苦い文学

草野球

商業施設が老朽化のため取り壊され、大きな空き地ができた。

新しく建物が建設されるという噂だったが、いつまでたっても動きはなく、空き地のまま放置されていた。

そこにある日、どこからともなく子どもたちが集まって、野球を始めた。このようすを見かけた老人はあまりのことに腰を抜かした。そして、なんとか立ち上がると、大慌てで別の老人たちに告げて回った。

「子どもたちが空き地で野球をしているぞ!」

老人たちはどよめいた。「この時代に空き地で子どもたちが野球だと?」「俺は信じない」「ありえない!」「よし、見に行こう!」

老人たちが件の空き地に詰めかけると、果たして子どもたちが草野球に興じている。ここ何十年も見たことのない光景に、老人たちは衝撃を受けた。絶命するものまで現れた。

そこをたまたま通りかかったのが、テレビ・リポーターの老人。なにごとかと老人たちをかき分けて覗き見ると、空き地で子どもたちが野球だ。これはとくダネだと、テレビ局に連絡した。たちまち、老人のテレビクルーが駆けつけて、生中継を始めた。

ちょうどそのとき、テレビではいつものようにプロ野球の過去の映像を垂れ流していた(もう放送するものがなくなったのだ)。それが、急に画面が切り替わり、子どもの草野球中継が始まったのだ。日本中の老人たちが驚愕し、テレビにかじりついた。

「本物の子どもたちがやっている本物の草野球だ!」

あるものは歓喜に飛び上がって腰を痛め、あるものは合掌して涙を流した。アナウンサーと解説者は老いた声を張り上げた。この日、日本のすべての老人たちが奇跡を目撃した。

そして、試合が終わった。少年のひとりが盗塁に失敗し、どちらかが勝ったのだ。だが、勝敗などどうでもいい。老人たちは心から拍手を送った。

日本の黄昏を飾った最後の歴史的瞬間だった。

苦い文学

ミツメ

9 月 27 日、LIQUIDROOM 20 周年記念として、ミツメが登場した。ミツメとしても結成 15 周年、そして LIQUIDROOM で初のワンマンをして 10 年目ということだ。

私はミツメのライブは初めてで、またそれほど熱心に聞いていたわけではない。ただ、なんとなく初期の細野晴臣のような印象をもっていた。どことなく懐かしい音作り、少しひねりがあって落ち着いたメロディ、という感じだ。

だが、ライブではまったく違った。だいたいどの曲も、音源で聴くようなミツメで始まるのだが、最後のほうになると劇的に激しくなる。これが面白かった。

もちろんのこと演奏力も高く、とくにドラムに感心した。派手に叩くスタイルではないけれど、リズムが多彩で、非常に楽しい。

今回のライブはミツメの歴史が詰まった選曲ということで、曲数も多く時間も長かった。

そんなわけで、ドラムの人(須田洋次郎)が足がつってしまった。これはアンコールのときに明かされたのだが、このときのメンバー同士のやりとりもよかった(隕石が怖くて眠れないとか、髭を剃ったのに誰も気がついてくれないとか)。

落ち着いていて、激しく、そして楽しいというライブで、会場の雰囲気も良く、集まっている人々みんなが善人に思えた。

苦い文学

移民を食べるペット

先進国のアメリカで、移民を食べるペットが生み出された。レオン・マスクが宇宙事業をほっぽり出して、X で知恵を募った結果、移民がペットを食べるのならば、ペットが移民を食べてもいいのでは、という逆転の発想が飛び出てきたのだ。

さっそく移民を食べるペットが国中に放たれ、バリバリ移民を食べ始めた。なお、アメリカは先進国なので、ペットのトレーニングもしっかりしていて、決して移民以外は襲わないのだった。

移民たちは対抗手段として、このペットを食べようとした。だが逆に食べられてしまった。かくして移民は一掃され、万里の壁の建設も大量の強制送還もなくして、アメリカの移民問題が解決したのだった。

これを見た日本人が、アメリカにならって、このペットを日本にも導入することにした。海外のペットを日本に持ち込むには動物検疫上のさまざまな手続きが必要だったが、狂犬病の注射はすでに狂っているという理由で免除された。

そして、移民を食べるペットがついに日本に上陸した。

「さあ、行くのだ!」

ペットは勢いよく飛び出して行った。

1日目、日本人たちの期待に反して、移民が食べられたというニュースは届かなかった。

2日目も同様だった。果報は寝て待てかもしれない、と日本人は思った。

そして、3日目、日本人はペットが品川入管前で餓死しているのを発見した。

そのとき日本人は、公式には日本には移民がいないことを思い出した。

苦い文学

スタンプ

中国政府は反日教育をまったく行わないのに、不思議にも人民の間から偶発的に反日意識が盛り上がってきた。

「殺せ! 中国にいる日本人を殺せ!」

反日中国人たちは叫んだ。だが、問題はどうやって日本人を見つけるかだ。

「日本人どもはみな中国人に紛れている。日本関係の施設であることを知らせる表示は隠されたし、子どもたちはみなランドセルの代わりに人民カバンで学校に通っている。どうやったら日本人だとわかるだろうか」

するとひとりの反日中国人が立ち上がった。

「日本人はみなスタンプが好きだ。駅でも名所でもどこでもスタンプが置いてあって、これをみると紙の切れ端にポンと押さずにいられないタチなのだ。だから、スタンプを偶発的に道に落としておくのはどうだろうか。日本人ならば必然的にこれを拾わずにはいられまい」

「よし、さっそくスタンプを用意しよう。だが、絵柄はなにがいいだろうか」

「日本の神社やポケモンならば、日本人は飛びつくだろう」

「待て!」と別の反日中国人が言った。「反日の我々がそんなものをスタンプには使えない。愛国的中国人ならば中国のスタンプを使うべきだ。たとえば毛沢東主席などどうだろうか」

「いや、そんなものでは日本人は引っかからないだろう」

「では、万里の長城は?」「成龍は?」「パンダは?」「紫禁城!」「ジャック・マー!」……

議論は幾晩も続き、ついに意識朦朧となった反日中国人たちは、気がつくとなぜか「漢委奴国王印」を TEMU に出品していた。

苦い文学

納豆

ジョニー・サートリスさんは外国人だ。日本に住んでもう10年以上なんだ。日本語も上手。上手だとはいっても、ときどき「素材フリー」が「惣菜フリー」に聞こえるような発音の間違いをしたりするけど(そのせいで僕たちは近所のスーパーに押しかけたんだ)。

サートリスさんは大の日本通だ。日本中あちこち旅していて、僕たちより詳しいくらい。それに日本食も大好きだ。寿司、天ぷらなんて特別な料理じゃなく、肉じゃがや焼き魚といった普通の日本食がお気に入りなんだ。梅干しやらっきょうを自分で漬けてるんだって。

そんなサートリスさんにもひとつだけ食べられないものがある。それは納豆。本当にきらいみたいで、納豆の話をすると、いかにもいやそうに眉をしかめるんだ。

「サートリスさん、納豆を食べてごらんよ、きっとおいしいよ」

「絶対にいやです」

「そんなこといわないでさ」 私たちがこんなふうに言い張ると、彼はいつもこんなふうに答えるんだ。

「私ははじめは納豆が大好きでしたよ。でも、日本人に会うたびに『納豆は食べられますか』と聞かれるのにすっかり食傷してしまい、見るのもいやになりました……」

苦い文学

運転感覚の調整

電車に乗っていると、「運転感覚の調整のため」というアナウンスが入って、急に止まることがある。乗客としては迷惑だが、抗議のしようもない。

それにしても「運転感覚の調整」とはいったい何だろうか。いろいろ調べてみると、電車の運転手の感覚のずれをもとに戻すための調整作業のことだそうだ。

電車を運転するとは、さまざまな感覚が同期していることが必要だという。なぜなら運転中に起こるさまざまな事象に対処するためは、すべての感覚が同時に反応しなくてはならないからだ。

しかし、運転時間がある一定の時間に達すると、その同期にずれが生じてくるのだそうだ。このずれがある状態では、安全に運転することができない。たとえば、線路内に人が立ち入った場合、通常ならば急ブレーキを踏むところだろうが、運転感覚がずれていると誤反応が引き起こされ、走行中にすべてのドアを開けてしまうかもしれない。これは重大な事故につながりかねない。だからこそ、運転手は安全運転のために、運転感覚のずれを随時調整しなくてはならないのだ。

そういうことであれば仕方がないが、運転感覚の調整のすぐ後に、今度は運転間隔の調整だといってさらに待たすのは、さすがにやめてほしい。

苦い文学

奪われた仕事

AI が誕生したとき、喜びと驚きに沸く人々は、世界の片隅でこうつぶやく声を聞いたように思った。

「喜んでいられるのも今のうちだ。そのうち、お前たちの仕事は AI に奪われるぞ」

だが、人々は気にも留めなかった。自分たちの仕事は特別なので、AI にとってかわられることなどないと考えていたのだ。

しかし、AI が進化するにつれ、少しずつ、仕事が奪われていった。はじめは簡単な作業、そして徐々に複雑さを増し、人間のように話すことも必要な仕事も、AI はモノにしていった。

だが、それでも人々の多くは慌てなかった。「仕事を奪われるなんて、結局のところ自業自得さ」などと突き放していたからだ。

そして、これらの冷酷な人々も泡を食うときが来た。日増しに強力になってくる AI にとうとう仕事を奪われてしまったのだ。

人々はついに無職となった。労働を失った人々は、いま、することもなく街角に潜んでいる。そしてときたま通りかかる AI をカツアゲして、少しでも仕事を奪い返そうとしている。

苦い文学

みんなで血税!

〜考えよう、血税のこと〜

【その血税批判、ちょっと待った!】
「私たちの血税を裏金にするとはけしからん!」
「私たちの血税で養われているくせに!」
「血税チューチュー党!」

よく聞きますね、こんな批判。ですが、どうでしょう、もしこれらの批判ばかりする人が「血税」を払っていないとしたら? そうですね、批判する権利などありません。

ですから、政府を批判する前に、よく考えてみましょう。

「自分は本当に血税を納めているのだろうか?」と。

【その血税、正しいの?】
「血税」とは、そもそも、血で払う税、つまり兵役のことでした。それが、「血を流すような思いで納める税金」という意味で使われるようになりました。

ですから、次のような納税は、血税には当たらないのです。

《事例1》
自分のための貧乏臭いの楽しみのために支払った「たばこ税」や「酒税」。

《事例2》上司の目を盗んでサボり、就業時間の9割が白昼夢に蕩尽されたその労働とやらから納税されたはした金。

[ここがポイント!]
血税とは、血の滲むような、血が流れるような、いや、もっとはっきりいえば、納税者自身が血を流して納めた税金のことをいうんだ。

【今こそ納めよう! 本当の血税!】
私たちが本当に国のために血を流したとき、それが血税となります。そして、そうした人だけ、つまり国のために血を流して斃れた人だけが政府にモノ申すことができるのです。

ですので、もし、日本政府を血税の無駄遣いだと批判している人がいたら、それはニセモノです。日本の敵なのです。決して許してはなりません!

あなたは日本の敵ですか? もしそうでないならば、日本のために血を流しましょう! 血を捧げましょう! 本物の納血税者となりましょう!(国血税庁)

苦い文学

戦時下の炎上

不逞国家の征伐作戦を実施している我が国の軍で、とんだ不祥事が発生した。

高田陸軍大将が、SNS の個人アカウントに「お前は偉くないので、生き残ってくださーい。敗軍の捕虜でーす」と投稿していたことが明らかになったのだ。

これは先日開催された開戦記念日式典における市川陸軍大将の発言「今回の世界大戦においては、国のために命を捧げて死んだだけで偉いので皆、二階級特進である」に対する揶揄であると解釈されている。高田陸軍大将と市川陸軍大将はかねてから不仲であることが知られている。

高田陸軍大将はすぐに投稿を削除したが、その投稿を写したとされる写真がネットに拡散し、我が国のネチズンたちの非難と怒りを引き起こした。

「戦場で死ぬのは名誉なことですよね?」
「生きて虜囚の辱めを受けることをすすめるとはなにごとだ」
「こんな大将のもとに子どもを送り出したくない」
「失望した」
「国のために戦った兵士たちにめちゃくちゃ失礼」
「もう応援しない」
「国民やめます」

あわや大炎上かと思われたが、特高警察がただちに投稿者を特定し、全員逮捕したので、とくになんともなかった。

苦い文学

首の回転

ポーランドのポズナンで9月に開催された第21回世界言語学者会議(21st International Congress of Linguists)で、私はいくつかのプレゼンテーション・セッションを見にいった。

そのうちのひとつに、私でも知っている有名な言語学者が聴衆のひとりとして来ていた。

プレゼンテーションは、20分の発表と10分弱の質疑応答からなる。

いくどか質疑応答が繰り返されたのち、私はあることに気がついた。その有名な言語学者は前の方に座っていたのだが、質問が出ると必ず振り向いて質問者の方を見るのだ。

しかも、ただ見るだけではない。いかにも楽しそうな顔つきで、議論を見守っていた。

「これか」と私は思った。「これが優れた先生の態度というものなのだ」

私はおおいに反省した。私はといえば、どこかで質問が出ても、ただボケーっと前を見ているだけなのだ。

「いったいいつお前はそんなに偉くなったのか?」 私は自問せずにはいられなかった。「お前は、あの大先生が振り返っているのを見て、まだノウノウとふんぞりかえっていられるのか?」

私は決意した。「よし、俺も真似して振り向くことにしょう」

この私にもまだ、首を後ろに向けるだけのかすかな向上心は残っていたのだ。

そして、次のプレゼンテーションが終わり、質疑応答の時間となった。さっそくフロアから質問が飛び出した。偉大な先生が振り向く。

私は……その質問者の席が自分の真後ろでなければ、振り向いていたことだろう。首の回転にも限度はある。