苦い文学

右か左か

2年ぐらい前にここで「左右盲」というフィクションを書いたが、これはある程度は本当のことで、私は右と左がわからない。

どういうことかというと、とっさに左手をあげてくださいと言われたら、すぐにはできない。箸を持つ手はどっちだっけ、といったん考えてから、おそるおそるあげるのだ。

とはいえ、左右がわからなくても通常の生活では困らない。ただ、視力検査は別だ。輪っかの開口部がはっきり見えていても、それが右なのか左なのかがわからない。なので、眉根を寄せて「ちょっと見にくいな……」なんてフリで時間稼ぎをして、必死に考える。

先日、バリウム検査をしたときも大変だった。動く検査台にしがみつきながら、矢継ぎ早に繰り出される「右に腰を捻って」とか「左に向いて」とかの指示に対応しなくてはならない。考える暇もなかったので、初めのうちは混乱してしまい、何度も反対側の方を向いてしまった。

視力検査でも、バリウム検査でも、「こっち・そっち」「手前・あっち」とかなら私は間違わない。なのでそうしたいが、恥ずかしくてできない。

私のような人は多くはないだろうが、いないわけではない。なので、検査の時などに「私は左右がわかりません」というシールがあったらいいと思う。最近はいろいろ事情のある人に配慮する取り組みが広まっているので、突飛な話ではないだろう。

もっとも、そのシールについて「右胸に貼ること」とかいう決まりがあったら、私たちはもうそこからわからなくて、結局丸めて捨ててしまうにちがいない。

苦い文学

血の挑発

腕の肘の裏側が肉厚なのか、血管がずれたり捻れたりしているのか、世の中には、採血のときに血管がわかりにくい人がいる。私もそのひとりだが、そのせいで採血はいつもストレスだ。

採血者は、腕に巻いたゴムバンドをキュッと締め直したり、アルコール綿で皮膚を擦ったり、揉んでみたりして、血管を浮かび上がらせようとする。される方としてはわからないが、浮かび上がってくれと念ずるばかりだ。やがて、採血者は意を決して、エイヤッと刺す。それでうまくいけばいいのだが、「違う、もう一度」なんてこともある。刺される方としてはたまったものではない。

そんなわけで、私は、しばらく前から、採血時に「いつも血管が見つからない、と言われます」とあらかじめ伝えるようになった。そうしたほうが心構えができるのでは、と思ったからだ。だが、最近になって気がついた。受け取り方によっては、その言葉はむしろこう響くことだってあるのではないか。

「フフフ、君だって私の血管を見つけることはできないだろうよ……」

こう挑発されて頭に血が上った採血者が、私の腕を針でめった刺しにしないとどうしていえようか。

苦い文学

ゴミ箱民族闘争

「日本はなんてキレイなんだろう!」「ゴミ箱などないのに、道にはチリひとつ落ちていない!」「きっと日本人は心が清潔でクリーンなのだ!」

来日した外国人たちが、驚きとともにこう賛嘆するとき、私たちは鼻高々だった。あまりにも得意だったので「日本ではこれが当たり前ですよ。他の国では違うのですか?」などと、トボけてみせたりしたものだった。

だが、やがて、ただでさえ少ないゴミ箱が街から姿を消し、駅からもあらゆるゴミ箱が撤去され、チェーンの喫茶店ではゴミ箱に封印がされ、そして、セルフレジのレシートを捨てる小さなカゴさえも消え去ったとき、私たちはなにかおかしなことが進行していると気がついた。

いつのまにやら、もはや私たちはどこにもゴミを捨てることができなくなったのだ。私たちはそれでも信じていた。「日本人ならばゴミ箱などなくてもやっていける」と。

だが、だが、だが、その結果、すべてのゴミをカバンやリュックに詰め込んで、家まで我慢して持ち歩かねばならなくなったとしたら、どうだろうか。

私たちは何度も試みた。手に持ったゴミを道端に放り投げようと。空き缶をホームの下に投げ入れようと。ああ、だが、それをするということは、日本人であることを捨てることにほかならないのだ!

ここで、ある悲しい、つらい話をさせてほしい。その人は駅で自殺したのだ。ゴミ箱のない砂漠のど真ん中で、手に空のペットボトルを握りしめたまま、これをポイ捨てするくらいならばいっそのこと、と線路に身を投げたのだ。この知らせを聞いたときほど、私は悔しかったことがなかった。ゴミ箱を奪ったこの国を憎んだ。そして、鼻高々だった己を憎んだ。

私たちは、いまや疑いはじめている。ゴミ箱がないことは、自慢に思うことでもなんでもない、と。私たちは調子に乗りすぎたのだ。ちょうどインフルエンサーが、賞賛欲しさに崖っぷちで自撮りをすると決まって転落死してしまうように、私たちの「日本はゴミ箱ない芸、日本人はキレイ好き芸」もいまや私たちの首を締めだしたのだ。

このままだと私たちの未来には絶望しかない。なぜなら、あらゆるゴミ箱が消滅した社会では、人間がゴミ箱になるしかないからだ。人間として生まれてきて、ゴミ箱になりたいものなどあるだろうか? そうならないために、ひとつでもいいから、ゴミ箱を増やそう。命を捨ててゴミ箱を増やす戦いを始めよう。

苦い文学

報じるメディア

「ネットを見ても、テレビを見ても、報じられていないことばかり……」 不安!
「どうしてこんな重大なことなのにマスゴミはスルーするんだ!」 イライラ!

日本のメディアの報じなさ加減にご不満が募るばかりの皆さん、朗報です!

日本初の「報じるメディア」が誕生!

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苦い文学

偉大さ国家フェスティバル

「アメリカを再び偉大にしよう!」と叫ぶ人々が立ち上がって、ひとりの男を再び玉座に舞い戻らせた。その名はドナルド・トランプ。そして、その日から、世界は偉大さを求めて熾烈に争うことになった。

トランプがカナダやグリーンランドに目をつけたのもそのせいだ。偉大さの埋蔵量が半端ないと踏んだのだ。

だが、偉大さにかけては中国だって負けてはいない。そもそもアメリカみたいに「偉大にしよう」だなんて言わない。「中国はいつも偉大ですが」とデーンと構えている。4000年の歴史で蓄えた偉大さをさらに増やすべく、現在、周辺海域を好き勝手に調査して、海水中の偉大さを濾過しようと計画中だ。

いっぽう、偉大さを手荒く補給しているのが、プーチンのロシア。ウクライナでの偉大さ特別獲得作戦のテコ入れのため、北朝鮮から新鮮な偉大さを輸入することに決めた。もっとも、北朝鮮の偉大さは、品質管理が悪いせいか、前線に着く頃にはだいぶ目減りしているという。

偉大さをめぐるこの過当競争のなか、厳しいのは日本のように限られた偉大資源しかない国だ。我が国はどう生き残るべきだろうか? 高い関税と金の兜を渡して、アメリカから輸入すべきだろうか? それとも、チャイナリスク覚悟で、中国と取引するか。いや、いっそのこと偉大さなどあきらめて、手痛い負けを喫する前にレースから降りるか……。

そっちのほうがじつは偉大かもしれない。

苦い文学

あいみょんと「の」の逆襲

「おいしいのパン」
「強いの力」
「助けるの人」

「これらはすべて、日本語学習者がしがちな誤用、つまり間違いです」と、日本語教師養成講座の教師は、受講生たちにホワイトボードの板書を示しながら説明を始めた。「このように余計な『の』を挿入してしまうことがよくあるのです。どの国の学習者もする誤用ですが、とくに中国人に多いように思います。しかも、上級になっても繰り返す人がいます」

教師はこの助詞「の」について説明を始めた。助詞の「の」の前後には原則的に名詞が来ること。したがって、「おいしい」や「強い」といった形容詞、「助ける」といった動詞の後には続かないこと。「の」は中国語の「的」と似ているため、一説によれば、その影響でよく余計な「の」を入れてしまうということ……。

ひととおり話し終わると、教師は受講生たちに質問がないか尋ねた。すると手が上がった。

「先生、『の』を変なところに挿入してしまうのは外国人特有ですか?」

「特有、というとニュアンスが異なりますが、学習者にわりによく見られる誤用です」

「とすると、あいみょんは外国人ですか?」

「あいみょん? あの歌手の?」

「ええ」

「それが今の話とどうつながっているか、ちょっとわかりませんが……どういうことでしょうか」

「いえ、あの、『マリーゴールド』なんですけど、『麦わらの帽子』の『の』って、あれ要りますか? ……」

苦い文学

ビッグクランチ★セオリー

宇宙はビッグバンによって始まり、それ以来、私たちの宇宙の膨張が始まった。

このまま宇宙が膨張し続けると、宇宙のあらゆる物質が永遠に拡散することになる。そして、その果てにあるのは、すべてが切り離された孤独で冷たい無の世界だ。なんと寂しいことだろうか。そのような宇宙では、隣の人に話しかけるのにもほぼ永遠のときが必要なのだ。

しかし、これとは逆の宇宙を想定する理論も存在する。ある条件のもとで、宇宙は膨張から収縮に転ずる可能性もあるのだという。この場合、ある時点で、全宇宙の物質が一点に集中することになる。このような全宇宙の収縮をビッグクランチと呼ぶ。もしもこの宇宙が一点にクランチするのであれば、地球から月に行くのも簡単だろうし、行くときも、みな肩を組んで仲良く行くことであろう。

私は断然、ビッグクランチ派だ。もちろん和気あいあいとしたビッグクランチのほうが好みということもある。だが、天文学者として、また宇宙理論家としても、私は、宇宙が膨張するどころか、すでに収縮を始めていると断言できる。

そう断言できる根拠については、ここでは述べない。専門家以外にはわからないからだ。ただ、もしあなたが「コンプライアンスだの人権だの、うるさい奴らばかりがのさばって、窮屈な世の中になった」と感じているのならば、その直感は正しい、とだけ言っておこう。

苦い文学

自分を好きになれるたったひとつのやり方

【新刊案内】『自分を好きになれるたったひとつのやり方』 辺見達夫著

人生で何よりも大事なのは、自分を愛すること。自分を愛することができれば、人生が変わる!

でも……どうやったら自分を好きになれるの? そんな悩みを持つあなたのために書きました。

自分を好きになるためになにをしたらいいか、少し探せばこんな答えが出てきますよね。

・なにかを成し遂げよう。
・友達を作ろう。
・規則正しい生活をしよう。
・自然と親しもう。

「うーん……これをしたら自分を好きになれるっていうけど……無理じゃね?」

そうです。大変ですよね。

「もっと簡単に、楽に、自分を好きになることってできないのかな?」

できますよ! 実は。簡単で、労力要らず、お金もかけずに、できるんです。

「えっ、そ、それはなんですか?」

あなただけにそっとお教えしましょう。それは、怒ること。

最新の脳研究によればズバリ、人間が自分を愛しているのは、怒っているときなんだそうです。ならば、怒らない手はないですね!

『自分を好きになれるたったひとつのやり方』には、あなたがお金をかけずに怒りっぽくなれる方法をたくさん詰め込みました。家庭で、お店で、職場で、駅で、ネットで、どこででも、そしていついかなるときでも、怒りに怒って、罵声をあげ、威嚇し、罵り、土下座させて、自分を好きになりましょう!

苦い文学

顔とジャーナリズム

日本のジャーナリズムの特色は顔への関心だろう。なんでもいいからニュースのトピックを見てほしい。

「女優の顔が激変」とか、「こんな顔だった?、と違和感続出」とか、「お顔がずば抜けてキレイ」とか、「可愛い表情に絶賛の声」とか、すべて顔のニュースばかりなのだ。

無論のこと、私たち人類は顔からさまざまな情報を得るように進化してきた。だから、顔のことばかりニュースにするジャーナリストたちは、じつはとっても科学的なのだ。

そして、科学的であれば、綿密な取材など不要なのが日本のジャーナリズムだ。なぜなら、すべて顔に書いてあるからだ。そんなわけで、日本の政治のニュースは、岸田さんのメガネとか、石破さんの暗い顔とかでいっぱいになってしまった。

我が国のジャーナリストは、顔のことに夢中なので、緊迫した海外情勢などあまり興味がない。これはとても残念なことだ。もし、これらの記者が世界を飛び回れば、私たちはゼレンスキーさんや習近平さんの顔についてもっと知ることができるだろうに。

もっとも、日本人のジャーナリスト団体は最近、宇宙に関心を示している。近いうち、「火星の人面岩、顔変わりすぎにネット衝撃」といったニュースが配信されるに違いない。

苦い文学

ロックなテスト

僕たちの学校の先生は、先生だけどロックミュージシャンなんだ。だから、授業はいつもロックのライブみたいなんだ。あるとき先生がみんなの前でこう言ったんだ。

「明日はニューアルバムのリリースだ! みんなちゃんと復習してくるように!」

僕たちはもうこれでピーンときちゃったんだ。明日はテストだってことだ。

そして、次の日は本当にテストだったんだ。

「よし始めるぞ!」と、先生は何人かの子にテストを配り始めた。「これは通常盤のテストだ」 配られたのはみんな普通の成績の子ばかりだったんだ。

それから、また先生は別の子どもたちに配り始めた。少し勉強ができる子たちだ。「これはボーナストラック付きだ」 

今度はクラスで頭の良くない子どもたちに別のテストを配り出した。「お前たちは、ブートレグ盤だ」

そして、最後に成績優秀な子どもたちの前に立った。「お前たちには手応えが必要だ」

そういうと、先生は分厚い本を配り始めたんだ。びっくりしている僕たちに先生はこう言ったんだ。

「これはスーパーデラックス盤だ! 通常の問題に加えて、デモやアウトテイクがぎっしりだぞ。ちなみに、100ページにも及ぶ渾身のライナーにもちゃんと目を通すんだ! さあ、テストはじめ!」

だけど、先生ときたら、テストのあいだじゅう、爆音でロックを聴いてたもんだから、僕たちはテストどころじゃなかったんだ。