散文

灼熱の地

7 月末から 2 週間、チュニジアに行って、いつものように調査を行う予定だ。今回、私が期待しているのは、チュニジア南部で話されているマイノリティ言語の調査だ。「期待している」というのは、必ずしも思ったとおりにいかないこともあるからだ。

調査そのものをどこで行うかもまだ流動的だ。チュニスで腰を据えてするのもいいが、南部に行って実際の生活を学びながらというのもいい。

ただ、問題は暑さだ。「夏に南部に行く」と私がチュニスの人に言うと誰もが口を揃えて「やめろ」と止めるぐらいの暑さだ。私が行こうと思っている村では、45 度を超えるそうだ。

だからその村の人は昼は外に出ない。朝早く起きて朝の 9 時までに放牧を終わらせてしまう。それから家に帰って、夕方の 5 時まで寝るそうだ。村に 3 つしかない食料品店も朝 9 時に閉まってしまう。だから買い物もそれまでに済ましてしまうのだそうだ。

そんなところに行って、人々に迷惑をかけずに調査ができるものなのか、私はわからない。そもそも私の体力が持つだろうか。そう思って、今のチュニジア南部の最高気温を調べてみた。

東京のが高かった。

もちろんチュニジアのほうはこれから上がるのだろうが、にしても大丈夫な気がしてきた。

風刺・戯文

懐かしいマウント

マウント取りで難しいのはそれがあからさまであってはいけないということだ。

なにしろ相手がその場でマウントを取られたと感じたら喧嘩になってしまう。だが、かといって相手が気がつかないではいけない。言われた相手がなんとなく違和感を感じるとか、はっきり言えないけどイヤな感じがする、とか微妙なラインを狙うのだが、これが実に難しい。

さらに難易度が高いのは、後からじわじわ効いてくるマウント取りだ。これは、言われたときはまったく気がつかずにいるが、帰宅してその日のことを思い返しているうちにムカついてくるというものだ。言い返そうと思ってももう遅い。なにしろ相手はもういないのだ。

マウント取りもこの域に達するには、相当の鍛錬が必要だが、これを簡単にしかも安全に実現できる「マウントことば」を、私は発見した。

それは「うわ、懐かしい〜!」だ。何かしている人なら誰にでもマウントの取れるワードだ。

単なる個人的な述懐のように聞こえる。だが、実は後からジワジワと効いてくる。

まずここには自己の絶対的優越性が潜んでいる。「あなたのしていることは私にとってはすでに乗り越えられた過去のことであり、あなたは私の何歩も後ろを歩いているんですよ」だ。

またこの言葉は相手のしていることも卑小化してみせる。「おやおやとっくの昔に私が通過したつまらないことをやっているね」

そして、このことばによく耳を傾けてほしい。どことなくおどけた感じがあるではないか。このユーモア感こそ、このマウントことば全体を親しげなものに仕立て上げ、相手を誤解に導くものだ。だが、その背後には「最前線にいる私から見るとほほえましいね」という嘲りが隠されている。こう言われた者は、効果テキメン、その夜遅く、布団の中で切歯扼腕すること疑いなしだ。

こんなに簡単で安全なマウント言葉はめったにない。マウント取りの諸君にはぜひこの「うわ、懐かしい〜!」を活用してほしい。ただし、「うわ、懐かしい〜!」とさっそく試みている諸君が、私に「うわ、懐かしい〜!」と言われたとしても、無理ないことと諦めてほしい。

ライブ

ライブの撮影

YouTube などで外国のライブ動画を見ていると、観客はみんな携帯を掲げて撮影をしている。というか、その見ている映像そのものが、非公式のものだったりする。つまり、観客が自分の撮影したものをアップロードしているのだ。

しかし、日本では普通、路上ライブならまだしも、会場でちゃんとお金を払って見るライブでは撮影は禁止されている。これは著作権侵害や違法アップロードを防ぐためのようだが、もっと自由にしてもいいのではないか、という声もある。

私はどちらかというと撮影禁止に賛成だ。といっても、権利上の問題についていっているのではなく、撮影するのは、演奏を楽しむのに邪魔だからだ。音楽を聴くためにやってきたのに、撮影可となると、記録に残そうとか、全部収録して YouTube にあげてやろうとか、雑念が湧いてくる。ならばはじめから撮影不可のほうが余計なことを考えずに済むというものだ。それに、携帯を手に持ってずっと掲げているのも、余計な苦役だ。

そんなわけで私は撮影禁止のままでいいと思っているが、この前、あるライブで演奏者がこんなことを言った。

「ステージと客席は分けられているけど、本当はこんな仕切りなしに、みんな友人として接したい。ライブ撮影だって、別に禁止したくない。誰でも自由に撮っていいと思う。ただ、友人を撮影するにも相手を尊重して撮影する。それと同じように、友人として撮影するという気持ちがあればいいと思う」

私は「なら、しよう」と思ったが、こんなことを言われると逆にやりにくくなるのか、周りでは誰も撮影していなかった。私もやめた。

小説

エスカレーターの囚人

私のよく利用する駅のエスカレーターに人ひとり分の幅しかないものがある。私は乗り込む車両の関係からいつもそのエスカレーターを使っている。

すいている時間のときは、人々はそのエスカレーターを歩いて降りていってしまう。しかし、朝の混雑時は、車の渋滞と同じように前に進めなくなるのか、誰も歩かずに、ただ立って降りていく。そのせいで、エスカレーターの入り口には、乗るのを待つ人々が群がり、人溜まりができている。

ある朝、私がその人溜まりの中でエスカレーターに向かって少しずつ進んでいると、前の方で鼠色のTシャツを着た男が、人を押し除けて割り込むのが見えた。私はそれを見て思った。そのままエスカレーターを駆け降りるつもりなのだろうが、そううまく行くかな。

はたして、エスカレーターでは、この男は立ち止まらずにはいられなかった。彼にとって残念なことに、前は人が詰まっていたのだった。

私は男から6人ほど後ろに立って、男の背中を見ていた。イライラしているようだった。彼は乗り換えの電車に間に合わないと焦っているのかもしれない。それとも、仕事に遅刻しそうなのだろうか? だが、どうすることもできまい。降りることも、引き返すこともできないのだ。彼はエスカレーターにとらわれた囚人だった。私は内心笑わずにはいられなかった。

そもそもエスカレーターは駆け降りたり駆け上ったりするものではないのだ。そういうときは階段を使わなくてはならない。この男はそれを知らなかったのだろうか? 今回のことはいい教訓になろう。もっとも、この男にそれだけの知恵があるならばだが。

私たちを乗せたエスカレーターは下に進んでいった。そして、ついに前の男は最下段に到達した。後ろ上方から見つめる私は、この男が慌てて走り出すのを見たかった。そして遠ざかる男を見ながら「急げ! 急げ! 遅れちゃうぞ!」と笑ってやりたかった。

だが、それはできなかった。なぜなら、エスカレーターの下は左の通路につながっていたから。男は左側に姿を消したのだった。

私はまだエスカレーターで降りている途中だった。下に着く頃には男はとっくにどこかに姿を消しているだろう。エスカレーターを駆け降りたいのにできないので、とてもイライラした。

風刺・戯文

男のハンディファン

今年の夏、ハンディファンを持って街を歩くおじさんたちが各地に出現している。去年はそんな人はひとりもいなかったのにだ。「これはハンディファン史上大きな転換期を迎えているのだ」という人もいれば、「いや、猿が木から降りたのに匹敵する大きな人類の変化だ」と主張する人もいる。それどころか「7月5日はこれだったのだ。予言は本当だった」と言い出す人もいるありさまだ。

しかしそれにつけても不思議なのは、いったいどうしておじさんたちがハンディファンを使うようになったのか、だ。その理由がまったく腑に落ちないのだ。そもそも、ハンディファンは、韓国のスターたちがメイクが落ちないように使っていたのが始まりだ。それがきっかけとなって、若い女性たちの間で流行したのだ。

いったい、これまで若い女性の流行におじさんが追随したことなどあっただろうか? いや、ないのだ。おじさんたちは若い女の子の真似など決してしない・できない生き物なのだ。その決してありえないことが、ハンディファンで起きた。そこまで地球温暖化が進行したということなのだろうか?

こうした疑問に突き動かされて、私は、ハンディファンを使うおじさんたちの心の秘密を聞き出すべく、街頭インタビュー調査を敢行した。その結果、以下のような事実が判明した。

「おじさんたちが持っているのは、ハンディファンではなかった。それは、もともとファン付き作業着のファンであったものが、作業着部分の退化により自立したものである」

つまり、地球温暖化という過酷な環境への適応の中で収斂進化が起き、ハンディファンと類似した形質を獲得するに至ったのである。進化論研究上、きわめて興味深い例だと考えられよう。

風刺・戯文

日本人ファースト経済

我が国は日本人ファーストの国になった。なんと素晴らしいことだろうか。

日本人ファースト党はさっそく日本人ファースト政策を打ち出した。日本人だけに毎月、給付金を支給するというのだ。その名も日本人ファースト給付金。なんと200万円だ! ベーシックインカムにもほどがある、とネットでは大騒ぎ。

なんでそんなことが可能なのだろうか? 日本人ファースト党の説明によれば、これが本当の私たちの給料なのだそうだ。つまり、それだけ外国人と反日勢力が私たちから悪辣にも奪い取っていたのだ! それを日本人ファースト党が「取り戻した」ときたからたまらない。

私たちは毎月の200万円でなにをしようかともう夢中で考える。大きなテレビを買おう! 高級レストランでパーティだ! 札束で反日外国人のほっぺを叩いてやろう! 毎日遊んでたって使いきれない……私たちはついに労働と貧困から解放されたのだ。

そして、給付金の詳細が発表された。それはこんなものだった。

・日本人ファースト給付金200万円は本当の日本人だけに給付されます。
・日本人ファースト給付金は、日本人ファーストのための給付金です。
・日本人ファースト給付金は、日本人ファーストではない用途に用いてはいけません。
・日本人ファースト給付金が使えるのは、日本人ファースト党政府が認めた日本人ファースト企業の日本人ファースト認定印のある商品の購入だけです(認定商品の種類は現在50点ですが、これからどんどん増えていきます)。
・日本人ファースト給付金は、日本人ファーストを完全に実現するために、クーポンで配布されます。

目下のところ、このクーポン200万円分あれば、闇市で中国産のサツマイモが1本買える。

ライブ

Homecomings @ 渋谷 CLUB QUATTRO

Homecomings のライブはこれで4度目だが、今回はワンマンではなく、ゲストのバンドが雪国と ART-SCHOOL の2つ。あまりよく考えていなかったが、それぞれしっかり演奏したので、4時間という長時間のライブだった。開演1時間前の5時から立っているので、5時間立ちっぱなしということになる。ギターの人が「自分も5時から立ちっぱなしなので、気持ちは同じです」というようなことを言っていた。

ワンマンやフェスが多くなって、対バンライブをする機会がなくなってきたので、今回のようなツアー(「many shapes, many echoes」)を企画したとのこと。私はどちらのゲストバンドも楽しめたので、足は棒のようになったが長い感じはしなかった。相変わらず Homecomings の曲と演奏はどこか物語性があって聞きやすく、時間を忘れさせた。

ところで、ここ数日、私は YouTube で元ポリスのスチュアート・コープランドのドラム関係の動画をいくつも見ていて、ドラム聴きたい欲が高まっていた。

ドラムの演奏はバンドのカラーやドラマーの個性も関係があるから良し悪しではないのだが、最初に演奏した雪国のドラムはそんなに派手に叩くスタイルではなかったので、私の欲は満たされなかった。

だが、ART-SCHOOL のドラムはまさに私が聞きたかったタイプの演奏だった。手数も多く、欲しいところでしっかり連打してくれる。しかも、かっこいいのだ。これでドラムに対する渇きがたちまち癒やされた。これからは喉が渇いたら ART-SCHOOL を聞こうと思う。

散文

カレンのバーベキュー

日本に暮らすビルマのカレン人が、今日7月20日、葛西臨海公園でバーベキューの集いを開催した。私も誘われたので、行くことにした。100人ぐらい来るとのことだが、本当にそんなにくるのかわからない。チケットを見ると11時から開始というので、20分ぐらい前に行ってみたら、カレンの服を着た数名の人がたむろしているだけだった。これから準備を始めるらしい。

炎天下のなか、近くの木陰で待っているとだんだん人がやってきた。知り合いのカレン人も次々とやってきて、テーブルを広げたり、グリルに炭を投入して火をおこしたりしている。私はそのそばでぼんやりみていた。

するとカレンの若い人が私にウチワを渡してくれた。とても暑かったので私が思わず「ありがとう」というと、「なにを言ってるのかな」という顔つきで私をみて、それからグリルに目をやった。火をおこすためのウチワだったのだ。それから私はしばらくのあいだ、ウチワでグリルを扇ぎ続けた。ぼーっとつっ立っているよりはるかにマシだった。

そのうち、人々は肉やソーセージを焼き出した。この頃には私は自分のテーブルに移っていた。テーブルは15〜6ぐらい用意されていて、それぞれのテーブルに最低でも6人ぐらい座っていたから、100人というのは本当のようだ(子どももたくさんいた)。私はテーブルに座ると、あとはもうなにもせずひたすら肉やエビやソーセージを食べ続けた。ときどき、古い友人を見つけると会いに行って挨拶をした。

ある時から、私の席の向かいに、若いカレンの男が座っていた。背が高くていかにも健康そうだ。大きな声で話し、シャツのはだけた胸元からタトゥーが見えた(これはカレン人だけでなく、若いビルマ人がよくいれている)。

私は最初、彼のことを知らない人だと思っていたが、だんだん彼のことを思い出した。だが、確証がなかった。彼の手をこっそり見た。というのも、彼は手に特徴があるということを聞いていたから。だが、その手は焼かれたエビを掴んだり、お皿を他の人に渡したり、忙しく働いていて、よくわからなかった。

そこで思い切って私は名前を聞いてみた。彼は教えてくれたが、覚えのない名前だった。私はさらに尋ねた。

「前に会ったことありましたか?」

「私は会ったことがあると思います」 そこで私はもう間違いないと思って「M さんの息子さんでは?」と確認すると、若者はそうだと答えた。M さんはずいぶん前に亡くなったカレン人難民だ。入管に 3 年も収容されていて、私は何回か面会に行ったこともあった。

「そうですか!」と私はうれしくなった。M さんの葬儀のとき、当時未成年だった彼はビルマから日本にやってきて、そのまま難民として日本にいることになったのだった。思えばそのときから彼にほとんど会ったことがなかった。

「M さんとは友達でしたよ」と私がいうと彼は「お父さんに顔が似ているとみんなよく言います」と笑った。

この時になってはじめて、私が彼の手の特徴に気がついたのは、思えば不思議なことだ。彼は曲がった親指の持ち主だ。

小説

【今日の講話】お盆の物語

今日は、お集まりの皆さんに、お盆にちなんだお話をいたしましょう。

ある裕福な男が夢を見たということです。見ると、亡くなった両親が地獄で苦しんでいます。燃え盛る炎が、二人の体を焼き、食べ物も水も口に近づけるや炎と消えてしまうのでした。

男は駆け寄って助けようとしましたが、見えない壁に隔てられて近づけません。男は絶望して、泣くばかりです。

そのとき、仏様がやってくるのが見えました。男は仏様の足元に身を投げ、苦しんでいる両親を助けるにはどうしたらよいか涙ながらに尋ねました。

「男よ」と仏様は言いました。「目が覚めたら、貧しい人々のために働きなさい。それがお前の両親を救うであろう」

男は朝、起きるや否や、街に出て、貧しい人々に施しをはじめました。飢えた人々には食べ物を与え、家のない人々には住むところを世話し、親のいない子どもには安心して勉強できる場所をつくりました。

そして、善行の一日が終わると、男は再び眠りにつきました。

夢の中で、男は両親が楽しげに暮らしているのを見ました。火炎地獄とうってかわって、そこは穏やかな光に包まれ、涼しく爽やかな風がそよそよと吹いていました。

両親は男を見ると、感謝に手を合わせます。男は言いました。

「お父さま、お母さま、もうすぐお盆でございます。お盆には、亡くなった方々がこの世に戻ってくるとのことです。今年のお盆には、供え物でおもてなしいたしますので、ぜひおいでください」

すると両親は言いました。「いいや、わしらはここにいるよ」

「それはまたどうして」と、驚く男にこう両親は答えました。

「お盆の日本は地獄より暑いからの……」

風刺・戯文

衣食足りないから

昔、私の知っている人がこんなことを言って私を驚かせた。

孔子が「四十にして迷わず」と言っているのは、孔子が40歳を過ぎて迷わなくなったという意味だと普通考えられている。それで、私たちも40歳になったら迷わない境地に至るべきだ、ということになっている。

だが、私はそう思わない。これはむしろ、孔子が「40歳になったら迷わないように」と自分を戒めているのである。つまり孔子にも迷いの心があったということだ。孔子ほどの人にそんな心があったのだから、私たちのような凡人はむしろ「迷わず」などという境地に達することはできない。むしろ逆に40になっても大いに迷っていい、そう考えた方がいいのではないか。だからもっと迷うべきなのだ。

また、その人はこんなことも言っていた。

「衣食足りて礼節を知る」というのは、生活が安定してこそ、人間は礼儀を重んじるようなると解釈されているけれど、これはつまり、生活が安定していないときは、礼儀なんて尊重しなくていいということなのだ。そこで、今の私たちの生活はぜんぜん安定していない。だから、マナーなんて守る必要ないのだ。

これはこれでひとつの考えだと思うので、私は尊重したい。にしても、貧しくなればなるほど、人間を重んずるという最低限の礼節すら失われていく今の日本に当てはまるようでもある。