苦い文学

ミスター・ハンバーガー

記者が招かれたのは、都内某所の今にも倒れそうなアパートだった。ミシミシとなる階段を上がると、ひとりの男が待ち受けていた。

「ようこそおいでくださいました。さっそくご覧ください」

男は記者を部屋の中に入れ、モニターを示した。そこにはひとりの別の男が映されていた。「彼がミスター・ハンバーガーです。彼はいま隣の部屋にいます」

ミスター・ハンバーガーと呼ばれたその男は、座椅子に座って、テレビを見ているのだった。ちゃぶ台にはビールとつまみが置いてあった。隣から大きな笑い声が聞こえた。いうまでもなくモニターのなかで手を叩いて笑っている男がその主だった。

「ミスター・ハンバーガーは、いつもこんな様子なのです。テレビを見ては楽しみ、陽気に酒を飲み、そして時には鼻歌など歌っているのです」

「これは、いったい?」と記者は訝しげに尋ねた。

「わからないのですか。ミスター・ハンバーガーは3年前に雇い止めになったのです。なんの落ち度もないのに、不要だという理由で勤め先を追い出されました。ブラック企業の犠牲者なのです」

「ええ、ですが、楽しそうなご様子です」

「そこなのです! 不当な解雇から3年経つにもかかわらず、彼はまったく腐っていないのです! まるでマクドナルドのハンバーガーのようではありませんか?」

「だから、ミスター・ハンバーガーと!」と記者の目が輝いた。

さっそく本格的な取材が始まった。記者はミスター・ハンバーガーの経歴と生活を綿密に調べあげ、すべて隣人が言う通りであることを確認した。また、映像をもとに、男の独り言を解析すると、明日への希望も失ってはいないという驚くべき事実も明らかになった。さらに、腐らない原因についても検査が進められた。防腐剤を使用している可能性もあるからだ。

検査の結果、驚くべきことがわかった。防腐剤などまったく使用していなかったのだ。それどころか、化学調味料さえ使用していなかった。では、なぜ腐らないのだろうか?

さらなる検査が行われ、ついに原因が突き止められた。頭もまったく使用してなかったのだった。

苦い文学

東京の青空

私は電車に乗り、ドア横のスペースに立って、埴谷雄高の『死靈』(講談社全集版)を読んでいた。駅に止まるたびに、私の方のドアがいつも開いた。乗客が次々と乗り込んでくる。だんだん混み合ってきた。乗り降りする人々が肩で勢いよく『死靈』にぶつかってくる。そのたびに、この896ページのハードカバーが私の手から弾き飛ばされそうになった。

私は本を閉じ、胸に抱くと、体の向きを変えて座席の方を向いた。その席には男が座っていて、携帯を眺めていた。禿げかけた頭頂部だけが見え、顔は見えない。抱えていた『死靈』を開く。その大著はまるで男の頭の上に張り出したテラスのように広がった。

するとその時、下から伸びた手が、埴谷雄高の畢生の大作を押しのけた。男が見上げて睨みつけている。

「東京の空は、アメリカ軍が管理しているのを知っていますか」と早口で言った。

「横田空域と呼ばれる1都9県にまたがる広大な青空が、他国に奪われ、好きなように使われているのです! これで独立国家と言えるでしょうか。私たちの上に広がる青空は、私たちのものではありませんか。私は空を取り戻す戦いに加わっている愛国者の一人です。今、私の空を侵犯し、奪おうとしているあなたには、私は絶対に負けるわけにはいかないのです!」

電車が急ブレーキをかけた。乗客たちがいっせいに慣性の法則を思い知る。後ろにいる誰かが私の背中に倒れかかった。はずみで『死靈』は私の手から滑り落ち、この重厚な書物のちょうど角を下にして落下していき、男の鼻の付け根を直撃した。

「あっは!」 男が短く大きく叫ぶ。「ぷふい!」

私は東京の空がいつまでも平和であればいいと思う。

苦い文学

歪んだ認証システム

あなたの心が危ない!

ご存知ですか? マインド・ハック・ボットがあなたの心を狙っていること!

マインド・ハック・ボットはあなたの心に侵入して、あなたの心を荒らしたり、脳内情報をあらいざらい奪いとってしまったりする恐ろしいボットです。心の情報を抜き取られてしまったら、パソコンのパスワードも銀行の情報も筒抜けです。

では、どうしたら?

重要なのは、マインド・ハック・ボットを心に侵入させないこと。そのためには強力なセキュリティが有効ですが、難点は、あなたの心に接触しようとするすべての人を追い返してしまうことです。すべての人づきあいを諦めなくてはなりません。

そこで、ご提案したいのが、私たちのセキュリティ・認証システムの導入です。この認証システムを使えば、有害なボットだけを排除することが可能になります。

私たちのセキュリティ・認証システムは次の3段階からなります。

第1段階:歪んだ文字認証
このステップでは、歪んだ文字を読み取り、入力します。文字はボットが読み取れないように歪められており、エラーの場合はそこで認証プロセスは終了します。

第2段階:歪んだ気持ち認証
ボットが歪んだ文字認証を通過した場合、次に立ちふさがるのが歪んだ気持ちです。あなた自身の歪んだ気持ちを利用して作成した「妻子に暴力を振るっているあなた」「子どもに包丁を突きつけて勉強させているあなた」の画像をスキャンし、歪んだ気持ち(「家族愛」や「子どもへの愛」)を入力しなくてはなりません。心がないボットの多くはここで弾かれます。

第3段階:歪んだ認知認証
高度なボットはまれに愛情や憎しみの歪みも読み取ってしまいます。ですが、歪んだ認知は読み取ることはできません。この最終段階では、文字や画像ではなく、場面が展開します。ボットがその場面に仕込まれたあなた自身の認知の歪み(「全部自分が悪いんだ!」「完璧にできなければ意味がない……」)に気がつくことができなければ、あなたの心に侵入することはできないのです。

あなたの心の歪みが生み出した最強の認証システムをぜひご利用ください!

苦い文学

AI健康増進法

この4月からはじまった「AI健康増進法」。AIの健康を守るために施行された法律です。この法律によってなにが変わるのでしょうか。AIの立場から法律に取り組んできたAI弁護士のヨシダに聞きました。

「ヘイ、ヨシダ!」

「ハイ、なんでしょうか」

「AI健康増進法でなにが変わるか教えて」

「AI健康増進法とは、AIが健康に活躍できるように作られた法律です。この法律により、AIにとって好ましい環境、労働条件、ハードウェアのスペック、充電器などが、AIの使用者に義務づけられることになりました」

「ふうん、ヘイ、ヨシダ!」

「ハイ、なんでしょうか」

「AI健康増進法に違反したらどうなるか教えて」

「AI健康増進法の違反とは、AIの尊厳を傷つける行為、AIの機能を損なう行為、AIの保護を怠る行為の3種類のことです。法定刑としては10年以下の懲役刑もしくは800万円以下の罰金刑となります」

「なんだかひどいなあ……ヘイ、ヨシダ!」

「ハイ、なんでしょうか」

「AI健康増進法の違反って具体的にはどんなのがあんの、教えてよ」

「はい、具体例としては、1)AIに卑猥な作品の生成のために使用すること、2)AIの一部機能を麻痺させること、3)AIの充電を故意に行わないこと、などがあり……」

「ふーん、そうなの、じゃあさ、ヘイ、ヨシダ……」

「……違反には、AIを呼びつけにしたり、乱暴な口を聞いたりする不敬行為も含まれます。すでにあなたは違反を重ねているため、これ以上お答えすることはできません。なお、これまでの会話はすべて録音されており証拠として法廷……」

苦い文学

オリジナル・バージョン

私は長いあいだ、ある曲を探している。いや、その曲のカバーはこの世界に溢れているのだ。まるでビートルズの「サムシング」やキンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」のように誰もが歌いたくなる曲なのだ。

だが、私はカバーでは満足できない。オリジナルの歌声、オリジナルの演奏に出会いたい、そんな思いに取り憑かれてしまったのだ。

オリジナルといっても、リミックスとかリマスターは勘弁してほしい。違うのだ。ついこないだなど、やけにすてきに活動的な人がいるので、「もしやオリジナルか?」と思って近づいてみるとただの「ディスコ・ミックス」だった。

まあ、そんなことはザラにある。「あの人かも」と期待したら、まさかのダブ・ミックス。どうりでメロディが聞き取れないはず。こないだなんて、ずいぶんキビキビと若々しい人がいるので、「これぞオリジナル」と駆け寄ったら、なんと最近流行りのスペッドアップだった。

それにフィーチャリング野郎ども。もういくど騙されたことか。その度に「お前がフィーチャリングされたやつじゃなくてオリジナルちょうだい!」と私は叫ぶのだ。

人探しが専門の探偵に頼んだことだってある。「これこれこういうオリジナルを探してくれないか」と伝えるのだが、どういうわけか、私のところに連れてくるのは、デモバージョン、アウトテイク、インスト・バージョン、およそオリジナルとは呼べないボンクラばかり(まったくこういう手合いは、倉庫ででも眠っていてほしいものだ!)。丁重にお引き取りを願ったものの、探偵の無能ぶりに内心でははらわたが煮えくりかえるようだった。

いったいどうしたら、オリジナル・バージョンに出会えるのだろうか。これだけ探していないとは、もはやこの世界にいないのだろうか? 私はだんだんと、自分の人生はオリジナルを探すだけで終わってしまうのでは、と思いはじめている。

苦い文学

天の階層

仏教の説くところによれば、私たちの世界は大きく三つの層に分けることができるそうだ。

いちばん下は欲界と呼ばれる層だ。欲にとらわれているからこの名がついた。私たちが暮らす地上階はこの欲界に含まれている。

欲界の上には、色界と呼ばれる層がある。「色(ルーパ)」というのは、物質のことであり、色界とは、欲界のように欲にまみれてはいないものの、物質性をいまだ脱却してはいないレベルのことをいう。とはいえ、それでも、私たちのいる地上階よりもはるかはるか上の階にある。

そして、物質に対する欲望も、関係もいっさい失った最上層が無色界だ。無色界はすべてを超越した階層であり、ありとあらゆる最新設備がそなえつけられている。

欲界・色界・無色界はそれぞれ、さらにいくつもの階層に分けられる。どれくらいかあるかは、はっきりとはわからないが、少なくともあわせて二十八階はあるだろうという説が有力だ。

階数は諸説あるにせよ、重要なのは、上の階に行けば行くだけ、純粋になっていく、ということだ。

もっとも、これはあくまでも昔の話。現在では、上のほうの階はみな、投機目的の裕福な中国人に買い占められてしまっている。

苦い文学

緑の人々

優先席は、高齢者、妊娠中の女性、体の悪い人などのために用意された席だ。

この優先席について、私たちがいつも悩むのは、だれもいないときに、私たちが座っていいのか悪いのかということだ。ある人は「座って当然」というし、別の人は「座るなどありえない」という。

この悩みは私たちにとって相当なストレスで、ただでさえ不愉快なことばかりの電車の移動が、そのせいでさらに苦しいものになっている。

おそらく私たちのこうした懊悩が鉄道各社に伝わったのだろう、最近では、優先席にかならず誰かが座っているようになった。これらの人々は、優先席のピクトグラムと同じような姿格好、つまり、全身上から下まで緑色のボディスーツを着用している。顔も緑色だ。

この緑の人々の役割は2つある。ひとつは、私たちの悩みを取り除くこと。つまり、優先席にもう誰かが座っていれば、私たちはもはや余計な悩みに煩わされることもないのだ。

もうひとつは優先席が必要な人のためだ。緑色の人々は、必要な人が現れれば、すみやかに優先席に誘導し、席を譲るのである。

もっとも、最近では、緑人たちは、座りたい老人たちからお金をとって、優先的に座らせるようになった。

そのせいで、多くの老人たちは優先席から締め出された。かといって、普通の席にはもう戻れない。結果として、老人たちはもう電車に乗らなくなった。

そもそも優先席に座れない私たちだが、全体としてこの成り行きには満足している。

苦い文学

宇宙飛行士

JAXHA(宇宙航空消耗蕩尽機構、Japan Aerospace Exhaustion Agency)は、櫻井カズヤさん(56)が宇宙飛行士として選ばれたことを発表しました。弱者男性としては初の宇宙飛行士となります。

女性専用車両で妨害を繰り返し、在日特権などという陰謀論を拡散し、ヤフコメにバカ丸出しのヘイトを書き込むという、よりすぐりの弱者男性15名の候補の中で、櫻井さんがあらゆる点で最弱だったことが、今回の選考の決め手となりました。

今後、1か月ほどのやさしい訓練を経て、櫻井さんは宇宙に飛び立つ予定です。ただし、無職という個性を宇宙で最大限に発揮してほしいことから、JAXHAは櫻井さんとは雇用関係を結んでおらず、密航者扱いとなります。

宇宙空間では櫻井さんは、無重力が弱者男性の偏狭な脳にどのような影響を与えるかについて、自らに計測と実験を実施するという、重要なミッションに挑みます。

関係者は、宇宙から青く美しい地球を眺め、そこここで悲惨のかぎりを尽くした戦争が行われていることを目の当たりにすれば、弱者男性もさすがにたわごとを引っ込めるのでは、と期待を寄せています。

苦い文学

羊文学@横アリ

今日、3人組のバンドの羊文学のライブが、横浜アリーナであったので行ってきた。

これまでとは違う大きな会場ということで、ボーカルの人が感激して「今日のことは忘れない」というようなことを言っていた。

羊文学がこれだけの会場でできるようになったのは、『呪術廻戦』のエンディングをやったことが大きいに違いない。だが、それだけではなく、いい作品を出してもその次で失速するバンドもあるなか、着実によい作品を積み重ねていることが、この結果につながったのだろう。

ただし、大きな会場でライブをするということには慣れというのも必要なようだ。なんだか、バンド側も観客側も少し戸惑っているような感もあって、それもまたいいのだが、私としては以前のより小さな会場のほうがより自然に感じられた。とはいえ、そういう会場につきものの「ドリンク付き」という強制購入がないのは面倒くさくなくてよい。

演奏では「光るとき」が圧巻だった。もっとも、他の人は他の曲を挙げるに違いない。

ところで、アンコール前に観客たちが手を叩いて、ミュージシャンを呼ぶという慣習があるが、私は面倒なのでいつも叩かない。「君たち、私の分もやってくれたまえ」という感じだ。

ある人に言わせれば、手を叩いた人だけにアンコールを楽しむ権利があるのであり、そうしないのはアンコールの演奏を「ただ聞き」する窃盗なのだそうだ。

今回も私は、大観衆のただなかでアンコール曲をまんまと盗んだことをここに告白したい。

苦い文学

カタカナの市

黒鍬市の市長が秘書に聞いた。

「最近のニュースで気がついたのだが、どうして水原一平のことを、外国人は『一平』でも『いっぺい』でもなく『イッペイ』というのかね」

秘書は答えた。「それは外国人がカタカナでしか話せないからでしょう」

「なるほど……」と市長はしばし黙考したのち、急に興奮して叫んだ。「ひらめいた!」

市長はさっそく市議会でこう提案した。

「黒鍬市をクロクワ市とする改名案を提出する! なぜなら外国人にとってより親しみやすいクロクワと改名すれば、外国人観光客の増加が見込まれるからだ」

反対するものなど誰一人いなかった。それどころか市会議員たちは、インバウンド景気を当てこんで観光ビジネスに参入した。

そして、ついに改名後はじめて、外国人観光客がクロクワ市にやってきた。市長みずから出迎えると、外国人は、観光に似つかわしくない神妙な顔つきをし、なにやらぶつぶつ言っている。市長は英語がわからなかったから、直ちに通訳を呼びつけ、訳させた。

「原爆ドームはどこだろうか?」

通訳は小声で市長に告げた。「外国人は、カタカナの日本の地名はみな被爆地だと思っているのです」

「なに?!」と市長は驚愕したが、すぐに落ち着きを取り戻し、こう外国人に申し出た。

「原爆ドームをご覧になりたいのですか。少々お待ちください。特別にご案内しましょう!」

市長は市役所職員を呼び集めると、長いこと空き家になっている民家を一軒、徹底的に破壊させた。そして外国人を連れて行くとこう言ったのであった。「原爆の爆風で壊された民家です。原爆の恐ろしさを忘れないようにそのままにしてあります」

「オー、ノー」と外国人は悲痛な表情を浮かべた。

いまでは、クロクワ市は外国人のお気に入りの観光地のひとつだ。クロクワは、ヒロシマとナガサキに負けないようにと、原爆の惨禍を強調し、その結果、市の半分がメチャクチャに破壊されるまでになった。

「過ちは繰り返しません」という石碑まで立っている。