苦い文学

リサイクル・ボックス

私たちは神に呪われた存在だ。なぜなら、神より下された掟を守らなかったから。

神の掟はただひとつ。自販機の横のリサイクル・ボックスには、空き缶やペットボトルだけを捨てること。なんとなれば、リサイクルは神の祝福だからだ。

だが、私たち人間は、神に背いた。私たちの心は頑なになり、紙屑や、プラスチックのカップや焼きそばの皿や割り箸などをリサイクル・ボックスに捨ててしまったのだ。いや、捨てるどころではない。缶一本入るだけの投入口に、ゴミを押し込み、ねじ込み、ムキになって、見苦しく罵りながら! ただただゴミから解放されたいと言う利己的な欲を満たすためだけに! このとき、神聖なるリサイクルが汚されたのだ。

ああ、神の怒りはげに恐ろしきかな。私たちはリサイクルの円環から追放された。ちょうどアダムとイブがエデンの園を追放されたように。この二人が追放されたのは禁じられたリンゴを食べたからではない。残ったリンゴの芯を、木のそばに設置されたリサイクル・ボックスに捨てたからなのだ。

そしていま、神は私たちの目を曇らせ、自販機の横のリサイクル・ボックスを見えないようにされた。それが見えるのは、リサイクル・ボックスに缶やペットボトル以外のものを入れたことのない心の清い者だけだ。

そうした人だけが、自販機の裏や壁と自販機の間の暗がりに、リサイクル・ボックスが、投入口を下向きにして、ひっそりと置かれているのを見出すのである。

苦い文学

節章

【浄瑠璃名場面】『曾根崎心中』末尾

【『曾根崎心中』】
1703年(元禄16年)、近松門左衛門作。実際にあった心中事件に材をとった世話物浄瑠璃。世話物の嚆矢とされる。

【鑑賞ポイント】実らぬ恋に絶望した徳兵衛とお初が、愛を貫き心中し、「恋の手本」となる名場面を節章(節回しの指示書き)とともにお楽しみください。

地色中いつ迄言ふてハルせんもなし。はやはや殺して殺して」と最期を急げば「心得たり」と。脇差するりと抜放し。「ハルサアただいまぞ南無阿弥陀南無阿弥陀」と。言へどもさすが此の年月いとしかはいと締めて寝し。肌に刃が当てられふかと。眼もくらみ手も震ひ弱る心を引直し。取直してもなを震ひ突くとはすれど切先は。あなたへ外れこなたへそれ。二三度ひらめく剣の刃。あつとばかりに喉笛に。ハルぐつと通るが「南無阿弥陀。南無阿弥陀、南無阿弥陀仏」と。くり通しくり通す腕先も。弱るを見れば両手を伸べ。断末魔の四苦八苦。ヲクリあはれといふもあまり有。「我とても後れふか息は一度に引取らん」と。剃刀取つて喉に突立。ハル柄も折れよ刃も砕けとゑぐり。くりくり目もくるめき。苦しむ息も、暁のフシ知死期につれて絶果てたり。

地ツメ誰が告ぐるとは曾根崎の森の下風音に聞こえ。キン取伝へ貴賤群集の廻向の種。未来成仏疑ひなき恋の。手本となりにけり

厚生労働省は悩みがある方を。ハルサポートするための。キン取り組みを行なっています。気軽に。相談してみませんか

苦い文学

正論

もしかしたら頭がおかしくなりかけているのかもしれない。私は最近苦しいのだ。見えない世界の存在たちが見えるようになった。

それは恐ろしい存在だ。まるで影のようだ。血が影のように流れている。涙も、鼻水も……。

たくさんの子ども、そして女たち、ときどき男……。

これらの悲惨な魂が私を取り巻くのだ! すがりつき、しつこく訴える。殺された! 奪われた! 罪もないのに! 戦争で! 暴力で! 肉体を剥ぎ取られた! 

なのに! なのに! なのに! 間違ってる! あいつらが生きて、私たちが死ぬなんて!

そして、連中は私に復讐を求めるのだ。恨みを晴らしてくれと! 殺してくれと。あいつらの大事なものをすべてなぶり殺しにしてくれと!

私は困り果てる。連中の言うことに非はない! 正しいのだ! だが、できない、できない。そんなのは私の仕事じゃないんだ……ほっといてくれ。それに気持ち悪すぎる。惨めで醜く汚らしい! だが、霊たちは私に付きまとう。しつっこく。見込まれてしまったのだ!

私は苦しみ、のたうちまわり、なんとか逃れようと手当たり次第に掴む。もうだめだ、飲み込まれる……だが、そのとき私の心にあの言葉がやってきた。ああ、なんという無情な言葉だろう。私はどれだけその言葉に痛めつけられたことだろうか。だが、その言葉がいま私を!

いま私を助けてくれる……私は血だらけの汚れた霊たちにこう言い返す。

「恨みを晴らすって? なるほど、あなたのいうことは正論だけど、その正論じゃ世の中は動かないよ」

霊たちはたちまち静かになる。「正論だ」この一言で、もう何も言えない。「ときには我慢が必要じゃない? 正論はごもっともだけどさ」 追い討ちだ。悪霊退散だ。

「正論」という言葉は、弱くてうるさい連中の「正論」を捻り潰すためだけにある言葉だったのだ!

ありがとう、ありがとう、「正論」という言葉を考えてくれた人よ……。

苦い文学

オーバーステイ山

昔、日本に外国人のきらいな殿様がいました。日本に外国人が増えすぎたのがどうにも気に食わなくなって、こんなお触れを出したのでした。

「ビザの切れた外国人は山に捨てること」

そこで人々は「これでまた人手不足だ」とかブツクサ言いながら、外国人を山に捨てたのでした。ですが、都内で小さな工場を営む社長は、長い間勤めてくれた外国人従業員を捨てることができず、工場の地下に部屋を作って、不法滞在となった外国人をこっそり匿ったのでした。

さて、日本では、何年も前から子どもが生まれなくなって、みんな困っていました。殿様は出生率を上げようといろいろなお触れを出したり、子どもが生まれた家の年貢を免除したりしましたが、なかなかうまくいきません。殿様はすっかり困ってしまい、国中にお触れを出して、良いアイディアのある者を急募したのでした。

社長が地下室の外国人にお触れの内容について話すと、外国人はこう言いました。

「子どもを増やすためには、女性や子ども、外国人などの弱い者にいやなものを押しつけたり、弱い者いじめを楽しむマインドセットを日本人が変えなくてはなりません。いったいいじめられるとわかっているのに生まれてくるバカがいるものでしょうか。日本人の考えが変わらなければ、子どもは絶対に増えないでしょう」

社長は、これはいい考えだとさっそく殿様のところに行って話しました。

すると殿様は「これはひどい反日思想だ。インチキ日本人め」と怒り出し、社長をオーバーステイ山に連行し、捨ててしまいました。

苦い文学

ふわふわ言葉の種

夏休みの自由研究に困ってたら、先生が不思議な種をくれた。

「この種を植えて、芽が出て立派に育つまで、観察日記をつけなさい」

「先生、なんの種?」

「これはふわふわ言葉の種だよ」

「ふわふわ言葉?」

「ふわふわ言葉ってのは、やさしい言葉のこと。『ありがとう』とか『よかったね』とか、言われてみんながうれしくなったり、元気になったりする言葉のことだよ。ふわふわ言葉の反対がちくちく言葉で、みんないやな気持ちになるんだ」

先生は、種をひとつ取り上げた。「この種が育つと、きれいな花がたくさん咲くんだ。それがみんなふわふわ言葉なんだよ」

種は小さくて、白くて、薄い毛に包まれていて、本当にふわふわしてたんだ。

ぼくは家に帰るとさっそく庭の隅に種を埋めた。そして、毎日、水をあげた。1日、2日、3日……1週間、10日……ぜんぜん芽が出ない。もしかしたらダメになっちゃったのかも。

それに、だんだん夏休みも忙しくなってきた。花火に、プールに、海に、別荘に……それで僕は種のことをすっかり忘れてしまったんだ。

そして、夏休みの終わり、別荘から帰ってきた僕たち一家は、家を見てびっくりしたんだ。家の建物がぜんぶとげとげの植物に覆われていたんだから。パパはその植物を手で引き剥がそうとして、悲鳴をあげた。手が血まみれだ。ママはぎざぎざの葉っぱに髪の毛をむしり取られちゃった。

植物は僕たちが見ている前で、家を締めつけた。家は苦しそうに叫んで、ばらばら、ちりぢり、こなごなになっちゃった。

こんなふうになったのも、僕がふわふわ言葉の種の世話をしなかったからなんだ。それで、ふわふわ言葉のかわりに、とげとげ、ぎざぎざ、ばらばら、ちりぢり、こなごな言葉が生まれてしまったんだ。

この怖い植物はすぐに町中に増えて、町中を壊して回った。邪魔する人をみんなぐさぐさ刺して殺しちゃった。

それで、いまはどの植物も人間みたいに歩き出して、政治家になった。口を開けば、とげとげ・ぎざぎざ・ぐさぐさの言葉ばかりで、僕たちはもう自殺するしかないんだ。

苦い文学

真夏のチャリティー

なんの不安があろうか。私たちの行く手には、すばらしい美しい世界が待っているのだ。人が人として扱われ、助け合いの精神に溢れ、チャリティーの旗印のもとに、高貴な精神の持ち主たちが集う世界が。

夏になると、世界中で著名人たちが長く苦しい距離を走り出すのだ。走った分だけ、善意が積み重ねられていく。貧困者を思いやる人々の心が駆り立てられる。だれもが募金箱に殺到する。小銭の詰まった瓶を片手に放送局に押しかける。アメリカでも、中国でも、ロシアでも、アフリカ諸国でも!

そして、この世界では誰ひとり取り残されることはない。これが黄金律だ。病気、貧困、障がい、災害……あらゆる苦難にある見捨てられた人々のために、心温まるプログラムが実施され、巨額の募金が降り注ぐ。いや、これはお金ではない。愛なのだ。愛、ずっしりとした愛だけが私たちを救うのだ。

さらに、有名ミュージシャンたちが一堂に会して、チャリティーコンサートだ。かき鳴らされるギターと激しいシャウトの向こうに、腹を膨らませた餓死寸前の老人の姿が映し出される。まるでバングラデシュのあのコンサートか、あのウィアーザワーかみたいだ……。

私たちは心動かされずにはいない。思わず言葉が口から溢れ出る。

「世界中のみなさん!」 各国から届いた古着を着込んだ私たちは叫ぶ。「私たち、日本人はこのご恩を一生忘れません!」

なんの不安があろうか。私たちの行く手には、すばらしい美しい世界が待っているのだ。

苦い文学

妖怪傘なし

夏の日の夕方、太陽の翳りとともに湧き出してきた湿った空気が、不気味に街を覆うかもしれない。そんな不穏なときには、決して外に出ないほうがいい。妖怪たちが狙っているからだ。

夕暮れどき、高層マンションの一室から外出しようとして、こんな経験はないだろうか。部屋にいながら、なんとなく外が雨っぽいなと感じたものの、はっきりとはわからないので、窓から外を見下ろすのだ。

くすんだ街路は人気がない。そこに、ひとりの男が現れ、歩き去っていく。傘は差してはいない。そこで、傘を持たずに下に降りることになる。

すると、あろうことか、大雨が降っているのだ。路面じゅうで雨が跳ね返り、激しい音を立てている。見れば誰もが傘をさして行き来している。

では、あの窓から見た男はいったい……? これぞ「妖怪傘なし」の仕業。この妖怪は、マンション上層階の住人に傘を持たずに外出させて、びしょ濡れにするのが面白くてたまらない。この妖怪に出会ってしまったら、おとなしく部屋に引き返すのが身のためだ。

「濡れてもいい。このまま行こう」などと、外に駆け出してはいけない。

そのようなことをした者はたちまち「妖怪傘なし」と転じて、どこかの高層階の一室から外を見下ろしているだれかを惑わせることだろう。

苦い文学

夏の虫取りおじさん

夏休みに入った子どもが虫取りをしたいというので、朝早く近くの林に行った。カブトムシやクワガタがいないかと、木の幹を見て回るが、正直いって私は虫のことなどなにもわからない。このまま収穫なしで帰るほかあるまいと思っていたら、子どもが叫んだ。

「あ! クワガタ!」 子どもが虫取り網を振り上げる。そのとき、別の網が木の幹を叩いた。驚いたクワガタはどこかに逃げてしまった。

私はその網の持ち主をにらんだ。それは垢まみれの服を着た男で、私たちのことなど目に入らないふうで「あー、逃げられた。ちくしょー」などとぶつぶつ言って、頭を振っている。

私が抗議すると、「おお、すまん、すまん。てっきりゲンザイかと思って、こりゃ悪かった。で、どこだどこだ、ゲンザイのやつ」と男は見まわした。

私は子どもに言った。「さあ、別の場所に行こう」 だが、子どもはこの挙動不審な男に魅入られたように動かない。子どもが男を呼んだ。「ねえ!」 男はといえば、虫取り網を抱え、小刻みに体を揺すりながら、緊張した顔で木々を探っていた。

子どもは尋ねた。「ゲンザイってなんの虫?」

男は一瞬とまり、口をしばらくモゴモゴさせる。「それは虫じゃないよ。すばしっこくて絶対に捕まらない。ヒラヒラってすぐ逃げてしまう。捕まえなきゃ、いや、捕まえるんだ」

「どうしてそんなに捕まえたいの?」と子ども。

「だって、おじさんには、ひどい過去とひどい未来しかないんだ! だから現在を捕まえるしかないっ!」

「……あ、たしかあっちにカブトムシの大群がいたな……」と私は子どもをひっぱって立ち去った。

苦い文学

姉妹都市戦争

黒鍬市とジェファーソン市が姉妹都市になったのは、5年前のことだ。それ以来、2つの市は、文化や経済の交流を行ってきた。

黒鍬市の小学校では、ジェファーソン市のことを学び、市の式典にはジェファーソン産の乳製品が展示・販売されたりした。また、ジェファーソン市でも、黒鍬のいちょうが植えられ、特産のさくらんぼの加工品が市民の食卓に上ったりした。

そして、3ヶ月前、ジェファーソン市を訪れた黒鍬市の後藤市長一行が、バーデン市長に出迎えられ、両市の交流の発展について意見交換が行われた。その後に催された歓迎会で、両市長の取っ組み合いのケンカが始まった。

このときから、黒鍬市とジェファーソン市は断絶関係となった。激しい非難の応酬が繰り返され、やがて黒鍬市はさくらんぼの禁輸という経済制裁に乗り出した。これに対しジェファーソン市議会も黒鍬市へのチーズの提供禁止を全会一致で決定した。

ジェファーソン市は「黒鍬市在住のジェファーソン市民が迫害されている」と国連に訴え、黒鍬市民は「事実無根」と激怒した。両市の緊張はますます高まった。

そして、ついに犠牲者が出た。黒鍬市の繁華街で爆弾テロが決行されたのだ。黒鍬市民はジェファーソン市の犯行だと騒ぎ出し、同市出身の一家全員を捕まえ、辱め、なぶり殺した。

ジェファーソン市はただちに黒鍬市に宣戦布告し、両市は交戦状態に入った。

さて、困ったのは両国政府だ。地方自治体の紛争により、たがいの友好関係が損なわれることがあってはならない。それぞれの政府が、調停のために介入をはかった。

どちらも「身内の問題に口を出すな」と拒絶するばかりだ。

苦い文学

レビュー

その人はとんでもない辺境の地に住んでいるのだ。だけど、Amazon は使える。それで、本を頼む。すぐに準備が整い、関東の Amazon の物流センターから発送される。

本が収められた箱はトラックに乗せられ、海辺にたどりつき、船に積まれる。その海はいつだって大しけで、ビルくらいある大波が船を襲い、なんでも水浸しにしてしまうのだ。

なんとか海を渡るとその先には灼熱の砂漠が広がっている。Amazon の箱はラクダに積まれて運ばれていく。そこでは、すさまじい太陽の熱のせいで、なんでも発火寸前に熱くなり、激しい砂嵐のせいで、すべて砂まみれになってしまうのだ。

この死の砂漠を抜けると、広大な密林が行手を阻む。ほとんど裸で暮らす原住民がここからの配達を担うのだ。原住民は文明化されていないので、積荷の価値などわからず、扱いもすごく雑だ。しかもジャングルのすごい湿度でなんでもたちまちカビだらけになる。また、軍隊アリたちが群れで襲ってきて、なんでも噛み破って粉々にしてしまうのだ。

このような困難な配達経路を通って、ようやく Amazon の箱はその人のもとに届く。その人は箱を開き、商品を見る。なんと素晴らしい状態で届いたことだろうか。

感激のあまり、その人は Amazon のサイトを開き、レビューを書き込むのだ。

⭐️ ⭐️ ⭐️ ⭐️ ⭐️
「とても綺麗で状態の良い商品で、届いて実物を見た時はとても驚きました。」

私は思うのだが、こうしたレビューが書かれるにはこれくらいの事情がなくてはならぬのだ。でなければ、どうして商品の内容と関係のないことを書けようか?