚えるものか! そんな気持ちで私は勉強を始めた。

成果といえば、まったくなかった。私はあいかわらずなにひとつ覚えていなかったのだ。だが、ちっとも残念ではない。なぜなら、そもそも私は絶対に忘れようとしていたのだから。

苦い文学

カタカナの熟成

外国人(かしこまって)「主任、チョット、オ時間ヨロシイデショウカ」

日本人「おや、ズンさん、なんですか」

外国人「私ハコレマデ日本語ヲシッカリ勉強シテキマシタ。日常生活ヲ送ルノニハ困リマセンシ、職場ノ日本人ト会話スルノニモ問題ハアリマセン。ソレバカリカ N1 ニモ合格シテ、モット日本ノコトヲ知ロウト、日本ノ新聞ヤ小説ヲ読ンデイマス」

日本人「ええ、それで?」

外国人「ソコデ、折リ入ッテオ願イシタイコトガアルノデスガ」

日本人「なになに」

外国人「アノ、モウ片仮名デ話スノヲヤメテイイデスカ」

日本人(驚いて)「えっ、それは難しいですね」

外国人「ドウシテデショウカ? 私ハ日本人ト同ジヨウニ日本語ヲ話セマス」

日本人「ズンさんは、外人だからわからないんですね。日本では、外人はカタカナで話すのがきまりなんですよ。わかる? 外人、ひらがな、ダメ」

外国人(困惑しながら)「デスガ、ソレハ差別デハ」

日本人「ああ、差別、差別、差別、それは外人の考えです。これは日本のルールです。ズンさん、ゴミ出しのルール、わかりますね。それと一緒。外人、カタカナ、ルールです! ルールを守って国際化!」

外国人「……」

《数日後》

日本人「ズンさん、こんにちは!」

外国人(憔悴しきって)「……朕󠄂惟フニ……我カ皇祖皇宗……國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ……德ヲ樹ツルコト……深厚ナリ……」

苦い文学

安楽死の戦い

その老人は恐ろしい病に侵され、もはや動くことも話すこともできなかった。田舎の小さな病院の医療用ベッドでひとり横たわり、死を待っていた。

老人の身の回りの世話は、医療用ベッドが受け持っていた。基本的な医療処置のほか、食事・排泄・清拭などすべてをこなすのだった。老人は耳はしっかりしていたから、ベッドはときどき話しかけてやりもした。

ある日、老人のもとに見知らぬ客がやってきた。その客はこう老人に語りかけた。

「ついに見つけたよ」 客は銃を取り出した。「お前の死を望んでいる人々が私をここに送り込んだのだ」

老人が口を動かした。するとベッドが話し出した。「私を殺すことはできないし、お前の雇い主たちも死ぬことはできない」

暗殺者は銃を構えた。その瞬間、ベッドからまばゆい閃光が走り、暗殺者は黒焦げになった。すると別の暗殺者たちが窓ガラスを蹴破って病室に飛び込んできた。ベッドは老人を包み込むと、格納されていたアームを伸ばして、目にも止まらぬ速さで敵どもを薙ぎ払った。

耳鳴りのような高音が上方で響いた。かと思うと、すべてが炎に包まれた。

暗殺者の依頼主たちは、ミサイルが病院に命中したのを見て、歓喜の声を上げた。病院は爆発で吹き飛び、炎と黒煙に飲み込まれていった。

「私たちの安楽死を拒んでいたあいつがいなくなった!」 「これで私たちは死ねる!」 「さあ! 死のう!」

その瞬間、炎の中から、飛翔体に変形したベッドが浮上し、老人を乗せて地球のどこかに飛び去っていった。

苦い文学

ドリーム忠臣蔵

《スポイラー注意:以下の小文を読んだ者は、以後、まともに忠臣蔵を味わうことができなくなるであろう》

元禄 14 年 3 月、江戸城松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介を切り付ける事件が発生した。事件を重く見た幕府は浅野内匠頭に即日切腹を命じた。

赤穂藩は改易処分となり、主を失った元藩士たちは浅野家再興の運動を始めた。そのいっぽう、江戸詰めの浪人たちから、仇討ちを求める声が上がり出した。

筆頭家老であった大石内蔵助は、京都山科に隠棲していた。仇討ち派の動きが活発になったのを受け、江戸に下り、元藩士たちと会合を重ねた。

京都に戻った大石内蔵助は、廓で放蕩三昧の日々を送るようになった。遊女に囲まれ、酔い痴れて、歌を歌っているところに、吉良側に寝返った元藩士がやってきた。内蔵助に仇討ちの意図ありやなしやを探る、その元藩士の目の前で、酔い潰れた内蔵助はいびきをかいて眠ってしまった。

夢の中で、大石内蔵助は、46 人の仲間たちを率いて、吉良上野介の屋敷に討ち入り、みごと仇討ちを果たした。

苦い文学

一緒にタイに行きましょう(2)

一緒にタイに行きたいというカレン人の友人の誘いをのらりくらりとかわしていた私だったが、あるとき彼はタイ行きの具体的な日程を提示し、しかも飛行機代も出すといってきたのだ。

これには困った。航空券代を出してもらう筋合いなどないのはもちろんだが、そもそも日程が合わなかった。そう伝えると、彼は日程はいくらでも調整できるという。

そこで私は、その日はダメだとか、この週からは忙しいとか、この月になったらもう行けないとか、いろいろ言い立ててなんとか諦めてもらおうとした。すると、彼は「一緒に行けるようにお祈りしてる」と神をちらつかせはじめた。これはキリスト教徒の得意技だ。

この技が出たらもう終わりだ、逃げきれない。と、ヨナさながらに私は悔い改め、日程をどうにか組んで、飛行機のチケットを予約したのだった。

それに、人に飛行機代を払ってもらうのだって、べつだん苦にするほどのことではない。行くと決めたとたん、厚かましくなったのだ。

だが問題は、出発の日が近づいているにもかかわらず、友人のビザがまだおりていないことだ。出なかったらどうするつもりだろうか? そして私の運命は?

苦い文学

一緒にタイに行きましょう(1)

日本在住のカレン人難民の友人が、かねてから私とタイに行きたいと言っていた。

カレン人は多民族国家ビルマ(ミャンマー)の民族のひとつだ。ビルマでは長らく民族間の問題が続いていて、その結果、日本にも多くのカレン人が暮らしている。

そのカレン人がどうしてタイに行きたがるかというと、タイには多くのビルマ出身のカレン人がいて、難民キャンプもある。また、タイ・ビルマ国境はカレン人の政治組織・軍の拠点となっていて、カレン人の文化と政治の中心のひとつでもあるからだ。

この国境地帯には、私はかつて何度も行ったことがあるが、最後が 2014 年 12 月だ。この時は短い滞在だったが、カレン人の老人に歴史についてインタビューしたりした。

さて、私とタイに行きたがっている友人は日本に住むカレン人のリーダー格のひとりで、私もずいぶん世話になっている。

だが、彼と一緒にタイに行くのは、現在の私の状況では難しい。それで私はいつも「そうですね。いつか行けたらいいですね」と適当に答えていた。

だが、彼は適当に考える人ではなかった。去年のある日、その「いつか」を提示してきたうえ、飛行機代も出す、とまで言ってきたのだった。

苦い文学

駅と駅

その駅は時代の狭間に位置している。中央改札口を出て西出口のほうに向かえば動く歩道があり、それに乗っていくと、整然としたペデストリアン・デッキに出る。

そのデッキは、美しい建物群に取り囲まれている。高層オフィス・ビル、ユニクロやスタバの入った賑やかなショッピング施設、便利な公共施設など、人々はデッキを歩いてそのまま入ることができる。まさに令和の最新式の駅だ。

いっぽう、東出口はというと、中央改札口から東に向かうとすぐに大きな階段がある。下りながら、あちこちにかかっている大きな看板が見えるが、ほとんどパチンコ屋か医院だ。階段の下には売店があり、お菓子やお弁当、タバコと酒が売られている。その脇には公衆電話がずらりと並んでいる。昭和の駅だ。

東口には大きなロータリーが広がっていて、その中央にはのびやかな姿の銅像が立っている。そして、こっち側には大きなビルなどなくて、ただごちゃごちゃと商店が立ち並んでいるだけだ。

誰もが平気でタバコを吸っている。喫煙所などない。どこもかしこも吸い殻が落ちていて、注意して歩かないと、痰を踏んでしまう。

あるとき、東口の大階段で事件が起きた。男が、前を歩く女学生のスカートの中を鏡でのぞいていたのだ。気がついた人々がとらえようとすると、男は階段を駆け上って逃げた。

男は中央改札を通り過ぎ、西口から外に出ようとした。だが、結局そこで追いかけてきた人々に捕まってしまった。警官が駆けつけてくる。人々が警官に引き渡すと、男はこう言って抗議した。

「昭和の出来事を令和になっていまさら持ち出そうってのか!」