苦い文学

眠気のたたかい

昨日のこと、喫茶店の一角に座っていると、隣の席の会話が耳に入ってきた。

「おい、寝るな!」

「眠くない。眠いのはお前のほうだろう!」

「俺が寝るものか!」

隣を見ると、二人の男が向かい合って座り、猛烈な眠気に襲われているのだった。どちらももう白目を剥いて、頭をグラグラさせているのに、「眠たいのは自分ではない、お前だ」と、互いになじりあっていた。

「お前などすぐ寝るくせに! 俺なんかちっとも眠くないぞ!」

「嘘だ。もうお前は寝てるじゃないか! だからお前はダメなんだ」

「バカいうな! もしもお前の眠気が俺の眠気だったら、1秒と持ち堪えることはできまい!」

「なんだと! 俺の眠気のほうがお前よりももっと強力だ! もし俺の眠気がお前の眠気だったら、不眠気味だと精神科に駆け込むだろう!」

「俺の眠気のほうが強力だ!」

「俺のほうだ!」

「いや、俺だ!」「俺!」……

静かになったので、隣に目をやると、二人ともスヤスヤと寝ていた。テーブルに置かれたなにかの参考書と二つのコーヒーカップを見て、私は少し二人が哀れになった。

苦い文学

独裁者のラーメン

北朝鮮から亡命してきて、日本で暮らしているという人と知り合いになり、北朝鮮の内情を詳しく伺うことができた。

貴重な話に感激した私は、その方を食事に招待することにした。ちょうど近くにつけ麺で有名なラーメン屋があるので、そこに行きましょう、と誘った。

すると、彼は震え出すではないか。「ラーメン屋ですか? 絶対に無理です。私を殺す気ですか?」

「いったいどうしてですか? おいしいと評判の人気店ですよ」

「なぜって、ラーメン店はすべて北朝鮮の手先が営業しているのです」

「そんなことはありませんよ」

「いいえ、絶対に北朝鮮です。ラーメン屋の店主を見てください。客を見下し、なにかというと舌打ちでびびらす、あの傲慢で残忍な人々を。これらの店主たちは、店内では俺がルールだとばかりに、メチャクチャな決まりを作って、客の自由と食事の安らぎとイヤホンを奪っているではありませんか。まさしく金正恩体制です」

「いや、それはちょっと……」

「しかもですよ。このラーメン恐怖政治に恐れをなして店外に亡命したとても、私たちは安心してはいられないのです。ラーメン屋の独裁者たちは、その逃げる背中を目掛けて、SNS で無慈悲な言葉のミサイルを次々と発射して攻撃するではありませんか! EEZ 圏内に! ただの客なのに! いいえ、すみませんが、私は遠慮いたします」

こう言うと、その方は帰ってしまった。結局、私はひとりでその店に行き、ひとりでつけ麺を食べた。

店内に貼られている大勝軒のオヤジの写真が、次第に金日成に見えてきた。

苦い文学

トーチョー

ローマ字の綴りで “ky” は “Tokyo” や “Kyoto” などのように、日本語の「キャキュキョ(kya, kyu, kyo)」に用いられる。

ビルマ語にはこの「キャ、キュ、キョ」に当たる音がない。別になくてもいいのだが、問題はこの音をビルマ文字で “k” と “y” にそれぞれ当たる音の組み合わせで表記し、なのに実際の発音は「キャ、キュ、キョ」ではなく、「チャ、チュ、チョ」(に似た音)となることだ。

そんなわけで、ビルマ語話者は「Tokyo」を「トーキョー」ではなく「トーチョー」と発音する。ビルマ文字の綴りに変換してしまうのだ。どうしてこんなことが起こるかだが、おそらく昔はビルマ語には「キャ、キュ、キョ」という音があったが、これが歴史的変化により「チャ、チュ、チョ」に変わってしまったのだろう(こうした変化は他の言語でもよくある)。音は変わってしまったが、綴りは変わらないので、 “ky” が「チャ、チュ、チョ」を表すこととなってしまったのだ(こうした綴りのずれは、日本語にも英語にもたくさんある)。

もっとも、ビルマ語話者が「キャ、キュ、キョ」を発音できないわけではない。ただ、それはいわば「外国語の音」なので、若干の訓練が必要なのだろうと思う。

以前、東京に来たばかりのビルマ語話者が「ここがトーチョーか」などと言っていると、先輩のビルマ語話者が「トーキョーだよ」と訂正したことがあった。外国では「チャ、チュ、チョ」ではなくて「キャ、キュ、キョ」のときもあるよ、ということはビルマ語話者はそれなりに意識しているようだ。

さて、以前、留学生に日本語を教えていたときのことだ。いくつかの調味料が教科書に出てきたので、私はあるビルマ人学生に音読させてみた。

「塩、醤油、酢、ソース、マヨネーズ、ケキャップ……」

ケキャップだって!

と、私は心の中で叫んだ。このビルマ人学生は、「チャ、チュ、チョ」は「キャ、キュ、キョ」で発音する、ということを意識しすぎて、「チャ」のままでいいものまで「キャ」に直してしまったのだ。

この現象は、言語学では過剰訂正(つまり、なおしすぎ)と呼ばれている。

苦い文学

エアエアクオート

映画やなにかで、欧米の人が会話中に、両手の人差し指と中指を同時にクイクイと曲げる仕草を見たことがある人も多いだろう。

これは、英語などで用いられる引用符(”ダブル・クオーテーション・マーク”)を表す「エアクオート」と呼ばれるジェスチャーだ。エアクオートを使うと「他の人はそう言ってるけど、自分はあまり賛同していないよ」というようなニュアンスを表すことができる。

私の友人が先日、このエアクオートでギネス記録にチャレンジした。「どういうこと?」と怪訝に思う人もいるかもしれないが、こうだ。

ある言葉に両手でエアクオートをしたのち、すぐにその両手を少し外側にずらして、もう一度エアクオートを行うと、二重にエアクオートが行われていることになる。あえて文字で表せばこうだ。

   ““バカ””

彼はこのエアクオートをどこまで重ねることができるか、引用の限界に挑んだのだった。ギネス公認の記録は 578 回で、まずはこれを超えることが目標となる。

友人はギネス審査員たちの見守るなか、驚くべきスピードでエアクオートを積み重ねていった。まさに超人的な集中力・体力・腕力だった。576 回、577 回、578 回、579 回! ついに世界新記録達成だ! だが、彼のクオートはやまない! 590 回、前人未到の 600 台! そして、619 回! ここで惜しくも彼は力尽きた! しかし、彼こそがギネス記録保持者なのだ。

審査員たちが駆け寄り、左右からエアクオートの数を確認する。1、2、3……。審査員たちが急にざわめき出し、予想外のアナウンスをした。右側のエアクオートのマークがひとつ足りない、と。指を曲げ忘れたのか、それとも、曲げ方が弱かったのか……それにしても痛恨のミスだ。

残念ながら新記録とは認められなかったが、私たちはみんなで彼を “チャンピオン” とエアクオートで褒め称えた。

苦い文学

アウシュヴィッツ訪問(おわり)

ツアーは、まずはじめにアウシュヴィッツ収容所内をまわる。それから、博物館の外に出て、シャトルバスに乗り、10分ほどの距離にあるビルケナウ収容所を見学する。その後、再びバスで博物館の入り口に戻って終了・解散となる。全部で3時間強だ。けっこう疲れる。

私の見るかぎり、博物館には3つの書店があった。ひとつは私が最初にガイドブックを買ったところで、入り口入ってすぐのところにある。2つ目はアウシュヴィッツ収容所の出口にある。そして、3つ目はビルケナウ収容所の入り口にあった。

単独行動はしにくいでの、私はツアーのあいだじゅう、本屋をゆっくり見ることはできなかった。そこで、ツアーが解散したのち、再び入場して、最初の本屋に行くことにした。

この再入場が面倒くさかった。再入場はエントリー・パスがあれば無料でできるが、博物館の外にあるチケット売り場で入場券をもらわなければならない。そして、このチケット売り場には、事前にネット予約せずにきた人たちが並んでいるのだ。

私は事前に予約しなければ入れないと書いたが、当日いきなり行っても入ることはできる。その場合、空きのあるツアーに参加しなければならない。だが、そうしたツアーは午後の遅い時間にしか残っていないので、それまで少なくとも2〜3時間は博物館の外で待たねばならない(ネットで見たときは午前のポーランド語とロシア語のツアーしか残っていなかったが、チケット売り場には午後に英語のツアーもあった)。

また、ネットの情報によれば、すべてのツアーが終わった後に個人で自由に入ることができるという。たとえそうだとしても、それまでの時間、外で時間を潰さなくてはならないようだ。

さて、私は列に並び、入場券をもらい、再び博物館の中に入った。本屋には、ポーランド語、英語、ドイツ語、フランス語などの西洋諸語に加えて、日本語、韓国語などの書籍が売られていたが、当然ながらポーランド語、英語がもっとも多い。私は博物館が出版している『アウシュヴィッツ:写真で見る歴史』(英語版)という大きくて重い本を買った。

さて、帰りのバスは、クラクフからのバスが着いたバス停から出る。そのすぐ隣、博物館寄りのバス停が、ビルケナウ収容所を往復するシャトルバスが出るところだ。私はクラクフ行きの時刻表をシャトルバスのバス停で探し、ないので困っていたが、それはクラクフ行きのバス停のところにあった。

午後1時半ごろにバスが来て、クラクフに戻った。帰りは交通事情のせいか、2時間かかった。

アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の内部については書かない。また写真もあげない。予約専門サイトでは、オンラインツアーの予約もできる(https://visit.auschwitz.org/)。

(画像はシャトルバス)

苦い文学

アウシュヴィッツ訪問(6)

館内に入場してそのまま歩いていくと、奥の突き当たりにベンチの並ぶ待合所がある。電光掲示板があり、ツアーのスケジュールが並んでいる。そこでツアーが始まるのを待つ。その間、団体は団体でどんどん中へと進んでいく。

待つ前にしなくてはならないことがある。言語別のシールをもらうのだ。これは待合所の向かいにある(つまり博物館の入り口に背を向けた)インフォメーション・カウンターで、パスを提示するともらえる。そのシールがツアーの目印になっている。ポーランド語は赤のシール、英語は白だった。それを胸などに貼っつける。

また、私は待っているあいだに、セキュリティゲートを通ったところにある書店に行き、公式の日本語ガイド(『追悼の場 AUSCHWITZ-BIRKENAU 案内書』)を買っておいた。ポーランド語の解説がわからないので、せめてガイドで情報を補おうというハラだ。

グループはポーランド人だけかというとそうでもなかった。若い日本人たちもいた。私と同じく前日に予約した愚か者たちのようだった。

時間が来ると、ツアーの解説者が、言語名の記されたボードを持ってやって来る。これがツアーの始まりだ。待合所にある入り口を通って、地下のホールに降りる。そこで、レシーバー付きのヘッドフォンが渡される。これを通じて解説者の話が耳に直に入ってくるのだ。

私たちは解説者を囲みながら、アウシュヴィッツへと入っていく。同行した日本人は、ポーランドの解説者が話しているあいだ、後のほうでぺちゃくちゃ喋っていた。まったく愚かな連中だ。だが、私はといえば、ポーランド語がわからないのがバレないように解説者の近くにいたりした。わかったという感じでしきりにうなずいたりして。

後をついていくにも、他のポーランド人をさしおいて、従順な弟子のようにその真後ろにピッタリくっついていった。解説者はポーランド語で話しながらどんどん進んでいく。後ろにいるのが一言もわからない愚か者だとは、夢にも思わなかったろう。

(画像は、インフォメーション・カウンター)

苦い文学

アウシュヴィッツ訪問(5)

バスは予定通り1時間半後にアウシュヴィッツ博物館に到着した。博物館の前は大きなパーキングエリアになっていて、ツアーバスが何台も止まっている。もうたくさんの人が集まっている。

トイレとロッカーのある建物があった。博物館には大きな荷物は持ち込めないので、ここで預けなくてはならない。 事前に送られてきたメールには 33 センチ x 25 センチ x 15 センチより大きな荷物はダメだと書いてあった。

これで大きさをイメージできる人はいいが、私にはわからない。自分の普通の大きさのリュックが大丈夫なのかわからず、周りの人の荷物をみて、一喜一憂する。結局は問題はなかった。

さて、個人の参加者はどこでどうすればいいかもわからない。メールには「博物館のレセプション・ビルに、集合時間30分前に入るように」と書かれている。しかし、博物館の入り口は人が並んでいて簡単には入れそうにない。

そこで、外にいるスタッフの人に聞くと、どんどん入って中で待ってくださいという。博物館の入り口に集っている人は、おそらく団体で、団体なりの理由によって待っているだけのもようだ。

そこで、博物館の中に入っていく。セキュリティ・チェックがあり、そこの人にメールで送られてきたエントリー・パスを見せ、入場した。

(画像はアウシュビッツ行きのバス)

苦い文学

アウシュヴィッツ訪問(4)

英語のツアーが空いている日は、と調べてみると、2週間後にようやくポツポツと出てくる。私が帰国したあとだ。しかし、そのうちに当たり前のことに気がついた。

ポーランド語のツアーだろうとロシア語のだろうと、参加するのに語学力の証明書がいるわけではない。誰だって参加はできるのだ。ただ解説がわからないだけだ。そういうわけで、私は9月6日朝8時45分のポーランド語の解説者のツアーを予約したのだった。

さて、次の問題は、どうやってアウシュヴィッツまでいくかということだ。ネットの情報によると、朝の6時ごろにバスがあるという。1時間半で着くというから、問題なく間に合う。

ただし、もう深夜の1時だったので、バスのチケットの予約はできなかった。なので、私は翌朝の午前5時過ぎにホテル(というか貸し部屋)を出て、クラクフ駅の隣にあるバスターミナルに行った。掲示板を見ると、6時20分に「Oświęcim(オシフィエンチム:アウシュヴィッツのポーランド語名)」行きのバスがあった。チケット(22ズウォティ、千円ぐらい)を買い、地下のバス停に行った。

すでに20人ぐらいの乗客が待っていた。私は何も食べずに出てきたので、近くの売店でパンを、バス停の前にあったカップ式の自動販売機でコーヒーを買った。

バスが来た。コーヒーを片手に私が乗り込もうとすると、カップの飲み物は持ち込み禁止、と運転手が手で制止した。あわてて外に出て、飲めるだけ飲んでゴミ箱に放り投げた。

(画像はアウシュヴィッツ行きのバスのチケット)

苦い文学

アウシュヴィッツ訪問(3)

さて、これまでは利口な人の利口な行き方について話してきた。では、愚かな人の愚かな行き方とはどんなものだろうか。

それは、前日になってアウシュヴィッツの行き方を調べる人である。これは、まさしく私であった。私がポーランド、ワルシャワに到着したのは、9月4日。そして、9月5日にクラクフに移動して、その日の夕方になって、さて明日(6日)はアウシュヴィッツに行こう、とネットを調べ始めたのだった。

もちろん、ポーランド行きが決まってから、アウシュヴィッツは絶対に行こうと決めていた。私は収容所と見ると行かずにはおれないタチなのだ。だが、同時に行き当たりばったりのタチでもある私には、その先を考えるのは難しかった。そして、そのせいで、わざわざクラクフにまできたのに、あやうく訪問を諦めざるをえないところにまで追い詰められたのだった。

さて、ありがたいことに、ネットにはいくつか訪問記があり、原則として博物館のツアーに参加しなくてはならないことと、専用の予約サイトがあることを知った。これについてはすでに書いたが、私はその手順通りに進み、9月6日のツアーを確認した。そして、驚いた。

ツアーが、朝の8時台にポーランド語とロシア語の解説者のものしかないではないか。英語のツアーがあるはずなのに……と、翌日の7日を調べてみると、そもそもツアーがない。土曜日だから休館日かもしれない、しかしそんなことあるかな……などと、あちこち見ているうちに、ようやく私にもわかった。

要するにほとんどのツアーの定員が埋まってしまっていたのだ。7日は休館日などではなく、すべて満員というわけだった。

もう遅いのだ。これはもう無理かもしれない、と私は考えた。

(画像は博物館前の鳥)

苦い文学

アウシュヴィッツ訪問(2)

「国立アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館」の予約専用のサイト(https://visit.auschwitz.org/)を通じて個人で予約をとる場合、まず訪問日を指定する必要がある(その前に「私はロボットではない」の画像認識の関門がある)。訪問日は3ヶ月先まで選ぶことができるようだ。

その先に進むと、訪問日に予定されているツアーの一覧が出てくる。朝8時15分から、午後2時ごろまで、15分おきにツアーが組まれている。個人で行く場合、このツアーに参加しなくてはならない。各ツアー定員は15名だ。

通常のツアーには2種類ある。解説者付きのツアーと解説者なしツアーだ。解説者付きのツアーは3時間かかる。解説者なしツアーはわからない(このほかに6時間のツアーなどもあるもよう)。

解説者付きツアーは午前中、解説者なしツアーは午後にしかないようだ。解説はポーランド語のほかに、英語、フランス語、ロシア語、スペイン語、イタリア語などがある。

訪問日と言語とツアーの時間を選べば、実際の予約と支払いに進むことができる。料金は100ズウォティ(5000円ぐらい)でクレジットカードが使える。また、支払い時に寄付も求められる。

支払いが終わると、領収書、入場パス、注意事項などがメールで送られてくる。

ひとつ注意したいのは、この支払いが日本からできない可能性もあることだ。私はポーランドの別の支払いのために日本でカード決済しようとしたが、何度やってもダメだった。なので、もしも私が日本で「国立アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館」の予約をしようとしていたら、できなかったかもしれない。

もっとも、利口な人なら、きっとうまい方法を見つけることだろう。

(画像は博物館前のようす)