風刺・戯文

三日会わざれば

【ザンゲー通信社:記者の目】
世界中がアメリカのトランプ大統領の言動に振り回されています。なにしろ言うことがコロコロ変わるのですから当然です。

本紙でもすでに報じたように、先週、トランプさんは、ウクライナのゼレンスキー大統領のことを「選挙を経ていない独裁者だ」と非難しました。

ところが、昨日、記者とのこんなやりとりが飛び込んできました。

記者「まだゼレンスキー氏を独裁者だと思っていますか?」
トランプ大統領「私がそんなこと言いましたか? 信じられません。で、次の質問は?」

この報道に触れたとき、私は思わず目をこすりました。これを刮目と言うのですが、まさに「トランプ三日会わざれば刮目して見よ」です。

このことから、私があらためて思ったのは、トランプさんこそ、インターネット時代の政治家だということです。なにしろ、いつの間にか内容が更新されているのですから。

ですので、これからトランプ大統領について報じるときは、私たち記者は「トランプ大統領(最終閲覧日:2025年2月28日)」とする必要がありそうです。

風刺・戯文

ハチ公と銅像たち

渋谷のハチ公の銅像が逃げ出した。ある朝、台座の上が空になっていたのだ。私たちは大騒ぎだ。「ハチ公がいない!」 世にも稀な忠犬との写真撮影のためにはるばるやってきた外国人観光客も叫ぶ。「No Hachi!」

「犬の足だ、そう遠くは行っていないだろう」 私たちは夢中で探し回った。109 にもいない。さては PARCO に? いや東横のれん街に迷い込んだのだ! だが、必死の捜索もむなしく、私たちは途方に暮れるばかり。「どうしてリードをつけておかなかったんだ!」 誰かが腹立たしげに言った。

別の誰かが悲しげに言った。「きっと、待ち続けるのにくたびれたのだろう」「そうだ、連日、外国人観光客にああいじられては逃げたくもなる」「いや、銅像になるほどの忠犬がどこに逃げるものか」「つらいときは逃げたっていい」「そんなの忠犬じゃない」「何を!」

カッカしている私たちに誰かが言った。「待て、探す必要などないぞ! 犬は家に帰ってくるというではないか!」「そうだ、もといたところだ!」

私たちは元ハチ公前に集まった。それ以来、私たちは渋谷駅で待ち続けている。今では、犬を待ち続ける私たちを目当てに外国人観光客がやってくるまでになった。

私たちが銅像になる日も近い。

旅・観察

チョンチャンを守りたい

もう25年以上前のことになるが、私がはじめて北アフリカのチュニジアに行ったとき、街なかで「チョンチャン!」とか「シャキション!」とか、よく声をかけられたものだった。

これはジャッキー・チェンに由来する言葉のようで、中には、カンフーの真似をする人もいた。なんにせよ、一部の人々はアジア人と見るとこの言葉を発せずにはいられないのだった。

これが私には非常に不愉快だった。このような形で人間の尊厳を傷つけてはいけないと思った。そして、この振る舞いをやめさせることのできない自分の無力さに苦しんだ。

そして、今、私はチュニジアにいる。昔ほどではないが、今でも「チョンチャン!」とすれ違いぎわに言ってくる人がいる。となると、かつてはいらだたしかったこの奇習が、今や私にある種の感慨を抱かせるにいたった。

これら一部のチュニジア人たちは、少なくとも30年近くのあいだ、この「チョンチャン」をひっそりと守り続けているのだ。

この歳月のあいだ、世界ではさまざまな出来事が起きた。チュニジアもまた、2010年にジャスミン革命という大きな変革を経験している。「チョンチャン」は激動の現代史を生き延びてきたのだ。

それにしても「チョンチャン」はどのように伝承されてきたのだろうか。臨終の床で父親が「息子よ、アジア人を見たら、私がしたようにチョンチャンと必ずひとつやってくれよな……それが遺言じゃ……」 そんなふうに父から息子へ、そしてその息子が父となり、その息子へ、と綿々と伝えられてきた可能性も否定できない。

こうなると、もはやひとつの文化ではないだろうか。チョンチャン文化だ。

今後、ますます東西の交流が深まると、自ずとチュニジアの人々もアジア人に慣れ、街で見かけても珍しく思うこともなくなっていくことだろう。

そうなると心配なのが、チョンチャン文化の行末だ。いずれ消滅ということにもなりかねない。若い世代の中には、ジャッキー・チェンの映画すら知らずに「チョンチャン!」とやっている者もいると聞く。まさにチョンチャン文化のアイデンティティ・クライシスだ。

私はこのチョンチャン文化を守りたい。日本とチュニジアの友好のためにも保存会を立ち上げ、自らチュニジアの街頭に立ち、アジア人初のチョンチャン実践者として、アジア人にチョンチャンしたいと思っている。

風刺・戯文

同意に同意が

【ヘッドライン】同意を抑えられなかったか JR駅構内で、女性に同意を求めた男を逮捕

県警は今日、土井駅で、女性に詰め寄り、むりやり同意させようとしたとして、不同意同意強要の疑いで、50代の会社員の男を逮捕した。

県警によると、男は2月25日の夕方、JR土井駅構内で、面識のない20代女性に同意を無理じいしていたところを、通報により駆けつけた警官に取り押さえられ、現行犯逮捕された。

県内では、若い女性が同意を強要される同様の事件が相次ぎ、県警は注意を呼びかけている。そのいっぽう、「同意の同意もなく同意を求めることについての同意に無理やり同意させられたという同意」を若い女性に強要する事件も先月発生するなど手口の巧妙化も進み、「同意に同意が同意に同意の絵を書いた」と対策の遅れを指摘する声も上がっている。

県警は、男が同意を抑えられなかったとみて慎重に取り調べを進めているが、調べに対して男は「同意ぴょこぴょこみぴょこぴょこ合わせてぴょこぴょこむぴょこぴょこ」などと容疑の一部を否認している。

風刺・戯文

カートの出会いと別れ

空港にはふたつのカートがある。ひとつは大きなスーツケースを載せるのに使う大型のカートだ。これは空港制限区域の中でも外でもどこにでもある。なんなら空港の建物を飛び出して、タクシー乗り場などに持って行ってもへいちゃらだ。

だが、もうひとつのカート、機内持ち込みの荷物を乗せる程度の大きさの小型カートは別だ。これは空港制限区域内、つまり出入国審査場を抜けて免税店などが並ぶ特殊空間にしか存在しえない希少なカートだ。もし、外国旅行に行ったことがない人がこれをみたら「いったいこれはなんですか?」と仰天すること疑いなしだ。「このオモチャはどこの免税店で買えますか?」とお土産にしたがる人もいるかもしれない。

また、この小型カートは別の意味でも希少だ。それに荷物を載せて歩いている人はいくらでも見かけるのに、空いているカートだけは決して見つからないのだ。

旅人たちが審査場を抜けるや否や、まっさきに探すのはこの小型カートだ。もう手荷物なんか持ってらんない。一刻も早くこのカートに荷物を載せたい。そして悠々と免税店めぐりをして、小さなカゴを素敵なお土産でいっぱいにしたいのだ。

だが、いくら探しても見つからない。小型カート専用置き場があるはずなのだが、それすら見つからない。いったい他の人々はどうやってあの素晴らしい乗り物を手に入れたのだろうか?

羨望に身を焦がす旅人はありとあらゆる場所を探し回って、ようやくひとつだけ、免税店の隅やトイレの脇に放置されているのを見つける。それはなんと美しく輝いていることだろうか。カゴにゴミが捨ててあったって、ハンドルが少々ベトベトしていてもお構いなしだ。旅人は引っ掴む。重たい荷物をようやく乗せることができる。もっとも、そのときには、搭乗時間が迫っていて、買い物などする余裕もないのだが。

そして、別れの時が来る。たいてい小型カートは搭乗ゲート内に持って行くことはできない。ゆえに、エスカレーターやエレベーター、階段の手前で、せっかく見つけた相棒を手放すことになる。

出国時のどんなつらい別れにも涙を流さなかった旅人も、この時だけは涙を流すといわれている。

風刺・戯文

CA in Progress

今後、さまざまな職業が AI や、AI を搭載したロボットに入れ替わっていくことだろう。飛行機で乗客のサービスなどを行う客室乗務員もそのひとつだ。

もちろん、客室乗務員には、緊急避難や防犯など乗客の安全に関わる大事な仕事があり、これは人間でなくてはならない。しかし、リフレッシュ用のティッシュを配ったり、「フィッシュ・オア・チキン?」と尋ねたり、使用済みのヘッドフォンを回収して大きな袋に入れたりする仕事は、現在の配膳ロボットでも十分可能であろう。

また、客室乗務員にしてみても、エコノミークラスのやかまし屋でわからず屋の貧しい人々の世話から解放され、ファーストクラス・ビジネスクラスの上品でリッチな乗客だけに専念できるので、むしろサービスの向上につながる。航空会社にとっても人件費の節約になるのはもちろんだ。

客室乗務員を盗撮する行為もしばしば問題になるが、配膳ロボットに置き換われば、そのような迷惑行為も、ぐんと減るのではないかと思われる。もっとも、ロボットにスカートを履かせた場合は、話は別だが。

こうした利点を考えると、近い将来、飛行機内の通路を、電子音楽を鳴らしながら配膳ロボットがせわしなく行き来する時代が来るのは確実だろう。

とはいえ、問題がひとつある。

それは、機内アナウンスのとき、配膳ロボットの動きがピタリと止まってしまうことだ。熱々のコーヒーを注いでいるときに、長いアナウンスが始まったらと思うと、我々はおちおち食後の一杯も頼めないのだ。

風刺・戯文

最強のパスポート

彼が日本国民としてもっとも誇らしいのは海外旅行に行くときだ。なぜなら彼のパスポートは世界最強だからだ。

この最高のパスポート片手に空港内を颯爽と歩くとき、彼は周囲の弱パスポート保持者たちの羨望のまなざしに焼かれそうだ。

それもそのはずこのパスポートを手にした者は世界中のありとあらゆる国を観光することができるのだ。

外交の勝利と平和の賜物だ。赤く燦然と輝いている。

最高だというのは、誰か偉い人や強者がそう決めたのではない。世界の国々が選んだベストワンなのだ。世界の仲間ナンバーワンだ。

このパスポートを持っているだけで彼の懐はあったかだ。まるでカイロのようなのだ。

だが、最近彼にとってショッキングなことが起きた。シンガポール人が最強パスポートの座を奪ったのだ。

それ以来、彼は空港でシンガポール人を見かけると、その眼前にバチーンとパスポートを叩きつける。そのシンガポール人が自分のパスポートで、彼のをひっくりかえすことができるか挑戦するのだ!

バチーン! そんな音が今日も空港で響き渡っている。

風刺・戯文

あなたが何者であろうとあなたは自由だ

まったく、現代ほど自分が何者であるか鋭く問われている時代はないのではないか?

たとえば「外国人お断り」ときた。つまりその店に入る者は自分が外国人ではないことを証明しなくてはならないのだ。「なにか証明するものを見せればいいではないか」 そういう人もいるだろう。だが、なぜそんな個人情報を見せなくてはならないのだろうか。

いやこんなものはまだ序の口に過ぎない。いまロシアで、アメリカで、中国で起きていることをみろ。自分が同性愛者でないことを宣言しないと、命すら危ないのだ。

自分が何者であろうと関係ないではないか。そしてなぜそのことを人前で明かさなくてはならないのか。自分が自分をどう自認しようと勝手だし、それを差し出す必要なんかないのだ。

自分が何者であろうと自由だ。そしてそれを言う言わないも自由だ。私たちの心は自由なのだ!

そうだ、チェックなど入れるものか!

……とおじさんが、画面に突然あらわれた「私はロボットではありません」に憤慨していた。

散文

息苦しさの原因

数年前から、私は満員電車がイヤになった。息苦しくなって逃げたくなるのだ。もう乗ることを考えただけでも苦しくなる。精神的なものかもしれないが、体の衰えもあるのかもしれない。もともと私は蒲柳の質で、モヤシっ子世代だが、そのモヤシもどうやら萎びてきたようなのだ。

このあいだ、ヒマつぶしに健康診断に行った。検査のなかに肺活量の検査もあった。肺の大きさや息を吐く勢いなどを調べる検査だ。私はマウスピースを咥え、看護師の指示に従い、息を吸ったり吐いたりした。思いっきり吐けというので、限界まで吐いた。

2種類の検査をし、数値がモニターに表示された。看護師は、どの数値も基準より低いと教えてくれた。肺の機能に問題があるのだ。

「だからか」と私は思った。「満員電車で苦しくなるのは」 肺に何か異常があることは心配だけど、息苦しさの原因がわかったことのほうがうれしかった。

「数値が低いです」と心配そうな声で告げる看護師に、私は深刻な表情で答えた。「ええ、ずっと息苦しいのです」

看護師は、私からマウスピースを取り上げ、チューブとの接続部分を締めなおした。「もう一度お願いします」

も一度やってみた結果、数値は正常だった。

ライブ

Homecomings@Shibuya WWW

整理番号が260番で、少し早めに会場前に着いていたものだから、この寒いなか入場までそうとう待つことになった。

シベリアばりの寒気に気が遠くなって、外から地下への階段へと入るのを許されたころには、頭の中ではラーゲリとか、イワン・デニーソヴィチとか、そんなことがちらつきはじめていた。

さすがに Homecomings もこのロシアの大地的な凍つきには歯が立つまいと思われたが、2時間強のライブの陶酔と熱がすっかり溶かしてくれたのだった。

今回は Homecomings の新譜のツアーの追加公演で、去年の12月28日の本公演の音がとても気持ちよく、そして激しかったので、また行くことにした。

Homecomings をはじめて聞いたのは去年、Say Sue Me のオープニングアクトで、そのとき聞いた一曲が印象に残った。去年の12月でもその曲をやったが、事前にほとんど聞かずに行ったので曲名がわからなかった。

今回再び行くにあたり、ちゃんと予習して、私はようやく曲名を知ったのだった。

その曲は「US」。このバンドの代表曲で、それすら知らずに、ライブに行くというのも我ながら情けないが、すばらしい曲なのでぜひ一度聞いてほしい。