苦い文学

新しい人類

いま、世界各地で新しい人類が生まれている。そして、その新しい人類は、数の上でも古い人類を凌ぎつつある。

だが、このことに気がついている人はまだいない。もしかしたら、公に口にするのは私が最初かもしれない。そして、そのことによって、古い人類が新しい人類に対する迫害に乗り出すおそれもある。だが、新しい人類のひとりとして私は黙ってはいられない。

新しい人類と古い人類の違いはたったひとつだけだ。それは、新しい人類の携帯の画面が割れていることだ。

携帯は割れるものだ。そして割れたら修理しなくてはならない。だが、新しい人類は割れていても平気で使い続ける。人類はそんな能力をついに手に入れたのだ。

「人類だって? そんな大げさな」 という人もいるかもしれない。そうした人はまったく世界というものを知らない。

いま、世界中のあちこちで、携帯を割れたまま使う人々が、互いに無関係に、そして同時多発的に現れ出しているのだ。

なるほど現在では、これらの携帯を割れたまま使う人々は互いに孤立している。だが、いずれ、新しい人類たちは、画面の割れた携帯を巧みに使いこなして、割れた携帯でコミュニケーションを図り、国際的な連帯を構築し、割れていない携帯を使う古い人類の支配に対抗しようとするかもしれない。

そして、ある日、全世界の割れた携帯に「万国の新しい人類よ、団結せよ!」という、決定的なメッセージが送られてくるのだ。

革命が起きるだろう。そのメッセージが、割れた携帯につきものの膨大な未読メッセージの中に紛れ込まなければだが……。

苦い文学

天国に手を伸ばして

一度限りの人生を生きるということは天国に行くようなものだ。

というのも、私たちが自分たちの人生が一度きりだということを思い出すのは、好きなことをしたい時だけだからだ。

そして、好きなことがなんでも許されているのが天国だ。

いっぽう、私たちが自分たちの人生が一度きりだということを思い出さないとき、私たちはなにをしているだろうか。

たぶん、好きなことではないだろう。きらいなことばかりではないかもしれないが、私たちが自分たちの人生が一度きりだということを思い出すときのような、特別なことではない。

そうした特別でないことは、しなくてはいけないからやっているにすぎない。ありふれたルーティンワーク、しがらみ上の作業だ。本質的には楽しくないことだし、ときにはつらいことでもある。

天国が地獄かというと、むしろ地獄に近い。

昔の人々は死後の世界があると信じていた。そして、生きている間に良いことをすれば、天国に行くし、そうでなければ地獄に行くと考えていた。

現在の私たちは、死後の世界をもはや信じることはできない。それは私たちが信仰心を失ったからではない。それは、私たちが、人生は一度きりと考えたほうが楽だということに気がついたからだ。死後に与えられる報いを待つよりも、現世で天国と地獄の報いを得たほうが手っ取り早いではないか。

人生は一度きりと思うたびに、地獄から天国に手を伸ばして、好きなことという天国の一部を、自分で簡単に手に入れる。

私たちはこのシステムがえらく気に入ったので、死んで天国に行こうなどとはもう思いもしない。それに天国だってお断りだろう。

苦い文学

コロナの勝利

友人が少し早めの夏休みを取って、外国に行ってきた。それで、こんな話をしてくれた。

「俺がその国に行ったのは2回目で、初めて行ったのはちょうどコロナが広まりつつあるときで。

「当時その国にはまだコロナにかかった人はいなくて。しかも徐々に渡航制限が出始めている時期で、アジア人はほとんど見かけなかった。

「アジア発の奇妙な病気が流行っているというニュースが広まっているだけで。見た目がアジア人だとすぐわかるから、本当に不愉快な経験をしたよ。俺が近くを通りかかるだけで、みんなこうするんだ。(と、彼は両手で口を塞いでみせた) まるで俺がコロナだっていうみたいにさ。コロナってのはそんなもんじゃないんだ、って内心くやしい思いをしながら、帰国したというわけだ。

「でも、その後、その国にもコロナが広まって、まあ、どこの国も同じだ。で、ようやく今年になって落ち着いたから、この間その国にまた行ってきたんだ。イヤな思いをしたのにどうしてかっていうと、イヤな思いをしたからさ。

「その国に着いて、街を歩いてみると、コロナなんかなかったかのような賑わいだ。しかも、誰も俺をみて口を塞いだりしない。いや、ひとりか2人はいるんだ。だけど、明らかに向こうのほうがコソコソしてる。

「勝った、と思ったね。それを見にきたようなもんだ。コロナはアジア人だのなんだの関係ないんだから。この3年の間に、コロナがそれを証明したんだ」

そう言うと、彼はまるで自分がコロナであるかのように胸を張った。

苦い文学

ワレワレハ日本人ダ

日本に巨大な宇宙船がやってきて、その主たちが姿を現した。

「ワレワレハ日本人ダ」

その生命体は、背が低く、メガネをかけて、歯並びが異常に悪かった。戦争の頃の欧米の風刺画に描かれた日本人そっくりだった。

その日本人たちは、私たちに即時降伏を求め、従わない場合は武力あるのみと脅した。

日本中は大騒ぎになった。歴史家たちは、戦争末期に宇宙に送られた日本兵がいたという史実を発掘し、本物の日本人だと太鼓判を押した。

世界各国はといえば、宇宙人の襲来かと緊張を高めていたが、これで日本の内政には干渉せずとの態度に落ち着くことになった。

日本は真っ二つに割れた。同じ日本人同士が戦うべきではないと主張する人もいれば、今の日本人は体格も良くなり、コンタクトレンズを使用し、歯科医療の恩恵に預かっているのだから、同じ日本人とはいえない、戦うべきだ、と主張する人もいた。

私たちは激しい議論を繰り広げたが、いつまで経っても結論は出なかった。そんな私たちに宇宙から来た日本人は業を煮やしたか、ある日、大胆な奇襲攻撃を仕掛けてきた。開戦は奇襲にかぎる、と思い込んでいるのだ。

私たちもやむなく武器を取り、ついに戦争が始まった。

しかし、連中ときたら、原爆を落とすこと落とすこと。広島も長崎も経験していないから、戦争は原爆にかぎる、と思っているのだ。

あまりの惨状に私たちはもう諦めムードだ。

苦い文学

車とネズミ

道は車のためにあるという国がある。

そうした国では、歩行者はまったく優先されない。というか、車には歩行者などまったく存在しないみたいだ。

なので、横断歩道があったとしても、車は絶対に止まってくれない。待つだけ時間の無駄だ。

現地の人々は、横断歩道があろうかなかろうがおかまいなく、車の流れの切れ目を利用して、あっという間に向こう岸に行ってしまう。車の前後をたくみにすり抜けて行くその姿は、まるでネズミのようだ。

私たち不慣れな外国人がそうした国で道を渡る場合、現地の人にぴったりくっついて渡るのがいちばんいい。ただし、車の流れに対して現地の人が「川上」に立つようにしないと、自分が先に轢かれかねない。

しばらく練習すると、独立するときが来る。コツも掴んで、渡るのにも足取り軽やか。すり抜けるときに、きげんよく車の尻をポーンと叩きかねないほどだ。携帯見ながらでも渡れるような気もしてくる。もういっぱしのネズミだ。

ごくまれに横断歩道で車が止まるときがある。

車には私たちネズミが見えないはずなのに……。もしかしたら、「見えてしまう」系の車なのだろうか?

横断歩道へと足を踏み出し、ゆうゆうと渡りながら、「私たちのこと、気がついてくれたんだね」と車に微笑んだとたん、急発進した車に轢かれる、そんな事故が多発している。

この国では、横断歩道で止まった車がいちばんあぶない。

苦い文学

ぶつかり男

【夏休みの自由研究】
「ぶつかり男」に関する実験。

【「ぶつかり男」の習性】
弱い者を見ると突進する。

複雑な動きをする群衆の中で、おとなしそうな少女や地味な女性、間抜けそうな男性、子育て中の母親など、歯向かわなそうな人々を、人混みの中で瞬時に発見。ぶつかって蹴ちらす。

怖そうな男性、いかつい若者、ヤクザやそれ風の男、金髪の女、ギャルなどをたくみにかわす。

【「ぶつかり男」の生息地】
大きな駅や野球場の周辺。

【実験】
①朝の駅に行って「ぶつかり男」を10匹捕獲する。
②虫かごに全員入れる。虫かごには椅子やキュウリ・スイカなどを入れない。
③何もないから「ぶつかり男」たちは立っているしかない。どんなことが起こるだろうか。

【予想】
①ぶつかり合戦が起きて、1匹だけが生き残る。
②全員が牽制しあい、一歩も動かなくなる。
③互いに回避しながらせわしなく歩き回る。

【実際の虫かごの中のようす】
虫かごの中心に向かって全員がいっせいにぶつかり合って全滅。

【結果】
「ぶつかり男」が本当にぶつかりたいのは自分自身だということがわかった。駅のあちこちに大きな鏡を置けば駆除できる可能性。

苦い文学

底辺への旅

著名なセレブたちが底辺への旅を企画したとき、賞賛の嵐が巻き起こった。

「立派だ」「憧れます」「気取らないとこが好き」

そして、セレブたちは大金を払って特別な乗り物を借り、底辺へと旅立った。

乗り物はゆっくりと下降していった。自撮り写真や動画が SNS に続々と投稿され、その度に何百万という「いいね」が集まった。

深度を増すにつれて、そこに暮らす人々の姿が少しずつ変容し始めた。セレブたちは報告した。

「底辺に行けば行くほど人間らしく見えなくなっていきます」

そして、ついに最底辺に辿り着いた。セレブたちは乗り物に開いた丸い窓を覗き込んだ。そして、非常に平たくなった人間たちを発見して驚嘆の声をあげた。

底辺では人間は、「くせに」「の分際で」などの心ない言葉や、たえず降り注ぐ暴力にさらされているため、そんなふうに変形せずには生きていけないのだった。

セレブたちはわれさきに報告した。

「虫のように泥の中を這い回っていますが、彼らは私たちと同じ人間なのです」

セレブたちが夢中になったのは、そんな人間たちの姿をなんとか背景に入れて自撮りすることだった。その結果、笑顔のセレブたちの後ろで、目を大きく見開いた底辺の人々が写った写真が、次々と拡散された。

やがて底辺の旅も終わりに近づいた。乗り物が浮上しようとしたそのときだ、船体のどこかで亀裂が生じ、乗り物は一瞬のうちに潰れてしまった。

美しいセレブたちも、立派なスマートフォンも、底辺の過酷な圧力を生き延びることはできなかった。

苦い文学

携帯ショップ(3)

見ているうちに、バッテリーの残量が3パーセントから2パーセントに変わった。若者は、背負っていたリュックからモバイルバッテリーを取り出し、その携帯に接続した。

2人が戻ってくるまではもうわずかしかない。若者は焦るが、パッテリーの回復は遅い。3パーセント、4パーセント、5パーセント。ジリジリ待つうちにようやく10パーセント。それからゆっくり上がって13……16……19パーセント……あとちょっとで赤を脱し、緑色に……。

そのとき、奥のほうから声が聞こえた。若者はあわててバッテリーを取り外すと、ドアから外へと駆け出した。

どこをどう走ったか覚えていないが、夜の森の中でつまづき、転び、その拍子にかなりの高さを転落した。立ちあがろうともがいたが、足が動かない。助けを求めたが、その声は虚しく森に消えていくだけだった。

そして、身動きのできないまま、何日かが過ぎた。もはや声も出なかった。空腹と渇きと痛みのなか、若者は、結局は自分の運命を変えることはできなかったと悟った。

だが、そのとき、上のほうで人の声が聞こえた。

若者は最後の力を振り絞って叫んだ。

……生還したのち、若者は大容量の急速充電バッテリーを持っていくども山を歩き回ったが、二度とあの携帯ショップに出会うことはなかった。

苦い文学

携帯ショップ(2)

展示台の下に身を潜めている若者の耳にこんな会話が聞こえてきたのだった。

「バッテリーが落ちそうなのはどれだったかな」

「ああ、これこれ、もう残り1パーセントもない。……ほら消えた」

「そうか。さあ、お客様がくるぞ」

すると、自動ドアの開く音が聞こえて、夏の夜とは思えないような冷たい風が吹き込んできた。「いらっしゃいませ」と2人がいうのが聞こえた。しばらくすると「お買い上げありがとうございます」の声と同時に再び自動ドアが開き、その客らしき存在は出ていった。

「さて、次に寿命の切れそうなものは……」

「これかな。3パーセントぎりぎりだ」

「では、まだ間があるな。裏で休んでいよう」

2人が奥へと去っていったのを確信すると、若者は台の下から出てきた。この不思議な場所からできるだけ早く逃げ出すべきだと思ったが、そのいっぽう、あの謎めいた存在たちがあと3パーセントと言っていたのがどんな携帯なのかが気になった。

若者は、声がしていたところに行き、並んでいる携帯をひとつひとつ調べ始めた。そして、驚きの声をあげた。

そこにあったのは、自分の顔が映し出された携帯であった。しかも、バッテリーは3パーセントの赤い線で、今にも消えてなくなりそうだった。

苦い文学

携帯ショップ(1)

ある若者がひとりで山歩きに出かけ、道に迷ってしまった。降りているといつの間にか登っている。登っているとだんだんと降りている。とうとう疲労困憊し動けなくなった。

夜になった。暗闇の中でじっとしていたが、遠くのほうで光が輝いているのに気がついた。若者は力を振り絞ってその光に向かった。

歩みを進めるにつれて光は大きくなり、ついにその前に辿り着いた。それは携帯ショップであった。

若者は喜びのあまり「こんな山奥になぜ」とも思わずに自動ドアを開けて入った。店内には携帯がディスプレイされて並んでいる。若者は誰かいないか声をかけたが返事はなかった。

店内をぶらぶらしていると、若者はおかしなことに気がついた。すべての携帯の待ち受け画面が人の顔になっているのだった。

ある携帯はひとりの男の顔だった。別の携帯は老人。また別の携帯は子ども。どの携帯も、違った顔が待ち受け画面になっていたのだった。

若者がこれらの異様な携帯を見ていると、誰かが話す声が聞こえた。若者はとっさに展示台の下に隠れた。