苦い文学

花束

医師たちによればもって数日ということだった。そんな状態にもかかわらず、老人の家族は誰ひとり来なかった。それも、彼がこれまでしてきたことを考えれば当然だった。

「看護婦さんよ」 私がやってくると老人は言った。彼は絶対に「看護師」とは言わなかった。たとえ私が男でも。彼は人をいやな気持ちにさせることならなんでもした。「まだそいつは来やがるのか」

「ええ、今日も花束を持ってきました」 彼はいまいましげに叫んだ。「ちくしょう! なんだってんだ!」

この世のすべての人間からきらわれ、憎まれ、蔑まれて死にたい。それが彼の望みだった。そして、それにふさわしいあらゆる悪事を彼は成し遂げてきたのだった。だがいま、この「花束」がそのすべての業績を台無しにしようとしていた。彼は陰険な目つきで私に言った。

「それで、俺が言った通りにしただろうな」

「もちろん、目の前で花束を踏みにじり、罵倒しました。ですが、その人は明日もまたくると言っていました」

「そいつをぶっ殺してやってもよかったのだ! よし、明日来たら、そいつを死ぬほど酷い目に合わせてくれ!」

その日の夜、老人の病状は急に悪化し、昏睡状態に陥った。彼がわずかなあいだ意識を回復したのは、翌日の昼頃だった。よく言われることだが、まるで炎が消える寸前に一瞬強く輝くのと同じだった。

老人は私がいるのを見ると弱々しい声で尋ねた。「そいつは……また来たのか……」

私は彼が聞き取れるよう大きな声で言った。「ええ、来ましたよ! 花束を持って、あなたを愛していると!」

これを聞くと老人の目にちらりと怒りが浮かんだ。だがたちまち、その目はにわかに温和になり、唇に笑みが漂った。

「花束か……悪くない」

それが老人の最後の言葉だった。

この世でもっともきらわれ憎まれ蔑まれている男に、花束を持ってくる人間などいようはずもない。老人の人生をかけた望みの実現をまんまと阻止したことに満足しながら、私は遺体の処置に取りかかった。

苦い文学

ハビタブルゾーン

宇宙は果てしなく広い。私たち科学者の最大の疑問は、この広い宇宙に日本人が存在するかということに尽きると思います。

いま、私たち日本人が生存しているのは、液体の水の存在、適度な気温、酸素、日の丸、君が代、男尊女卑、強者に対するこびへつらいなどの条件が積み重なったためだと考えられています。これらの条件が整うというのは奇跡的なことなので、私たち日本人は奇跡の存在と言っても過言ではないのです。私たち科学者は、これらの条件が満たされる環境をハビタブルゾーンと呼んでいます。

近年、私たちは全宇宙を特別な望遠鏡で観察し、このハビタブルゾーンが存在するか探査を重ねてきました。その結果、ハビタブルゾーンが次々と発見・報告されています。

もっとも可能性が高いとされるハビタブルゾーンは、ここから7億光年離れた恒星システム内の惑星 J813 です。データ分析した結果、液体の水が存在し、君が代に似た電磁波が周期的に発生していることがわかりました。

この星に日本人が存在するかどうか判明するのはまだまだ先のことです。ですが、今この瞬間にも、遠い星で日本人たちが私たちと同じように弱い者いじめをしているかと思うと、夢が広がりますね。

苦い文学

作品に罪はない

その歌手が現れて、その歌を歌ったとき、私たちはあらゆる感情を掻き立てられた。ある者は踊り、ある者はしんみりし、ある者は元気をもらったと証言した。

私たちはその歌手に夢中になり、その人が歌うのを見るために、どんな苦労も厭わなかった。どんな距離も短く感じられたし、どんな行列もちっとも疲れなかった。

私たちの熱狂が頂点に達したとき、週刊誌がとんだスクープを報じた。その歌手が麻薬に溺れているというのだ。この報道を受けて、音楽産業は直ちに歌手の歌った歌すべての販売と配信を停止した。

あの人の歌が聞けなくなると聞いて、私たちは猛然と抗議した。「確かに罪を犯したかもしれない。だが、作品に罪はない!」

私たちはあらゆることを試みた。署名、抗議デモ、記者会見……。だが、音楽産業は決して動かなかった。

しばらくすると、新たな報道が出た。その歌手は麻薬など使用していなかったというのだ。でっち上げの告発だった! 音楽業界は直ちに動き、すべてを元通りに解禁した。私たちは歓喜し、小躍りしながら音楽に飛びついた。

その歌手は復帰するやいなや、自分を苦しめた不正について歌いはじめた。そればかりでなく、その不正を許した政府を厳しく批判する歌を何曲も書いた。その舌鋒の鋭さたるや、私たちは耳を塞ぎたくなるくらいだった。

いま、私たちはその歌手の歌を発禁にするよう政府に働きかけているところだ。やりすぎだという人もいる。だが、私たちの国の敵が作った作品に罪がないなどとどうしていえようか?

苦い文学

今は亡き友へ

やあ、お前がこの世を去ってから、もう1年経ったんだ。信じられないね。実は、まだお前がひょっこり顔を出しそうな気がしてるよ。

俺はずっと考え続けていたんだ。お前がどうして死を選んだのかって。いや、それはわかってるんだ。お前の遺書にも書いてあったからな。だけど、死んでまでして証明することかどうか、俺には今もわからないんだ。

もちろん知っているよ。お前がこの世の不合理をとことん憎んできたってことを。迷信、デタラメな言説、陰謀論にお前ほど激しく立ち向かっていった人間を俺は知らない。

そして、お前が最後に選んだ敵についても、遺書に書いてあったね。「人生に無駄などない」と。お前はこのテーゼにもっとも強烈な否(ノン)を叩きつけた。「人生は無駄ばかりで、それはなにがあろうと永劫不変に無駄なのだ」と。

お前はこのアンチテーゼを証明するために、尊い命を投げ出した。そうすることによって、つまり、自分の命を無駄に蕩尽することによって、お前は人生のすべてが無駄でありうるということを示したのだ。それこそ身をもって、だ。

俺はお前のしたことをどう評価していいのかわからない。ずっとずっと考えてきたけど、まだわからない。だけど、最近、ひとつだけ俺はお前に言えそうな気がしてきたんだ。それを、遅まきながら、お前への手向けにさせてほしい。

俺はお前の死を無駄にしない、と。

苦い文学

ふりがなフリガナ

申請書や履歴書などではトラップに気をつけてほしい。氏名の欄の上に必ず振り仮名の欄があるが、これがそうなのだ。

その振り仮名の欄をひらがなで書く。すると、書き終わった瞬間に、その欄が「フリガナ」と書かれているのに気がつく。もうこれで書き直しだ。

それで、今度はカタカナで最後まで書く。だが、なんということだろうか、そのときあらためて見てみると「ふりがな」と書かれているのだ。さっき見たときは「フリガナ」だったのに。

これでもう多くの人は申請書や履歴書を書く気をなくしてしまう。たとえ何十万円もの過払い金が返ってくる申請書でも、高収入の職に繋がるかもしれない履歴書でも、もう怖くて書けない。

だが、ここで諦めてはいけない。もう一度繰り返すが、これは罠なのだ。申請書や履歴書の数を減らして楽をしようとたくらむ輩たちの計略なのだ。

「ふりがな」と書かれていようと「フリガナ」と書かれていようと気にする必要などない。自分の好きなほうで書くのだ。そもそも、「ふりがな」なのにカタカナで書いてあると非難して、その書類をつっ返す権利は誰にもないのだ。たとえひらがなとカタカナでたがいちがいに書いたとしても、そんなことはできない。

「それでも……」と不安を拭えない方がいたら、安心してほしい。最後は万葉仮名で書けばなんとかなるから。

苦い文学

「あ」の間

「あ」とはなんだろうか。私がわからないのは次のような「あ」だ。

学生が別の学生に問題を出す。問題を出された学生はいろいろ考えた末、「答えは a です」と答える。

すると出題した学生はこう答える。「あ、正解です」 間違いでも同じだ。「あ、違います」

いったい、この「あ」はなんなのか。別の例もある。コンビニで商品の会計をしていて、店員にこう問いかけられるのだ。

「袋はいりますか?」

「あ、いりません」

もちろん「いりません」だけでもいいのだが、どうしても「あ」が入ってきてしまう。

また、こんな場合もあろう。

「テーブルのお菓子好きなの持っていってください」

「あ、いいです(=いらないです)」

考えてみると、この「あ」が出てくる場合、「あ」の後に出てくる言葉はあらかじめ用意されていることが多いようだ。つまり、最初の例では、正解にしても間違いにしても、相手の発言を聞く前にどう答えるかは決まっている。また、コンビニの例では、袋が必要かどうかは、たいていの場合、店員に質問される前にわかっている。

なのでその分、相手の発言に対する返答のタイミングが速くなってしまう可能性がある。ヘタをすると「食い気味」にすらなってしまうかもしれない。たとえばこんな感じだ。

「答えは a ……」「間違いです」

「テーブルのお菓子好きなの持っていっ……」「いいです」

これは失礼だ。これを避けるためにあえて「あ」で間をおいて、「相手の発言を受け止めた感」を演出することで、返答を後にずらしているのだと思う。

このずれを「あ」の間と呼ぶべきであろう。

あ、あくまでも私の個人的な考えです(この「あ」は何か付け足したいときの「あ」で、間の「あ」とは違う)。

苦い文学

駅長たちの興亡

大きな駅における駅長の交代は、まるで世界史に出てくる王朝の交代ほどのインパクトがある。

駅長が死ぬと、それまで駅長に忠誠を誓っていた駅員たちはあっという間に逃走する。なぜなら、かねてから駅長の座を狙っていた隣の小さな駅の駅長が駅員を率いて攻め込んでくること確実だからだ。

そんなわけで、隣駅の駅長に率いられた駅員たちが、大きな駅に乗り込んだときには、駅はとっくにもぬけのからだ。駅員たちは無人の駅を駆け回り、思うぞんぶん破壊と略奪を行う。ときには放火することもある。

その間、隣駅の駅長は駅長室を占拠し、周囲の駅の駅長に、自分が新たな駅長に就任したことを宣言するのだ。

新たな駅長が最初に行うことは、前の駅長の業績を否定することだ。そうやって自分が駅長となったことの正統性を公に主張するのだ。具体的にどうするかというと、前の駅長が行った駅の改修、改築、増築による箇所をすべて破壊する。その上で、新駅長は自分の権威にふさわしい駅づくりに取りかかる。

新しいベンチを設置し、コンビニの位置を変え、新たなショッピングゾーンを作り、ゴミ箱をすべて廃止し……駅は駅長にとってピラミッドであり古墳だ。自らの治世を誇る記念碑なのだ。

だが、その駅長もいつか別の駅長に取って代わられるときが来る。駅は再び灰燼に帰し、新しく駅長になった者による改築・増築が急ピッチで進められる。そしてその駅長もまたいつの日か滅ぶ……。

もしもあなたが、大きな駅ではどうしていつも何かしら工事が行われているのだろうかという疑問を抱いたとしたら、このような事情に思いを馳せてほしい。私たち乗客は駅長たちの興亡が続くかぎり永遠に、その工事を、仮囲いを、不便を耐え忍ばねばならないのだ。

苦い文学

真夜中の国会

議員たちは、居眠りにたいする不寛容が広がるにつれ、苦しみはじめた。ある議員は不眠を訴えるようになった。就寝中にも国民の目が向けられているような気がして、もう眠れなくなったのだ。またある議員は居眠りをしないように覚醒剤に依存しだした。密売議員が国会のトイレでヤクを捌くようになったが、不逮捕特権があるので警察は何もできなかった。

議員たちの苦しみが頂点に達したとき、議長は宣言した。私たちは議員であるあいだはもはや寝ない、と。ちょうどそれを可能にする医療技術が生まれ、かくして議員たちは眠らなくなった。

眠らない議員たちは、昼も夜も働いた。日中の国会が終わり、しばしの休憩ののち、深夜に再び国会が開かれた。国民たちは、不眠不休の議員たちの働きぶりに感嘆し、「我が国では政治がついに24時間営業になった」と誇らしげに語った。

政治は激変し、次々と政策が実現していった。「スピード感よりもスピードのほうがよいのだ」と国民たちはあらためて気がつき、喝采を送った。

しかし、次第に奇妙なことが起きはじめた。昼の国会と真夜中の国会にずれが生じてきたのだ。昼に議決されたことを、真夜中の議員たちは覆した。昼の議員たちが穏便に済まそうとしたことを、夜の議員たちは過激な言葉で攻撃した。

昼の議員たちは、真夜中の議員たちが勝手なことをしすぎると批判した。「真夜中に考えたことは朝になってみると歪んで見えるものだ! 夜の議員たちは少しは落ち着いて考えたほうがいい」 これに対して真夜中の議員たちは「昼行燈どもに政治の何がわかる」と嘲笑った。

昼の国会と夜の国会の緊張は高まっていった。そして、ある深夜、真夜中の国会はついに、昼の国会に宣戦布告することを全会一致で承認した。

こうして我が国では昼と夜の戦争が始まった。

苦い文学

高学歴プア

私は名の知られた大学を卒業し、大学院に進み博士号まで取ったが、年収が100万円にもいかない。いわゆる高学歴プアだ。

そんな悲惨な状況を見かねて、友人が「いい仕事がある」と声をかけてくれた。

「有名大学の大学院出身で低収入の男性」をとある富豪が探しているというのだ。しかも、週に1回、富豪の手伝いをするだけでいい。修士なら月に10万、博士なら15万だ。

興奮する私をみて友人は言った。「だけど、本当はその人の手伝いが仕事じゃないんだ」

「なにかヤバいことでも?」

「いや」と友人は笑った。「そうじゃなくて、本当の仕事の内容はプライドを捨てることだ」

「というと?」

「その富豪はね、経済的な事情から大学に行けなかったのだが、努力して巨万の財を築いたのだ。それで彼はこんな確信を抱くようになった。大学教育は無意味で、学問とはバカがやることだと。この反知性主義的確信を補強すべく、この度、彼は高学歴プアを募集することにしたのだ」

「あ、というと、あの一流コメディアンがアテンド芸人を通じて『女弁護士』や図書館の『女司書』を急募しているのと同じような……」

「そのとおり。彼は高学歴連中を服従させるのをなによりもの楽しみとしているのだ。だから、つらい思いをすることも覚悟しなくてはいけないよ。それでもいい?」

「もちろん! それで食いつなげるなら、どんな屈辱だって!」

そして、私は友人を通じてその富豪に履歴書を送ってもらったのだった。

数日して友人から電話がかかってきた。「ごめん。ダメだった」

「えっ、そんな!」

「だって、ハーバードで Ph.D. を取って、年収30万の人が応募してきたんだぞ……富豪はもう大喜びだ」

私はこれを聞くと切なくなって電話を切った。そして、数ヶ月後、私はその友人と会う機会があったので、例の富豪のバイトについて尋ねてみた。

「ああ、あのハーバードね」と友人は言った。「実は高卒だってことがバレてさ」

「じゃあ、クビか」

「いや、富豪はますます大喜びだよ。高学歴どもにこんなことはできやしないだろうってね」

苦い文学

老後サバイバル・セミナー

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