苦い文学

消極的休養

大学時代の友人と駅でばったり会った。哲学だか文学だかの批評活動をしているという男だ。

私たちはたまたま同じ方向に向かうようで、同じ電車に乗り、隣り合って座った。座るなり、彼はこんな話を始めた。

「ちょっと腰を痛めてね、整骨院に行ったんだ。で、椅子に座って待ってると、目の前に張り紙がある。どんなことが書いてあるかというと、2つの休養、つまり積極的休養と消極的休養だ。

「どちらも大事というんだが、まあ、これを見て、俺はちょっと頭に来て。積極的休養というのはまだいい。ウォーキングとかマッサージとかストレッチだ。

「問題は消極的休養だ。体を動かさない休養ということらしいんだが、睡眠、昼寝、そしてなんと読書だ。

「なんだこれは、と。読書が消極的休養? いやいやそれはありえない。読書ってのは、読み手とテクストの間で繰り広げられる死闘ではないか。この書を読み解かねば俺は死ぬ、そんな真剣勝負なんだ。それが休養とは!

「いやもうあきれてものが言えない。まあ、安っぽい自己啓発書か、軽佻浮薄なブンガクを読むっていうことなんだろうが、それがはたして読書の名に値するかね」

話しているうちに興奮してきたものらしく、彼はカバンから勢いよく分厚い本を取り出した。

「Ideen zu einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie さ(注:オーストリアの哲学者フッサールの大著『イデーン』)。これを原文で読むのが休養? 笑っちゃうね。ま、すまないが、しばしフッセルルと格闘させてもらうよ」

と言って彼は本をバンと開いた。そして、目をくわっと開いて本に向かい、30秒後に静かな寝息をたてはじめた。

苦い文学

撮影可の秘密

ある博物館の特別展に行った。入り口に「混雑しています」との掲示が出ていたが、押し合いへし合いするほどでもなく、どの作品もじっくり見ることができた。

この特別展では、全作品の写真撮影が許可されていた。なので、みんな写真を撮っている。

私も記念写真程度に数枚写真を撮った。しかし、ひとつひとつ撮影している人のほうがずっと多かった。

意味がないとは思わないが、そんならカタログ買えばという気もしないでもない。

カタログの写真のほうが、薄暗がりのなか携帯で撮った写真よりもきれいに決まっているからだ。

だが、しばらくすると別の考えが生まれてきた。

全作品撮影可というのは、実は混雑解消のためではないだろうか。

というのも、写真を撮ると私たちはそれで見た気になってしまう。また、じっくり見る必要もない。後で写真を見返せばいいのだから。

すると、ひとつひとつの作品の前での滞在時間は短くなり、どんどん列が進んでいくことになる。

そして列の進みが早いということは、入場者の満足にもつながるし、また入場者の増加にもつながる。

なんという計略だろうか。全作品撮影可とは、入場者に見た気にさせてとっとと追い出す策略だったのだ。

この計略に気づいた私は、あえて作品にへばりつき、じっくりと見ることにしたのだったが、撮影する人々には邪魔だったにちがいない。

苦い文学

処理への偏向

【ザンゲー通信社 コラム:記者のひとこと】
今、日本ばかりか世界中で処理水が議論の的になっています。

そもそも処理水の処理とはなんでしょうか。経産省によれば、処理水とは正確には「ALPS 処理水」のことで、これは原発の放射性物質を含む水からトリチウム以外の放射性物質を安全基準を満たすまで浄化した水のことだそうです。この過程を「処理」と呼んでいるのです。

ですが、皆さんもご存知のように、この「処理」にはほかにさまざまな意味があります。

たとえば「化学処理」とは化学技術を用いたプロセスを完遂することですし、「情報処理」とはコンピュータを用いて情報を別の情報に移行させることです。「事務処理」「会計処理」「経理処理」「財務処理」も大事な「処理」ですね。

ゴミを焼却するのは「ゴミ処理」です。さらには、「脇毛処理」「鼻毛処理」「ムダ毛の処理」など身近な処理もあります。詳しいことは申し上げませんが、「性欲処理」などもあり、キリがありません。

いったい「処理」にはどれくらいの「処理」があるのでしょうか。たくさんありすぎてもう処理しきれません。

こんなにも意味の多い言葉を、国際的に大きな議論を引き起こすに違いない水の名称に安易に使用してしまったことが、はっきりいえば、問題だったと思います。

「処理」などといわずに「汚染浄化水」「安心安全水」「魚がむしろ元気になる水」「社会主義核心価値観水」など誰でもわかりやすい名称を用いていたとしたら、こんなにも近隣諸国を騒がすことになったでしょうか。

これまで我々が「処理」という語に頼りすぎたツケが、いまここにきて大きく現れている、そんな気がしてならないのです。

苦い文学

マイマイナンバーカード

マイナンバーカードが始まったとき、これが私たちを苦しめようとは思いもしなかった。だが、それはゆっくりと進行していったのだ。

はじめは銀行口座、次に保険証、その次は免許証、さらにパスポートがひもづけられた。そして、納税記録とあらゆる買い物記録もだ。診療記録ももちろんだ。さらにはいつのまにか、経歴、学歴、ポートフォリオ、通信記録、交友関係……私たちのすべてがこのマイナンバーカードに記録されるようになっていた。

ある日、政府はこれらのデータをもとに AI を使って、「私」を作り上げた。その上で政府はこう通知してきた。公的にはこの「私」以外、認めない、と。

それ以来、私たちはこの「私」にならなくてはいけなくなった。もし「私」になりきれれば、その時はすべてうまくいく。「私」のものは私のものになるのだ。

だが、もし「私」になれなかったとしたら?

私たちは逮捕されるだろう。他人のマイナンバーカードを不正に使用しているとして。

苦い文学

マイナンバーカード

私は最初マイナンバーカードには反対だった。だが、カードを新規登録するとポイントがもらえると聞いてから、考えが変わった。

最初は 5,000 ポイントだった。だが、国民の反応が鈍いと見るや、政府は 20,000 ポイントに引き上げた。すると、一気に申請率が上がり、全国民の7割を超えた。

しかし、我が国の政府は7割程度では満足しない。「やるからには全員」そんな決意を込めて、一気に 30,000 ポイント上乗せした。

ところが、意に反して、申請数はさっぱり上がらなかった。というのも、みんなもっと上がるにちがいないと考えていたのだ。

そして、この日から、私たちと政府との根比べが始まった。政府はポイントをどんどん釣り上げていく。60,000、70,000, 80,000, 85,000……。

これに私たちの仲間は次々と脱落していった。「ダメだ! もっと上がる! 全国民の99,9 パーセントが持つまで耐え抜くんだ!」 だが、彼らはこう考えたのだ。「政府はもう明日にでもポイントを止めることだってできるのだ。今しかない!」

私たちだってその恐れとは無縁ではなかった。だからこそ、あらゆる情報を漁り、裏のルートを使って政府内部の動向を探り、綿密な情報分析を行ってきたのだ。まだ……まだまだだ……もっと上がる!

そして、今、新規登録のポイントは 56 億にまで跳ね上がっている。だが、私たちはまだ動かない。

というのも、極秘情報によると、政府は、本来は人材派遣企業や広告代理店の懐を潤す予定だったお金すらかき集め、ポイント予算の残り全額をかけて、未申請者一掃を目論んでいるというのだ!

私たちは、政府をそこまで追い詰めたことに満足するとともに、この国から最後の1ポイントまで搾り取ってやる覚悟だ。

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誇りたい日本人

日本語教育の夢を持ち意気揚々と中国に行った吉田七郎を待ち受けていたのは、現地日本語学校の倒産であった。

金もなし、ビザも切れる……そんな吉田のもとに一本の電話が。これが吉田の人生を大きく変える転機となった。

(CM)

「300 人の中国人に簡単な日本語を教えて欲しい」

電話の主はなんと習近平国家主席。中国の最高権力者からの直々の要請を断る選択肢はなかった。さっそく吉田は、北京の大講堂内の教室に向かった。

そこで明かされた指導目標はただひとつ。「処理水やめろ」を2日間で教え込むこと。

吉田「はじめは、簡単だと思いましたよ。みな真面目そうでしたし」

吉田は自信を持って 300 人の中国人学習者の前に立ち、流暢な中国語で「みなさん、今からいう日本語を繰り返してください」と語り、はっきりと口を動かしながら大声で叫んだ。

「処理水やめろ!」

いかにも真面目そうな中国人は声を合わせて繰り返した。しかし、その発音は吉田を愕然とさせるものだった。

(CM)

【実際の映像】

吉田「処理水やめろ!」

中国人学習者「チョリソー食べろ!」

その後何度も練習を繰り返したが、いっこうに「チョリソー」が「処理水」に変わる気配はなかった。1日目が終わり、ついに2日目の午後。すでに残り時間は3時間……。

「いったい、どう指導したらいいんだ……」 ひとり悩む吉田。そのとき彼の目にあるものが飛び込んできた。「こ、これだ!」

アナウンサー「さて、ここで問題です。吉田さんの問題解決のきっかけとなった『あるもの』とはなんでしょうか? 以下の4つからお選びください」

(a) ミネラルウォーターのペットボトル
(b) 毛沢東語録
(c) 広東風の腸詰
(d) 「変面」コスチューム

正解は CM の後!

(CM)

【実際の映像】

マントをつけ仮面を被った吉田、中国人学習者の前に現れ、つたないながらも変面を披露する。拍手喝采する中国人。変面のコスチュームのまま吉田は呼びかける。

「では始めましょう、処理水やめろ!」

中国人学習者「処理水、やーめろ!」

吉田の苦労が実った瞬間だった。

アナウンサー「正解は (d) でした!」

吉田「あのとき、学習者の皆さんは、私を受け入れてくださらなかったんです。その距離感が処理水をチョリソーにしていたのです。私が中国文化に歩み寄ることで、みんなが私を受け入れてくださり、結果として処理水を受け入れてくださったのだと思います。いえ、実際には受け入れていませんけど、ハハハハ」

現在、日本各地で鳴り止まぬ中国からの迷惑電話、その陰にはひとりの日本人の苦労と努力があったことを忘れてはならない。

(CM)

次回の「誇りたい日本人」では「日本大使館に投石したい? 立ち上がった元侍ジャパンの奮闘」をお送りします。

苦い文学

処理水の放出

【ザンゲー・ニュース速報】
福島第一原発の処理水が先日、海洋放出され、大きな波紋を引き起こしています。

処理水の放出はかねてから科学的には安全とされ、放出以後の環境省のモニタリングでも基準値を下回っています。

ですが、国内の漁業関係者をはじめとする諸団体、また近隣諸国からは、今回の放出について懸念の声が広がり、抗議活動が活発化しています。

この問題に長く関わってきた吉田六郎さんはこう指摘します。

「処理水を汚染水と呼ぶ人々もいます。処理水とはなんなのか、それが十分に伝わっていないのではないでしょうか」

そうした思いから研究を進めた吉田さんは、ついにこれまでにない解決策を提案するにいたりました。

「処理水、いったい処理となんでしょうか。このあいまいな名称がすべての問題の原因なのです。ですが、処理水などもはや必要ありません。なぜなら、私たちが放出するのは処理水ではないからです。勝利水なのです!」

吉田さんはペットボトルに入った「勝利水」を掲げます。

「この水は、震災に勝ち、原発に勝ち、トリチウムに勝った水です。いえ、そればかりではありません。日本の未来と東アジアの平和を勝ち取る水です。これが勝利水なのです。この勝利水が日本を起点に世界中に広がっていく、なんとすばらしいことではありませんか。きっとどの国も喜んでくれるはずです」

吉田さんは、今後、各メディアに「処理水」ではなく「勝利水」と改めるように働きかけていく予定です。

苦い文学

キャンセル・ジェネレーション

むかしむかし、ひとりの娘がいた。

娘は笛吹きがお気に入りで、よく笛の音を聞きに行ったものだったが、あるときその笛吹きが犬を蹴っているのを見かけた。娘は怒って言った。

「もう聞かない」

また、芝居小屋の主に弱い者いじめの過去が明らかになった。娘はよく芝居を見に行ったものだったが、こう言った。

「もう見ない」

今度は芸能人のダブル不倫が発覚した。娘は言った。

「もうファン辞めた」

テレビ局も時に間違いを犯す。だが、娘は厳しかった。

「もう見ない」

そしてこの世では誰もが失敗をする。駅員の対応が悪ければ「もう乗らない」。銀行で待たされれば「もう使わない」。学校でイヤミを言われれば「もう行かない」。回転寿司で誰かがいたずらをすれば、「もう食べない」

そんなこんなで行くところもなくなった。

家にこもっていると、だんだんイライラがつのる。落ち着こうとミルクを注いでいると、うっかり手もとがくるって、ミルクがこぼれてしまった。娘は右手に言った。

「もう使わない」

右利きだったから、左手だけでは何もできない。そんなわけで左手にも「もう使わない」

両手がなくて何ができよう。歩こうとしてバランスを崩して倒れると、足に向かって「もう使わない」

ジタバタしながら娘は次々に宣言していった。「もう見ない!」「もう聞かない!」「もう考えない!」

そしてもう何もできなくなったので、じっとしていた。

見かねた母親が、どこかから車椅子を見つけてきて、動くことも、もの言うこともできない娘を乗せると、市役所に行って尋ねた。

「娘を障がい者として認めてください」

担当者は即座に返事をした。「 NO です」

これを聞くと母親は泣きながら「NO、NO、NO、NO、NO」と歌い出した。

すると、その歌に合わせて娘が踊り出したではないか。しかも、高らかに歌い出した。

なんとすばらしい歌と踊りだろう。人々は娘に拍手喝采した。

だが、市の担当者は、2人を追い出すと、難しい問題を抱えた人のために働きはじめた。

苦い文学

下を向いて歩こう

最近、首を痛めて、うつむいてしか歩けない。もう前なんか向けない。見上げるなんてとてもとても。

そんなふうに下を見ながら歩いていると、世の中には、「前を向こう」「上を向いて歩こう」「空を見上げよう」「仰げば尊し」など、前や上についてのメッセージで溢れていることに気づかされる。

「下を向こう」などという歌はないのだ。前を向いたり見上げたりではなく、うつむくことを応援する歌がもっとあってもいいはずだ。

確かに「上を向いて歩こう」のころの日本は高度成長期で、涙をこらえて我慢することが美徳だった。なぜなら、そうすればいつかは良い暮らしが待っていたから。だが、もはやそんな時代は終わった。

いまやこの日本にふさわしいのは、下を向きながら思い切り涙を流すことだ。上を見て涙がこぼれないようにするなどバカげている、そんな時代になったのだ。

私たちはもはや無理をして前を向いたり、上を向く必要はない。下さえ見られれば十分だ。私はうつむきながら決心した。そうだ、日本中のだれもが、安心して下を見ていられる社会を作りたい、と。

そんな社会の実現のため、私はしっかりと下を見すえて歩きはじめた。私の活動に関心を持った方は、ぜひ下向きに検討をお願いしたい。

苦い文学

電車の読書

昔は電車の中の暇つぶしといえば、本を読む以外になかった。

たいていの人は、電車に乗るやいないや、文庫や単行本をカバンから取り出して、読み耽ったものだった。そして、いつも乗り過ごしたものだった。

しかし、現在では読書する人などいない。電車の中では携帯を見ている人ばかりだ。ネットや動画・ゲームが時間潰しに最適だということが、今世紀になって発見されたのだ。

もっとも読書が完全に追いやられたわけではない。まれに本を広げている人がいる。これらの人は2種類に分けられる。

ひとつは、資格試験の教科書や自己啓発書・ビジネス書を読んでいる人たちだ。どの本もキラキラピカピカしている。出たてホヤホヤの新刊だ。電車の中でこうした本を読んでいるのは若い人たちにかぎられる。より良い明日を目指して研鑽している人々だ。

もうひとつは小説を読んでいる人たちだ。これらは100人中100人が老人だ。しかも読んでいる本の紙質はきまって褐色で、ページを繰っただけで粉々になりそう。さもなければ紙魚がわんさと住み着いていて、その乗車賃まで払わされかねないほど。それくらい大昔に出版された小説だ(ひどいのになると、奥付けにハンコまで押してある)。老人たちはどういうわけかこうした古書に夢中なのだ。たぶん新刊書より軽いからかもしれない。

さて、私はといえば、電車で読むのはもっぱら小説(しかも古書)だ。だが、老人しか小説を読んでいないということに気づいてからは、ビジネス書や自己啓発書を買い、そのカバーを小説につけかえて読んでいる。