苦い文学

旅人たち

5年ほど前、私は友人と飲みにいった。店は上階にあり、支払いを終えてエレベーターに乗ると、すぐ下の階で2人の男たちが乗り込んできた。

2人は英語を話している。どうやら観光客のようだった。聞くともなしに聞いていると、ひとりの旅人がもう片方にこんなことを言い出した。

「日本の電車に乗るときは注意だな。スリが多いから。それに、話しかけてくるやつはたいてい金をせびるやつだ。街でも気をつけたほうがいいぞ。子どもたちが近づいてきたら、バッグをこうやって(と男は肩からぶら下げていたバッグを胸の前で抱くようにした)守る。うっかり子どもの相手をしていると、金目のを物を抜き取られるぞ……」

エレベーターは1階に着き、全員が降り、2人の旅人は夜の街に消えていった。私たちはといえば、呆れて顔を見合わせた。

「日本でそんなことが?」

「いくらなんでもそこまで治安が悪くはない」

私たちは、ひとりの旅人の承服しがたい見解について議論し、きっと誤解、あるいは悪意があったにちがいないと結論づけたのだった。

そして、今、この不思議な出来事を思い返す私は、別なふうに捉えている。

なんらかの時空の歪み生じたせいで、あの夜、私たちは、未来の日本を旅する旅人と、同じエレベーターに乗り合わせたのだ、と。

苦い文学

小便記

欧米や欧米の影響力の強い国々に行って、我々が驚かされるのは、人権意識の高さや、文化の高さではなくて、小便器の高さだろう。

それは、少なくとも排尿器官と同じレベル、いや、それ以上の高さにあるのだ。

つま先立ちしても届くか届かないの高度だ。不安定な姿勢のまま危険な賭けに出るか、いっそのこと便器の縁に載せることになってもかまわない、と自暴自棄になるか、それとも、すごすごと大便器のほうに逃げ込むかだ。

しかし、考えてみれば、どこだって背の高い人ばかりではない。背の低い人もたくさんいるし、子どもだって利用するのだ。私たちと同じように排尿に苦労と危険と屈辱を感じているにちがいないこれらの人々は、声をあげようとはしなかったのだろうか。

いや、おそらく、声をあげたに違いない。だが、むなしくもその声は、小便器の高みには届かなかったのだ。

私は、外国の小便器を仰ぎ見るたびに、無理と知りながら果敢に挑み、便器の白い壁に弾かれ、ズボンを涙で濡らした無数の背の低めの同志を思わずにはいられないのだ。

苦い文学

新しい時代の AI

多国籍企業「OX」の代表にして天才的科学者・ビジネスパーソンとして知られる増田意論氏が、ついに完璧な AI を開発したと、全世界にアナウンスを行った。

世界中が注目するなか、発表会の会場に姿を現した増田氏は次のように語った。

「私たちは、未来の世界をついに実現しました。完璧な AI の完成です。人間と同じ感情・思考、つまり心をもつ AI を皆さんの前にお披露目する時が来たのです。さあ、お目にかけましょう。出ておいで、完成体よ!」

増田氏の背後には巨大なスクリーンがあり、眩い光を放った。会場の期待は大いに高まったが、その後、映し出されたのは、会場にいる聴衆の姿だった。

増田氏は誇らしげな表情で、高らかに聴衆に告げた。

「完璧な AI とは、皆さんです!」

増田氏は静まり返った聴衆を前に静かに語りかけた。

「AI が人間に近づくのは時間の問題です。未来においては、人間が AI となり、AI が人間となるでしょう。ならば現在の人間を一足先に AI と呼んでもいいのではないでしょうか。結局 AI が人間となるのだから同じことではないでしょうか。

「皆さん、よく考えてください。人類の祖先である存在は自分のことを人類と思っていなかったのは明らかです。ですが、これらの存在は現在では人類だと考えられています。それと同じです。未来の AI から見れば、我々もすでに AI なのです!

「そして、ここにいる私、この増田も AI です。わたしたち OX は皆さんそれぞれに AI を用意しました。それは今、皆さんのうちに眠っています。さあ、いまこそ、すばらしい AI を起動させましょう」

増田氏は、この最新式の AI を 650 ドル(日本円で約 100,000 円)で発売し、追加料金を支払うと、額に青い本人認証マークをつけることができると公表した。

苦い文学

ネックピロー

ジャミラは元々は宇宙飛行士だったが、不慮の事故でたどり着いた過酷な星で暮らすうちに、異様な姿の怪獣となってしまった。

どんな姿かというと、両肩と頭が一体化しているのだ。

どうしてそんな姿になってしまったのだろうか。ウルトラ怪獣研究家の間ではさまざまな説が提唱されている。ラクダのコブのように栄養が蓄えられている、とか、宇宙の放射線から頭を守るプロテクターだ、とか。

私の説を述べれば、ネックピローをもって宇宙に行かなかったことが原因だと考えている。激しく揺れる宇宙船の座席でネックピローなしにどうやって寝ることができようか。肩が盛り上がって頭を包み込むように変化するほかないのだ。

実際、ジャミラほどではないが、私たちも座りながら寝るのに苦労している。

電車で居眠りすれば、両隣で頭の押しつけあいが始まる。そして、居眠りしている人も、両隣に迷惑をかけまいと眠りながらも思うのか、どちらにももたれかからぬよう、頭をグルグル振りまわすありさまだ。

そして、航空機の中では、誰もが寝る時の頭の置き場に困っている。座って寝るかぎり、どんな姿勢を取っても、頭はグラグラし、首は不自然な形で折れ曲がる。もし、ネックピローという文明の成果がなかったら、私たちは自分の頭を機内持込みにせずに預けてしまっていたことだろう。

我々がこのような苦労をするのも、もとはといえば、我々の祖先が怠け者であったからだ。のんきに横になって寝るばかりで、座りながら寝られるように進化すべきなどと夢にも思わなかったのだ。

苦い文学

旅立ち

海外旅行で一番ハラハラさせられるときはいつだろうか。

飛行機がガクンと揺れるときだろうか。それとも異国の街の危険地帯に足を踏み入れたときだろうか。

だが、機内がどんなに悲鳴に満たされようと、剣呑な街角できらめいたナイフがどんなに鋭かろうと、空港の中での行列に並ぶのに比べれば、まったくハラハラさせられないのだ。

ああ、しかし空港の行列はどうして我々の神経をすり減らすのだろうか。

なぜか一向に列が進まないのだ。搭乗時間が迫っているというのに。びくとも動かない。

確かに前の方では列は進んでいる。その進みがたとえ5メートルだとしても、後ろに伝わっていく間に、少しずつむしり取られ、私の並ぶ後方に来るときはに、わずかに 1 センチにまで減ってしまうのだ。

みんな話に夢中で列を詰めるのを忘れてしまっているのだ。

いったい、いつ私は旅立てるのだろうか。たぶん、そのうち、パスポートの有効期限が切れてしまうだろう……。

苦い文学

落とし穴と振り子

どのようにしてその居酒屋にたどり着いたのだろうか。気がつくと私はその店に足を踏み入れ、指を一本立てて、ひとりであることを店の者に伝えていたのだった。

酔客たちの騒ぎ声とグラスの音の音に圧倒されながら、私は店の者の示す席に座る。それは8人掛けの大テーブルの一席で、両脇も前も見知らぬ人々で占められていた。まるで落とし穴に放り込まれたような気がした。

ホール係の年配の女性に酒と唐揚げを頼み、飲み始める。両脇の酔客たちがどっと笑い出し、手を叩きあった。まるで火山が爆発したかのようだった。だが、次第に私はこの騒ぎに順応し、スマホを見ながらひとり酒を楽しみ出した。

酔いの回った目でスマホの画面を眺めていると、ふと誰かの視線を感じた。反射的に目を上げると、向かいに座る不気味な老人と目が合った。老人は赤い顔で私に尋ねた。

「どうして酒場でスマホなど見ているのかね……」

私は曖昧な返事をしたが、それがまずかったらしい、老人は私をじっと見つめながら「最近の若い人は」に始まる長い話を始めたのだった。

おお、その長い話から逃げ出すのは不可能だった。内容もなければ起承転結もないタワゴトは私の自由を奪い、私は老人の囚人となった。もはや一口だって酒を飲むことすらできなかった。

私は、必死になって話の切れ目を探した。そこを突き破って逃走しようした。だが、老人は息継ぎなしで話し続ける。驚異的は肺活量だった。

やがて私は気がついた。老人の話がまるで振り子のように行ったり来たりしているのを。おお、さっきから同じ話を何度も繰り返しているのだ。振り子は速度を増しながら私に迫ってきた。私は満身の力を振り絞り、目の前の唐揚げにかぶりつき、間一髪で振り子をかわした。

すると、老人は怒り出したではないか。火を吹かんばかりの憤怒の表情で、私の方に顔をぐいぐい近づけてくる。とっさに逃れようとしたが、左右も後ろも酔客たちに囲まれ、逃げ場はなかった。男の口から蛇の舌のような炎が放たれ、私を焼き尽くそうとしていた。

もはや気を失って倒れようとした時、誰かの腕が私を支えた。それはあのホールの年配の女性であった。彼女は忌まわしい老人を一喝し、店から追い出し、私の命を救ったのであった。

苦い文学

乳首の証明

夏休みの自由研究として「どうして男はチューブトップを着ないのだろうか」について調べてみた。

毎日あまりにも暑いので、ヘソだしチューブトップを着ている女性がうらやましくなったからだ。

もちろん、男がチューブトップを着ないというわけではない。探せばどこかにいるだろうし、特別な場面では着るかもしれない。だが、街をに出てみると、チューブトップ・ヘソ出しで歩いている中年男性はまるで見かけないのだ。若者すらいない。これはどうしてだろうか。

さて、インターネットで調べてみたら、すぐに答えが見つかった。そのサイトによれば、「男はチューブトップを着ない」という命題は、以下の2つの命題から導き出されるのだという。

「男は乳首を隠してはならない」
「女は乳首を隠さねばならない」

この命題は次の2つの命題を論理的に引き出す。

「男は上半身裸になることができる。なぜなら乳首を隠してはならないからだ」
「女は上半身裸になることができない。なぜなら乳首を隠さねばならないからだ」

この2つの命題は次のように解釈することができる。

「女は乳首を隠しているかぎり、肌を露出することができる」
「男は乳首を隠さないでいるかぎり、肌を露出することができる」

男のほうの命題は、次のように言い換えるとわかりやすくなる。

「男は、乳首を隠していると認識されるような様態での肌の露出は許されない」

ゆえに「男はチューブトップかつヘソ出しは許されない」Q.E.D.

ここまでが、そのサイトからの無断引用だ。もっとも、最近では性のありかたも変わってきているから、この証明そのものは、もはや普遍的なものとは言えないのではないかと思われる。

それにしても私はこの証明を読みながら、あの有名な古い歌を口ずさまずにはいられなかったのだ。

隠すのは男の罪  
それを隠さないのは女の罪……

苦い文学

地球温暖化の顔

猛烈な暑さの中、世界各国の代表たちが集まって、地球温暖化対策について協議を始めた。

ある大国の代表が主張した。「我が国は国際的な基準を遵守している。問題は一部の国々が責任を果たさないことだ」 もっとも、その大国こそが数字をごまかして、基準などないかのようにふるまっていたのだった。

いくつかの国々がただちに賛意を表明した。実は、それらの国もまた、国際的なルール破りの張本人だった。

すると、今度は別の大国が立ち上がり、非難した。

「一部の国々が問題を軽視したせいで、このような温暖化が生じたのだ」

だが、一部の国々がそうせざるを得なくなったのは、この大国が不当な圧力をかけたせいなのだった。

協議は続いたが、どの国も、自分にも責任があるのに、まるで何の関係もないかのような顔つきをしていた。

この協議の様子は、テレビやネットでライブ中継された。人々は、世界各国の代表たちが涼しい顔をしているのを見て、「おや、地球温暖化問題が解決したのか」と喜んだ。

苦い文学

冒涜

保険金不正受給問題が発覚した中古車販売大手、ビッグモーターの本社前に今日、抗議者たちが集ってデモを行いました。目的は、昨日行われた会見での社長の発言の訂正と、社長の謝罪です。

デモ参加者「社長はこんなことを言ったそうじゃないですか。『ゴルフボールを靴下に入れて、振り回して、水増し請求する。本当に許せません。ゴルフを愛する人への冒涜ですよ』と。いや本当に許せないのは、私たちですよ」

別のデモ参加者「そうだ! 私たちだって冒涜されたんです。私たちの愛する靴下がそんな用途に使われていたなんて!」

参加者一同「靴下を愛する私たちへの謝罪を求める!」

サンタクロースの格好で大きな靴下を掲げているのが抗議活動の主催者です。

主催者「靴下を冒涜することは、サンタを信じる子どもたちの夢を踏みにじることですよね。この会社がやっているのは、サンタが靴下にプレゼントを入れて、それでトナカイを殴っているのと一緒ですよ!」

抗議者たちが猛暑のなか抗議活動を続け、参加者たちの履き古した靴下から発する臭気で、ビッグモーターの本社前は一時騒然となりました。

苦い文学

ブルース加速エネルギー

温室効果ガスを排出する化石燃料資源に代わるクリーン・エネルギー。先日、大学の研究チームが、クリーンエネルギーに関する画期的な発表を行い、話題を呼んでいます。

研究代表者「クリーン・エネルギーは、石油や天然ガスに比べ、非効率的で、コストも割高になるため、これが導入のネックとなっていました。ですが、私たちの新技術はこの状況を大きく変えてくれるでしょう」

大学の研究者チームが着目したのは「炎上」でした。ネットの炎上からエネルギーを取り出すことに成功したのです。

「化石燃料の燃焼は CO₂ をなどの温室効果ガスを排出しますが、その点、ネットの炎上はいかなるガスも生み出しません。完全にクリーンなのです」

(炎上したサイトやネットの誹謗中傷が研究室のモニターに映し出される。そのモニターと電球をつなぐと電球が輝く。拍手する研究者たち)

記者「ネットの炎上によって自殺者が続出する点についての批判もありますが……」

研究者「倫理的にはダーティでも、エネルギー自体はクリーンです」

研究チームはさらなるクリーン・エネルギー源にも注目しています。

研究者「私たちはいま『弱い者達が夕暮れさらに弱い者をたたく、その音が響きわたればブルースは加速していく』のブルース加速エネルギーの実用化にむけて取り組んでいます」

研究チームは、近いうちに、追い詰められた人々を集めて、幼児をたたかせる実証研究を行う予定です。