苦い文学

スタンプ

中国政府は反日教育をまったく行わないのに、不思議にも人民の間から偶発的に反日意識が盛り上がってきた。

「殺せ! 中国にいる日本人を殺せ!」

反日中国人たちは叫んだ。だが、問題はどうやって日本人を見つけるかだ。

「日本人どもはみな中国人に紛れている。日本関係の施設であることを知らせる表示は隠されたし、子どもたちはみなランドセルの代わりに人民カバンで学校に通っている。どうやったら日本人だとわかるだろうか」

するとひとりの反日中国人が立ち上がった。

「日本人はみなスタンプが好きだ。駅でも名所でもどこでもスタンプが置いてあって、これをみると紙の切れ端にポンと押さずにいられないタチなのだ。だから、スタンプを偶発的に道に落としておくのはどうだろうか。日本人ならば必然的にこれを拾わずにはいられまい」

「よし、さっそくスタンプを用意しよう。だが、絵柄はなにがいいだろうか」

「日本の神社やポケモンならば、日本人は飛びつくだろう」

「待て!」と別の反日中国人が言った。「反日の我々がそんなものをスタンプには使えない。愛国的中国人ならば中国のスタンプを使うべきだ。たとえば毛沢東主席などどうだろうか」

「いや、そんなものでは日本人は引っかからないだろう」

「では、万里の長城は?」「成龍は?」「パンダは?」「紫禁城!」「ジャック・マー!」……

議論は幾晩も続き、ついに意識朦朧となった反日中国人たちは、気がつくとなぜか「漢委奴国王印」を TEMU に出品していた。

苦い文学

納豆

ジョニー・サートリスさんは外国人だ。日本に住んでもう10年以上なんだ。日本語も上手。上手だとはいっても、ときどき「素材フリー」が「惣菜フリー」に聞こえるような発音の間違いをしたりするけど(そのせいで僕たちは近所のスーパーに押しかけたんだ)。

サートリスさんは大の日本通だ。日本中あちこち旅していて、僕たちより詳しいくらい。それに日本食も大好きだ。寿司、天ぷらなんて特別な料理じゃなく、肉じゃがや焼き魚といった普通の日本食がお気に入りなんだ。梅干しやらっきょうを自分で漬けてるんだって。

そんなサートリスさんにもひとつだけ食べられないものがある。それは納豆。本当にきらいみたいで、納豆の話をすると、いかにもいやそうに眉をしかめるんだ。

「サートリスさん、納豆を食べてごらんよ、きっとおいしいよ」

「絶対にいやです」

「そんなこといわないでさ」 私たちがこんなふうに言い張ると、彼はいつもこんなふうに答えるんだ。

「私ははじめは納豆が大好きでしたよ。でも、日本人に会うたびに『納豆は食べられますか』と聞かれるのにすっかり食傷してしまい、見るのもいやになりました……」

苦い文学

運転感覚の調整

電車に乗っていると、「運転感覚の調整のため」というアナウンスが入って、急に止まることがある。乗客としては迷惑だが、抗議のしようもない。

それにしても「運転感覚の調整」とはいったい何だろうか。いろいろ調べてみると、電車の運転手の感覚のずれをもとに戻すための調整作業のことだそうだ。

電車を運転するとは、さまざまな感覚が同期していることが必要だという。なぜなら運転中に起こるさまざまな事象に対処するためは、すべての感覚が同時に反応しなくてはならないからだ。

しかし、運転時間がある一定の時間に達すると、その同期にずれが生じてくるのだそうだ。このずれがある状態では、安全に運転することができない。たとえば、線路内に人が立ち入った場合、通常ならば急ブレーキを踏むところだろうが、運転感覚がずれていると誤反応が引き起こされ、走行中にすべてのドアを開けてしまうかもしれない。これは重大な事故につながりかねない。だからこそ、運転手は安全運転のために、運転感覚のずれを随時調整しなくてはならないのだ。

そういうことであれば仕方がないが、運転感覚の調整のすぐ後に、今度は運転間隔の調整だといってさらに待たすのは、さすがにやめてほしい。

苦い文学

奪われた仕事

AI が誕生したとき、喜びと驚きに沸く人々は、世界の片隅でこうつぶやく声を聞いたように思った。

「喜んでいられるのも今のうちだ。そのうち、お前たちの仕事は AI に奪われるぞ」

だが、人々は気にも留めなかった。自分たちの仕事は特別なので、AI にとってかわられることなどないと考えていたのだ。

しかし、AI が進化するにつれ、少しずつ、仕事が奪われていった。はじめは簡単な作業、そして徐々に複雑さを増し、人間のように話すことも必要な仕事も、AI はモノにしていった。

だが、それでも人々の多くは慌てなかった。「仕事を奪われるなんて、結局のところ自業自得さ」などと突き放していたからだ。

そして、これらの冷酷な人々も泡を食うときが来た。日増しに強力になってくる AI にとうとう仕事を奪われてしまったのだ。

人々はついに無職となった。労働を失った人々は、いま、することもなく街角に潜んでいる。そしてときたま通りかかる AI をカツアゲして、少しでも仕事を奪い返そうとしている。

苦い文学

みんなで血税!

〜考えよう、血税のこと〜

【その血税批判、ちょっと待った!】
「私たちの血税を裏金にするとはけしからん!」
「私たちの血税で養われているくせに!」
「血税チューチュー党!」

よく聞きますね、こんな批判。ですが、どうでしょう、もしこれらの批判ばかりする人が「血税」を払っていないとしたら? そうですね、批判する権利などありません。

ですから、政府を批判する前に、よく考えてみましょう。

「自分は本当に血税を納めているのだろうか?」と。

【その血税、正しいの?】
「血税」とは、そもそも、血で払う税、つまり兵役のことでした。それが、「血を流すような思いで納める税金」という意味で使われるようになりました。

ですから、次のような納税は、血税には当たらないのです。

《事例1》
自分のための貧乏臭いの楽しみのために支払った「たばこ税」や「酒税」。

《事例2》上司の目を盗んでサボり、就業時間の9割が白昼夢に蕩尽されたその労働とやらから納税されたはした金。

[ここがポイント!]
血税とは、血の滲むような、血が流れるような、いや、もっとはっきりいえば、納税者自身が血を流して納めた税金のことをいうんだ。

【今こそ納めよう! 本当の血税!】
私たちが本当に国のために血を流したとき、それが血税となります。そして、そうした人だけ、つまり国のために血を流して斃れた人だけが政府にモノ申すことができるのです。

ですので、もし、日本政府を血税の無駄遣いだと批判している人がいたら、それはニセモノです。日本の敵なのです。決して許してはなりません!

あなたは日本の敵ですか? もしそうでないならば、日本のために血を流しましょう! 血を捧げましょう! 本物の納血税者となりましょう!(国血税庁)

苦い文学

戦時下の炎上

不逞国家の征伐作戦を実施している我が国の軍で、とんだ不祥事が発生した。

高田陸軍大将が、SNS の個人アカウントに「お前は偉くないので、生き残ってくださーい。敗軍の捕虜でーす」と投稿していたことが明らかになったのだ。

これは先日開催された開戦記念日式典における市川陸軍大将の発言「今回の世界大戦においては、国のために命を捧げて死んだだけで偉いので皆、二階級特進である」に対する揶揄であると解釈されている。高田陸軍大将と市川陸軍大将はかねてから不仲であることが知られている。

高田陸軍大将はすぐに投稿を削除したが、その投稿を写したとされる写真がネットに拡散し、我が国のネチズンたちの非難と怒りを引き起こした。

「戦場で死ぬのは名誉なことですよね?」
「生きて虜囚の辱めを受けることをすすめるとはなにごとだ」
「こんな大将のもとに子どもを送り出したくない」
「失望した」
「国のために戦った兵士たちにめちゃくちゃ失礼」
「もう応援しない」
「国民やめます」

あわや大炎上かと思われたが、特高警察がただちに投稿者を特定し、全員逮捕したので、とくになんともなかった。

苦い文学

首の回転

ポーランドのポズナンで9月に開催された第21回世界言語学者会議(21st International Congress of Linguists)で、私はいくつかのプレゼンテーション・セッションを見にいった。

そのうちのひとつに、私でも知っている有名な言語学者が聴衆のひとりとして来ていた。

プレゼンテーションは、20分の発表と10分弱の質疑応答からなる。

いくどか質疑応答が繰り返されたのち、私はあることに気がついた。その有名な言語学者は前の方に座っていたのだが、質問が出ると必ず振り向いて質問者の方を見るのだ。

しかも、ただ見るだけではない。いかにも楽しそうな顔つきで、議論を見守っていた。

「これか」と私は思った。「これが優れた先生の態度というものなのだ」

私はおおいに反省した。私はといえば、どこかで質問が出ても、ただボケーっと前を見ているだけなのだ。

「いったいいつお前はそんなに偉くなったのか?」 私は自問せずにはいられなかった。「お前は、あの大先生が振り返っているのを見て、まだノウノウとふんぞりかえっていられるのか?」

私は決意した。「よし、俺も真似して振り向くことにしょう」

この私にもまだ、首を後ろに向けるだけのかすかな向上心は残っていたのだ。

そして、次のプレゼンテーションが終わり、質疑応答の時間となった。さっそくフロアから質問が飛び出した。偉大な先生が振り向く。

私は……その質問者の席が自分の真後ろでなければ、振り向いていたことだろう。首の回転にも限度はある。

苦い文学

世界の言語学者たち

ポーランドのポズナンに滞在していたこの9月、第21回世界言語学者会議(21st International Congress of Linguists)が開催されていたので行ってみた。これは5年に1回開催され、言語学関係では最大規模の学会だそうだ。

学会は1週間にわたって開かれ、全体講演が12、口頭発表とポスター発表があわせて760以上ある。プレゼンテーションの数は、地元のポーランドがいちばん多くて165、次がドイツの100、イギリスの47、日本はその次の37だという。

言語学者会議とはいうが、別に言語学者でなくても参加費を払えば誰でも参加できる。そんなわけで、私でも何食わぬ顔をして潜り込むことができた。

私が会場内をうろついていると、話しかけられた。パキスタンの言語学者だということだが、私の顔を見るなりいった。

「君はネパールから来たのかね? いやフィリピン人かな?」

私は流暢な英語で答えた。

「ノー」

その後、ひとりソファに座ってぼんやりしていると、また話しかけられた。白人の年配の女性だ。

「あなたはチベット人ですか? もしそうならチベット語のことで知りたいことがあるのですが……」

「ノー」

世界の言語学者たちをまどわせたことにたいへん満足しながら、私は会場を後にした。

苦い文学

割れた酒瓶

日本は治安が良くて、キレイで、ゴミひとつ落ちてない、などといって鼻高々な私たちだが、じつのところ、ポーランドもキレイで、ゴミひとつ落ちていない。また、どこに行っても、安全で、不快な思いをすることなく過ごせる。

要するに素晴らしい国なのだ。ただひとつの点を除けば。

ときどき道端に、凄惨な割れ方をした酒瓶が転がっているのだ。たいていはビール瓶だが、もっと強そうな酒もある。

酔っ払った人間たちが空いた酒瓶を道端に投げ捨てて、むごたらしく割る。ポーランドでの生活もそうそう楽ではなさそうだ。いずれにせよ、サンダルで歩く私は、これがいちばん怖かった。

興味深かったのは、どんなに酒瓶を割ろうとも、これら酔漢はけっして吐いたりしないということだった。道端にゲロなど落ちていないのだ。日本では割れた酒瓶などめったに見ることはないが、ゲロなら任せとけだ。

いったいこれはどういうことだろうか。

割れた酒瓶の数とゲロの量は反比例するのだろうか? 日本政府とポーランド政府による合同調査の開始を心待ちにしたい。

苦い文学

ある記録から

……そこで私たちは、泣き喚き、大声で叫び続けました。すると、そいつはあわててやってきて、オロオロしながら、私たちを撫でさすったり、水を飲ませようとしたり、何か食べさせようとするのです。

ですが、私たちの決意は変わりません。私たちはそいつの手をはね除け、辺りを水浸しにし、食べ物を放り投げました。そしてそれからまた、声をかぎりに叫ぶのです。そいつは目に涙を溜めながら「お願いだから静かにしてくれ」とか「なんでもするから、落ち着いておくれ」などと言うのでした。

そして、数日経つと私たちは、もうどの街角に出しても立派に通用するくらいみすぼらしく、汚らしく、悪臭プンプンとなりました。大便も垂れ流し、しかもその上でゴロゴロです。私たちは最後の一押しとばかりに、汚れきった姿のまま、喚き散らしました。

するとそいつが駆けつけてきて、涙を流しながら平伏していうではありませんか。「どうかやめてくれ。気に食わないことがあったら謝るし、心を入れかえるから。たのむ、たのむ……」 私たちは笑いたいのを堪えて、盛大に悲鳴をあげ続けました……

それからすぐです。通報があった、と人々がやってきてそいつをどこかに連行して行きました。動物愛護管理法違反。私たちが狙った通りです。

本当のことを言うと、私たちはそいつを憎んでなどいません。ただなんとなく気に食わなかっただけです。でも、私たち犬にとってはそれで十分なのです。

そういえば、この間、新しい飼い主と散歩に出たとき、そいつの家の前を通りました。正直いうとなつかしさすら覚えましたが、そいつが姿を見せたらどうしようかとも思いました。もっともそんな心配は無用でした。「賃貸(即入居可)」の張り紙がありましたからね。