苦い文学

恐るべき時間

夏はまだ終わっていないが、今年の夏でもっとも苦しかったのは、飛行機の中で発熱したことだろう。

長い間、機内で過ごすと、乾燥した空気のせいか、熱っぽくなることがある。初めはその類かと思ったが、本当に発熱しだした。

体温計がないので何度かはわからなかったが、寒気がしだした。私はブランケットを体に巻きつけ、ネックピローとマスクをした。それでも寒かったが、他に手はない。そして、そのまま、6時間のあいだずっとうなされどおしだった。

熱にうなされていると、現実と夢との区別がつかなくなる。私はなんども隣の席の人と話をしたように思ったが、実際のところ、私の隣には誰もいなかった。また、見境をなくして、うわごとまで言うようになった。

なによりもつらかったのは、眠れなかったことと、いつまでも飛行機が到着しなかったことだ。目の前に設置されたモニターには飛行情報などが表示されている。私は「目的地まで 04:09」とあるのを見ながら、1時間くらい眠りたい、と目を閉じる。

すると、熱のせいで、夢は苦しくて混乱している。だが、夢を見たということは、少なくとも寝たということだ。私は目を開け、モニターを見る。

「目的地まで04:08」

1分しか経っていなかったのだ! あれほど寝たのに! こんなことがいくどもいくども繰り返された。この恐るべき時間を相手にしながら、いつしか私は永遠の苦しみという考えを受け入れるようになった。

苦い文学

惑星の表面

私はとある国へと旅立ち、しばしの滞在を終え帰国した。その国の首都で私は道路の表面に魅了されたのだった。

その表面は、細かな陰影と無限の形象に満ちていた。繊細なさざなみに覆われたかと思うと、たちまち巨大で無機質な物体が現れ出て、私を驚かせた。印象派風の柔らかな色合いが、数歩あゆんだのちには、中世宗教画の悪魔的な火刑へと転じた。すべてを褪色させる強烈な太陽光のもとでは、これらの形と色の多様性はほとんど奇跡のように思えた。

だが、それは奇跡でもなんでもなかった。道路はただただ歴史を生き抜いてきたに過ぎなかった。この国の首都は、幸か不幸か、東京のように新陳代謝が活発ではなく、いったん作られたものはほぼ永遠に温存されるのだ。道路がこのようになったのは、人々の活動と車輪の通過と雨風とが、天文学的な回数にわたり、その表面を鍛えてきた結果なのだった。

私は滞在期間中、ひたすら散歩をし、この都市の道路の表面を撮影し続けた。私はまったく取り憑かれてしまった。それはあたかもスタニスワフ・レムの惑星ソラリスの海のように私の心に入り込んできたのだった。

それは実際、私たちの知る惑星の表面の画像のようだった。見る人が見れば「ここには数万年前に水があったようだ」とか「隕石衝突の痕跡だ」とか「大規模な噴火活動があったようだ」とか容易に指摘してみせたかもしれない。

そんなわけで帰国後、私は、惑星地学研究の大家である友人に、自分の撮った写真を冗談半分に見せた。彼は「生命が存在する可能性が高い」といって譲らなかった。

苦い文学

陰謀論に守られて

クリスチャンだったとき、私はとても忙しかった。私は教会の役員だったから、礼拝の準備や教会員の対応、会議など1日たりとも休む間はなかった。さらに、私は聖書の神に心を捧げていたから、ことあるたびに私は聖書を開き、深く読み込んだものだった。そして、どうしても解決のつかないときは、ひたすら祈った。ときには夜通し祈ることもあった。寝る時間もなかったのだ。

しかし、いま私はそんな忙しい生活とは無縁となった。なぜなら陰謀論者となったからだ。私は神とそのひとり子を幕屋から追い出し、ディープ・ステート、世界緊急放送、レプティリアン、アセンション、反日勢力、反ワクチン、Qアノン、トランプなどを招き入れたのだ。

陰謀論者の信仰生活はストレスフリーだ。教会などないから、人のしがらみもない。何をするかというと、家で祈るだけなのだ。祈るといっても、ひざまづいて、とかいうのではない。SNS の情報を拡散するのが、陰謀論者流の祈り。しかも、最近では AI の発達のおかげで、放っておいても勝手に SNS をチェックして拡散してくれるようになった。ついに私は祈りからも解放され、完全に自由な時間を手に入れた。

昼寝をしたり、好きな漫画を読んだり、平和な社会について想いを巡らせたり……そんなふうに自由な時間を有意義に過ごすことができるのも、陰謀論に守られてこそだ。

苦い文学

カッパのクチバシ

【ザンゲー SCIENCE ニュース】
カッパの存在はいまだ確証されていませんが、カッパが言語を話すというのは確実だとされています。なぜなら、カッパが言語を介して日本人と交流していたという記録はおびただしくあるからです。

しかも、両者のコミュニケーションにほぼ問題がなかった点から、その言語は日本語(か日本語にきわめて近い言語)であることはまちがいなく、またその発音もほぼ正確であったろうと考えられています。

この発音について、しばしば取り上げられるのは「カッパは両唇音の発音ができたかどうか」という問題です。両唇音というのは柔らかな上下唇で発音される音で、マ行・パ行・バ行などがこれにあたります。カッパの口は硬いクチバシなので、両唇音はできないと考えられてきました。

ところがこれに異を唱えるような研究が近年続けて公刊され、にわかに状況が変わりました。これらの研究によれば、カッパのクチバシは「鳥とは異なり、ぼってりした肉に覆われていた」か「鳥と同じようだが、厚めの粘膜に覆われていた」のいずれかだといいます。クチバシを覆う肉、もしくは粘膜が、ソフトな唇の代わりとなっていたというのです。

学問的な決着はさておき、キュウリやカッパ巻きを食べるときに、カッパのクチバシのことを考えながら食べると味わいも増す(?)かもしれませんね。

苦い文学

財閥

私はいま風邪で寝込んでいるが、ようやく熱も下がってきた。発熱していると、夢と現実の区別がつかなくなってしまう。夢で起きたことなのか本当に起きたことなのかわからずに、しばらく呆然としていることもある。だが、そうしたこともじょじょに減り、眠れる時間も長くなってきた。

食欲も何日もなかったが、今日ひさしぶりに食べ物らしいものを食べることができた。

とはいえ、立つとフラフラするので、出歩かずに、終日ベッドで過ごしている。動画を見たりしているが、高熱に浮かされていたときは YouTube も見ることができなかった。だが、今は韓国ドラマも見られるようになった。

韓国ドラマには財閥がよく出てくるが、いま私が見ているのもそんな「財閥モノ」のひとつだ。

こうしたドラマは、見る夢に必ず強い影響を及ぼす。夢で私はキムチを漬けている田舎の男性に出会うのだが、よく見ると財閥の会長役の人だ。

キムチを食べたくなった私はその男性に近づく。すると、男は「もう、キムチ作りはやめた」といって姿を消してしまう。私は呆気に取られるが、放置された白菜を見ているうちに、キムチ作りを引き継ごうという気になる。

回復したら、財閥直傳のキムチとして売り出すつもりだ。

苦い文学

雪国

私たちの日本語の先生は、よくない先生だ。話していることが分からないし、厳しいし、意地悪し……

先生は小説が好きだ。だから私たちに小説の言葉教える。これは私たちには意味ないね。使える日本語が欲しい。先生に言うと「小説を学ぶと心が豊かになります」だって。「ジブリとかアニメとか、くだらないものばかりではダメですよ」

でも、小説ばかり勉強してJLPTのN2合格できますか? 私たちはとても不安です。

このまえ授業で「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」を勉強しました。自由に思ったことを言いましょう。先生は言うけど、誰がいつ書いたかも、なんていう小説かもわからない。

私たちは言いました。

「これはある人がトンネルに入って、たくさん歩いてトンネルを出ると雪がたくさんある国だった、という意味です」

「そうかな」と先生が言いました。「歩いてかな。もっと、なにか、乗り物があるでしょう、ほら……」

「わかりました! ネコバスです!」

先生は怒り出して教室から出ていってしまいました。自由に思ったことを言いなさいと言ったのに、おかしくないですか。

苦い文学

フィッシュ

日本の航空会社と外国の航空会社が共同運行するコードシェア便に乗っていると、食事の時間がやってきた。外国人男性の客室乗務員がワゴンを押しながらやってくる。

前の席でこう聞いている。「オムレット・オア・サワー#?%$%#?」

飛行機でのこの食事の選択の英語を聞き取れるかどうかが、旅の成否を決めるといって良い。

「サワーなんとか」とはいったいなんだろうか。酸っぱい肉料理というと、酢豚しか思い浮かばなかった。

客室乗務員が私たちのところにやってきた。私たちというのは、私と年配の夫婦だ。

「オムレット・オア・サワー#?%$%#?」

私たちは聞き取れずポカーンとしている。

「オムレット・オア・サワー#?%$%#?」

すると年配の女性が気がついた。

「さわら信田焼きだ」

日本人の多いコードシェア便だから、この男性客室乗務員は「サワラシノダヤキ」を一生懸命おぼえたのだろう。だが、私たちはそもそも彼が「さわら」という言葉を発すること自体予期していなかったのだ。とはいえ、彼の努力は讃えられてもいいと思う。

「オムレット・オア・サワラシノダヤキ?」ともう一度彼が私に聞いた。

「オムレット」と私は答えた。

苦い文学

人類への祈り

揖保乃糸は一把一把、束になっている、そしてこれが問題なのだ、と彼は思う。最近ではパスタだって束になっているけど、それでも揖保乃糸のほうがだんぜん問題だ、だって、茹で時間が1分半だから。

彼はそのパッケージから4つの束を取り出す。まとめて片手で持ちながら、鍋の湯が沸くのを待つ。そして、人類のことを考える。湯気といっしょに数々の失敗がよみがえってくる。

彼は、ひと束目を投入したのち、ふた束目の薄くてザラザラしたビニールの帯を解こうとしたのだ。だが、どこから剥がせば良いのかわからない。無理やり剥がそうしたため、跳ね上がった素麺は床中に散らばり、その間に1分半が無情にも過ぎ去った……。

それから、彼は揖保乃糸のホームページを見た。そこにはこう買いてあった。

「お湯を沸かしている間に、必要な束数の帯をほどき準備しておきます」

そこでこの教えどおりに彼は4束のテープを取り去り、調理台の上で積んだ。すると、それら2人前分の素麺は一瞬のうちに崩れて広がり、調理台から床にバラバラと落ちていった。

なぜ器が必要なことを言ってくれなかったのだろうか?

彼は食器棚を見たが、そこには素麺を受け入れる準備のととのった皿はなかった。みな、小さな丸い平皿で、素麺の両端が皿の縁からはみ出てしまう。試みに載せてみたら、そのまま崩れて落下してしまった……。

目の前で湯が沸き立った。彼は心を決めた。もうこれしかないんだ。彼は4束の素麺を左手に持ち、そのまま右手でひとつひとつ帯を剥がしていった。これができれば、4本同時投入が実現する。

ひと束目、成功。彼はふた束目に取り掛かる。思わず左手に力が入り、素麺が軋み出す。冷静に! そして無事に2束目、3束目の帯をはずす。最後のひと束! 慎重に! そのとき、思わぬ方向から現れたビニールの帯が指に絡みつく! なんだ? 3本目の切れ端だ! 彼は「あっ」と声をあげ、その瞬間、すべての素麺は彼の左手から床に滑り落ちた。

彼な絶対に諦めない。なんど失敗しても、挑戦し続けるだろう。遠い遠い未来、彼の試みのおかげで、人類の手がこんなことなど難なくできるように進化するかもしれない。いつかそうなりますように! 彼は人類への祈りを胸に、新たな揖保乃糸を買いに走った

苦い文学

成長のタクシー

荒井由美の「卒業写真」ではないが、誰かに叱ってほしいとき、私はよくタクシーに乗ったものだ。

運転手さんたちの受け答えはまるで鋭利なナイフのようで、傲慢な私の精神を削りとってくれた。絶え間ない舌打ちは弛み切った私の精神の姿勢を正した。

そして、近道を決して選ばぬ運転は、人生における遠回りの価値を教えてくれ、かならず水たまりの上で降車させることで、人生には不慮の事態がつきものだと教えてくれるのだった。

だが、最近のタクシーはどうだろうか。運転手たちはすっかりこぢんまりとしてしまい、もはや人生の厳しい教師という役割を忘れてしまったかのようなのだ。

ついこのあいだ乗ったタクシーの運転手もまことに丁寧で礼儀正しく、私は「これも時代か」とひとりさみしくほほえんだのだった。

「お客さん」と運転手が穏やかな口調で、後ろに座る私に声をかけた。「シートベルトお願いいたします」

私はシートベルトを探し、ひっぱり、腰に回して、バックルに入れた。だが、ハマらないのだ。面倒くさいので運転手に聞かずに、つけたふりをしていると、ピーピー鳴りだした。

「お客さん、すいません。ちゃんとしてないと鳴ってしまうんです」

つけたふりをした手前、いまさら聞くこともできず、私はそのまま着くまでずっとシートベルトの金具をバックルに手で押さえ続けた。少しでも気を抜くとすぐにピーピー始まるのだった。

目的地に到着した。私は久しぶりに成長させてもらったことへの感謝として料金の2倍を払いたい、と思いながら降車したのだった。

苦い文学

揺れてませんよ

みなさん。いま、私たちの国、この日本からいなくなったら困る人は誰でしょうか?

政治家、皇室、野球選手、愛国者、迷惑Youtuber……みなさんの心の中にこんな方々が浮かんだかもしれません。ですが、ハズレです。これらの人々がいなくなっても日本はまったく困らないのです。

今の日本から、いなくなったら困るのは外国人、これらの方だけです!

考えてもみてください。私たちの国は今や観光国で、多少なりともモノらしいモノを買えるお金を持っているのは外国人観光客だけです。その経済効果なしには日本はもうありえません!

しかも我が国は少子高齢化ですから、労働力も外国人に頼り切りときています。そのうち、外国人なしには電車一本も動かなくなるでしょう。

そして教育です。子どもがもう生まれないものですから、日本のほとんどすべての学校が留学生なしにはやっていられないのです。私たちはもはや、無知な日本人に代わって外国人が、すべての古典・伝統を受け継いでくれることを期待せざるを得ないのです。

おわかりいただけたでしょうか。今、この日本から外国人がいなくなったら、大変なことになるのです。ひとことで言えば日本は消滅するでしょう。

ですがじつは、私たちはいまある危機に瀕しているのです。どんな危機でしょうか? それは地震です。大きな地震ひとつで、外国人はひとりも日本に来なくなる、いや、それどころか、外国人はこぞって出ていってしまうでしょう!

なので、私たちは外国人に、日本は安全な国で地震などない、ということをどんなときにもアピールしなくてはならないのです。

「YOKOSO」「OMOTENASI」

もはやそんなキャッチフレーズが意味を持つ時代ではなくなりました。これからの日本を守るために、日本人が外国に向けて発信しなくてはいけないのはこれです!

「YURETEMASENYO」

さあ、広めましょう! 揺るぎない心で!