苦い文学

The Fly

数日前からチュニジアはラマダーンに入つた。ラマダーンと云ふのは月の名前で、此の一ヶ月、ムスリムは断食することになつてゐる。断食と云ふと厳しいやうに感じるが、日が出ていない間は食べることができる。又、日が沈むと人々は外に出て、深夜までカヘェに集まつたり、遊んだりして過ごす。特別な催し物も彼方此方で開催される。だから、ラマダーンは日本の年末年始のやうな娯しい時期でもある。

そんな中、私は、ホテルを出て、数時間調査をして、ホテルに戻つて記録を纏めると云ふ事を数日、繰り返してゐた。調査の間は人と会ふが、ホテルにゐる間は独りだ。別に作業自体は苦にならなかつたが、日に日に孤独が身に沁みてきた。

そんな時私は一匹の蠅に出会つた。其の蝿は、寝台の上で書き物をしている私の手や顔にぴたりと停まつたり、ノォトの上を這ひ回つたりした。私は殺さうと思つて何か叩く物を探したが、新聞紙も雑誌もなかつた。幾度か手で払ふ内に、やがて其れも面倒臭くなつた。暫して、私は蝿が傍の黒の掛布の襞にじつとしがみ付いてゐるのを見た。私はなんとなく友人がやつてきたやうな心持ちになつた。

ラマダーンの間は、日中は何処のカヘェも食堂も閉まつてゐる。朝早いせゐか、人通りも何時もより少なく静かだ。調査に行く為に大通りを歩いてゐると、普段は賑やかさに紛れていただけなのか、矢鱈と蝿が飛び回つてゐるのに気がついた。

飛び交ふ蠅たちは私の顔に頻りにぶつかつてきた。私は微笑みながら歩き続けた。

苦い文学

マンの言葉

【コラム】
「おんなこども」という言葉に如実に現れていますが、私たち男は「社会の主役として女性や子どもを率いねばならない」という考えを、意識的に、あるいは無意識のうちに刷り込まれてきました。

そうした考えはかつての同質的な社会では通用していたかもしれませんが、多様な人々がそれぞれの幸福を追求する現代社会ではかえって批判の対象となっています。

たとえば、マンスプレイニングという言葉があります。「男(man)」と「説明する(explain)」をくっつけたものですが、これは、男性が得てしてしがちな、女性に対して得意げに説明したがる行為を表すものだそうです。

また、マンスプレッディングという言葉もあります。「男(man)」と「広げる(spread)」を合わせたこの言葉が批判しているのは、男性が電車の中で足を開いて座る行為だとのことです。

「わかった、もう女になんか説明してやらん」「なんだデカくて悪いのか」とそうお怒りになる方もいるかもしれません。ですが、この二つの言葉が指摘しているのは、私たち男がしばしば相手の気持ちを考えずに物事をしがちだという傾向です。そして、いわゆる「男性中心社会」の中で、そうした傾向の恩恵を許されてきた私たちが批判されているのです。

私たちは態度を変えるべきときに来ているようです。相手、とくに女性に配慮し、互いの関係が対等になるように調整し、協力関係を打ち立てるように努めることが、今後ますます大切になってくると思います。そして、そのような協力的な男性となってはじめて私たちは、マンスプレイニングやマンスプレッディングではなく、マンコーポレイティング、マンコーディネーティングと声を大にして言えるのではないでしょうか。

苦い文学

ジャーナリスト・スタイル

【一流ジャーナリストが教える! 記事の書き方】
ジャーナリストにとってもっとも大事なことは何でしょうか。取材、資料集め、記事の執筆……、これらはどれも大切なのですが、何かとあえて問われれば、私は記事の最後の一文だと思います。

なぜなら、そこにこそ、ジャーナリストがいちばんいいたいことが詰まっているからです。私たち記者の魂がそこに込められているのです。

だから、むしろ、その最後の一文をどう書くか、ということに向けて私たちは仕事をしています。その最後の一文が、読者の心を動かすのですから、当然のことです。どういうことかご理解いただくために、すこし実際の例を見てみましょう。

たとえば、『笑ってバンザイ』というテレビ番組の司会者が脱税をしたとします。とすると、一流の記者ならば、すぐに最後の一文が浮かびます。

「どうやら、今回ばかりは『笑ってバンザイ』とはいかなかったようだ。」

そして、記者はその一文に向けて綿密な取材にとりかかるのです。

また、「白い心」というヒット曲のある歌手に不法薬物の疑惑が出たら、もう、最後の文は「大ヒット曲『白い心』が黒い心にならないよう気をつけてほしいものだ。」で決まりです。

こういうことを言うと、中にはこうおっしゃる人がいます。もし、「私がある記事のタイトルを見て、最後の一文が思い浮かんだとしたら、記者の言いたいことがわかったも同然なので、その記事はもう読む必要はないのでは」と。

まさにその通りです。そうした方の心にはもう「記者魂」が宿っているに決まっているので、記事を読む必要はいっさいありません。

苦い文学

三日会わざれば

【ザンゲー通信社:記者の目】
世界中がアメリカのトランプ大統領の言動に振り回されています。なにしろ言うことがコロコロ変わるのですから当然です。

本紙でもすでに報じたように、先週、トランプさんは、ウクライナのゼレンスキー大統領のことを「選挙を経ていない独裁者だ」と非難しました。

ところが、昨日、記者とのこんなやりとりが飛び込んできました。

記者「まだゼレンスキー氏を独裁者だと思っていますか?」
トランプ大統領「私がそんなこと言いましたか? 信じられません。で、次の質問は?」

この報道に触れたとき、私は思わず目をこすりました。これを刮目と言うのですが、まさに「トランプ三日会わざれば刮目して見よ」です。

このことから、私があらためて思ったのは、トランプさんこそ、インターネット時代の政治家だということです。なにしろ、いつの間にか内容が更新されているのですから。

ですので、これからトランプ大統領について報じるときは、私たち記者は「トランプ大統領(最終閲覧日:2025年2月28日)」とする必要がありそうです。

苦い文学

ハチ公と銅像たち

渋谷のハチ公の銅像が逃げ出した。ある朝、台座の上が空になっていたのだ。私たちは大騒ぎだ。「ハチ公がいない!」 世にも稀な忠犬との写真撮影のためにはるばるやってきた外国人観光客も叫ぶ。「No Hachi!」

「犬の足だ、そう遠くは行っていないだろう」 私たちは夢中で探し回った。109 にもいない。さては PARCO に? いや東横のれん街に迷い込んだのだ! だが、必死の捜索もむなしく、私たちは途方に暮れるばかり。「どうしてリードをつけておかなかったんだ!」 誰かが腹立たしげに言った。

別の誰かが悲しげに言った。「きっと、待ち続けるのにくたびれたのだろう」「そうだ、連日、外国人観光客にああいじられては逃げたくもなる」「いや、銅像になるほどの忠犬がどこに逃げるものか」「つらいときは逃げたっていい」「そんなの忠犬じゃない」「何を!」

カッカしている私たちに誰かが言った。「待て、探す必要などないぞ! 犬は家に帰ってくるというではないか!」「そうだ、もといたところだ!」

私たちは元ハチ公前に集まった。それ以来、私たちは渋谷駅で待ち続けている。今では、犬を待ち続ける私たちを目当てに外国人観光客がやってくるまでになった。

私たちが銅像になる日も近い。

苦い文学

チョンチャンを守りたい

もう25年以上前のことになるが、私がはじめて北アフリカのチュニジアに行ったとき、街なかで「チョンチャン!」とか「シャキション!」とか、よく声をかけられたものだった。

これはジャッキー・チェンに由来する言葉のようで、中には、カンフーの真似をする人もいた。なんにせよ、一部の人々はアジア人と見るとこの言葉を発せずにはいられないのだった。

これが私には非常に不愉快だった。このような形で人間の尊厳を傷つけてはいけないと思った。そして、この振る舞いをやめさせることのできない自分の無力さに苦しんだ。

そして、今、私はチュニジアにいる。昔ほどではないが、今でも「チョンチャン!」とすれ違いぎわに言ってくる人がいる。となると、かつてはいらだたしかったこの奇習が、今や私にある種の感慨を抱かせるにいたった。

これら一部のチュニジア人たちは、少なくとも30年近くのあいだ、この「チョンチャン」をひっそりと守り続けているのだ。

この歳月のあいだ、世界ではさまざまな出来事が起きた。チュニジアもまた、2010年にジャスミン革命という大きな変革を経験している。「チョンチャン」は激動の現代史を生き延びてきたのだ。

それにしても「チョンチャン」はどのように伝承されてきたのだろうか。臨終の床で父親が「息子よ、アジア人を見たら、私がしたようにチョンチャンと必ずひとつやってくれよな……それが遺言じゃ……」 そんなふうに父から息子へ、そしてその息子が父となり、その息子へ、と綿々と伝えられてきた可能性も否定できない。

こうなると、もはやひとつの文化ではないだろうか。チョンチャン文化だ。

今後、ますます東西の交流が深まると、自ずとチュニジアの人々もアジア人に慣れ、街で見かけても珍しく思うこともなくなっていくことだろう。

そうなると心配なのが、チョンチャン文化の行末だ。いずれ消滅ということにもなりかねない。若い世代の中には、ジャッキー・チェンの映画すら知らずに「チョンチャン!」とやっている者もいると聞く。まさにチョンチャン文化のアイデンティティ・クライシスだ。

私はこのチョンチャン文化を守りたい。日本とチュニジアの友好のためにも保存会を立ち上げ、自らチュニジアの街頭に立ち、アジア人初のチョンチャン実践者として、アジア人にチョンチャンしたいと思っている。

苦い文学

同意に同意が

【ヘッドライン】同意を抑えられなかったか JR駅構内で、女性に同意を求めた男を逮捕

県警は今日、土井駅で、女性に詰め寄り、むりやり同意させようとしたとして、不同意同意強要の疑いで、50代の会社員の男を逮捕した。

県警によると、男は2月25日の夕方、JR土井駅構内で、面識のない20代女性に同意を無理じいしていたところを、通報により駆けつけた警官に取り押さえられ、現行犯逮捕された。

県内では、若い女性が同意を強要される同様の事件が相次ぎ、県警は注意を呼びかけている。そのいっぽう、「同意の同意もなく同意を求めることについての同意に無理やり同意させられたという同意」を若い女性に強要する事件も先月発生するなど手口の巧妙化も進み、「同意に同意が同意に同意の絵を書いた」と対策の遅れを指摘する声も上がっている。

県警は、男が同意を抑えられなかったとみて慎重に取り調べを進めているが、調べに対して男は「同意ぴょこぴょこみぴょこぴょこ合わせてぴょこぴょこむぴょこぴょこ」などと容疑の一部を否認している。

苦い文学

カートの出会いと別れ

空港にはふたつのカートがある。ひとつは大きなスーツケースを載せるのに使う大型のカートだ。これは空港制限区域の中でも外でもどこにでもある。なんなら空港の建物を飛び出して、タクシー乗り場などに持って行ってもへいちゃらだ。

だが、もうひとつのカート、機内持ち込みの荷物を乗せる程度の大きさの小型カートは別だ。これは空港制限区域内、つまり出入国審査場を抜けて免税店などが並ぶ特殊空間にしか存在しえない希少なカートだ。もし、外国旅行に行ったことがない人がこれをみたら「いったいこれはなんですか?」と仰天すること疑いなしだ。「このオモチャはどこの免税店で買えますか?」とお土産にしたがる人もいるかもしれない。

また、この小型カートは別の意味でも希少だ。それに荷物を載せて歩いている人はいくらでも見かけるのに、空いているカートだけは決して見つからないのだ。

旅人たちが審査場を抜けるや否や、まっさきに探すのはこの小型カートだ。もう手荷物なんか持ってらんない。一刻も早くこのカートに荷物を載せたい。そして悠々と免税店めぐりをして、小さなカゴを素敵なお土産でいっぱいにしたいのだ。

だが、いくら探しても見つからない。小型カート専用置き場があるはずなのだが、それすら見つからない。いったい他の人々はどうやってあの素晴らしい乗り物を手に入れたのだろうか?

羨望に身を焦がす旅人はありとあらゆる場所を探し回って、ようやくひとつだけ、免税店の隅やトイレの脇に放置されているのを見つける。それはなんと美しく輝いていることだろうか。カゴにゴミが捨ててあったって、ハンドルが少々ベトベトしていてもお構いなしだ。旅人は引っ掴む。重たい荷物をようやく乗せることができる。もっとも、そのときには、搭乗時間が迫っていて、買い物などする余裕もないのだが。

そして、別れの時が来る。たいてい小型カートは搭乗ゲート内に持って行くことはできない。ゆえに、エスカレーターやエレベーター、階段の手前で、せっかく見つけた相棒を手放すことになる。

出国時のどんなつらい別れにも涙を流さなかった旅人も、この時だけは涙を流すといわれている。

苦い文学

CA in Progress

今後、さまざまな職業が AI や、AI を搭載したロボットに入れ替わっていくことだろう。飛行機で乗客のサービスなどを行う客室乗務員もそのひとつだ。

もちろん、客室乗務員には、緊急避難や防犯など乗客の安全に関わる大事な仕事があり、これは人間でなくてはならない。しかし、リフレッシュ用のティッシュを配ったり、「フィッシュ・オア・チキン?」と尋ねたり、使用済みのヘッドフォンを回収して大きな袋に入れたりする仕事は、現在の配膳ロボットでも十分可能であろう。

また、客室乗務員にしてみても、エコノミークラスのやかまし屋でわからず屋の貧しい人々の世話から解放され、ファーストクラス・ビジネスクラスの上品でリッチな乗客だけに専念できるので、むしろサービスの向上につながる。航空会社にとっても人件費の節約になるのはもちろんだ。

客室乗務員を盗撮する行為もしばしば問題になるが、配膳ロボットに置き換われば、そのような迷惑行為も、ぐんと減るのではないかと思われる。もっとも、ロボットにスカートを履かせた場合は、話は別だが。

こうした利点を考えると、近い将来、飛行機内の通路を、電子音楽を鳴らしながら配膳ロボットがせわしなく行き来する時代が来るのは確実だろう。

とはいえ、問題がひとつある。

それは、機内アナウンスのとき、配膳ロボットの動きがピタリと止まってしまうことだ。熱々のコーヒーを注いでいるときに、長いアナウンスが始まったらと思うと、我々はおちおち食後の一杯も頼めないのだ。

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最強のパスポート

彼が日本国民としてもっとも誇らしいのは海外旅行に行くときだ。なぜなら彼のパスポートは世界最強だからだ。

この最高のパスポート片手に空港内を颯爽と歩くとき、彼は周囲の弱パスポート保持者たちの羨望のまなざしに焼かれそうだ。

それもそのはずこのパスポートを手にした者は世界中のありとあらゆる国を観光することができるのだ。

外交の勝利と平和の賜物だ。赤く燦然と輝いている。

最高だというのは、誰か偉い人や強者がそう決めたのではない。世界の国々が選んだベストワンなのだ。世界の仲間ナンバーワンだ。

このパスポートを持っているだけで彼の懐はあったかだ。まるでカイロのようなのだ。

だが、最近彼にとってショッキングなことが起きた。シンガポール人が最強パスポートの座を奪ったのだ。

それ以来、彼は空港でシンガポール人を見かけると、その眼前にバチーンとパスポートを叩きつける。そのシンガポール人が自分のパスポートで、彼のをひっくりかえすことができるか挑戦するのだ!

バチーン! そんな音が今日も空港で響き渡っている。