苦い文学

見よ! 見よ! 新しい日本人を!(箱根の旅6)

ただちに私は、箱根で富士山がもっともよく見える場所に向かった。

そこは広々とした展望台で、私と同じように富士山を拝みにきた観光客でいっぱいだった。日本人も外国人も、富士の美しい姿に感動し、自撮りに夢中になっていた。

私はこれらの観光客をかき分けかき分け進み、最前列に割り込んだ。その山を見るやいなや「おお、山なる山よ!」と賛美の言葉が口を衝いて出た。

私はいつの間にか涙にかきくれていた。私の泣き声がはなはだ大であったにちがいない、居合わせた観光客が心配して私の背中をさすってくれた。

「ああ、わかります、わかります」とその人は言った。「あなたも不安になってここに駆けつけたのでしょう」

泣きじゃくりながら私はうなずいた。

「大丈夫ですよ。私も同じだったのです。あのコンビニの黒幕を見たのですね」

「そ、そうです」 嗚咽しながら声を絞り出す。

「それで、恐ろしい焦燥感に襲われたのですね。わかります。私もそうだったのです。いつか世界がすっぽり黒幕に覆われ、もはや富士山を見ることすらできなくなるのではないか……そんなふうに怖くなったのです」

もうたまらず私は泣き崩れた。その人は私の肩をだき、「大丈夫、大丈夫」と何度も繰り返してくれたのだった。そのおかげで、私は次第に落ち着きを取り戻した。そして、若干の恥ずかしさを感じながら、その親切な方に感謝を伝ようとしたそのときだった。

観光客たちのざわめきが広がった。まるで野獣のような咆哮が響き、あちこちで悲鳴が上がった。そして鋭い声がそれらの悲鳴をかき消すかのように叫んだ。

「見よ! 見よ! 新しい日本人を!」

苦い文学

本物の富士山(箱根の旅5)

その親切な地元民は、コンビニに群れ集う外国人観光客全体を大きな身振りで指し示した。

「ここにいる外国人をよく見てください。お国がお分かりになるでしょうか。中国、ロシア、ミャンマー、北朝鮮、ベラルーシ……おかしいと思いませんか?」

「ええ、たしかに! アメリカやイギリス、フランスなどの観光客はまったくいないのですね」

「その通りです。つまり、このコンビニにわざわざ観光に来るのは、どうやら権威主義的・非民主主義的な国の人々だけなのです」

「いったいなぜ?」と私が首を捻ると、地元の日本人はただちにその疑問を解消してくれた。

「これらの国では情報は隠されたり、検閲されたりしているのが当たり前なのです。なので、これらの国から来た観光客たちは、富士山を見るのならば、なんの妨げもなく観光できる富士山よりも、遮断されて見えない富士山のほうが、より本物らしく思えるのです」

「はああ」と私は感心して言った。「ちょうど、我が国の政治家が私たちを蔑んでいるので、それが慣いとなって私たちも、自分たちをバカにする政治家でなければ政治家ではないと思い込んでしまっているのと同じですね」

「ええ、そうです。国民を尊重する政治家が現れると、喜ぶどころか、怒り出す体たらくですから、そのうち、日本人もこのコンビニに富士山を見にやってくるようになることでしょう……」

私はこの親切な地元民に礼を言うと、ぜがひでも本物の富士を見ねばと心に決めて、その場を離れた。

苦い文学

絶景コンビニ(箱根の旅4)

さて、箱根神社を出て芦ノ湖湖畔を歩いていると、ものすごい人だかりにでくわした。

がんばって人垣の向こうを覗くと、コンビニがある。そのコンビニの屋根には黒い大きな覆いが建てられていて、その向こうは見えなくなっていた。

群衆はほとんど外国人で、みなそのコンビニの前で記念写真を撮っているのだった。地元民らしき日本人がたまたまやってきたので尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。

「絶景コンビニのことはご存知かと思います。富士山が屋根の上に乗る映えスポットとして有名になったあのコンビニです。観光客がたくさん集まったせいで、観光公害が問題となり、とうとう黒幕を作って富士山を遮断するということになりました。ここ箱根にあるこのコンビニもまったく同じ状況となり、先日、黒い遮蔽物を屋根に建設して富士山を見えなくすることに成功したのです」

「ですが、ものすごい観光客ではないですか。富士山も見えないのにこれでは、以前はもっとすごかったことでしょう」

「いえいえ、じつは黒い覆いができてから、観光客が一段と増えてしまったのです。本当に困ったことです」

「それはそれはさぞお困りでしょう。ですが、どうしてそんなことが起こりうるのでしょうか」

「ええ、これがじつに不可解なことで、ずいぶん頭を悩ませたのですが、最近になってようやくそのわけが判明しました」

「いったい、どのような理由が?」 大いに好奇心を刺激された私は身を乗り出した。

苦い文学

エコツアー(箱根の旅3)

それらの外国人観光客は、例の「外人観光」にやってきた日本人たちの前までやってきて、物珍しそうに見物しはじめた。そこにはやはり小さな旗を持ったガイドがいて、英語でこんなことを話しているのだった。

「みなさん、今日はとても幸運ですよ! これらの日本人を見てください! 円安と貧困のあまり外国人を観光することしかできなくなった人々なんです。近づくときはお静かに! 臆病な性質なのですぐに逃げてしまいます」

すると、ひとりの果敢な外国人がそろりそろりと近づきだした。手には千円札を持って差し出している。日本人たちは「なんだなんだ、変わった外人だぞ」とざわめいていたが、お金と見るや群がってきた。みごと手懐けたのだ。外国人観光客は興に乗って、次から次へと紙幣を取り出して、ばら撒きはじめた。

日本人たちは「これはいい土産だ」「外人観光の余録だ」などと言いながら、ポケットに詰め込んでいる。

この光景を前におののくばかりの私だったが、今度は別の方向から観光客の一群がやってくるのに気がついた。それは日本人と外国人の混成で、みなトレッキング・ウェアを着ているのだった。ガイドは英語と日本語で交互に案内をはじめた。

「みなさん、貧困のため外国人しか観光できない日本人と、その日本人を観光する裕福な外国人観光客が、この観光地では互いに補い合って共生しているのです。自然が生み出したエコシステムをとくとご覧ください」

エコツアーに参加している観光客たちは、双眼鏡で眺めたり、望遠カメラで写真を撮ったりしていた。きっとステキな写真が撮れたことだろう。

苦い文学

箱根神社(箱根の旅2)

大涌谷の次は箱根神社に行った。ここでなんといっても有名なのは芦ノ湖に迫り出した鳥居だ。

赤い鳥居の中央に立ち、青空と湖を背景にして記念写真を撮るという絶好の映えスポットで、ものすごい行列ができていた。外国人観光客もたくさんだ。

神社の駐車場も観光バスでいっぱいで、次から次へと外国人が降りてくる。なかにひどく古びたバスがあって、そこから降りてきた人々が、小旗を掲げるガイドについて移動しはじめた。どうやら日本人観光客のようだった。外国人観光客に押され気味の昨今、このような古き良き日本人ツアー客がいることに、私はうれしくなって近づいた。

「ここは箱根屈指の観光地でたくさんの外国人観光客がいますよ」とガイドが話している。「あそこをご覧ください。あれはイタリアからの観光客のようですね」

すると、ガイドの周りにいる観光客は「ほほう」とか「あれが!」とか感心している。

ガイドはまた別の方向を指差した。「あっ、お静かに! あそこにいるのはインドからの観光客のようですよ。女性はキレイなサリーをお召しになっていますね。よーく見てください。額にビンディと呼ばれる点の飾りがあるのがご覧いただけますでしょうか!」

「見えた見えた!」「はあ、きれいなものですね」と観光客。ガイドはさらに、ドイツ人のスポーティな姿や、インドネシア女性のヒジャブを観光客に指し示すのだった。

私は思わず観光客のひとりに尋ねた。「みなさんはなにをしていらっしゃるのでしょうか」

「ああ、私たちは外人観光ツアーに参加しているのです。たくさんの外人が日本にやってきているので、私たちはその外人を見物に来たというわけです。今日はお天気にも恵まれて、外人観光にはうってつけですよ!」

と、そのとき背後からざわざわと声が聞こえた。見れば、外国人観光客一行がこちらに向かってくるところだった。

苦い文学

大涌谷の黒たまご(箱根の旅1)

先日箱根に行ってきたので、そのときのことを何回かに分けて書こうと思う。

箱根に着いてまず行ったのは、大涌谷。ロープウェイで行くと、大涌谷の噴煙地の全貌を見下ろすことができる。剥き出しになった地肌のあちこちから火山ガスが噴き出ていて、まさに地獄のようだ。噴出孔の周囲は硫黄で黄色く、その臭気は上空のゴンドラの中にも届くほどだった。

「火山ガスの充満するこの谷では人は生きられまい」と見ていると、噴煙の中を人影が動き回っている。小さくてよく見えないが、裸の黄色い男だった。男は私たちのゴンドラを認めると威嚇するかのように手を挙げた。

大涌谷駅に着くと、私はさっそく土産物屋に行き、黒たまごを買った。これは大涌谷の名物で、地熱と火山ガスによって殻が黒く茹であがった卵だ。ひとつ食べると寿命が7年伸びると言われている。もっとも味は普通のゆで卵だ。

店の前で食べていると、強烈な硫黄の匂いが漂い始めた。観光客たちがざわめく。みれば、丸裸の黄色い男がこっちにのしのしと近づいてくるのだった。ロープウェイから見たあの男だ。目はランランと輝き、口からは鋭い牙が突き出ていた。

男は黒たまご売りのカウンターに向かうと、「黒たまごをくれ!」とうなった。「ゆで卵じゃないぞ! 黒生たまごだ。もうゆで卵はたくさんだ。俺はひとつ食べると寿命が7年縮む黒生たまごが食べたいのだ」

「これしかありません」と店の人が黒たまごを出すと、黄色い男は「これではまた寿命が延びてしまうではないか。もう何百年も生きるのは疲れたわい」と殻ごとバリバリ食べながら、ふたたび谷のほうへ立ち去って行った。

黒たまごの宣伝キャンペーンだった。

苦い文学

計画殺人(終)

たちまちみんな署長に駆け寄り、ソファに寝かせたり、医者を呼んだり、大騒ぎが繰り広げられる。ようやく落ち着いたとき、相変わらず白目を剥いたままの署長を見下ろしながら、吉田刑事は横川警視正に言った。

「もう、お分かりでしょう。人間は計画を立てているときがもっとも興奮するのです。そして計画のスケールが大きければ大きいほど、興奮はいやましに高まるのです。見てください。健康だけが取り柄の署長が、計画による興奮でこのような状態になるのであれば、心臓に持病があったというAさんなら、どうなるでしょうか。そうです。Bは巧みな計画によって、Aさんを過剰に興奮させることで殺害したのです。さきほど、警視正は凶器は何なのかおっしゃいましたね。計画が凶器だったのです! つまり、世にも異常な計画殺人が行われたのです!」

「ウムム、そんなことが……」 横川警視正は唸った。「しかし、証拠は?」

そのとき、留置所担当の巡査が所長室に飛び込んでくる。「いまBが自白しました!」

「なに?」と横川警視正。吉田刑事は満足げに警視正に言った。

「これがなによりの証拠ですよ。Bを逮捕したとき、彼は私にこんなことを聞いてきたのです。『警察がいちばん興奮するのはどんなときか』と。それで私は『犯行を自供したときだ』と答えたのです。案の定、Bは自白をだしにして巡査に計画殺人をしかけようとしたのです。もちろんご存知のように私が言ったのは嘘です。警察がいちばん興奮するのは、尊い人命を救助したとき、これ以外にはありえませんからね」

そのとき署長が急に起き上がって叫んだ。

「こっ、このままいけば世界は俺のものだあ……」

吉田刑事は苦笑しながらつけ加えた。「もっとも、例外はつきものですが」

苦い文学

計画殺人(4)

「チャンスとはどういうことだ」と尋ねる署長に、吉田刑事は弾むような声で答えた。

「それはもちろん署長がもっともっとふさわしい地位に登るためのチャンスですよ! だって、この事件も署長の指揮のおかげで解決したのですから!」

「う、うむ、そうだな……」とまんざらでもない顔つき。その顔に向けて吉田刑事が次なる言葉を放った。「そこで署長の評価がもっともっと上がるような計画を立てたのです」

「計画と!」

「ええ、まず、私たち部下が署長の業績をアピールする文書を警視総監に送るのです。すると、間違いなく警視総監は私たちの署を訪れることでしょう。これでもう署長の知名度はぐんと上がります」

「そ、それでどうするのだ!」と署長は興奮を隠しきれない。

「もちろん、その次の計画も立てています。署長がこうしてああすれば……その計画は……」

こう吉田刑事が計画を詳細に開陳すると、署長の目はギラギラと輝き始めた。「……計画通りに行けば、署長は次の警視総監に……」という吉田刑事の言葉に、署長の口からは呻きとも喘ぎともつかない音声が噴き出た。

「さらには、勲章を……」 この一言で署長の目はクワッと見開かれ、妖しい光を放ち出した。そして、吉田刑事の「さらに、皇族の側近として仕える計画も……」という発言がトドメとなったものであろうか、口から泡を溢れさせながら、署長は卒倒した。

苦い文学

計画殺人(3)

かくして、吉田刑事をはじめとする刑事課の人々が署長室に集められた。

署長は吉田刑事を睨みつけると口火を切った。「諸君にお集まりいただいたのはほかでもない。今朝のまことに不可解な逮捕の件だ。我々は非常に困惑している。な、横川くん」

横川警視正は急に呼びかけられたことにびっくりしつつ、それでも落ち着いた口調で吉田刑事に話しかけた。

「私たちは、もちろん吉川警視のことは信頼しているが、そのいっぽう、かいもく事情が飲み込めないのだ。そもそも、これが病死でなく殺人だというならば、いったいどのように犯行を行ったというのだろうか。そもそも凶器はいったい何なのか……」

「そうだ」と署長。「凶器がないのに殺人だと言えるのかね? 吉田くん、説明したまえ」

「わかりました」 吉田刑事は署長の前に歩み出た。「ですが、少し署長にお尋ねしたいことがあるのです。そのあとに、Bが犯人である決定的な証拠についてお話しいたします。では、署長」

「なんだ。私には答える義務などないぞ!」

「ええ、おっしゃる通りです」と吉田刑事は署長を軽くいなすと、こう彼に尋ねた。「仮に、本当に仮になんですが、Bが本当に犯人であったときのことについてお考えをお聞きしたいのです」

「この私が間違っているとでもいうのか、それとも脅しているのか」

「いやいや、その逆ですよ! 本当に犯人ならば、署長にとってこれ以上ないチャンスになるのでは、と考えているのです」

「チャンス?」

いぶかしげに尋ねる署長を見て、吉田刑事の目がきらりと輝いた。

苦い文学

計画殺人(2)

「計画?」と吉田刑事は思わず聞き返した。

「計画って、Aがさ、釣りの計画を立ててたのだよ。それだけだ」

「それが、『世界が俺のものだ』というのとどうつながるんでしょうか」

「いや、まったくAもバカなやつでな。釣りの計画が、釣り堀の計画になってしまったのだ。そっちのほうが釣れるといって。そしたら、今度は魚の養殖場を作ろうってことになってな。で、その養殖場が儲かるのだ。計画通りにいけば。じゃあ、その資金で政治家になろう、日本のトップに上り詰めよう、その次は世界にうってでる計画だ、などということを、まあ、雑談していたわけだ。たわいもない話だ」

「ほほう」と吉田刑事は身を乗り出した。「確かにたわいもないです、たわいもないです。で、そこで、Aさんが……」

「ああ、そうだ。急にね。……もういいかげんにしてくれないか。こっちは忙しいのだ」

吉田刑事はBの家を後にすると、逮捕令状を取り、翌日未明、BをA殺人容疑で逮捕した。

これを聞いて飛び上がったのが、早川署長だ。さっそく吉田刑事を呼び出すと、怒鳴りつけた。「どこからどう見てもただの病死を殺人だと?」 署長は立派な机をバンと叩いた。

「もしこれが事件じゃなかったらどうするつもりだ!」

「いやいや」と吉田刑事は落ち着き払った顔。「間違いなく殺人です。署長、刑事課の者を連れてきてもよろしいでしょうか。殺人事件であることをここで証明いたしましょう!」