苦い文学

合体ポルノ

「かわいそうだから、助けてあげなくちゃ」という動機にもとづく支援活動は、いっけん正当なように思えるが、かならずしもそうとはいえない。

というのも、「かわいそうだから」というのはあくまでも支援者側の意見であり、そうした動機で行われる支援活動に、支援を受ける人の言い分や尊厳が介入する余地はないからだ。

ようするに自己満足の支援というわけで、相手をモノとして扱い、それで心理的な快楽を得るという点から「感動ポルノ」とも言われている。

ネットには、支援活動への参加を促す広告も数多く流れているが、その多くが見る人に「かわいそう」という感情を喚起することに注力している。たとえば、こんな広告がある。

・家庭が貧困であるために満足にご飯を食べられない子ども
・同じく家庭が貧困であるため1日1食しか食べられず、空腹のままの高校生
・過酷な環境で労働する異国の子どもたち
・人身売買の被害者たち

これらはいずれも「お涙頂戴」の感動ポルノだ。

もちろん支援が必要な子どもたちはたくさんいる。そして、適切な支援がただちになされるべきだ。だが、そのことと、広告主たちが、イメージを巧みに用いた感動ポルノを通じて、私たちの感情を操作しようとしていることとは別問題だ。

いや、それどころではないのだ。これらの広告にいかに多くの少女たちの画像が使われていることか。まるで貧困家庭には男の子などいないかのようだ。

まさか、感動ポルノと普通のポルノがついに合体してしまったのでは……

苦い文学

新しい形

おじさんでいることはなんとつらいのだろうか、とおじさんたちは嘆いた。いつ老害あつかいされるか知れたものではないのだ! もうなにをするにもビクビクだ。

おじさんたちは次第に引っ込み思案になり、物陰に隠れるようなった。

そんなときだ、告白者がやってきたのは。その人はいかにも神妙な顔つきでこう告白したのだ。

「もしかしたら僕も……」と眉間に鋭いシワを寄せる。「老害かもしれない……」

人々はこの真摯な告白を称賛した。そして口々に言うのだ。

「いいえ、あなたは老害ではありません!」「そうです。自ら老害と告白する人が老害なもんですか!」

おじさんたちはこの告白に衝撃を受けた。そうなのだ、はじめから告白してしまえばいいのだ。うまい手を思いついたものだ! もうこれで老害呼ばわりとはおさらばだ!

さらにすばらしいのは、この告白は若ければ若いほど効き目があるということだった。

「あんなに若いうちから自分が老害かもしれないと告白する男性が、このさき老害になんて絶対になりっこない! ステキ!」

そんなふうに言われたら、おじさんになることを恐れていたおじさん予備軍が飛びつかないわけがない。

そんなわけで、今、おじさんたちは、30代から80代まで、もうみんなどこにいっても神妙な顔つきで「僕も……老害かもしれない……」と渋めの声で告白している。

少なくとも数週間は、おじさんたちはこれで押し切れるだろう。これが老害の新しい形だとバレるまでは。

苦い文学

ゲーマー人生(Final stage)

「人生はゲームみたいだって?」とハチオは聞いた。「じゃあ、ゲームはいいことってこと?」

「いや、そうじゃないんだ。人生にはゲームみたいにステージがあって、生きるってことはそのステージをクリアしていくことなんだ。いや、ただクリアしても意味がないんだ。ステージごとにアイテムがあるだろ。それをちゃんとぜんぶ取っておかないといけないんだ。たとえば20代のステージではそのステージのアイテムをしっかりとっておかなくちゃならない。というのも、20代でアイテムを取り損ねたら、30代になってからはそのアイテムは絶対に取れないから。だって、一度ステージをクリアしてしまったら、後戻りはできないだろ」

「うん。でも、後のステージでもアイテムは出てくるでしょ」

「おじさんも最初そう思ったんだ。自分は人生のステージでなんのアイテムも取ってこなかったけど、50代のステージではせんぶ取ってやるって。だけど、違ったんだ。本当に大事なアイテムはもう出現しないんだ、20代・30代・40代にちゃんとアイテムを取ってクリアしておかないとね」

男はとてもさびしげだった。「だからゲームなんかやめなさい。人生のステージで、いま取れるアイテムをちゃんと取るんだ」

ハチオもなんだか悲しくなって、ゲームをしまった。男はやさしく微笑んだ。ハチオは家に帰る前に、さっきからずっと気になっていたことを尋ねた。

「ねえ、おじさんはさ、どうして話しながら、指で体のあちこちを押したりさすったりしてるの。体の調子が良くないの?」

男はきまり悪そうに答えた。

「いや、あの、もしかしたらね、アイテムぜんぶが手に入る隠しコマンドがないかと思って……くっ、くせみたいな感じ?……」

苦い文学

ゲーマー人生(1st stage)

ハチオがひとりで公園でゲームをやっていると、変な男がやってきて隣でじっと見ている。「なんで見てるのさ」ってハチオが聞くと「ゲームなんかやっちゃだめだよ」と言ってきた。

「うるさい。おじさんには関係ないだろ」とハチオ。

「おおありさ。おじさんも昔はゲーム好き、いやもうゲーム中毒だったんだ。だからいうのさ。おじさんみたいになっちゃだめだよ」

「おじさんみたいにって?」

「こんなさ」と、男は汚れた服をみせた。「こんなさ」と、男は財布を取り出し中を見せた。500円玉ひとつあるだけだった。「こんなさ」と、男は口を開いた。少ししか歯がなかった。「こんなさ」と男が帽子をとったとき、ハチオはゲームを中断した。

「そうだ。それでいい。おじさんはね、君と同じくらいのころからゲームばかりしてたんだ。10代、20代、30代とゲームに費やして、それでもう満足だった。『これこそゲーマー人生だ』ってね。だけど、40歳を過ぎたとき、ゲームができなくなっちゃったんだ」

「どうして?」

「指が動かなくなっちゃったのさ。それで、ゲーマー人生も終わり。で、普通に生きなくちゃならなくなったんだ。そのとき気がついたんだ。おじさんにはまったくなにもないってことにね。おじさんはゲームの中でアイテムをたくさんとったけど、それは現実のアイテムじゃなかったんだ。それでね、わかったんだ、人生はゲームみたいだ、って」

苦い文学

違いのわかる男たち

「トコトン取材班のみなさん、こんにちは。いつも楽しく拝見させてもらっています。いきなりですが、違いのわかる男たちって今どうしているんでしょう? 昔は違いのわかる男たちがコーヒーのCMによく出ていたものですが、いまはまったく見かけません。どこに行ってしまったのか、調べてください。おねがいします!」

いましたねえ! 違いのわかる男、僕もよく見ましたよ。さっそくトコトン取材班で探してみたら、かつて違いのわかる男だったという人々が暮らす施設を田端で発見しました。その施設に取材に行った様子、VTRでご覧ください。

(ビデオ映像が始まる。ボロ屋が映し出される。内部のガランとした広間に十人ほどのみすぼらしい格好の男性たちがいる。みな無精髭で、あちこちに唾を吐いたり、汚い声で罵り合ったりしている)

(取材班のレポート)「ひどく下品です。あのころの素敵な感じ、ダンディな雰囲気はありません」

(取材班、男性のひとりにめんつゆの入ったマグカップを渡す。男は「コーヒーなんて久しぶりだ」などと言いながら飲み干す)

(取材班のレポート)「なんと、もはや違いがわからなくなっているようです。この方たちはもう違いがわかる男たちではなくなってしまった、ということなのでしょうか」

(そのとき、広間の端に設置されたテレビがつき、出演者の女性タレントの顔がテレビに映し出される。すると男たちはテレビに目を向け口々にいう)

「顔が違う」「イジってる?」「お直ししたな」……

(しばらくすると、今度は、テレビに女優の顔が大写しになる。男たちは興奮して騒ぎ出す)

「あれ、顔変わった?」「50歳にしては皺がない」「前の方が良かった」「整形だ!」……

(男たちますます食い入るようにテレビの画面を見てわめいている)

(取材班のレポート)「なんとも凄まじい光景です。が、女性を見るとすぐに整形のことを詮索しだすのが、かつての『違いのわかる男』の名残りなのでしょうか。それはともあれ、これらかつての『違いのわかる男』たちは、昔と今の時代の違いには、まだ気づいていないもようです……」

以上、トコトン取材班でした! さようなら!

苦い文学

日本のジーリー

イギリスのSF作家、スティーブン・バクスターは一千万年にもおよぶ宇宙史で知られる。その壮大なクロニクルで、もっとも興味深い存在がジーリーという宇宙生命だ。

ジーリーの文明は人類よりもはるかに進んでいて、銀河を動かすことなどお茶の子さいさいだ。

万能無敵かと思えたジーリーだったが、恐ろしい敵に直面もしていた。宇宙を衰えさせる力が増大しつつあったのだ。宇宙が衰え、滅びるということはジーリーが滅亡するということを意味する。そこでジーリーはこの勢力と激しく戦った。だが、結局のところ負けてしまう。ジーリーができることはといえば、もはやひとつしかなかった。

この宇宙から逃走して、別の宇宙に移住することだ。

この目的のためにジーリーは宇宙ひもでできた巨大なリングの建設を始めた。千光年にもおよぶこのリングの中央部にはブラックホールがあり、これを使ってこの宇宙から脱出しようというのである。

私はジーリーのこの物語を読んだとき、なにかに似てるな、と思った。リング……逃げる……なんだろう。

しばらく考えたのち、大阪で巨大なリングを建設して万博まで逃げ切ろうとしている日本維新の会だと思い当たった。

苦い文学

HSPの王国

私は長いあいだ生きづらさに苦しんできたが、これがHSPの特徴にぴたりとはてはまることを知った。HSPとは Highly Sensitive Person の略で、感受性がとても強く、環境や人の心の動きに敏感な人のことだ。思い当たることばかりだ。

現代の社会では5人に1人がこのHSPだ。つまり、5人に4人が鈍感でガサツな人々ということになる。HSPはガサツな人々の中で生きるのにたいへん苦労する。なぜなら、社会は少数派であるHSPに合わせてできていないからだ。

ガサツな人々はPSPと呼ばれる。Poorly Sensitive Person だ。PSPは、人間の感情というものに無頓着だし、つねに自分勝手だ。いつもガハハと大声で笑い、椅子には必ずドサッと腰かけ、足音は建物中に響き渡る。私たちはそのたびに怯えて飛び上がるのだ。

PSPがいるかぎり、私たちHSPの苦しみは続くといってもいい。

ある人がいうには、私たちHSPは自分の国を作るべきなのだという。そこでは私たちを苦しめるものは誰もいない。HSPそれぞれに与えられた特別なギフトを思う存分に生かして暮らすことができるのだ。心のやさしい人々が暮らす心やさしい国だ。

現在、私たちはこのHSPの国づくりに向けて活動をしている。だが、PSPは私たちの活動をじつにガサツなやり方で妨害してきた。そのせいで活動は停滞気味だが、私たちは負けない。

今夜、都内の複数の箇所で決行する無差別テロが大きな突破口となるだろう。

苦い文学

いつか断食する日

ラマダンというのはひと月のあいだ、日の出から日没まで断食するイスラムの行事だ。今週、チュニジアにいた私はこの断食に1日だけ挑戦してみることにした。

半日飲み食いしないなど、たいしたことがないように思えるが、「するな」といわれて我慢するとなると話は別だ。私にはまったく自信がなかった。ともあれ、断食は午前5時前に軽い朝食を食べたのちスタートした。これから午後6時半過ぎまでなにも口に入れてはいけないのだ。

その日は車であちこち移動する日だった。12時を回ったころ、同行してくれたチュニジア人の友人が私に聞いた。

「ジュースでも飲むか。断食は少しずつ体を慣らしていくものだぞ」

「いや、結構だ……」と私。

しばらく経つとまた聞いてきた。

「菓子でも食べるか。無理するなよ」

「いや、結構だ……」

それから私たちは車を降りて、遺跡を訪問した。山の上にあるので、けっこう歩く。遺跡を見終わったのち、友人が私に言った。

「俺たちはこれから礼拝をするから、お前はこのカフェに座ってジュースでも飲んでなさい」

「いや……水をください……」

その日は暑く、熱中症が怖くなってきたのだ。口を湿らす程度に、と思っていたが、割合にがぶ飲みに近くなった。

けっきょくその後、あちこちでお菓子をもらったりして、お腹いっぱいになってしまった。

翌日は誘惑にも負けず、最後まで断食した。日没後はすぐ食事になる。私は20分ぐらい前から食卓に座って、「ゴーサイン」が出るのを待っていたのだが、この時間がいちばんつらかった。

苦い文学

国民勃起解放戦線

我々は「勃起をセックスから解放せよ!」のスローガンのもとに結成された国民勃起解放戦線(NBLF, National Bokki Liberation Front)である!

歴史の黎明から、われわれ人類は勃起をセックスに結びつけてきた。「勃起=セックス」だった! だが、いまこの観念を覆えすときがきた。

なぜなら、このあやまてる観念こそが、男の性を歪め、ひいては女の性を歪めてきたからだ!

なぜなら、この観念こそが、結果として同意なき性行為を引き起こし、性暴力、性被害、未成年に対する性虐待の温床となってきたからだ!

われわれはいま、勃起したとき、落ち着いてこう自問すべきときに来ている。

「果たしてこれはセックスと関係あるのかどうか?」

「たんに眠いだけなのではないか?」

「朝立ちでは?」と!

だが、こういうと、勃起セックス主義者はこう反論するだろう!

「眠いときに勃起するのは、原始人のときの性衝動の名残だ」と。

そんなバカなことがあろうか? 勃起をセックスとしか見ない有害きわまりない見解だ。

いったい人は眠りながらセックスできるものであろうか? 眠くなるのは、した後なのである!

われわれが戦うのはこのような有害な概念である!

全国民に告ぐ!

いまこそ勃起をセックスから解放する時だ。

これは「勃起革命」である!

なぜなら、われわれが目指すのは、この社会を変えること、自由に、のびのびと、セックスフリーに、大人も子どもも、勃起を楽しめる社会に変えることだからだ!

来たる4月1日、われわれNBLFは、大勃起いや、大規模なデモ活動を国会議事堂前で実行する。

勃起はセックスとは関係がないということを身をもって示すのだ! 同志よ、思い思いのプラカードを勃起させて参加されたい!

苦い文学

あおり事故をなくすために

私の海外経験はかぎられたものだが、それでもはっきりしていることは、日本の道路はおとなしいということだ。

クラクションが鳴ることは滅多にないし、運転席の窓が開いて罵り合いがはじまることもない。しかし、異国では路上ではクラクションはつねに鳴りっぱなしだし、運転席からは人差し指が突き出されたままだ。

私はこうした海外の騒がしい状況のほうがより安全だと考えている。考えても見てほしい。四六時中クラクションを鳴らされているドライバーが、1回のクラクションでブチ切れることなどあるだろうか。あおり運転だってそうだ。あおりが日常ならば腹も立たないのだ。

思うに日本のドライバーはクラクションや罵り合いに対して耐性がなさすぎるのだ。だから、すぐにカッとなって、痛ましい事故を引き起こすこととなる。

日本のドライバーはもっと耐性をつけるべきだ。もっとクラクションを鳴らすべきだし、もっと罵り合うべきだ。もっともっとあおるべきだ。路上でクラクションが鳴り響くならばきっと事故は減るだろう。

もちろん、それでも激怒せざるをえないようなトラブルだってあろう。そんな時は気をじっと静めてほしい。あおりや無茶な運転などせずに、落ち着いて外に出て、トラブルの原因となった相手のドライバーと向き合ってほしい。

そのときには、高速だろうとなんだろうと、あらゆる車はストップし、ほかのドライバーたちも車を降り、輪になって見守っているはずだ。

そして、すべての車のオーディオから爆音で Beat it が流れだす。ふたりのドライバーたちは片手を縛りあう。もう片方の手には飛び出しナイフがきらめく。命をかけた決闘が始まるのだ!

車同士のトラブルもこのような形で解決すれば、あおりによる痛ましい交通事故は激減するのではないだろうか。