苦い文学

お化けの世界

彼はもともと影の薄い人間だ。飲食店に入ってもお店の人に気づかれないので、仕方なしにそのまま立ち去ることもあるくらいだ。なんだかお化けのようなのだ。

彼は今どこかに勤めているわけではなかった。会社もなければ仕事もない。これは生物的には生きているが社会的には死んでいるような状態だ。なので、彼はますますお化けに近づいてきている。

実際、私の見るところ、彼とお化けの共通点は多かった。影が薄いことと、いるかいないか分からないということはすでに述べた。

他にもある。いつも同じ場所にいるというのもそのひとつだ。見える人には見えるというのもある。ある種の霊感がなければ、彼を知覚することはできないようなのだ。

しかし、申し添えておきたいのは、彼もまた自分がお化けのような気がしているということだ。むしろ、積極的にお化けとして生きようとしている気配すらある。

朝は寝床でグーグーグーだし、学校も試験もなんにもない。そして、昼はのんびりお散歩だ。

ますますお化けに磨きがかかってきたのか、彼は、夜の墓場を会場として、運動会を開催しようと考えるまでになった。準備に取りかかると案外忙しい。なので、手伝ってくれる仲間を募っているそうだ。

私も手を上げようかと考えている。

苦い文学

働く車

私が車の免許を取ったのはそれほど昔のことではなく、それまでは車のことなどまったく興味がなかった。知っている車の名前といえば、昔CMで見たホンダ・シティと、カエルみたいなポルシェと、ルパンに出てくるフィアットぐらいだった。

そんな無知な時代、私はあるビルマ人と茨城の牛久入管に面会に行った。そのビルマ人はドイツで難民認定された人で、ある用事があって日本に短期滞在していた。

牛久の入管は牛久駅からずいぶん離れているので、タクシーか車でないと行けない。なので、入管の敷地には駐車場があり、職員や面会に来る人の車が停められている。

よく覚えていないが、面会の後、入管の外でタクシーを待っていた時だったかもしれない。彼が停車している車を見て私に英語で尋ねてきた。

「日本の車を見ていると、黄色いナンバープレートの車とそうでないものがあるが、この違いはなんなのか」

私は少し考えて答えた。

「黄色いのは仕事に使っている車だ」

今もなお目を閉じれば浮かんでくるのは、明らかに納得していない彼の顔だ……。

苦い文学

吉田さんの挑戦

「昔は、よく見かけたものです」と吉田一郎さん(56)は、山の斜面にある石を持ち上げた。

「こういうところにたくさんいたものですが、今は姿を見ることすら難しくなりました」とさびしそうに笑う。

吉田一郎さんが皇族の再生に取り組んで10年になる。関心を持ったのは、女系天皇の議論をテレビで見てからだ。

「皇族がいなくなるなんて思いも寄りませんでしたよ。これでは国体の護持ができないと、いてもたってもいられなくなりました」

とはいえ、皇族をどうやって繁殖させたらいいかも知らなかった吉田さん、はじめは試行錯誤の連続だった。

「うっかり宮内庁を放置したせいで、あわや全滅ということもありました。宮内庁は軟らかすぎてもダメ、硬すぎてもダメ、その按配が難しいんです」

苦労のかいあって、吉田さんの手がけた宮家は順調に増えつづけている。

「もっと皇族が身近に感じられる時代が来たら」と目を輝かせる。

吉田さんの皇族が私たちの食卓に上る日もそう遠い未来ではなさそうだ。

苦い文学

当惑

入管の手続きで、難民は身元保証人が必要になることがある。この身元保証人の要件には3つのタイプがある。ひとつは住所と名前だけで済む場合、もうひとつはさらに住民票や納税証明書や銀行の残高証明(通帳のコピー)が必要な場合、そして3つ目は在職証明書もまた必須の場合だ。

私は入管関係の書類で身元保証人を頼まれた場合、基本的には断らない。だが、現在は仕事がないので3つ目のタイプの保証は引き受けることができない。

この第3のタイプは、特定活動ビザの人が定住者ビザに変更したい場合や、定住者ビザの人が永住者ビザに変更したい場合に多いようだ。なお、第1のタイプは、在留期間延長届などの場合、第2のタイプは入管被収容者の仮放免許可申請の場合だ(ただし、入管のやることはいつも変わるので、これも変わりうる)。

ある知人のビルマ難民が、弁護士と相談してなにかの申請の準備を進めていた。それで身元保証人が必要になった。

その人は私を思い出し、連絡してきた。身元保証人のために準備すべき書類を教えてもらうと、在職証明書も含まれていた。

「できない」というと、その人は日本語が十分理解できなかったのか、弁護士に直接伝えてほしい、と頼んできた。

私のことなど知りもしない弁護士先生にいきなり電話して「申し訳ないですが、できません」と言えというのだ。

「ゴメンね、君の彼氏にはなれないよ……」と見知らぬ男から告白された女性ぐらい弁護士を当惑させるのは間違いないので、私は断った。

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おじさんのプロパガンダ

子育てにおける絵本の読み聞かせの重要性はいくら強調してもしたりないが、それでも注意すべきことがある。

それはどんな絵本でもこどもの心の発達に有益だとは限らないということである。いや、有害ですらあることもあるのだ。ことにその絵本が闇の勢力のプロパガンダである場合には。

私が言っているのは『おじさんのかさ』のことだ。

私はかねてから、この世には傘屋による秘密結社が存在し、天候を操作することによって人類を傘の奴隷(SLAVE)とする恐ろしい計画が秘密裏に進行していることを指摘し、世界に警鐘を鳴らしてきた。

では『おじさんのかさ』を紐解いてみよう。

あなたは驚くはずだ。傘を差さないおじさんが、まるでケチで冷血な負け犬のように描かれていることに。雨をよけようと、おじさんが他人の傘の中に入る絵を見てほしい(p.7)。まるで寄生虫扱いではないか!

そうなのだ、連中は、もっとも無邪気であどけない絵本を道具(TOOL)として、いとけないこどもたちに、「よい人間は傘をためらわず使う」という邪悪な概念を植え付けようとしているのだ。

これこそ、連中の思う壷だ。なぜなら、我々が傘を使えば使うほど、つまり消費すればするほど、連中の我々に対する支配(DOMINION)は強固なものとなっていくのだから。

この恐るべき真実、どのマスコミも決して報じない真実を知った今、皆さんはもはや、こどもにこの邪悪な書物を読んで聞かせるなどということは決してできないのではあるまいか。

「あめがふったらポンポロロン(PONPORORON)」などとノンキに歌っていることなどできないのではあるまいか。

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その場しのぎ

日本政府が去年の夏出した「本国情勢を踏まえた在留ミャンマー人への緊急避難措置」というのは、ビルマ情勢の悪化のため日本での在留を希望するミャンマー人に積極的に在留と就労を認める、というものだ。

この措置は、難民認定申請者もまた対象としている。申請者のうちには、不法滞在の状態から難民申請した者もいるが、こうした人にも、特定活動ビザが出るようになった。

ただし、制限がないわけではない。6か月ごとに更新しなくてはならず、また週28時間以上は働けない。それでも、入管に収容される恐れなしに生活できるというのは大事なことだ。

ただし、この措置には問題がないわけではない。

最近のことだが、在留を希望するビルマ人難民申請者に、入管が、この緊急避難措置にもかかわらず、在留許可を出さないケースがあるのを知った。

その人は事情があって働けないのだ。

つまり、この特定活動ビザは、就労できることが前提となっているといえなくもない。

これは、働けない人は緊急避難措置の対象とはならないということだ。そういう人は、強制送還されて、危険に直面することとなる。

働くことができようとできまいと難民は難民だ。難民保護の基準が仕事ができるかできないかであってはいけない。

もしかしたら、緊急避難措置というのは、入管が難民問題に直面することを避けるためのその場しのぎの措置、つまり入管にとっての緊急避難措置でないかという気もするのだ。

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あるストラテジー

ビルマ人の夫婦がいた。二人とも難民申請していたが、夫のほうの在留が認められたので、妻のほうは申請を取り下げて配偶者として定住者ビザを取った。

しばらくして、夫が亡くなった。そして、彼女のビザの更新時期が来た。彼女が更新を希望すると、入管から「夫が死亡したにもかかわらず、日本にあなたが在留する理由を書いてください」という通知が来た。

彼女はある程度日本語ができるので、自分で理由書を書き、私にチェックしてほしいといって送ってきた。

日本にしっかりとした生活基盤があることと、定住者ビザから永住者ビザに変更したいということが書かれていた。しかし、私には「難民なので今のビルマには帰れません」ということも書いたほうがよいように思われた。そこで、そう指摘したら、彼女はこう答えた。

「そうすると、特別活動ビザにされてしまうかもしれないから、あえて書かないほうがいい、と他のビルマ人に言われました」

この言葉を理解するには、昨年の夏に出された「本国情勢を踏まえた在留ミャンマー人への緊急避難措置」について知っていなくてはならない。

これは、政情不安から帰国できずにいるビルマ人に在留や就労を認める「特定活動ビザ」を積極的に出すという措置だ。

定住者ビザを持っている彼女にとって、特定活動ビザは「格下の」ビザだ。なので「難民」の理由を加えることで、「緊急避難措置」の対象とされてしまうかもしれないと心配したのである。

私はなるほどそういう考えもあるかと思い、理由書の修正を強くは勧めなかったのだった。

そして、結果が出た。

在留を認めないので帰国しなさい、というものだった。

難民の理由も書いていたら、定住者ビザが出ていたかもしれないし、あるいは、結果は変わらなかったかもしれない。だが、少なくとも特定活動ビザは出ていただろうと、私は推測するのだ。

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緑のリュヌ

未来のある時点で、我々の社会は無尽蔵のエネルギーを手に入れるだろう。世界は繁栄し、科学技術は飛躍的に発展し、人口はこれまでになく増加するだろう。

我々は宇宙に広がりゆく準備ができたのだ。手始めに我々は月の開発に乗り出すだろう。

そのころの我々にとっては、月の重力を制御することも、人類に適した大気を充満させることもさして難しいことではない。

月の環境は激変するだろう。気温は上昇し、穏やかな風が循環し、優しい雨が降り注ぎ、荒野に植物が芽吹くことだろう。やがて、月を豊かな森林が覆いつくすだろう。そして、地球を緑色の月明かりで照らすのだ。

月の住人たちは、月で豊かな暮らしを楽しみ、独自の文化と社会を育むだろう。そのころには月はリュヌと呼ばれるようになるのだ……。

そして、長い年月が経ち、今、リュヌの住人と地球の住人は「どちらが月か」で口汚く罵りあっている。

(ジーン・ウルフ『新しい太陽の書』より)

苦い文学

亡者の収集(異文)

清の時代、山西の陽曲県に陶晶明という篤実な男がいた。

あるとき、陶は生ゴミを捨てにごみ捨て場に行くと、とあるゴミ袋にペットボトルが入っているのに気がついた。

陶は「ゴミの分別がなっていないようだ」とそのゴミ袋からペットボトルをとりだして、懐に入れると立ち去った。

だが、ちょうどその時、薛某の運転する車が走ってきて、陶を轢いた。

亡者となった陶は、気がつくと道端に座っていた。まわりにはたくさんの亡者がいてやはり彼と同じように座っている。

そこに荷車を引いた鬼卒が二人現れた。鬼卒たちは「さあ地獄で燃やすゴミの回収だ」というと、道端に座る亡者を掴むや、次々と荷台に放り込みはじめた。陶はこの恐ろしい光景に肝も潰れんばかりだった。

やがて鬼の手が陶の首根っこに伸びた。そのとき、別の鬼が言った。「おい、こいつは回収できないぞ」

鬼が陶の懐を探ると、ペットボトルが出てきた。「ゴミの分別がなっていないようだ」と鬼は言い、残りの亡者を荷台に積むと陶を置き去りにして行ってしまった。

陶が息を吹き返したのは、彼の葬儀の最中であった。人々は陶の蘇生に驚き、冥界でのできごとを聞くともっと驚いた。

陶を轢いた薛某は、大商人の郭陽の家の使用人であった。一部始終を聞かされた郭陽は、多額のビットコインを陶に送ったということである。

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定期刊行物

その刊行物はあなたのところに定期的に送られてくるのだ。第1号は特別定価で安くなっているが、2号以降は定価だ。

第1号の表紙には「爪」と書かれている。開くと、ブリスターの中に、大きさの違う半透明の破片が5枚、入っている。あなたは付属の薄いマニュアルを開き、それが右足の爪であることを知る。そして、親指から小指まで全部揃っているのは初回だから、ということも。

第2号には、右足の親指の爪が一枚入っている。それから新しい号が届くたびに、あなたの書斎には、体の部分がひとつづつ増えていくことになる。

足の爪のあとには、手の爪、指の骨、肉、皮。さまざまな内臓と骨、よくわからない内部器官。血液の入ったパック。脊椎と神経。顔の知覚器官。耳たぶ。そして脳のさまざまな部分。性器。少しずつ、人間の体ができ上がっていく。

ついにあなたのもとに最終号が届けられる。「眼」だ。あなたはその眼球を苦労しながら眼窩に差し込む。

そして、あなたは完成する。

あなたは立ち上がる。部屋を見回すと、目の前に血まみれの布が丸まっている。汚らしいその布を部屋の隅に放り投げると、あなたは新しい人生に向って踏み出す。